2008年8月19日火曜日

虚と実



     (画像はエッシャーの滝)
 相も変らぬ偽装が横行している。牛肉、比内地鳥、ウナギ、トラフグ、ミートホープ、赤福、白い恋人、吉兆、雪印と数え上げればきりがない。耐震強度偽装では日本中に激震が走った。建造物の偽装は生命財産を脅かす点で食品以上だ。さらに最近では建材の生コンの成分偽装もある。
食品業界に於いては監督官庁から改善命令を食らう程度のペナルティだったら、食品業界の自浄作用はない。人間嘘をつくとさらに嘘を隠すためにウソをつくことになり、偽装行為の心理的麻痺が始まると共に罪悪感が希薄になっていく。
そして食品劣化の目利きである当事者が賞味期限関連法と実際のギャップ、すなわち食品の実質的な耐用性は、法律の律するところより長いので、容易に賞味期限を改ざんする、その裏には企業のコスト意識(もったいない)と共に 日本では偽装した食品を食ったところで誰も死なないし、病気にも成っていない、産地も分からない。そんな論理で改ざんが進む。既に日本は偽装社会になっている。

ここにきて長年隠されてきた偽装が洪水のように社会現象として表面化した背景には、日本の中小零細企業の身内感覚の中で、社会全体の利益よりも自分に近い個人や組織との調和を大切にする暗黙の了解があり、これら和をもってなすといったなれ合い感覚が崩れだし、密告というマイナスのイメージが社会正義によるものか個人的な怨恨によるものかは別にして、プラスイメージとして定着しつつある。一方で日本の報道はマスコミの集団心理で似たような事件が起きると一斉に加熱報道するので、事件が事件を生むような相乗効果があらわれる。どの報道も熱しやすく冷めやすい特徴をもっていて、息の長い、複眼的な視点で報道をしてもらいたいものである。

今後は、あらゆる偽装の発覚は、厳罰で臨む制度を作らないと、やった者勝ちを放置しては、良質の業者が立ち行かなくなる。もっとも告発された企業の末路はご承知のとおりであるが。何十年と努力して築いた老舗も実を捨てて虚を取り、商売に一番大事な信用を失くし、一瞬にして社会の仇花と散っていく。
今の時代、偽装的行為は、内部告発により“いつかは必ず表面化する”ということを我々は知っている。企業経営者も次々に出てくる偽装にわが身を引き締めなければならないのに、偽装の誘惑に駆られていく。根底にあるのは利潤追求の一文字である。

このような中、疑心暗鬼に陥った社会は一種の居心地の悪さを緩和するために、我々消費者も虚と実が混在したこの社会になれ合いになりそうないやな風潮を感じる。 テレビのコマーシャルは、時代を読んだものが多いが、その中で「本当に効く~んですか?おっさんのその疑り深い目ぇが好き!」とはこの風潮を逆手に取った傑作であろう。

2008年8月17日日曜日

中国はどこへ。(巨象ー虚像)の辿る道





北京オリンピックが派手に行われている。開会式の花火がCGで作られていたり、人海戦術によるパフォーマンスに国の威信をかけて国民一致団結している姿は、今の全体主義の中国を現わしている。
世界の人口の約5分の一の人口を抱えるこの国は、鄧小平の改革開放路線を突っ走り13億人の民衆の、溢れんばかりの経済成長への欲望を抑えることは誰にもできない。日本の25倍もの大陸の欲望に必要なものは資本と技術で、わが国の(政府開発援助)ODAもこの国の発展に大いに貢献してきた。

湾岸部の経済特区から始まった経済発展は中国経済を押し上げ、GDPの伸びはすざまじい勢いである。その結果10億以上の人口を抱える農村地帯との経済格差は5倍に上るという。農村で食えない民は都市部へ流れ、世界の工場の労働者になる。ユニクロなどは1980円のジャンバーの、中国の工場での出荷価格(裸原価)は、およそ200円(13元)で製造部分は10%に過ぎない。これが中国のGDPである。製造原価が売価の10%の国のおかげで、100円ショップも成り立つわけで、スタブレーションの続く現在、インフレ抑制に一役買っているわけである。

