2010年11月9日火曜日

弱り目に祟り目



最近の報道によると、中国に続いてロシアも不穏な動きを現わしてきた。中国の尖閣諸島への領海侵犯に対する日本の情けない対応ぶりを見て、期に乗じて、おれたちも北方4島の実効支配をアピールする時とばかり、メドベージェフ大統領がわが国の反対を押し切って国後島を視察した。

思えば9月末に、メドベージェフ大統領が中国を訪問し、胡錦濤国家主席との間で終戦65年に関する共同声明に署名。対日戦で共闘したとの歴史認識を中国は尖閣諸島、ロシアは北方領土の領有権主張につなげる伏線があった。


大東亜戦争末期、日本の敗戦が色濃くなった時、両国間で有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連は参戦してきた。

そして日本は8月14日に中立国を通して降伏を声明したが、その降伏後に日本の領土である北方4島を力ずくでソ連は占領した。
またソ連は武装解除した日本兵の帰還を保証したポツダム宣言に背いて、65万人に上る将兵を極寒のシベリアへ抑留した。そのような極悪非道な国が当時のソ連でありその末裔が今、自国領土だと言い張って臆面もなく国後へやってきた。



北方四島は戦争で失った領土ではなく、裏切り者が火事場泥棒で力ずくで奪った我が国の領土であることは明確である。
そのような過去の経緯をみると、ハイエナのように虎視眈眈とわが国の弱体化した政治と米国とのギクシャクした関係を見てとってロシアが行動を起こしてきたことは想像するに難くない。


過去に日本が北方領土の一部(具体的には歯舞・色丹)を取り戻すことは、可能だった。1956年日ソ共同宣言の最重要内容は、「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」という部分であり、プーチン前大統領(現首相)もこの宣言の有効性を認めているので、「2島」を取り戻すことはできた。しかし、対立点は「残りの大きな2島(択捉島・国後島)」はどうするの?」ということ。ロシア側は、「2島返還で決着する」(つまり残りの2島は返さない)としている。

これは日本にとって受け入れがたく、交渉は一向に進展しないままその後、日本は日ロ平和条約の締結条件として一貫して北方四島の返還を求めてきた。
2000年に就任したプーチン大統領は04年、平和条約の締結を条件にして歯舞諸島と色丹諸島の返還意向を示したが、日本側に拒否されたのが過去の経緯である。


9月の中国漁船と日本海上保安庁の巡視船の衝突事故騒ぎがあったタイミングで国後島を視察したことはロシア側には、日本政府の対応を見て、北方領土を訪問しても、日本政府は何もできないだろうという目論見があったが、そのとおりになった。せいぜい駐露大使を4~5日帰還させただけである。

西に中国、北にロシア、東に米国に取り囲まれたわが国の地政学上の位置は非常にきわどいところにある。

国会ではくだらない論戦で時間を費やしている暇があったら、政治家の先生方にはこれからの日本をどうするのか、国家100年の計を真剣に考えてもらいたいものだ。仙石38(さんパー)ではこの国は持たない。






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