2010年1月16日土曜日

アートな話 「黄金比」





古今東西、美に対する規範や基準値なるものが時代によって変容しているが、普遍的に今日まで継承されているものに、黄金比という概念がある。形や構図のバランスにおいておさまりのいい形や、心地の良い配置はすべてこの黄金比が潜んでいる。

 古代ギリシャでは、人体の肉体美を表現するために、人体比例として黄金分割を積極的に取り入れ、美しい彫刻を誕生させている。また、規範となる理想の人体比例をカノン(CANON)という。このような理想美を追求するための規範を研究し、普遍的な美しさを追及した歴史は、分割とプロポーションを研究することの重要性を物語っている。


ルネッサンス期には美の基本的な尺度として、積極的に利用され、作者の感性から切り離され、美を構成するための原理として美術、建築などに応用されている。人体比例の研究としてはレオナルド・ダ・ヴィンチの「カノン」やミロのビーナスなどがあげられる(上図参照)ビーナスのプロポーションはへそを起点として上部1:下部1.61となっており、プロポーションは、分割することによって生じた形同士、全体の形と部分的な形、部分的な形同士のバランスと数量的な比例関係をいう。それは部分同士が支えあい、全体を形成していることを意味している。そのプロポーションを維持するためには画面を支える統一的な構成原理である黄金分割が、絵画や彫刻などに駆使されたのである。


ちなみに、下の図を見ていただいて分かる通り、2種類の直角三角形が2つずつ、組み合わせて構成されているだけである。


しかも、この2種類の直角三角形の大きさの比率も、1:1.61になっている。図形の対角をむすんだ線に対し、90度直角に図形の一番近い角に向かって線を結んだものであり、この大きさは日常カード類、名刺、ノートなどに多く見ることができる。

下図●ABCDは正方形である。この正方形のABの中央のE点を基点にC点へ直線を引き、ABの直線の延長線であるFへ向かって円を描くと、 ABとBFの比率は黄金比になる。


 
美の基準 人間は?

人間の容貌において、女性でも男性でも美人・イケメンと称する顔つきがあるが、あれも大きさや配置の比率やを追求していくと、この黄金比が当てはまるようだ。ということは、それぞれのパーツ自体が綺麗な形をしていても、大きさや配置の比率が黄金比にそぐわなければ綺麗に見えなくなり、逆に言えば、それぞれの顔のパーツの形が多少良くなくても、配置や大きさの比率が黄金比にあっていれば、それなりに綺麗に見えるのである。

女性の化粧もやり方次第で、綺麗に見えたり、そうでないように見えたりするのは、この黄金比が深く関わっているようである。
一般的に美人の条件としては左右シンメトリー 顔の輪郭形 顔の部品の美しさと、顔に美しく配置されていることが条件になるが、基本的なプロポーションはひたいの生え際目鼻だち”というように、顔全体のなかの目と鼻の位置は美のベーシックな要素。「額の髪の生え際から眉毛の生え際」「眉毛の生え際から鼻の先端」「鼻の先端からあごの先」が3等分されていると理想形とされている。

歴史上楊貴妃とクレオパトラは「絶世の美女」という形容詞までついて我々とはかなり縁遠い存在として捉えられている。また、この2人の美人は国家の統治者へ強い影響を与え、国を滅ぼしてしまうほどの強力な威力を持っていた。

ほとんどの人の場合、左右は微妙に非対称であるから右から見た顔と左から見た顔の印象が違うことも多々ある。例えば右から見たら美人度は高いが左から見たらやや低いということが人間には微妙なズレとしてあるものである。そのズレが許容範囲であれば問題はない。

 このように造形学的バランスから絶妙にズレたところに美人の条件があるとするならば、それは自然のなせる業であり、おそらくズレというのは自然界の森羅万象の影響を受けて発生したもので、自然界には不揃いなものが多くみられる。
一般的にあまりにも造形学的バランスを持ちすぎたものは、人工的、機械的なものとして目に映るものと思われる。このことから人間の造形行為において、造形学的バランスをもう少し不規則、不安定にズラすと、情緒的な感覚を揺り動かす契機となる気がする。つまり自然の造形とは、人間が手を加えられない成り行きの所産であるから。我々は完璧に作られたクローン人間や人工的な美を望まない。
また親からもらった顔を無節操に整形を繰り返す、マイケルジャクソンの崩れた鼻も見てきた。人間の美はモノとして存在する美とは一線を画した位置にあることは言うまでもない。

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