2011年1月17日月曜日

アートな話「色について」

赤についての考察


石器時代遺跡(つがる市)縄文時代晩期

 「亀ヶ岡赤彩土器」

色の3原色は周知のように赤、青、黄色である。今回は赤について考察してみる。赤は生命の根源といえる色。「赤い血を流すことが死につながることから純粋に赤そのものに生命を与える力があると信じていた」と、『色彩の美学』の著者の塚田敢氏が文中で語っている。日本をふくめ世界中の原初の遺跡の中から他の色に比べ、赤の顔料の使用が多く認められている。我が国で赤い色が出現したのは縄文後期の上の写真である。

古代に思いを馳せれば、赤は我々の生命を維持する血液のヘモグロビンの色でもあり、また暗闇を照らす大いなる炎の色でもあるだろう。生死を分ける色、赤。命の根源。血族。力による統率。原始の人類たちは赤い血液が生命を維持していくことを知っていた。そしてそのことは赤という色彩に生命エネルギーという霊力が備わっていると信じていたふしがある。

そしてまた、赤で彩色し描くことにより、強い生命力を表現するとともに、そのエネルギーが自分にも宿るようにという強い願いを込めたものと推測される。 そしてまた病や死に対抗する手立てとなどまったくなかった当時、闇に引きずり込む負のエネルギーに対して赤という力強い生命エネルギーをもって対抗しようとしたのも、古代のシャーマニズムからうかがい知れるところだ。


 当時の原始絵画に用いられた顔料の色は赤褐色・褐色・黒・白・黄色系統の色調で、まだ青や緑といった系統の色は見られない。色顔料の原料としては、赤鉄鉱・黄鉄鉱・マンガン鉱・などから赤や黄色・褐色を 創り、骨を焼いたものから黒を得ていたことが解かっている。
色はそれら鉱物を粉砕してできた粉を水や獣脂・樹脂などと練り合わせて作られており、そのほか植物色素なども使用されていただろうと予測されるがそれらの痕跡は残っていない。

人類が使用してきた火の歴史は50万年以上前、ジャワ原人や北京原人が居住していた頃にまで遡ることができる。火の使用により黒という色は骨や木を焼いた灰から簡単に採取されたと予測されるが、その他の色に関しては色を表現するための研究が、長い歴史の中で手探りでされたことと想像できる。 

 現在、私たちは「色彩は波動でありエネルギーである」ことを知っている。しかしその事が科学的に証明される遥か太古の昔から、すでに人類の祖先はそのことを肌で感じ取っていたものと思われる。なぜなら色は非常に感覚的な要素を持っているからである。
そして今に続く色彩文化の原型ともいえる色は、命の色・とりもなおさず「赤」に他ならない。


私が赤で印象に残ったものが2つある。一つは19世紀の画家ゴーギャンの赤と、二つは1986年にイタリア旅行で見たポンペイ遺跡の壁画を際立たせている赤である。



            ポンペイの赤

約2000年もの間、あの美しい「ポンペイの赤」が失われなかった秘密は、どうやら絵具と仕上げにあったそうだ。絵の具・石灰とロウを加えた石鹸水に色を混ぜて絵具を作っていたと分析されている。仕上げを鉄ごて、大理石のローラーや磨き石等で描いた絵を磨いた後、最後に布でつやだしをして仕上げていたことが解析されている。この赤色は、現代の技術を持ってしても再現は難しいと言われている。
画面に描かれているディオニュソス(バッコス)は、ギリシャ神話に登場する酒の神だが、古代のローマでは、ディオニュソスの神が広く人々の信仰の対象とされていた。

ゴーギャンの赤

文明の退廃への嫌悪と原始的なるものへの憧憬と回帰がゴーギャンの赤に象徴されていて、まさに赤は原始の色である。

彼の作品にはオレンジがかった赤や、いろいろの諧調の赤が散りばめられている。それが晩秋の木々だったり、タヒチの占い師のマントだったり、タヒチの女の腰巻であったり、ブルターニュの冷たい風にさらされた畑だったり、イヴの蛇ならぬトカゲだったり、写真のようなそのものずばり地面だったりする。 (写真上 ヤコブと天使の戦い 写真下 神の日)

船員を経て株式仲買人で成功した職を辞し、妻子を捨てタヒチで乞食のような暮らしをしながら酒を買うために死ぬまで描き続け、女にも捨てられアルコール中毒で窮死したゴーギャンは、英国の作家サマセット・モームのモデル小説「月と6ペンス」に描かれている。

命を懸けて描いた作品は酒屋に持ち込んで酒に換えたがゴーギャンの死後その酒屋は、宣教師に神を冒涜する絵だと言われてすべて焼き捨てたそうだ。
またゴーギャンと土地の女性との間に生まれた息子が、やはりアル中になって乞食をしながら観光客に写真を写させていくらかの酒代を貰っている写真を昔見た覚えがある。人生の悲哀を感じた一枚だった。

0 件のコメント: