2015年5月7日木曜日

顔について


2月初めに退院してから、顎の術後経過は日毎徐々に良くなっている。現代医学の最先端技術で元の顔に戻りつつあるが、外見は凝視しないとわからない傷が、右下顎の周りを覆っている。術前には他の患者の顔の修復写真を見ていたので、期待どおりのダメージの少ない外見に安ど感はあったのだが、いかんせん食事の際の食べにくさと、喋りにくさには閉口している。
自分の肩の骨と肉を顎に移植したのだから、口腔内が狭くつっかえ棒をしているようで、四六時中違和感は消えないのだ。物を噛むときは残った左顎と歯を使い、右顎は左顎に連動して動かされているだけなので、長時間の咀嚼は顎がだるくなってくる。喋ると滑舌の悪さも気になるが、やむを得ないとあきらめている。
顔の外見が崩れていないだけでも良しとしなければならない。阿部公房の小説「他人の顔」ではないが、ひどい火傷を顔に負い、他者との通路を得るために仮面を作った主人公の心の葛藤までには至らないが、容貌が一変するほどのダメージを負った場合は、この小説はリアリティーを帯びてくる。ことそれほどに顔の人間存在に占める比重は大きいのである。

第一印象という言葉があるが、もし言葉を交わさないのであれば第一印象なんて言葉は顔の印象を言っているに過ぎないのではないか。人はまず顔を見てその人間がどういう人間か判断するのだ。顔はたんなる物体ではない。観察者の記憶や経験や先入観やそのときどきの感情によって、相手の顔にはおどろくばかりに多彩なバイアス(偏見や歪み)が加えられる。見る側の内側から身勝手な投影がなされ、ときには別人のイメージと重ね合わされ、その結果として顔は事実上の変形と加工を受けるだろう。いっぽう見られる側も、相手を欺こうとすることがあるから厄介だ。
本心とはまったく別の表情を浮かべたり、演技によって顔の雰囲気をコントロールしようとする。人間が他人の価値を判断するとき容姿にどれだけ依存しているか、という危うさはつきまとう。


画面右がプロフィール

これらの顔の特性は、遺伝的なつながり、進化的に準備された学習、各文化に特有の学習をつうじてさまざまな属性をあらわす。性別、人種、アイデンティティーといった変化しない個人的属性、感情という急速に変化する属性、さらに年齢と身体的なゆっくり変化する属性などの相互作用で表情が出来上がる。人は相手を知ろうと会話を望み、自己を表現するために会話を発する。他者のまなざしの前では、ショーペンハウエルの言葉を借りれば「一般的に顔は舌よりも多くのことを語る…」ことになる。
同時にこのことは、顔は、他人の目の判断によつて、自と他と区別する大切な表徴であり、表層と内面は絶えず揺れ動いている。
そんな顔であるが、顔には否が応でもその人の生き様が刻まれていく。人の顔とは、その人物の人生そのものである。だから若い時に、いい顔をしていた人物が、年を経て妖怪顔になったり、若い時は、普通の顔 だった人物が、中年になっていい顔になるということは、よくあることだ。
だからよく言われる「人間40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉は「自分の人生とちゃんと向き合え」という意味で、リンカーン元アメリカ合衆国大統領の言葉でもある。
日本でも 「男の顔は履歴書だ」と云ったのは、故・大宅壮一(ジャーナリスト)である。男女を問わず経年による劣化とともに知らず知らずのうちに変貌を遂げていくのはいたしかたないことだが、年相応の年輪の入り方がある。
フランス語でプロフィールという言葉があるが、一般的には略歴と解釈されるが、横顔という意味もある。人間を正面から見ると、他者のまなざしの前で繕った顔が浮かび上がる。横顔は他者のまなざしを意識しない素の顔でもある。ある人物を見た場合、正面から見た顔と横から見た顔に内面的な違和感と落差を感じた場合、その人物の本質的な部分を横顔で知ることになる。誰しもいろんな顔を持っている以上、表層と内面の葛藤は続くものである。

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