2014年8月25日月曜日

狂気と正気のはざま

少女Aが描いた自画像

人間は偶然に生まれ落ち,周りの環境に影響されながら生きていくが、死は必然的にだれにでも訪れる。それはすべての人間に課せられた不条理である。日本人に生まれようが、西洋人に生まれようが、金持ちの環境に生まれようが、貧乏人の環境に生まれようが、本人はたまたまそこに存在していただけで、本人からはなぜ自分はここにいるのかの説明はつかない。そのため自己のレゾンデートル「存在理由」「存在意義」「生き甲斐」を求め人は、自らの人生を歩んでいく。

最近起こった佐世保の特異な事件は、昔、学生の頃に読んだフランスの不条理の作家アルベール.カミュの「異邦人」とは対照的な事件だ。主人公ムルソーが友人のいざこざに巻き込まれて偶然アラブ人を撃ち殺し、殺人の動機を問われると「太陽がまぶしかったからだ。」と言い放ち、無感情な人間性とかさなって、法廷は騒然となった。結局ムルソーは一般社会通念から逸脱した人間として処刑されることになる。

長崎・佐世保事件では、高校1年の女子生徒が同級生を殺害した動機について問われると、女子生徒は、「人を殺して解体してみたかった」などと供述していた。警察は、女子生徒の精神鑑定も視野に慎重に捜査を進めている。
女子生徒を診察した精神科医が、相談窓口がある佐世保こども・女性・障害者支援センターに連絡。精神状態の不安定さを懸念し「小学生の時に薬物混入事件を起こした。中学生になって父を殴打した。このまま行けば人を殺しかねない」と相談。小動物を解剖した例も挙げ対策を求めたが、守秘義務に触れる恐れがあるため匿名にしたため対応は困難とされたようだ。
この場合少女Aには殺意の必然性が明確に見て取れる。実際人間1人を何の迷いもなく明晰に解体してしまった。自己の感情の趣くまま卒直に、他者への感情も想像力もが欠落したまま。


一般的に狂気の概念は複雑で曖昧で、一見普通に見える様相を呈しているが、その基準は平均値から逸脱した量的なものと、多数正常の原則の社会的規範から外れた異質の質的なものに分けることが出来る。

ウイキペディアによると狂気の根源である精神病質(せいしんびょうしつ、英: psychopathy、サイコパシー)とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。その精神病質者を英語でサイコパス (psychopath) と呼ぶ。
サイコパスは、極端な冷酷さ、無慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義が主な特徴で、良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは統計的に見積っている。

先天的な原因があるとされ殆どが男性に多いとされているこの病、脳の働きを計測すると、共感性を司る部分の働きが弱い場合が多いという。これが前述した量的な基準に基づく狂気の指針であろう。加害者が女子であるにもかかわらず僕と言っている点では符合する。日本の法律「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の第5条では精神障害者と定義している。

私の近所には一見して狂っているが、人に危害を与えそうもない人間が3人ほどいる。彼らからしてみれば我々一般人が異常で自分が正常と思っているかもしれない。

上の絵を見ていただきたい。以前にもアートな話で述べたが、デッサンは、絵画や彫刻における対象物の把握、認識にいたる手段であるが、それは描いた人の技量だけでなく、ものの見方や考え方がむき出しになるもので、ある意味で怖い絵でもある。

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