2010年12月23日木曜日
アートな話「日々是漆器」
我が家で日常使っている漆器類
漆の語源は「うるわし」と言われている。2,3の辞書によるとその言葉の持つ意味は広く奥深い。漢字で書くと「麗しい」
1.うつくしく、みごとである。壮麗である。
2.形・色・容姿などが、目に快く映るさま。うつくしい
3.精神的に豊かで気高く、人に感銘を与えるさま。心あたたまり、うつくしい
4.端正で形が整っている
5.乱れたところが無く整っている
日々漆を扱っている者としては、これほど気難しい塗料は無い。漆は塗料としては堅牢で優れているが、ちょっと厚く塗れば流て縮み、ほこりを嫌う、乾かすにも一定の条件が必要である。
この自然状態では乾きにくい漆の特性を生かして、蒔絵のような加飾の技法が2000年もの歴史として連綿と続き、後に続く鎌倉彫も時代をさかのぼること約800年の歴史を培ってきた。いずれも漆は生乾きのアートである。
ウルシはウルシ科、ウルシ属の落葉高木で、樹高10~15mになり秋には葉が真っ赤に色付く。樹齢10年前後の木から採れる漆は200g程度である。右の写真は樹齢12年程度の漆の木から漆の樹液を採取しているところ。
また太古の時代から使用されてきた木製の食器類も出土されており、漆文化は、特にアジア全域に広がるきわめて古い歴史を持つ特有の文化で、最古の漆塗りの食器として現存するものは、中国長江河口にある河姆渡(かぼと)遺跡から発掘された約7000年前の朱塗りのお椀である。(下の写真)一方日本では約6000年前の朱塗りの櫛が福井県鳥浜遺跡から発掘されている。また縄文時代には土器の壺に朱や弁柄の漆を塗って装飾したものもある。そのようなことから漆は最古の塗料とも言われている。
現代の漆文化圏は、日本をはじめ中国、韓国、ミャンマー、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ブータンなどほぼアジア全域に渡っている。特に漆の原液はわが国の漆需要の95%以上を中国からの輸入に頼っている現状がある。残りの数パーセントを国産の上質の漆を産地(岩手県と茨城県)からの供給でまかなわれている。中国産を多く使用するのは、もちろん量産がきく事と価格が安いことである。(詳しくは私のHP中の鎌倉彫四方山話参照)
農林水産省の古い資料によれば、2005年の生漆(樹液の状態の漆)の国内生産量は約1.3トン、これに対し輸入量は73トンに達する。輸入漆のほとんどは中国産である。現在ではこの輸入量も減少しているようだ。
日本の漆と中国の漆は分子構造は同じであるが、日本産は漆の主成分のウルシオールの含有量が多いので漆のハリとか硬さ、それに漆が完全に硬化するのが中国産より早く、透明度も高く優れている。小唄の文句に「花は桜よ、塗料は漆、桜漆は国の華」とある。英和辞典に(japan/漆、漆器)と記されているとおり、うるしはジャパンと称され日本の漆器は世界で評価されている。鎌倉彫で使用する彫刻材料の木は桂(カツラ)であるがアデランスとは言わない。(笑)
漆の精製業者は対中国貿易では、中国人をあまり信用しておらず油断できない商売相手と認識しており、現地買い付けで原液の品質を吟味した上で、通関が終わるまで現地に残り、品質のチェックを怠らない。油断をすると質の悪いものをつかまされる恐れがあるためだ。昨今の国際情勢を鑑みてもどうも好きになれない品格の無い国民性である。
現在 日本で作られている漆器の98%が中国産の漆で塗っていて、漆に関しては今、中国から輸入がストップしたらやがて日本の漆器関係の製造会社は生産がストップしてしまうだろう.その価格差は多い時で10分の1で現在では5~6分の1ぐらいになっている。しかし中国元が大幅に上がればそれも縮むだろう。中国産以外の漆は日本の漆器には向いていないので、中国に頼るしか道は無い。経済規模は小さいがまさにレアーアースと同じ状況である。
わが国では漆器産地が各地にあり、それぞれの特色を生かした地場産業として、国に伝統工芸品の指定を受け各地で製造販売されている。神奈川県の鎌倉彫は製造はもとより、アマチアの愛好家を育んできた歴史があり。手軽に自分の作品を造ることが出来るためお稽古産業としても発展してきた。そこには彫りは自分でやり、漆塗りは塗師屋にお任せするという分業が成り立っている。
長い経験と熟練を必要とする漆器の製造は典型的な世襲の家内工業で、現代では後継者不足から、木地屋にしろ塗師屋にしろ維持するのが困難な産業の一つである。筆者にも息子と娘がいるが、それぞれが好きな道を進んでおり、鎌倉彫は私の代で終わりである。しかし箸、碗、盆、重箱など漆塗りの製品は日本人の日常生活に深く入り込んでおり、合成塗料で仕上げた製品とは別格な美しさがある。上の写真は我が家で日常よく使う鎌倉彫であり、食卓を賑わしている道具たちである。
