2009年3月11日水曜日

談合社会


高度経済成長時代を経て築かれていった金権政治、その中枢で田中角栄・金丸信は、さまざまな業界と癒着し「カネと票」を集めることで権力を掌握した。特に、建設業界並びに旧建設省(国土交通省)官僚とは一心同体の癒着構造を築いた。土建業者、官僚、政治家の三者が癒着し、国民の税金を分け合う共存・共栄の爛れた関係を保持した。上は総理大臣・国会議員から下は県知事・市町村長・地方議員に至るまで利権に群がる強固な田中・金丸軍団を形成した。


この金権政治の系譜に位置する小沢一郎は田中角栄と金丸信の嫡出子である。国土交通省官僚や土建業者との濃密な関係を相続した。彼の主張の明快さ揺るぎなさに強い指導者像を見る人は多いが、政界再編というドラマを仕掛け、結局、失敗を重ねてきたのが小沢政治史であり、その自爆癖が気にかかる。安部、福田の場合は政権放棄は唐突にやってきたが、小沢の場合は常にその予兆が顔に表れている。権謀術数の政治の世界で生きてきた人間が仕掛ける権力闘争は剛腕を要する。


岩手県・宮城県をはじめ東北地方の公共事業をどの企業に発注するかは本来「競争入札」で公正になされることになっているが、実態は国土交通省官僚と県知事等が談合して決める「指名入札」になっているようだ。官僚・地方自治体首長並びに土建業者に影響力を持つ政治家が食い込み「不公正入札」を強要する余地が生まれる。その小沢一郎も西松建設の企業献金問題で検察の手が伸びている現況であるが、自民党の閣僚にもその手が伸びている。どの政治家も政治資金規制法の網の目から逃れ政治を動かす血となる献金の取得に政治生命を賭けている。

日本の社会では全て談合で成り立っている、身近なところでは町内会の会長がいて地区には長がいる、何事も話し合いで摺りあいをして事は決まる、政治もこの延長線上に位置する。最近では郵政の簡保の宿のたたき売りなども,オリックスとの不透明な疑惑がらみでご破算となったことは記憶に新しいところである。なあなあおいおいで抜け駆けをやると嫌われる、裏切り者の汚名はそこから生まれる。麻生氏も小沢氏もそこから生まれた、アートの世界も同じ、画壇にしろ工芸にしろこの構図は変わらない。

実質的に日本を動かしているのは官僚で政治家ではない、行政改革がたびたび叫ばれたがそのつど官僚に潰されてゼロ地点に戻る。国民の民度の低さがそれに輪をかけて改革の足を引っ張る、まるで官僚が言う通りにしろと命令を出して、それに素直に従う構造が出来上がっているようだ。欧米ではこの構造がない、指導力を発揮できないリーダーはやがて蹴落とされる。日本では逆に目だつリーダーは皆に寄ってタカって引き摺り下ろされる。リーダー不在のこの国の前途は多難である。

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