2010年2月17日水曜日

アートな話「花鳥風月」


花鳥画

鎌倉彫に限らず工芸意匠の中で、花に次いで多いのが花鳥図である。我々が共有する自然の中で、図案になりやすいのが花および花鳥であろうか。
上の図は江戸時代に東西の絵画の流れを作った作家の絵である。左は京都丸山派の始祖丸山応挙右は江戸琳派の一人酒井抱一のいずれも花鳥画である。

東洋的な自然観は西洋的な自然と対峙する自然観と違い、自然と融和し自然との一体化の中で生活し、そこに美を見出す。
東洋の美意識は、「山水」「花鳥」の言葉で表され、日本では「花鳥風月」といわれるように「風月」といわれる自然の移ろいとも結びついている。
これは日本の風土が四季の変化が明確にみられる背景があり、そこに抒情性が存在するのである。


さて、美術において花鳥画の源流をたどると、それは中国唐代に存在していたが、宋代に入って山水画とともに本格的な中国美術の源流となっていく。
こうした中国の絵画の流れは、日本にもすべての文化と同様に連動して現れ,唐絵として影響を与えていった。
「花鳥」は中国絵画史の中で生まれた題材による分類名称であり、草虫、魚藻,果実などを含め、広範囲に使われた。それは濃彩画風と水墨に淡彩を交えた写実的な2種類の画風が確立し、以後この絵画様式はのちの時代に展開していく。右図は中国宋代の画家林椿の花鳥画。



わが国もまた中国に学びつつ、日本的な情緒、抒情性を加えて独自の様式を作り出した。平安時代以降、唐風を起点として季節感豊かな小景が日本的な詩情で表現されるようになり、その画様はのちの大和絵や琳派、さらに工芸的デザインの中に継承されていく。

花鳥は装飾衣装の中で早くから主様な位置を占めており、花鳥画が本来厳しい写生に基づいているのに対し、デザインとしての花鳥は,諸民族の宗教や思想を背景に、主に観念の世界で形作られた傾向があるように思われる。

一方では文様世界における「花」は自然の恵みの象徴でもある。自然と共存していた農耕社会では花が装飾の中心であった。BC1500年頃のエジプトのロータス(蓮華)、ギリシャのパルメット唐草、西アジアの生命の樹、インドの蓮華など、いずれも生命力の象徴として意味を持っている。


また「鳥」については、東アジアでは鳥類の王者としての鳳凰(瑞鳥)がある。鳥のデザインの中で特徴的なものに咋鳥文がある。これは寿福のシンボルをついばんで飛来するもので、これは理想郷と人間界とを結ぶ渡り鳥のような役割を果たした。いわゆる「花喰い鳥」「松喰い鶴」や旧約聖書に出てくるオリーブの枝を咥えたハトなどがある。右の図は愛煙家におなじみのピースのパッケージデザインである。
これら花と鳥の意匠は西域を起源とし、やがて東方に伝播していくが、花鳥画としての成立は中国をはじめとする極東で完結する。






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