2009年2月23日月曜日

アートな話 美のメッセンジャー


木彫における近代史のなかで、高村光雲は仏師、仏像などを経てロダンなどの西洋の写実主義や表現主義などの影響をうけ、衰退しかけていた木彫を復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たした。
その息子詩人で彫刻家の高村光太郎はよくセミを彫る。日常目にする身の回りの自然の生物や果物などを彫っているが、彼の彫刻に対する思いが以下の一文によく表れているので紹介しよう。

「セミの彫刻的契機はその全体のまとまりのいい事にある。木彫ではこの薄い翅の彫り方によって彫刻上の面白さに差を生ずる。この薄いものを薄く彫ってしまうと下品になり、がさつになり、ブリキのように堅くなり、遂に彫刻性を失う。これは肉合いの妙味によって翅の意味を解釈し、木材の気持に随《したが》って処理してゆかねばならない。
多くの彫金製のセミが下品に見えるのは此の点を考えないためである。すべて薄いものを実物のように薄く作ってしまうのは浅はかである。丁度逆なくらいに作ってよいのである。木彫に限らず、此の事は彫刻全般、芸術全般の問題としても真である。むやみに感激を表面に出した詩歌が必ずしも感激を伝えず、がさつで、ダルである事があり、却《かえっ》て逆な表現に強い感激のあらわれる事のあるようなものである。そうかといって、セミの翅をただ徒《いたずら》に厚く彫ればそれこそ厚ぼったくて、愚鈍で、どてらを着たセミになってしまう。あつくてしかもあつさを感じない事。これは彫刻上の肉合いと面の取扱とによってのみ可能となるのである。しかも彫刻そのものはそんな事が問題にならない程すらすらと眼に入るべきで、まるで翅の厚薄などという事は気のつかないのがいいのである。

何だかあたり前に出来ていると思えれば最上なのである。それが美である。この場合、彫刻家はセミのようなものを作っているのでなくて、セミに因る造型美を彫刻しているのだからである。それ故にこそ彫刻家はセミの形態について厳格な科学的研究を遂げ、その形成の原理を十分にのみこんでいなければならないのである。微細に亘った知識を持たなければ安心してその造型性を探求する事が出来ない。いい加減な感じや、あてずっぽうではかえって構成上の自由が得られないのである。自由であって、しかも根蔕《こんたい》のあるものでなければ真の美は生じない。」とある。


周知のように鎌倉彫はベーシックな造形に基づく木地作りは、立体彫刻のカテゴリーに集約され、機械加工や手刳りによって造形された木地を、平面彫刻で加飾することで成り立っている。写実を基本に考えた場合、限られた薄さの中で奥行と広がりを表現すること、そこに薄肉彫と言う平面彫刻の難しさがある。また彫刻を施す面と彫らない平面[余白]とのせめぎあいもたびたび出てくるテーマでもある。
一方抽象を意図して作品を作る場合、デザインの始まりは線の展開である。直線、曲線、あるいはそこからあらわれてくる面の構成によって作品は生まれてくる。

鎌倉彫の作品で、まず表面の彫刻部分をそぎ落としたものがオブジェ[モノ]であり、そこにあるモノは機能を内包した用の美が存在する。そのモノに刻まれた彫刻は、平面彫刻であり物言わぬオブジェの加飾である。
モノづくりに要求されるものはまず形である。それは立体としてのモノで機能を啓示させる形である。鑑賞だけのオブジェであれば機能性はいらない。形を創り出すことに加え出来た形に彫刻を施すことが鎌倉彫の仕事である。彫刻と絵画の違いは、前者はイメージをモノに具現化し、後者はモノ(事象)をイメージ化することにより、両者とものっぴきならない関係にあり、いずれもイメージによって成り立っている。我々作り手は湧き上がったイメージを忠実に再現する美のメッセンジャーでもある。

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