2015年2月7日土曜日

アートな話 「生の根源」



上の絵はゴーギャンの 「我々は何処からきたのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」である。自己の存在から人類の存在の不思議へと思いを馳せたこの放浪の画家は、異国の楽園タヒチで、長年患った梅毒でこの世を去った。フランスでの娼婦との放蕩生活が祟ったのだろう。その病は共同生活をしていた狂気のゴッホも持っていた。ニーチェを始めボードレール、モーツアルト、ベートーベンなど史上の思想家や芸術家の多くが梅毒にやられている。この病、最後は脳に異常をきたすことで広く知られている。わが国でも16世紀には流行が見られ、江戸時代にはかなり多くの人々に感染した病であり、治療法も見つからないまま、五宝丹などと言った煎じ薬で対処してたようである。江戸の町人たちは病を普通のこととして受け入れていて、一説では江戸の民衆の半分はこれにやられていて、中には粋な病と吹聴する輩も居たようだ。もともとコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込み、一気に広がったものであるが、日本では関西から流行りだし、江戸に渡ってくると吉原から一気に広がった。

この孤高の画家ゴーギャンは、株式仲買人(ブローカー)の実業の世界に生き、日曜画家として暮らしていたのだが、やがて日常生活に幻滅した彼は、折からの金融不況のため株式仲買人をやめて女房子どもと別れ、現代社会とは対極にある辺境の島タヒチに画家を目指して旅だった。
フランスでのゴッホとの喧嘩別れの末に、異郷の地タヒチに何を求めて行ったのだろうか。我々が彼の絵を見て感じ取るのは、土着性の強い人々と自然 を鮮烈な色彩で表現した彼の芸術性がタヒチで開花したことであろう。絵のタイトルは作家の創作意図を表した情緒言語であるため、非常に長いタイトルがつけられていて、哲学的な意味が込められている。未開の自然の中で思索を続けた果てに、生と死を見つめた画家の人生がそこにあった。初期のゴーギャンの作品は後期印象派の影響を強く受けたが、彼は次第に印象派を脱却し、単純で強烈な色彩配置やフラットで装飾的な構成を取り入れるようになった。そして島での生活の果てに病魔に苛まれた晩年の代表作がこの絵である。 絵の意味するところは、人間の一生だと言われている。
画面右側の子どもと、寄り添う3人の女達は「人生のはじまり」を、中央の人物たちは「青年期」をそれぞれ意味し、左側の人物たちは「死を迎えることに甘んじ、諦めている老女」であるという。解説を待たずしても我々はこの絵から直感的に人間の一生に思いを馳せるのである。

◎先端技術は芸術に近づく
衝突装置を分離するはやぶさ2のイメージ=JAXA提供

さて昨年打ち上げられた宇宙探索衛星「はやぶさ 2号」のミッションは、地球と火星の間を通る小惑星(1999JU3)から物質を持ち帰ることである。その収集した物質の中に有機物や水が含まれていれば地球誕生の謎が解き明かせることになるのだが、一般的に大きな惑星は地球と同じように進化が40億年の間に進んでしまっているが、その間進化が止まっている小惑星がターゲットになるという推論からこのプロジェクトがはじまり、初回のはやぶさの奇跡の生還から満を持して今回の打ち上げの運びになった。そしてそこから持ち帰った物質を分析検証の末に、我々の住んでいる原初の地球のなりたちが解明されるであろう期待を載せて宇宙を飛んでいる。

自然科学では、地球の歴史はおよそ46億年という定説がある。現在そこには数千万種を超える生物がいると推定されている。そのすべてはたった一つの生命から始まった。それが36億年前頃の海の中ですべてが始まったと推定されている。
このアナロジーの根拠は
1・生命体はかなりの部分水を含んでおり、人間の体も7割が水でできている。
2、生命が生まれた頃は、オゾン層が形成されていなかったので、地表に生物にとって有害な紫外線が地表に降り注いでいたため、安全な水の中で生命体が進化を辿ることになる。
3・生命の体液の組織は海の塩の素性と酷使していて、かいつまんで言えば、生物とは海水に炭素、窒素、リンを加えた成分からなっている。
そして様々な有機物から、原始的なミクロの生命が誕生し、長い進化の中で多種多様な生命体が発生したと推定している。
(海の生き物100不思議ー東京大学海洋研究所編より抜粋)

前回の1号による奇跡の生還は、日本の先端技術の結集が成せる技であり、まさに芸術的な神業と言えるだろう。今回は前回よりパワーアップと技術革新で世界の期待を背負っている。6年後の結果が楽しみである。
それによって我々はゴーギャンではないが、「我々は何処から来たのか、何処かへ行くのか、我々は何者なのかが」少し見えてくるような気がする。言えることは無から有は生まれないという厳粛な事実であろうか。

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