2010年12月10日金曜日
ネット社会の脅威
今、内部告発サイトの「ウィキリークス」が世界中で話題になっている。一番これに神経をとがらしているのがアメリカである。イラクにおける米兵の民間人殺傷現場の映像から始まって、、40万点にも及ぶ米軍のイラク戦争にまつわる機密文書が流出するなど、国家統制の根幹を揺るがしつつある。またアメリカの外交文書の大量に暴露など、その中に在日アメリカ大使館発の公電が5697通もあり、3番目に多いというから日米関係に大いに影響する可能性もある。
政治はある意味では情報戦であるから、権力側は情報操作に力を入れる。真実を隠し、もっともらしい嘘を流して大衆を操作し、世の中を都合良く動かそうとする。その手先となるのがメディアだが、反面メディアは情報操作の裏を暴いて真実を明るみに出す事もある。
政治は敵対する権力が争い合う世界であるから、真実を隠し続けるのも難しく、いつかは必ず明るみに出るものだ。権力が定期的に交代する民主主義社会ではそれが可能になる。ところが我が国のように単独政権が長期に及び、百年以上も官僚が支配してきた国家では「秘密は墓場まで持っていく」のが習わしである。
その点、アメリカでは保管されている公文書は、秘密がつきものの政治と外交の機密事項がのちに時期が来れば国民に公開されることになっている。それが民主主義の根本であるという思想が示されている。国民の税金を使って集めた情報や政治の記録は、最後は国民に還元される。民主主義は「真相を墓場まで持っていく」事を許さない。その情報開示の解禁がおおむね30年後とされている。そのアメリカが、アップデートの機密事項を暴露するウィキリークスに手を焼いている。そこには国益もプライバシーも眼中にない過激なネット社会の縮図がある。
わが国では沖縄返還交渉の「密約問題」で分かるように、アメリカ政府が明らかにした事を日本政府が否定し続けるというおかしな事が続いてきた。その際、日本のメディアは日本政府が否定するのを糾弾せず、日本政府が認めるまでは断定的に書かない立場を取ってきた。権力側が認めない事は書かないのが日本のメディアの伝統でもある。
you-tubeで公開された尖閣事件のビデオ流出問題では、流出させた海上保安庁の保安官が名乗り出るまでは、国も報道機関も犯人捜しに明け暮れた。
あのビデオに秘密性があったと言うのは日本政府の詭弁で、関係者はすべて情報を共有可能な状況にあったからだ。しかし海上保安官は国土交通大臣がビデオを外部に漏らしてはならないと指示
した後で漏洩させたことで、公務員として責任が問われているのだが、それよりも保安官を英雄視する声が圧倒している。これは国民の理性を超えた国民感情の強さが現れた結果であろう。
これまで国家権力は、すべての情報を独占し、恣意的に情報を操作することで成り立ってきた。江戸時代の昔から、権力側は常に「よらしむべし、知らしむべからず」の精神で、民衆を為政者に従わせてきた。真の情報には一切触れさせないことが国家統制の肝で、それをできる人物だけが権力を握ってきた。
警視庁が長年かけて集めた国際テロの捜査情報が一瞬にしてネットに流出・拡散した事件も同じことで、極秘情報の蓄積という警察組織の威厳は見事に崩れた。ネット社会の異様な発達で国家権力そのものの意味が薄れてしまった。
今のネット社会は、動画投稿サイトやファイル交換ソフトがめまぐるしく発展し、誰もが匿名で国家機密すら漏洩できてしまう時代になった。一度漏れた情報はすさまじい勢いで拡散し、国家権力側も手の施しようがない。あの中国も例外ではない。
今回の衝突映像流出を引き金に、日本でもネット情報に一国の政府が揺さぶられ今やその対策に大わらわである。
もはや、ネット社会の前では、情報の独占も権力も形無しで、この国は為政者が存在しているようで存在しない無政府状態に陥っている。
このようにネット社会が広く急速に浸透していく現在、インターネットが世界のありようを大きく変えようとしている。軍事に限らず、個人情報、生命、財産すべからくネットに依存していくであろうこの社会は、情報支配をめぐって、国と国、国と個人、個人と個人の闘いが顕在化する予兆をはらんでいる。
政治はある意味では情報戦であるから、権力側は情報操作に力を入れる。真実を隠し、もっともらしい嘘を流して大衆を操作し、世の中を都合良く動かそうとする。その手先となるのがメディアだが、反面メディアは情報操作の裏を暴いて真実を明るみに出す事もある。