我々の業界も使用している漆は、国内需要の大半を漆の木が多い山間部の人件費の安い中国産の漆に頼っている現状である。
その中国も昨今のインフレにより世界の工場の地位がベトナムなどに移行中である。また中国政府は、将来国策としてIT産業で世界ナンバーワン、世界制覇を目指している。

途上国は先進国経済と消費の型を後追いするが、昭和30年代の日本を思い起こせば、今の中国がある。オリンピックを契機に大気汚染、環境汚染が際立っているが、中国では向こう16年間に石炭消費量は倍増し、穀物消費量は40%増加すると予想されている。大気や水の汚染物質の排出量はさらに急速に増加しつづけている。中国のジレンマは人口の巨大さに対して保有する資源が少ないことであり、工業化を進めながら食糧をはじめとするエネルギー資源の自給自足がなかなか容易でないことである。穀物、原油などの需要増大に伴い、世界の穀物、原油相場を吊り上げている一因にもなっている。

核保有国として外交にしたたかさを併せ持つ中国と対照的な隣の小国北朝鮮は、核を背景にもっとしたたかな国で、まさに海千、山千、北朝鮮だ。日本を囲む東アジアのこの2国は今後とも自前の核抑止力のない我が国にとって注意しなければならない国だ。

2008年8月8日金曜日

古都京都








京都の夏は暑い。娘の就職内定祝いを兼ねて、仕事の関係で砥石の一大産地である京都に行った。これまで就職活動で京都と東京を行ったり来たりが続き気が落ち着かなかったが、ようやく第一志望のドキュメンタリー制作のTV局に決まり一件落着である。



娘がよく利用している夜行バスに初めて乗り、京都に早朝に着いため、レンタカーを借りるまで、娘のいる大学の男子禁制の女子寮に夫婦で足を運んだ。この寮に来るまで娘は、日本でも珍しい男女共同の大学内の歴史あるA寮に居て、京都に来た折には何度かお邪魔していたが、学生寮で男子女子が一つ屋根の下で勉学や寮生の交流に勤しむ姿は、学生の自主運営による選考で寮に入ったとはいえ、大学側の学生のアイデンティティー尊重の極みを目の当たりにした。
その寮も歴史的建造物保全のため明け渡しになり、現在のところになったわけである。ここは外国人留学生を対象に大学が提供しているところだが、空調、風呂、冷蔵庫完備の学生にしてはもったいないぐらいの部屋であった。カナダ留学を終えた彼女は卒業までこの寮に入ることになった。

声を殺して話をしながら娘の作った朝食をとり、山深い砥石の採掘場にクルマで移動し、砥石(彫刻刀や包丁研ぎ用)を何点か買い求めた。ここは京都の北にある場所で山深いところは、水戸黄門のロケによく使われる場所だと、案内の業者は言っていた。
その日、昼は貴船の川床、夜は隠れた名店で食事をし、先斗町を飲み歩き。夜行バスの出発時間の11時まで時間をつぶし帰路についた。

京都­­―――鎌倉
同じ古都でも京都の歴史は鎌倉より古い。私は仕事柄鎌倉にはよく足を運ぶが、 京都のスケールは大きい。まず世界遺産が17か所あり空間の広がりに圧倒される。




谷戸に囲まれた鎌倉とは地形的にも対照的で、鎌倉はまるで箱庭のようである。中世の武家政権のもとに作られた鎌倉も、その歴史的な価値から世界遺産の暫定リストに載っている。その候補地は24を数え、鎌倉市も2010年の世界遺産登録に向かって意欲的に運動をしている。鎌倉も頑張ってもらいたいものだ。

