2010年8月2日月曜日

アートな話「写実からデフォルメへ」



デッサンは、絵画や彫刻における対象物の把握、認識にいたる手段であるが、それは描いた人の技量だけでなく、ものの見方や考え方がむき出しになるものでもある。
描く対象(モチーフ)と自然の理(ことわり)の間で描き手が、技術と感性のはざまでいかにさまよったかが分かる、ある意味で怖い絵である。

             野田 弘志 「鳥の巣」 鉛筆


学生時代、東京の下町に下宿していた頃、日暮里に太平洋美術研究所という所があった。画家志望の友人に誘われて、時々裸婦を描きに通ったことがある。あらゆるモチーフの中で女体に興味があった年頃で、どちらかと言うと短時間に仕上げるクロッキーだったと思う。1ポーズ20分ぐらいで、描く道具は自由で鉛筆、木炭、パステルと使ってみたが、そのころ描いたものは、引っ越しを繰り返すうちにすでに無くなってしまったが、、今思うと気恥ずかしいクロッキーであった。当時裸婦にあこがれていたこともあり、後年見た印象ではギラギラしたデッサンで、顔は概念的にモデルのアンニュイな雰囲気と違った顔になっていた。


さて、デッサンについてまわる精緻な観察と、息詰まるモチーフとの対話から解放されたところにあるのがデフォルマシオンである。
デフォルマシオン(変形、歪形)とは造形芸術において、一般的には自然界に与えられている標準的な規範を変更することを意味するもので、意図するしないにかかわらず再現されたものとその原型との総意を現わす言葉として使用される、一般的にはデフォルメと称しているものである。



あらゆる創造的な要求は、常に自然界の単なる模写、写し取りではなく、何らかの解釈である以上、デフォルメは表現に付きまとうものだ。
20世紀に入り、表現目的のために意図して形をゆがめるという芸術家の造形意志としてのデフォルマシオンは、彫刻や絵画において顕著にあらわれた。
右の彫刻は今年サザビーズのオークションで95億円で落札された、ジャコメッティーの「歩く男」で素材はブロンズ。かのサルトルに「現代における人間の実存を表現したもの」と言わしめた作品である。



ジャコメッティと対照的なのが、右の彫刻ヘンリームアーの「横たわる女、肘」である。
ヘンリームアーの彫刻は人間と自然との融合を、あるいは人間の普遍性を素材の石を巧みに利用して表現している。そのホルムは豊曉さに満ちた生命のかたちである。


デフォルマシオンは、ある既知の事物、たとえば人間の姿かたちをある程度の再現を残しつつも、その対象の標準的な規範を変更させることで、別の意図したものを恣意的に表現する手立てであり、その対象に見出される有機的な形態から本質的なものを抽出するという意味において、自然な衝動から発しているものである。

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