河口湖から見た富士と三保の松原から見た富士 |
2013年5月1日にユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が、富士山の『信仰対象として日本人の精神性を形成し、浮世絵等芸術の題材にもなった』という日本側の訴えた文化的価値に対し、『影響は日本をはるかに越えて及んでいる』と高く評価、世界文化遺産への登録を勧告していた。そして2013年の世界遺産会議にて、世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」としてついに正式登録された。
富士山は、日本のほぼ中央に位置し、古来連山の多い我が国において独立峰の孤高の山でその形態は日本人にとって心のふるさとであり、精神の源泉、文化の母胎でもあった。絵画、文学、詩歌、あるいは演劇の舞台ともなり、現在に至るまで数多くの芸術作品を生み出している。その歴史は、日本文化の歴史そのものであり、日本人のみならず、海外の芸術家たちにも影響を与えてきた。いわば日本そのものでもある。
山梨県と静岡県が富士の世界遺産登録を目指したのは21年前。自然遺産での登録を目指したが、環境省の候補地検討会で2度も落ちてしまったのは、求められる自然の美しさの基準には及ばないだろうと、失格の烙印を押されたからだった。
遠目に見る富士は“霊峰”の名に恥じない美しさであるが、近づくにしたがってエクボならぬ痘痕(あばた)ばかりが目立ったのだろう。あたかも女性を遠目で見るような審美眼で見れば、あらゆる角度から死角がないかとあらを探がしてみても、近視眼的に見ない限りはこの山には死角はない。元来山は遠目に見てこそ山であり、登って瓦礫の山やゴミの山を見て興ざめするのは当たり前の話である。女性がきれいに見える条件を「夜目、遠目、笠の内」という。「上方いろはかるた」にあるそうだが、ようやく世界文化遺産に登録されることになった富士山に、そのまま当てはまる言葉である。ここにきてようやく環境面の問題から自然の景観より歴史的価値や芸術性が重視される文化遺産の登録へと方針転換して、悲願達成となったのは喜ばしいことである。
さて富士山は、れっきとした活火山”である。それも青年期であるため、近々噴火するのではないかと指摘されていて、その可能性は100%だとも言われている。そんな危うさも日本人の美意識に火をつける。
「画家の視点から見る富士山」 http://mohsho.image.coocan.jp/fuji-viewing02.html |
富士山ほど数多くの画家に描かれた山はない。なかでも有名なのが、葛飾北斎と歌川広重ある。「冨嶽三十六景」で知られる北斎は、富士山と人との関わりを豊かな想像力と見事な構図で表現。「三十六景」と銘打ちながらそれだけでは満足せず、「裏不二」十図を加えた計四十六点を世に送り出した。対する広重は「東海道五拾三次」「名所江戸百景」で、様々な場所から見える富士山を描いている。一般的には方位の点で南側(太平洋側の静岡)から見たものを表と見て、北側の山梨県から見たものを裏と見ているようだが、山梨県側は標高が高くなる分、開放的な視界が限られてくる。上の図は浮世絵に出てくる富士山だが、各々作者が描いた富士山の視点の位置がわかるようになっている。
こんな息苦しい登山は?見ているだけで高山病になりそう! |
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