2010年12月10日金曜日

ネット社会の脅威

今、内部告発サイトの「ウィキリークス」が世界中で話題になっている。一番これに神経をとがらしているのがアメリカである。イラクにおける米兵の民間人殺傷現場の映像から始まって、、40万点にも及ぶ米軍のイラク戦争にまつわる機密文書が流出するなど、国家統制の根幹を揺るがしつつある。またアメリカの外交文書の大量に暴露など、その中に在日アメリカ大使館発の公電が5697通もあり、3番目に多いというから日米関係に大いに影響する可能性もある。



政治はある意味では情報戦であるから、権力側は情報操作に力を入れる。真実を隠し、もっともらしい嘘を流して大衆を操作し、世の中を都合良く動かそうとする。その手先となるのがメディアだが、反面メディアは情報操作の裏を暴いて真実を明るみに出す事もある。
政治は敵対する権力が争い合う世界であるから、真実を隠し続けるのも難しく、いつかは必ず明るみに出るものだ。権力が定期的に交代する民主主義社会ではそれが可能になる。ところが我が国のように単独政権が長期に及び、百年以上も官僚が支配してきた国家では「秘密は墓場まで持っていく」のが習わしである。

その点、アメリカでは保管されている公文書は、秘密がつきものの政治と外交の機密事項がのちに時期が来れば国民に公開されることになっている。それが民主主義の根本であるという思想が示されている。国民の税金を使って集めた情報や政治の記録は、最後は国民に還元される。民主主義は「真相を墓場まで持っていく」事を許さない。その情報開示の解禁がおおむね30年後とされている。そのアメリカが、アップデートの機密事項を暴露するウィキリークスに手を焼いている。そこには国益もプライバシーも眼中にない過激なネット社会の縮図がある。


わが国では沖縄返還交渉の「密約問題」で分かるように、アメリカ政府が明らかにした事を日本政府が否定し続けるというおかしな事が続いてきた。その際、日本のメディアは日本政府が否定するのを糾弾せず、日本政府が認めるまでは断定的に書かない立場を取ってきた。権力側が認めない事は書かないのが日本のメディアの伝統でもある。


 you-tubeで公開された尖閣事件のビデオ流出問題では、流出させた海上保安庁の保安官が名乗り出るまでは、国も報道機関も犯人捜しに明け暮れた。
あのビデオに秘密性があったと言うのは日本政府の詭弁で、関係者はすべて情報を共有可能な状況にあったからだ。しかし海上保安官は国土交通大臣がビデオを外部に漏らしてはならないと指示
した後で漏洩させたことで、公務員として責任が問われているのだが、それよりも保安官を英雄視する声が圧倒している。これは国民の理性を超えた国民感情の強さが現れた結果であろう。


これまで国家権力は、すべての情報を独占し、恣意的に情報を操作することで成り立ってきた。江戸時代の昔から、権力側は常に「よらしむべし、知らしむべからず」の精神で、民衆を為政者に従わせてきた。真の情報には一切触れさせないことが国家統制の肝で、それをできる人物だけが権力を握ってきた。


警視庁が長年かけて集めた国際テロの捜査情報が一瞬にしてネットに流出・拡散した事件も同じことで、極秘情報の蓄積という警察組織の威厳は見事に崩れた。ネット社会の異様な発達で国家権力そのものの意味が薄れてしまった。

今のネット社会は、動画投稿サイトやファイル交換ソフトがめまぐるしく発展し、誰もが匿名で国家機密すら漏洩できてしまう時代になった。一度漏れた情報はすさまじい勢いで拡散し、国家権力側も手の施しようがない。あの中国も例外ではない。
今回の衝突映像流出を引き金に、日本でもネット情報に一国の政府が揺さぶられ今やその対策に大わらわである。

もはや、ネット社会の前では、情報の独占も権力も形無しで、この国は為政者が存在しているようで存在しない無政府状態に陥っている。

このようにネット社会が広く急速に浸透していく現在、インターネットが世界のありようを大きく変えようとしている。軍事に限らず、個人情報、生命、財産すべからくネットに依存していくであろうこの社会は、情報支配をめぐって、国と国、国と個人、個人と個人の闘いが顕在化する予兆をはらんでいる。

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