2010年2月25日木曜日

検察の歴史


悪政のアレゴリー(イタリア 壁画)

昨日NHKのドキュメンタリー番組で小林多喜二(日本のプロレタリア文学の旗手で、日本共産党に入党し、のちに治安維持法下で特高警察ー現在の検察特捜部の前身によって拷問死した。)の物語を見た。

現在若い世代における非正規雇用の増大と働く貧困層の拡大、低賃金長時間労働の蔓延などの社会経済的背景のもとに、2008年には『蟹工船』が再評価され、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーになった。また、2009年にSABU監督によって映画化され、一躍マスコミに出てきた。作品は読んでいないが、現代の社会状況とダブった様相を映し出した番組を見たわけである。
現在日本における検察の在り方が程度の差はあるものの、戦前の公安、特高警察と変わらない取調べの実態が明るみに出て、国民の目は検察の動向に注目している。


特高警察とは特別高等警察の略称で、戦前の日本で天皇制政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にした秘密警察のことである。
明治末期から第二次大戦の敗戦まで、思想犯罪取り締まりに当たった警察。大逆事件を契機として、明治44年(1911)警視庁に特別高等課が設けられたのが最初で、昭和3年(1928)までには全国に設置され、国民の思想・言論・政治活動を弾圧した。同20年にGHQの指令により解体された。
特高警察の創設は1911(明治44)年に警視庁に特別高等警察課として設置されたことにさかのぼることができる。
前年に起きた明治天皇の暗殺を計画したというデッチ上げによって全国の社会主義者などを弾圧した大逆事件が契機となったのである。 その後、1924(大正13)年に大阪、京都などにも増設され、さらに1928(昭和3)年には全国に配置された。 いうまでもなく国体(天皇制)に批判的なすべての思想と運動を「犯罪」とする治安維持法の制定にそなえての設置であった。

同法の主たるターゲットは、1922(大正11)年の創設された天皇制と侵略戦争に反対した日本共産党にあったが、特高は、内務省警保局保安課の統括下におかれ、共産党のみならず、いっさいの民主的な思想や運動の破壊に狂奔した。 そのやり方は、拷問やスパイによる弾圧など野蛮極まりないものであった。



● 民主党つぶしの検察の動き

検察対小沢の第2ラウンドが終わり、検察は決め手もないまま不起訴の結果となり、判定は小沢のTKO勝ち寸前のリードで試合は第3ラウンドにもつれ込む気配が見え隠れするが、今、大阪地検に激震が走っている。元厚労省局長の村木厚子被告(54)が特捜部に逮捕、起訴された「郵便不正事件」の公判で、捜査のデタラメが次々と明らかになっている。

8日の公判では、検事が関係者を聴取した際、ウソの“証拠”をチラつかせ、供述をムリやり引き出していたことが発覚。もはや公判維持さえ危うい状況である。この事件をめぐっては、村木が完全否認している上、「(村木に)指示された」と供述した部下の上村勉被告(40)も証言を覆す方針。
頼みの供述調書もウソの証拠を突き付けて作成していたとなれば、信憑(しんぴょう)性が疑われる。「デッチ上げ不当逮捕」との声が高まるのは必至で、無罪になれば地検幹部のクビも吹っ飛びかねない。
驚きの証言は8日の第5回公判で飛び出した。 民主党の石井一参院議員から口利き電話を受け、村木に便宜を図るよう指示したとされる塩田幸雄・元厚労省障害保健福祉部長(58)が証人出廷し「(聴取した)検事から『あなたから石井議員に電話した交信記録がある』と言われて(村木への指示を)証言したが、後に『実は記録はない』と言われた。大変な供述をして(村木を)無実の罪に陥れてしまった。事件自体が壮大な虚構ではないのか」とブチまけたのだ。
「特捜部の狙いは石井議員だったのだろう。彼らは巨悪を挙げるのに『犠牲もある』と考える傾向にあり、周辺の関係者を“捨て石”と呼んで引っ張るケースがある。村木や上村がまさにそれである。また大阪地検の過去にあった大阪府枚方市の副市長冤罪事件が問題になっている。参照URL


小沢捜査では、東京地検特捜部が逮捕、起訴した石川知裕衆院議員の女性秘書を恫喝(どうかつ)し、長時間の拘束と取り調べしたことも報じられている。もはや取り調べの全面可視化は待ったなしであろう。

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