政治は敵対する権力が争い合う世界であるから、真実を隠し続けるのも難しく、いつかは必ず明るみに出るものだ。権力が定期的に交代する民主主義社会ではそれが可能になる。ところが我が国のように単独政権が長期に及び、百年以上も官僚が支配してきた国家では「秘密は墓場まで持っていく」のが習わしである。
その点、アメリカでは保管されている公文書は、秘密がつきものの政治と外交の機密事項がのちに時期が来れば国民に公開されることになっている。それが民主主義の根本であるという思想が示されている。国民の税金を使って集めた情報や政治の記録は、最後は国民に還元される。民主主義は「真相を墓場まで持っていく」事を許さない。その情報開示の解禁がおおむね30年後とされている。そのアメリカが、アップデートの機密事項を暴露するウィキリークスに手を焼いている。そこには国益もプライバシーも眼中にない過激なネット社会の縮図がある。
わが国では沖縄返還交渉の「密約問題」で分かるように、アメリカ政府が明らかにした事を日本政府が否定し続けるというおかしな事が続いてきた。その際、日本のメディアは日本政府が否定するのを糾弾せず、日本政府が認めるまでは断定的に書かない立場を取ってきた。権力側が認めない事は書かないのが日本のメディアの伝統でもある。
you-tubeで公開された尖閣事件のビデオ流出問題では、流出させた海上保安庁の保安官が名乗り出るまでは、国も報道機関も犯人捜しに明け暮れた。
あのビデオに秘密性があったと言うのは日本政府の詭弁で、関係者はすべて情報を共有可能な状況にあったからだ。しかし海上保安官は国土交通大臣がビデオを外部に漏らしてはならないと指示
した後で漏洩させたことで、公務員として責任が問われているのだが、それよりも保安官を英雄視する声が圧倒している。これは国民の理性を超えた国民感情の強さが現れた結果であろう。
これまで国家権力は、すべての情報を独占し、恣意的に情報を操作することで成り立ってきた。江戸時代の昔から、権力側は常に「よらしむべし、知らしむべからず」の精神で、民衆を為政者に従わせてきた。真の情報には一切触れさせないことが国家統制の肝で、それをできる人物だけが権力を握ってきた。
警視庁が長年かけて集めた国際テロの捜査情報が一瞬にしてネットに流出・拡散した事件も同じことで、極秘情報の蓄積という警察組織の威厳は見事に崩れた。ネット社会の異様な発達で国家権力そのものの意味が薄れてしまった。
今のネット社会は、動画投稿サイトやファイル交換ソフトがめまぐるしく発展し、誰もが匿名で国家機密すら漏洩できてしまう時代になった。一度漏れた情報はすさまじい勢いで拡散し、国家権力側も手の施しようがない。あの中国も例外ではない。
今回の衝突映像流出を引き金に、日本でもネット情報に一国の政府が揺さぶられ今やその対策に大わらわである。
もはや、ネット社会の前では、情報の独占も権力も形無しで、この国は為政者が存在しているようで存在しない無政府状態に陥っている。
このようにネット社会が広く急速に浸透していく現在、インターネットが世界のありようを大きく変えようとしている。軍事に限らず、個人情報、生命、財産すべからくネットに依存していくであろうこの社会は、情報支配をめぐって、国と国、国と個人、個人と個人の闘いが顕在化する予兆をはらんでいる。
2010年12月7日火曜日
見果てぬ夢
今年は猛暑のせいか海水温がまだ高い。11月末南房総白間津で1.2kgのシマアジを釣り、翌日は10号ハリスを切られるオオカミ(シマアジの10kgオーバーの老成魚)に遭遇し、悔しい思いを残したまま、今月に入り定宿の金沢八景野毛屋でフグをやることにした。
通常なら10月ごろに東京湾内房の大貫沖に海苔棚が設置され、この海苔を食べに回遊してくる多くのショウサイフグでにぎわうのであるが、どういうわけか今年はこのよりフグが少なく、船宿も気をもんでいるところに、11月半ばころから、港のすぐ沖で、トラフグと並んで味の上位にランクされる、アカメフグ(正式には彼岸フグ)が大量に釣れているというので、最近作った自作のフグ竿の調子を見るために半年ぶりに、混雑を避け、平日の月曜に来てみたら結構釣り客が来ていた。
さてその釣果はキロオーバーのアカメが4匹、それ以下が2匹にショウサイフグが2匹、船上でさばき、2~3日冷蔵庫に寝かせて、居酒屋に持っていく手はずになっている。
アカメ ショウサイ
フグを食す文化は古く、江戸時代からあり、フグにまつわる俳句も多くある。
ふぐ食わぬ奴にはみせな 富士の山 一茶
河豚くうて 尚生きてゐる 汝かな 虚子
河豚汁や 鯛もあるのに 無分別 芭蕉
湾フグ釣りの歴史は今から 30~40年前にさかのぼる。八景野毛屋の今は無き先代の親父が、神奈川県で最初に始めたそうである。
