天照坐皇大御神 |
2日夜、TVで20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮が行われた。遷宮とは、新しい社殿にご神体を移すことで、式年とは、定められた年という意味で、伊勢神宮では、20年に一度行われる一大行事である。20年という期間は、木造建築の耐久年限にかかわり、人間の1世代に相当し、大神の新たな生まれ変わりを意味しているのだそうだ。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、いずれも女性の神である。一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇の4年(690年)のことで、それから1300年以上にわたり続けられていて、戦国時代の一時期には中断したこともあったが今年で62回目という気の遠くなるような歴史である。世界を見渡してもこんなに長く伝承された諸祭・行事は存在しない。(ウィキペディア)
神話の世界では中国の最高神「天帝」や朝鮮の檀君(だんくん)神話の至上神をはじめ、ギリシャ神話の「ゼウス」、ローマ神話の「ユピテル」など、世界神話の最高神は皆男性である。日本の最高神「天照大御神」は女性で、世界で最高神が女性である唯一の和の国が日本である。
新旧の神殿 |
私も40代の頃、近所のバス旅行で一度伊勢神宮を訪れているので、ひさしぶりにTVで見た内宮、外宮を思い出した。また当時建築に使われていた見事な無垢のヒノキも印象に残っている。
この式年遷宮には、65の社殿などを造り替えるだけではなく、約1600点にも及ぶ御装束神宝も新調されるそうな。この社殿を新しく建て替える技術の伝承だけではなく、神の衣装や正殿を飾る装飾や器物等の製作とその人々の伝承によって、日本固有の文化の継続と伝承が成り立っている。
その準備に8年もかけ、費用も約550億円かかるそうで、全てが神宮の資金や寄付などで賄われるようだ。この行事、20年ごとに一新することで、神様の瑞々しさを保つ「常若」の精神があり、これによって国の繁栄と国民の幸せを永続的に願っているという意味があるらしい。
この遷宮で必要なヒノキは、本数にすれば1万2千本という莫大な量を確保することで、そのためにも、毎年伐採した量に匹敵する苗を植え、200年先を見通した植林を行っている。古くなった材木は、宇治橋や全国の神社に寄贈され、今年は、東日本の被災地で神社の再建を考えているところに優先的に送られるそうだ。ヒノキは湿気などからくる腐りに非常に強く、強度も長年落ちないし、加工しやすく材の狂いも非常に少なく殺菌、駆殺虫の作用があり、彫刻材としても知られている。 国土の3分の2は森林(森林率67パーセント)である我が国は、理想的な樹木の育生条件の整った国である。温帯から亜熱帯まで多様な樹木が生育し、日本独特の 文化の基本となっているスギ、ヒノキ、ヒバ、がある、また我々が使っている広葉樹のカツラも特産である。
神社仏閣多重の塔など木造建築は日本特有のものが多い。昔大陸などから流入してきたものが日本で独自の発達が なされたものである。それらの建造物は日本に優れた木が豊富であったことが発達の理由に挙げられる。棺にはコウヤマキ、スギ、クスノキは住居、船材に、 ヒノキは建築用材と神代の時代から決まっていたことが古事記、日本書紀などにも記載されている。
歴史を遡ると、鎌倉時代には寺社の木彫刻が盛んに行われ運慶、湛慶など優れた彫刻家 が現われて仏像や仁王像など傑作を残しているが、材はカツラ、クス、ヒノキ、スギ、ケヤキなどが使用された。生地、乾漆像、漆塗、金箔なども盛んに使用 され名工たちが技術を競った。飛鳥、天平の金銅鋳造美術から木彫刻に移行したのは日本民族の木と関わりの深い生活と環境に影響されているように思われる。
太古の日本人というのは、自然の中に叡智があって、人間はその叡智をくみとって生かされていると考えていた。神様というのは伽藍の中にあるものではなく、ふらふらと自然の中にあって、雲の上を飛んでいたり、稲のそばにしゃがんでいたり、海の中に沈んでいたり、いろいろなところにいると考えられていた、いわば八百万の神様である。
自然との共生を魂に秘め、森林を守ってきた日本民族は、無節操に森林を伐採して行き、やがて国土の荒廃から文明が滅亡していく歴史上の世界の数々の国を尻目に、我が国独特の文化と精神を育んできた。木というものはその象徴でもある。
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