2010年3月18日木曜日

釣りバカ日誌


長年楽しましてもらった西田敏行主演の「釣りバカ日誌」も20回をもって終わってしまった。寂しい限りである。

私が釣りを始めて、かれこれ30年以上になる。もともと中学の頃に久里浜に住んでいて、ハゼ釣りに夢中になったのが始まりで、久里浜は東京湾の入口に近い所に位置し、そこを流れる平作川の河口から自衛隊駐屯地あたりまで、餌のゴカイが数多く生息し引き潮になると、泥の中からそいつを採り、半日もしないうちにバケツ一杯のハゼがよく釣れたことを思い出す。

子供の頃の楽しみと言えば、この釣りと、久里浜にあった日活館という映画館で裕次郎の映画をよく見たことである。その釣り体験が尾を引き、以後川釣り、海釣りと範囲が広がり、30を過ぎた頃から船釣りにはまったわけである。
もともと性格的に横着なところがあり、船頭が魚の釣れる場所に連れて行ってくれる釣りが、性分に合ったのかもしれない。


母親の親父と言うのが大の釣り好きで、戦前釣り船を持っていて神戸近辺の海でよく釣りに出ては、釣った魚をさばくのを手伝ったと、母からよく聞かされた。この親父は米穀商をやる傍ら、海釣り、陸釣り(女道楽)に励み、齢68で往生したが、母と腹違いの兄弟や妾も何人かいたようで、母の話から海千山千とはこの爺さんのことを言うのだと思った。


さて、そんな血筋の話はさて置き、釣りに限らず狩猟は人間の太古のDNAを刺激するもので、最も心躍るものである。
釣りものは季節とともに変わるため、釣魚とともに季節の移ろいを肌で感じるので1年が早い。
春になるとクロメバル、沖メバル、ヒラメ、鯛、梅雨の走りのフグ、夏のイサキ、アジ,アナゴやメバルの夜釣り,マゴチ、タコ 秋のワラサ、シマアジ、冬のカワハギ、オニカサゴ、太刀魚など数え上げたらきりがないが、魚によって道具が違ってくるので、釣り道楽は同時に道具道楽に通じる。その間何人かの釣友も増え、道具も増え、房総への遠征も回数が増えそこそこの釣果が上がるようになった。



今まで各地の船宿を渡り歩いたが、私のホームグランドは東京湾と相模湾である。最近の遊漁船は設備も良くなり、ハイテクの塊のような船も見かけられるが、釣果を上げられるのも、時の運と船長の腕にかかっている。人は過去の苦い経験、失敗から多くを学ぶものであるが、私も釣りバカ日誌のようなものを書きためて、データ入力をしている。もちろん咋年よかった魚が今年良いとは限らなかったり、狙った魚以外の外道が来たりで海の状況は刻一刻と変わっていくものである。釣った魚はその時々の一期一会の一匹である。

最近南房で釣り逃がした魚にシマアジの大きいものがある、この時は、1年物の800g前後ののシマアジが8匹釣れたが、最後に来たのが今まで味わったことのない引き込みで、あっという間に6号のハリスが切られ悔しい思いをした。その時の余韻が残っている今、秘かにリベンジへの闘志がわいてきた。


未知なるものにロマンを感じるのは私だけではない。釣りバカと言われる連中が皆そうであるように。古今東西釣りにまつわる話は多い。
昔中国のある王がお抱えの絵師に馬鹿の絵を書くように申し渡したところ、川で釣りをしている男を描いたら、王はもっと馬鹿を書けといったので,絵師はおもむろに筆をとり橋を描きその上に大勢の見物人を描いたという逸話がある。

日本ではさながら竿先に糸が垂れ,竿尻に馬鹿がいるといった風情である。
中国の諺に「10分幸せになりたければ美味いものを食べ,30分幸せになりたければ酒を飲め,一日幸せになりたければ嫁を取れ,一生幸せになりたければ釣りをせよ。」とある。太公望という言葉が有るほど釣りは中国では娯楽の王様である。趣味が高じて本業になることがよくあるが,人間馬鹿になるほど物事に夢中に成れれば幸せであるし本物である。


かのへミングウエイも言っている。

「釣れないときは、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」と、、、、

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