やがてそれが東京湾エリアから湾奥エリアに広がったそうだ。湾奥エリアでは浦安吉野屋あたりが、神奈川の船宿に釣り方のノウハウを聞きに行ったそうで、これが約30年前のことで、最近では相模湾の船宿沖右衛門の船頭が教えを乞いにきたらしい。そんなわけで釣り自体の歴史は新しい部類であろう。野毛屋は先代の時から通っており、店には私の鯛の彫刻が今でもある。
最近ではフグの釣り人口も増え、それに付随してタックルは驚くほどの進化を遂げでおり、その殆ど全ては熱心な釣り人が、船宿の船長の助言を受けながらコツコツ開発した跡がうかがえる。最近では船宿特注の竿も多く出回っている。また仕掛けについても甘エビを2匹付けて釣っているが、餌の状態が悪いと見向きもしないグルメな魚でもある。
釣りの中でもカワハギとならんで難易度が非常に高いこの釣りは、神経質で繊細なこの魚の特質に由来しており、その当たりはよほど注意して穂先を見ていないと分からないほど、非常に小さい当たりをキャッチする竿が要求される。
写真の竿は最近作った2.07mの自作の和竿であるが、20本近く作ったフグ竿の集大成のもので、穂先の感度と大物を釣り上げた時のしなり具合と強度が申し分ない結果を得た。仕上げは緑の色漆で、中央部に蒔絵を施した。そこで一句、
覚めやらぬ 夢を水面に 糸を垂れ 創雲
見果てぬ夢
2010年11月27日土曜日
岡目八目
岡目八目と言う言葉がある。
事の当事者よりも、第三者のほうが情勢や利害得失などを正しく判断できること。囲碁から出た語で、碁をわきから見ていると、実際に打っている人よりも、八目も先まで手を見越すという意から。▽「岡目」は他人がしていることをわきで見ていること。「目」は碁盤の目の意。「岡」は「傍」とも書く。
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亡命中国人が対他的に中国並びに日本の状況を的確に述べているのは、まさに岡目八目である。
今年7月に出版された邦訳の『暴かれた中国の極秘戦略』(中国語『台湾大劫難』)のプローモーションのために来日した亡命中国人作家で法学者の袁紅冰(ユァン・ホンビン)氏が日本での講演会で、まもなく日本が直面する危機について警告した。その中で氏は「日本よ、魂ある国を立て直そう」とメッセージを残している。
大紀元日本にその記事が載っているので御紹介しよう。
【大紀元日本10月29日】「桜は咲き続けているが、日本の武士道精神はすでに凋落してしまった。第二世界大戦後、日本は魂のない国、経済的な機能だけの存在に堕落してしまったのだ。物欲だけにコントロールされる道をそのまま進めていくと、日本はいつの日か行き詰まり、滅びるだろう」
80年代に北京大学の法学部で教鞭を執っていた同氏は、89年の天安門学生運動を支持したため、北京から地方に放出された。2004年、貴州師範大学法学部の学部長を務めていた時、訪問中のオーストラリアで政治亡命。現在シドニーに在住し、政治や文学などの創作活動と中国の民主活動を行っている。
昨年台湾で出版された『台湾大劫難』を通して同氏は、自由が脅かされている台湾の危機を警告している。「市場一体」を経て「政治統一」を図ることで中共は戦わずして台湾に勝ち、2012年には民主体制の台湾を共産党中国の統治下に納めるという。また、中共のこの野心、台湾だけには留まらないという。日本での今回の講演の中、同氏は、近くに出版する新書『台湾大国策』の内容として、中共が画策する日本を含む世界支配の野心についても紹介した。
◆アジアへの野心:標的は台湾、インド、そして日本
講演によると、2008年、胡錦濤主席は「21世紀における中国の使命と国際地位」と題する談話を発表し、共産党中国が今世紀のうちに世界をリードし、米国に代わって国際的な行動基準を作り上げるとする国策を述べたという。この詳細については、新書『台湾大国策』で紹介しているとのこと。
同氏によると、世界支配を目指す中共の野心を実現するため、中共の軍部内では「超限戦」という新しい「戦争」の概念と戦略が呈示されているという。それは通常の武力戦のほかに、グローバリゼーション時代に特徴的な「戦争」である外交戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、文化戦、心理戦、メディア戦など様々な方法が含まれたもので、それらの新しい戦いは、軍人と非軍人を明確に区別しないとする考え方に基いている。また単に戦争手段の多様化だけではなく、それに対応する安全保障政策や戦略の研究の必要を主張しているという。
その文化戦とメディア戦の一例として同氏は、中共が世界各地に孔子学院を設立していること、中国問題の専門家や漢学者を次々に買収していることなどを紹介した。また、各国の中国語新聞のほとんどを中共がコントロールしているほか、各国の自国メディアに対しても中共の意向が浸透していると指摘する。
