2009年3月26日木曜日

サムライジャパン

第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)はサムライジャパンの連覇達成で閉幕した。今までの日本チームの名前が監督の名前で呼ばれていたのと違い、妙にナショナリズムをくすぐる名称である。おかげで仕事そっちのけで全試合を楽しませてもらった。侍イコール日本と言うイメージが世界に定着しているので4年先のチームもこの名前でやって欲しいものだ。特にイチロー は私と同じ名前で親近感を覚える。

さて侍と言えば武士道、近頃地に落ちた役人のモラルハザードは、武士道のかけらもない。
「侍」という言葉は、「さぶらう(候ふ・侍ふ)」という言葉から来ており、元々は「人に仕える」という意味の言葉である。つまり、「侍=お役人」 であった。侍には武芸や軍学は必須のものであり、武士道と呼ばれる理念に基づき、主に絶対服従し、主の為に命をも惜しまない思想を持っていた。戦国時代に入ると人に仕えているいないに関わらず、「武士=侍」 という呼び方になっていった。雇われ兵士である「傭兵〔ようへい〕」や、特定の主を持たない「野武士」なども「侍」と呼ばれていた。

侍の歴史は、平安時代頃に身分の高い人々に仕えてその身辺警護をする人達を「侍」と呼ぶようになった事からはじまった。やがて戦国時代になると、戦〔いくさ〕で戦う者の事を侍と呼ぶようになった。腕っぷしの強い兵士が常に求められていたため、どんな身分の者でも戦場での働きによって侍になることが出来た。中でも有名なのは、油売りから戦国大名になった「斉藤道三」や、農民の子から戦国武将となり、天下を統一した「豊臣秀吉」である。江戸時代になると、幕府のもとで、旗本以上の武士階級をさして「侍」と言っていた。ただし、士農工商の身分制度が確立してからは「武士」全体を指して「侍」と呼ぶようになり、やがて明治維新以降西南戦争で敗れた西郷隆盛を最後に侍は歴史から姿を消した。
  


日本の侍(武士)達は、「武士道」と呼ばれる独自の 「理念」 「思想」 を持っていた。武士道が自覚されたのは封建制の時代であった。日本で封建制が確立されたのは、源頼朝が武家政権を開いた鎌倉時代であるが、封建的な社会要素はそれ以前から存在していた。よって武士道の要素も同様に、それ以前から存在していたと考えられる。武士道の礼儀や心得などは「武家」によって色々と解釈が異なるが、一般的に自らの行動や責任に命をかける、これらの思想から、日本の侍には「切腹」という文化が生まれた。失敗した際には、自らの腹を斬り、命を捨て、けじめを付けるというものである。西洋において武士道に似た「騎士道」というものがあるが、自らの命を絶って責任をとるという概念はない。「切腹」によって自らの命を捨ててまで責任を取ろうとする「武士道」は、世界的にもかなり異質なものである。


最近全米でAIGの幹部のボーナス支給問題で、公聴会で糾弾した共和党議員から「日本の経営者はこのような場合辞任か自殺する」と言ったことがニュースになったことからも日本人の特質が浮き彫りとなっている。武士に関する諺も多い。「武士に二言はない」「武士は食わねど高楊枝」「武士の情け」「武士は相身互い」いずれもそこにあるのは男の美学である。

0 件のコメント: