2012年3月24日土曜日

あの世とこの世


今月、母の13回忌の法要があった。寺で行われたわけであるが、日本では宗徒の多い宗派の寺である。この儀式は日本独特のもので、死んだら葬式を行い、死者を弔い、一定の期間が来れば法要を行い死者の供養をするのが宗派を超えて日本の常識になっている。

ところが仏教発祥の地インドでは、古代より死んだら無になるのだから本来の仏教は葬式なぞはしない。もっと言えば霊魂の存在すら認めていない。故に死後の世界も認めていない。だいたい仏教発祥の地インドでは、釈迦の墓が存在しない。(釈迦の死んだ場所は言い伝えられているが)
このことからも、原始仏教が葬式を重視していないことが言われている。行なったとしてもささやかで慎ましく行われたのだろう。つまり、仏教と葬式は、本来関係がないのである。それどころか、本来の仏教では「死ねば空に帰す」と考えられている。この「空」というのは、般若心経で有名な「色即是空空即是色」の空である。「空」というと何だか神秘的に聞こえるが、結局のところ「空」とは「ゼロ」のことである。ゼロという概念は古代インド人が発見した。


我が国の仏教では、死者は、生前の行為により、地獄に落ちるか極楽に行けるかが決まるとされており。死亡してから四十九日間は、どちらに行くかが決まらずにさまよっており、この期間を中陰あるいは中有といい、49日の法要は重要視されている。

死後の世界が存在することを古来信じてきた民族も多い。古代エジプトやイスラム圏、キリスト圏など、死後の世界を信じる人々は圧倒的に多く、天国に行くため善行を尽くし、ある者は自爆テロを企てる。生前の行為を死後の天国(極楽)行きの片道切符を手に入れるための取引に使う人間の多いことか。死んだらゼロ(無)と思う人間が少ない。これも人間のもつロマンチシズムの延長か、はたまた現世に絶望した人間の叡智か?信じる信じないは個人の自由であろう。死後の世界から帰還した者はいないのだから。
絶対無というものがあるのなら存在と無は反対概念でつながるが、絶対無はないので存在と無は矛盾概念でもある。

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