その拡張戦争において中共は、台湾、インドおよび日本を最優先のターゲットにしているという。同氏によると、中共政権は台湾問題とチベット問題を国家利益の重点としており、そのために必要不可欠である台湾、インド、日本との外交上の戦略を優先的に立てているとする。
しかし、その目的は領土上の利益ばかりではない。中国人は西洋の民主自由体制に適合しないという主張を常に唱えてきた中共政権は、同じ中国人でありながら民主体制を取っている台湾を、中共の独裁統治に最大の脅威として見ていると袁氏はいう。その上で同氏は、2012年秋の18期共産党大会を控えている中共政権が、台湾の自由民主制度を潰すという目標を国家戦略の最優先にしていると述べる。
◆対日戦略:日米同盟を分裂させ、尖閣諸島は譲らぬ
それに関連して、アジアの民主勢力のなかで最大の存在である日本には、台湾問題に干渉させないことを第一として対日戦略を立てているという。その主な内容は、日米関係を分裂させること、日本にとって「有利」である戦略的互恵関係を結ぶことの2点。
北京大学で勤めた際、陳昊蘇氏(60年代に中国の外相を勤めた陳毅将軍の息子)と会談したことがあり、その際に陳氏から直接聞いた話として、鄧小平氏の対日外交戦略の目的は日米同盟を分裂させることであったと述べた。それを実現するカードは、広島と長崎への原子爆弾投下の歴史を使って米国に対する日本国民の恨みを煽ること、および中国大陸の資源とマーケットに依存する日本の経済状況を利用することであるという。
さらに、日本と戦略的互恵関係を結び、北方領土問題において中国が日露間の仲介役を果たし日本に味方する立場を取る、東シナ海ガス田問題に関して日本に譲歩する姿勢を見せる、日本の国連安保理入りを支持する、という3点について日本支持のスタンスを見せかける。
一方、尖閣諸島問題は、決して譲らない姿勢を取る。その真の目的は、国家の領土への関心ではなく、尖閣諸島の領有権を主張する台湾に対して外交上の連帯感をアピールし、台湾の国民党政権を丸呑みすることにあると袁氏は主張する。先日起きた尖閣諸島沖の漁船衝突問題について、中共内部における闘争が外交上の不一致を起こさせたものとする見方もあるが、同氏の見解によれば、台湾の馬英九政権に見せかけるための戦略の一環であるという。
◆中共に対抗し、日本精神を立て直せ
民主自由の台湾を潰し、中国本土での独裁政権を固めながら、世界支配を実現していく。そうした中共の野望の前に、台湾の自由が奪われる危機を傍観するだけの日本と世界には、遠からず自分自身に危機が迫ると袁紅冰氏は警告する。
哲学者の洞察力と法学者の理智をもつ同氏は、作家で詩人でもある独特な語りのスタイルで、日本の武士道精神に対する憧れについても触れた。
「日本国の精神である武士道から、私は孔子の教え、孟子の英雄の気概、墨子の天下衆生を普く愛する侠気を思い出す」
しかし、このような「豊富な精神内包がある日本国の魂」は、第二次世界大戦では間違った方向へ利用されてしまったと袁氏はため息をつく。「人々を苦難から救うのではなく、他国への侵略で多くの人に苦難を与えてしまった」
「第二次世界大戦後、日本は魂のない国に化してしまった。歴代の日本の首相や政治家はすでに、中国を含めた各国に、先の大戦で犯した罪について謝罪と懺悔(ざんげ)を幾たびも行って来た。中国共産党の強権主義と膨張的野心が世界に災難をもたらそうとしている今こそ、日本は自由民主と人権を守る人々を支持し、自国の武士道精神を立て直すことが本当に意味のある懺悔になると私は思う。しかし、今の日本は、明確かつ堅実な国家の意思と政策に欠けているように見える。日本は自国の前途、世界の前途に対して全貌的な認知に欠けていると思う。今のまま目先の経済的利益に振り回され、中共にコントロールされてしまうとすれば、日本はますます恥を重ねる道に陥ってしまうからだ」
中国人として自国を愛し祖国の文化を立て直したいとの本音を語りながら、袁氏は日本に、中共の強権政権と対抗する中で、自国の伝統的精神を立て直していくことを願うという。「日本は武士道精神を立て直し、自由と真理の味方になるよう切に願う」と、詩人の熱い口調で同氏は語った。
以上大紀元より
さてわが国は、どこに進むのか?共産党一党独裁の中国の属国になり下がるのか、
それとも戦後骨抜きにされた米国との同盟関係をあらゆる意味で立て直し、将来脅威になる中国と対峙するのか、この国のかじ取りはまさに綱渡りである。
2010年11月20日土曜日
薬の効用
漢方は体全体のバランス療法で西洋医学は対症療法という認識が私にはある。