2008年8月5日火曜日

オラが町


私の住んでいる戸塚が大きく変わろうとしている。駅前の開発事業が着工され、従来の狭苦しい街並みが取り壊されて、平成24年の完成に向かって工事が進んでいるところだ。
戸塚駅の1日の乗降客の数は27万人と、横浜市の中では桜木町を抜いて第2位である。
人口の急激な増加に伴った分区も行われ、戸塚はまだまだ変貌していく。そんな戸塚ではあるが歴史は古い、江戸時代には東海道の宿場町として栄え、多くの旅人がここを通り過ぎて行った。町を流れる柏尾川は桜の名所で、花見の時分には人で賑わう所である。
土地の長老の話では昭和の初期には、屋形船に芸者衆を乗せて土手の桜を愛でた輩もいたという話だ。今は無くなった西友の裏手に女郎屋もあったり、汲沢には競馬場があったりで、ご老体は結構遊んだらしい。
うちの近くに斎場がある。40年前はいわゆる焼き場と称し、こんもりした林の中に煙突が立っていて、住宅もまばらな所に他府県から来たあわて者が、銭湯と間違えて洗面器を持って出かけたそうだ。当時その煙突から出ていた煙は白い時は年寄り、黒い時は若者という具合に住人の目には映っていたようだ。
道路が拡張され、地下鉄が出来てからこの町は非常に便利になった。起伏の多い土地柄、うちの親父も御年88でさすがに足腰は衰え,歩くことはままならないが自転車だけは電動で飛ばしている。一度クルマと衝突して怪我をしたのに、まだ懲りずにスピードを出していると、近所の人から注意されるが本人は無頓着である。警察も自転車のスピード違反を取り締まってもらいたいものだ。末期高齢者もなかなか侮れない。(笑)

2008年8月1日金曜日

悲しきわが地球








水の惑星地球、そのうち97.5%までが海水であり、残りの淡水も2.5%は極部の氷河。その氷河も地球の温暖化による縮小が進んでいる。人間がすぐに生活用水として利用できる水は、全体のわずか0.01%で、地球上で偏在している。一方、人為的な森林伐採すなわち農地や牧場への転換、商業伐採、薪炭採取、焼畑などで地球の砂漠化は年々進み、水資源の枯渇に拍車をかけている。
これら砂漠化の要因の9割は人間の仕業で1割は自然の仕業であると、UNEP
は警告している。





2008年時点での人口が66億人。この数字は、2025年には80億人にまで増えるであろうといわれている。その中で8億5千万人が飢餓に苦しんでいるという。その多くが発展途上国である。日本は世界一の食糧輸入国であるが、小麦1キロの生産につき1トンの水が必要とされる。牛肉1キロの生産につき7キロの小麦が必要とされているため、我々は肉1キロを食べるために、海外から7トンもの水を輸入しているということになっている。






いまエネルギー、食糧、水といった3大資源が、それぞれ難局に向かっている。
水の濫用が日本人に、そして地球全体にどのような影響を及ぼすのであろうか? その豊かな流れで4000年ものあいだ穀倉地帯を潤してきた黄河も、15年ほど前か ら海まで河の水が届かなくなってしまう「断流」という異常事態に直面している。
日本が輸入穀物の8割以上を依存しているアメリカも、実際は農業用水の深刻な不 足に頭を痛めている。供給元の地下水の保水量が何十年か先の枯渇に左右される状況だ。日本も食糧需給率を上げるため、空洞化した農地をどんどん活性化し、農業復活に政策転換していかないと、ヤバイことになりそうだ。
TVでは大食いを賞賛するようなものや、グルメ番組がやたらと多いが、他力本願の飽食の時代に浮かれていると、その先に待っているのは飢餓地獄である。やがて人類の未来図はエネルギー、食糧、水の奪い合いになるであろう。

今先物投資の対象になっている資源は価格暴騰の潜在性を露呈している、原油や穀物の相場が、行き場を失ったオイルマネーやヘッジファンドの投機マネーによって先物相場を吊り上げており、その先に待っているのは水の先物であろう。まさに水相場だ。


そんな中、世界各国で原油値上げによる窮状を訴える運動が漁民や運送業者の間でわき上がっている。まさに世界中が悲鳴を上げている。
市場経済のもと実勢経済から解離したマネー経済がまたもやバブルを膨らませているが、バブルは必ずはじける運命にあり、後に来るのは相場の暴落である。アメリカのサブプライムローン破綻に端を発した金融危機は、やがて未曾有の世界大恐慌へとステージを変えていくのだろうか?それもアメリカの金融政策の舵取りにかかっており、舵取りを間違えると、ドルに支えられていた世界経済の基軸の崩壊が始まり、アメリカ中心の政治経済の脱却からやがて世界の多極化が進んで行くだろう。

その時アメリカどべったりの日本の経済に与える影響は計り知れない。