2010年3月3日水曜日

日本人の根底にあるもの

                      涅槃の図

日本の伝統文化のほとんどには「道」がつく。柔道、剣道、茶道、花道、しかりであり、挙句の果ては外来スポーツである野球にまで「野球道」なる言葉が存在する。
我々伝統工芸に身を置く者も、その背後には道なるものが存在する。広島大学の川上恭司教授が日本人の精神構造の根底にある仏教感について述べているので私感を交えて紹介しよう。                                                                                        

● お釈迦さまが教えた6つの教え

仏教用語に六波羅蜜という言葉がある。京都の六波羅もこれが語源である。これは、今から2000年前、お釈迦さんが教えた人間トレーニングプログラムとして、提唱されたものであり、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つをやれば、人間が磨かれると教えてくれた六波羅蜜なのである。六波羅蜜とは。「六度(ろくど)」ともいわれる。サンスクリット語の(Paramita パーラミター)、玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた)は、仏教における菩薩の基本的な実践徳目である。


 その1.布施

坊さんにお布施をすることもそうだし、笑顔で相手をいい気持ちにさせるのも布施業である。スポーツで人々に夢や勇気を与えるのも、布施業の一種だし、「世のため人のため」も、もちろん布施業である。別の言い方をすれば、坊さんに銭をやれば、自分の人格が磨かれるというものである。真偽は不明であるが・・・いわば人に徳を施すということか。

 その2.持戒

人間は生きるために、食欲、性欲、独占欲等の煩悩を必然的に持たされており、もちろん、これら基本的欲求がなければ、生物として存在できない。しかし、往々にしてこれら煩悩は際限がなくなり、食べ過ぎてメタボになったり、性欲の虜となり社会的地位から家庭から全て無くしてしまう事がよくある。
これらの欲求はどれも人間として必要不可欠なものであるが、問題は、これらをコントロールできるか否かなのである。腹八分目で食欲をコントロールする力、性欲を抑えておく力など。(タイガーウッズは18番ホールを超え25番ホールまで飛び越し身を持ち崩したことで一躍時の人になったが。)これを戒め、持戒と言う。これをコントロールする練習をすれば、人格が磨かれると教えている。ゴルフにおいても如何に欲をコントロールするかがスコアメイクの秘訣であるらしい。私は自分がストイックなスポーツに向かないことを悟ったので、ゴルフを辞めテニスに変更したが、精進が足りないのか一向にうまくならない。

 その3.忍辱(ニンニクと読む。食べ物ではない)

“耐え忍ぶ”だけで人間が成長するようである。素行の悪い子供を、野球部等の運動部に入部させ、理不尽なしごきの中で耐え忍ぶだけで立ち直って行く例とか、古い例では戸塚ヨットスクールでの更生の例などがある。昔から“辛抱する木に花が咲く”と言われており、耐え忍ぶこと、辛抱すること自体にも意味があるようである。体のでかい不良を相撲部屋に入門させ、稽古で理不尽なしごきに耐えさせるだけで人格が磨かれると言うことで、かわいがりと称してしごきとリンチを加えた相撲部屋の事件もあったが、いずれにせよ堪忍袋の緒が切れるという言葉もあるとおり、忍の名のもとで行われる愛の鞭と制裁虐待は紙一重のところにある。私の知っている修験僧の話を聞くと、極限の忍耐を体験した者は特有の境地を切り開くらしい。

 その4.精進

この言葉はあらゆる世界で使われる。日々の練習の繰り返しのみで、人間が成長するということらしい。、イチローは、学問的には大したことはなさそうであるが、コメント一つ聞いただけで人格者であることが解る。たかがボール遊びで、あれだけの人間性ができあがる原因は、忍辱、精進その他の六波羅蜜の修行の賜物かもしれない。芸の道、芸術の道、アホなことを言って人を笑わせるお笑いの道、すべてが精進である。

 その5.禅定

禅の心、動じない心である。この心を磨くことで人格を上げて行こうという試みが禅宗であるが、凡人としては、なかなか難しい心境である。どんなスポーツでも平常心は大切であり、宮本武蔵は特にこれを磨くことによって強くなったと言われている。相撲も同様、この不動心で強くなっていくが、結局は人格を磨く方法論なのである。すべての戦いにおいてプレッシャーに負けない心を持つこともこれに通じる。

 その6.智慧

六波羅蜜では1から5の修行ができた後に、智慧が浮かんでくると教えている。すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定等をクリアしたら、世の中が見えてくるらしい。スポーツで言えば、無意識のうちに相手の動きが見えてくる超能力の領域である。王、長嶋、大鵬、青木等かつての名プレーヤー達は、ほとんど理解不能なコメントを残している。
道は違えども、人の営みは全て六波羅蜜のトレーニングプログラムで自分を訓練していると言える。スポーツ選手も、漁師も、大工も、芸術家も、企業経営者も、医者も全て、人助けをし、自分を戒め、耐え、精進し、心を落ち着けて、自分を磨いている。日本人は、伝統としてこれらを「道」と捉えてきた。剣道、柔道、相撲道、野球道、茶道、花道、大工道、左官道、医道、果ては極道まで、全て自分を磨く道なのである。


                     阪神大震災

現代に生きる日本人も、無意識のうちにこの価値観の中にあり、オリンピック選手が出発時に「皆さんに夢と勇気を与えるために頑張ります」と布施行らしきものを称えている。昨今の朝昇龍の一件も「品格、品格」と定義の曖昧な価値観でチャンピオンが非難されるのである。ここから外れたものはたとえ横綱とはいえ排除される。それが日本人の伝統というものである。所詮モンゴルからの出稼ぎと言われても仕方がない。
日本人をよく現わした事例では、阪神大震災で多くの人々が被災したことが世界に報じられたが、その後の復興までの道程の初期の段階で、ハイチやチリの大震災時の略奪、放火、横流し、戒厳令、あるいはアメリカなどで起きた被災地に見られる数々の犯罪のようなものが、ほとんど見られないことが奇異に映り、世界の目から見て日本人の規範のようなものが、驚きの眼差しで見られている。日本人の面目躍如たる好例である。

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