最近カミさんと娘が韓国済州島へ行ってきて、私のお土産に2万円以上もする冬虫夏草なるものをもらった。大きな容器に入っており、1日10粒飲んで半年分だそうだ。かねがね噂は聞いていたが、まさかこのような高価な物を買ってくるとは思いもしなかった。
効能を読むと、冬虫夏草は、18種類のアミノ酸をはじめ、ビタミン、ミネラル類多糖体、ステロール類、マンニトールなどの有効成分が含まれており、滋養強壮や免疫力の向上、エネルギーの代謝を高め、生活習慣病の改善や,前立腺機能の向上、癌予防など色々書いてある。俺の前立腺を向上させてどうするんだあ~。(笑い)
お言葉に甘えて健康のために1日10粒寝る前に飲むことにしている。冬虫夏草の効果については、中国では清の時代から生薬として珍重されてきて、高価な漢方薬として古来生産されてきて、韓国では国を挙げてこの生産地である済州島の民俗村を保護している。
左の写真は済州島にある民俗村の1民家。この屋根は茅葺きで、この茅は毎年重ねていくそうだ。7年経ったら全とっかえ。
この茅の中から冬虫夏草が取れる。
冬虫夏草は、昆虫に寄生して生育したキノコであるが、厳密には、コウモリガの幼虫に寄生したキノコを指す。人工栽培も行われているが、なかなか難しいようだ。自然の冬虫夏草は、四川省、青海省、雲南省、チベットなど海抜3000~5000mの地帯で採取され、価格ももちろん高く、とくにSARS(新型肺炎)が流行して以来、値上がりが続き、安いものでも1kg=60万以上、高価なものは1kg=1000万以上もするらしい。。
過去に1993年の8月、ドイツのシュッツガルトで開催された世界陸上選手権で、馬俊仁コーチの率いる中国選手たちが世界の強豪を相手に1500メートルで金メダル、3000メートルで金銀銅を独占、1万メートルでも金銀を獲得した。また、同年のスペインで開かれた第5回ワールドカップ大会の女子マラソン競技では、トップから4位まではすべて馬コーチが指導した中国選手が独占した。
当時、「馬軍団」として有名になった中国選手たちの強いパワーは秘密のスタミナ・ドリンクにあることが世界にも報じられ、そのドリンクのなかには冬虫夏草が入っていて、それで冬虫夏草も馬軍団という呼び名とともに一挙に世間で脚光を浴びて有名となってきた。
そんな快挙に夢馳せて、飲んで半年後の結果は、乞うご期待となるか.....?
2010年11月9日火曜日
弱り目に祟り目
最近の報道によると、中国に続いてロシアも不穏な動きを現わしてきた。中国の尖閣諸島への領海侵犯に対する日本の情けない対応ぶりを見て、期に乗じて、おれたちも北方4島の実効支配をアピールする時とばかり、メドベージェフ大統領がわが国の反対を押し切って国後島を視察した。
思えば9月末に、メドベージェフ大統領が中国を訪問し、胡錦濤国家主席との間で終戦65年に関する共同声明に署名。対日戦で共闘したとの歴史認識を中国は尖閣諸島、ロシアは北方領土の領有権主張につなげる伏線があった。
大東亜戦争末期、日本の敗戦が色濃くなった時、両国間で有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連は参戦してきた。
そして日本は8月14日に中立国を通して降伏を声明したが、その降伏後に日本の領土である北方4島を力ずくでソ連は占領した。
またソ連は武装解除した日本兵の帰還を保証したポツダム宣言に背いて、65万人に上る将兵を極寒のシベリアへ抑留した。そのような極悪非道な国が当時のソ連でありその末裔が今、自国領土だと言い張って臆面もなく国後へやってきた。
北方四島は戦争で失った領土ではなく、裏切り者が火事場泥棒で力ずくで奪った我が国の領土であることは明確である。
そのような過去の経緯をみると、ハイエナのように虎視眈眈とわが国の弱体化した政治と米国とのギクシャクした関係を見てとってロシアが行動を起こしてきたことは想像するに難くない。
過去に日本が北方領土の一部(具体的には歯舞・色丹)を取り戻すことは、可能だった。1956年日ソ共同宣言の最重要内容は、「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」という部分であり、プーチン前大統領(現首相)もこの宣言の有効性を認めているので、「2島」を取り戻すことはできた。しかし、対立点は「残りの大きな2島(択捉島・国後島)」はどうするの?」ということ。ロシア側は、「2島返還で決着する」(つまり残りの2島は返さない)としている。
これは日本にとって受け入れがたく、交渉は一向に進展しないままその後、日本は日ロ平和条約の締結条件として一貫して北方四島の返還を求めてきた。
2000年に就任したプーチン大統領は04年、平和条約の締結を条件にして歯舞諸島と色丹諸島の返還意向を示したが、日本側に拒否されたのが過去の経緯である。
9月の中国漁船と日本海上保安庁の巡視船の衝突事故騒ぎがあったタイミングで国後島を視察したことはロシア側には、日本政府の対応を見て、北方領土を訪問しても、日本政府は何もできないだろうという目論見があったが、そのとおりになった。せいぜい駐露大使を4~5日帰還させただけである。
西に中国、北にロシア、東に米国に取り囲まれたわが国の地政学上の位置は非常にきわどいところにある。
2010年11月4日木曜日
アートな話「芸術探訪」
東京都現代美術館
久しぶりに東京に出た。首都圏の片田舎に住んでいるものとしては、娘に会いに行くか、特別な用がない限りめったに東京には出かけない。
今、気になる展覧会とイベントを見に行ったので、ここで2つほど紹介してみよう。
◆東京都現代美術館 「東京アートミーティング トラスフォーメーション」
『対称性人類学』などで知られる人類学者 中沢新一とキュレーター長谷川裕子の共同企画で始まった内外のアーチスト、映像作家による企画展が来年の1月30日までの日程で開催されている。場所は地下鉄半蔵門線白河清澄駅から徒歩8分。
展覧会の概要は次のように述べられている。
「生きることは変わること。細胞や知識の更新、時代、環境との出会い、また想像力によって、日々私たちは変わっていきます。
この展覧会は、「変身-変容」をテーマに人間とそうでないものとの境界を探るものです。古今東西、変身をテーマにしたイメージや芸術は多くつくられてきました。
特に日本においては、昔話から現代の漫画やアニメのキャラクターに至るまで、豊かなイメージが溢れています。では今、なぜ「変身-変容」なのか?インターネットやグローバル経済、テクノロジーの発達によって、従来の社会に属する「人間」という形がぶれはじめ、その存在には、かつてないほどの多様性が生まれつつあります。本展では、動物や機械、想像上の生き物、異なる遺伝子組成をもつ体など、人とそうでないものの間を横断する多様なイメージが、絵画、彫刻、映像、アーカイヴ、
シンポジウムなどを通して展開されます。そこで表現される「変身-変容」する形は、私たちの夢や希望、おそれをひとつの予兆として映し出します。1980年代から現在にわたり15カ国21組のアーティストたちによってつくられた作品を通して、今、変わることの可能性と意味を伝えます。」
東京アートミーティングとは
現代アートを中心に、デザイン、建築などの異なる表現ジャンル、およびその他の専門領域が出会うことで、新しいアートの可能性を提示します。第一回目は、「トランスフォーメーション」のテーマのもと、アートと人類学が出会います。東京藝術大学とも連携し、「東京藝大トランスWEEKS」として、将来世代の育成を図るための展示、パフォーマンス、シンポジウムなどを開催します。
アクリル絵画もさることながら、展示の半数以上を占める映像作品は、プレゼンの方法が多種多様で、CG,アニメ、音響、造形のイリュージョンありで、特にAES+Fというロシアのグループ制作で<最後の暴動2>という作品は、部屋いっぱいに屏風のように置かれた3つの巨大スクリーンから迫ってくる映像は圧巻だった.
またスイスの映像作家のピピロッティーリストの作品は天井と床に映し出された映像を寝ころんでみたり、床下をのぞき込んだりして見せる空間のイリュージョンも印象に残った。
各会場ともカーテンの入り口で仕切られ、一つのアートな世界を繰り広げている。
一部日本の浮世絵に見られる歌川国芳のだまし絵の様なアニメーション シャジアシカンダーの<ネメシス>なども印象に残った作品である。また立体彫刻も数は無かったが、変容をテーマにした興味深いものが見られた。
一方、常設展では戦後の美術会を引っ張ってきた読売アンデパンダンの過去に見覚えのある作品が多く出品されていた。合わせて見ると現代アートは、今やタブローから抜け出た映像と音響の総合アートに変容していく様を目の当たりにし、隔世の感があった。
◆東京芸大 アートプロジェクト
次に回ったのは、東京下町の下谷神社会館で行われた、東京芸大企画のギャラリートーク「噺家と彫刻家のトーク」と題して、現役の芸大生が、寄席発祥の地、下谷を舞台に若手落語家をモデルにいろいろな素材でその人を彫刻してもらおうという企画で、会場では彫刻作品を前にモデルの噺家と像を造った作者との制作談義が繰り広げられた。この企画、彫刻アートプロジェクトは、台東区と東京芸大の彫刻科が連携を組んで大学から町に飛び出して、大学授業と地域交流を主眼とする試みであり今年で4回目を迎えるそうだ。
現代アートがタブローから映像に変容していくように、彫刻も密室の制作から街に出て制作するのも、ある種変容ではなかろうか?
久しぶりに東京に出た。首都圏の片田舎に住んでいるものとしては、娘に会いに行くか、特別な用がない限りめったに東京には出かけない。
今、気になる展覧会とイベントを見に行ったので、ここで2つほど紹介してみよう。
◆東京都現代美術館 「東京アートミーティング トラスフォーメーション」
『対称性人類学』などで知られる人類学者 中沢新一とキュレーター長谷川裕子の共同企画で始まった内外のアーチスト、映像作家による企画展が来年の1月30日までの日程で開催されている。場所は地下鉄半蔵門線白河清澄駅から徒歩8分。
展覧会の概要は次のように述べられている。
「生きることは変わること。細胞や知識の更新、時代、環境との出会い、また想像力によって、日々私たちは変わっていきます。
この展覧会は、「変身-変容」をテーマに人間とそうでないものとの境界を探るものです。古今東西、変身をテーマにしたイメージや芸術は多くつくられてきました。
特に日本においては、昔話から現代の漫画やアニメのキャラクターに至るまで、豊かなイメージが溢れています。では今、なぜ「変身-変容」なのか?インターネットやグローバル経済、テクノロジーの発達によって、従来の社会に属する「人間」という形がぶれはじめ、その存在には、かつてないほどの多様性が生まれつつあります。本展では、動物や機械、想像上の生き物、異なる遺伝子組成をもつ体など、人とそうでないものの間を横断する多様なイメージが、絵画、彫刻、映像、アーカイヴ、
シンポジウムなどを通して展開されます。そこで表現される「変身-変容」する形は、私たちの夢や希望、おそれをひとつの予兆として映し出します。1980年代から現在にわたり15カ国21組のアーティストたちによってつくられた作品を通して、今、変わることの可能性と意味を伝えます。」
東京アートミーティングとは
現代アートを中心に、デザイン、建築などの異なる表現ジャンル、およびその他の専門領域が出会うことで、新しいアートの可能性を提示します。第一回目は、「トランスフォーメーション」のテーマのもと、アートと人類学が出会います。東京藝術大学とも連携し、「東京藝大トランスWEEKS」として、将来世代の育成を図るための展示、パフォーマンス、シンポジウムなどを開催します。

アクリル絵画もさることながら、展示の半数以上を占める映像作品は、プレゼンの方法が多種多様で、CG,アニメ、音響、造形のイリュージョンありで、特にAES+Fというロシアのグループ制作で<最後の暴動2>という作品は、部屋いっぱいに屏風のように置かれた3つの巨大スクリーンから迫ってくる映像は圧巻だった.
またスイスの映像作家のピピロッティーリストの作品は天井と床に映し出された映像を寝ころんでみたり、床下をのぞき込んだりして見せる空間のイリュージョンも印象に残った。
各会場ともカーテンの入り口で仕切られ、一つのアートな世界を繰り広げている。
一部日本の浮世絵に見られる歌川国芳のだまし絵の様なアニメーション シャジアシカンダーの<ネメシス>なども印象に残った作品である。また立体彫刻も数は無かったが、変容をテーマにした興味深いものが見られた。
一方、常設展では戦後の美術会を引っ張ってきた読売アンデパンダンの過去に見覚えのある作品が多く出品されていた。合わせて見ると現代アートは、今やタブローから抜け出た映像と音響の総合アートに変容していく様を目の当たりにし、隔世の感があった。
◆東京芸大 アートプロジェクト
次に回ったのは、東京下町の下谷神社会館で行われた、東京芸大企画のギャラリートーク「噺家と彫刻家のトーク」と題して、現役の芸大生が、寄席発祥の地、下谷を舞台に若手落語家をモデルにいろいろな素材でその人を彫刻してもらおうという企画で、会場では彫刻作品を前にモデルの噺家と像を造った作者との制作談義が繰り広げられた。この企画、彫刻アートプロジェクトは、台東区と東京芸大の彫刻科が連携を組んで大学から町に飛び出して、大学授業と地域交流を主眼とする試みであり今年で4回目を迎えるそうだ。
現代アートがタブローから映像に変容していくように、彫刻も密室の制作から街に出て制作するのも、ある種変容ではなかろうか?
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