2009年10月31日土曜日

ブランドの衰退


最近我々と同業の漆器の街会津に行ってきた。25年前に行った頃に比べると街も工場も活気がなく業者の顔もさえない。福島の秋は真っ盛りである。高速料金1,000円の実感は味わえたが車の量が土日に集中しているのはやむを得ないところでもある。会津を見ていると、3年前に行った輪島のほうがまだましに思えた。
近年中国製の漆器が多く出回っているが、とくに会津鎌倉彫と称するものは、漆以外のウレタンやポリサイトなどを使用して、彫から塗りの仕上げまでを中国でやらせ、廉価な品物が鎌倉彫として、鎌倉とは別の流通経路でネットや一般の店に並んでいる。これらの品はおよそ我々が扱っている伝統工芸品としての鎌倉彫とは一線を画した臭い鎌倉彫である。こういったまがい物が市場に出回っている流れは止められない。これらの製品との差別化があいまいなまま、市場で同列に並ぶことが、鎌倉彫と言うブランドの衰退につながっていることに気づいている関係者は多い。労働集約型の産業は、圧倒的な労働コストの安い中国とは勝負にならない。かろうじて品質の違いのわかる多くの消費者に支えられて、成り立っているのが鎌倉の老舗の現況である。


30日の時事通信によると 総務省が30日発表した9月の全国消費者物価指数(CPI、2005年=100)は、価格変動の大きい生鮮食品を除く総合指数が前年同月比2.3%下落の100.2だった。下落幅は比較可能な1971年1月以降で過去最大だった前月(2.4%)からやや縮小したが、マイナスは7カ月連続で、デフレ傾向が色濃くなっている。生鮮食品を含む総合指数は2.2%下落、エネルギーや食料を除いた指数も1.0%の下落となった。生鮮食品を除く総合指数の下落幅縮小は、ガソリン価格変動の影響が小さくなったのが主因。このため、石油製品の価格水準が大きく変わらなければ、下落幅は今後も縮小することが予想される。 一方、薄型テレビやパソコンの価格下落には歯止めが掛かっていない。さらに、低価格のプライベートブランド(PB)商品投入など衣類や家事用品でも値下げの動きが広がっており、当面はデフレ傾向が続きそうだ。 


国内の消費低迷から、今、ブランドが苦戦を強いられている。世に言うブランド品とは、消費者がそれを持つことによる安心感、存在感、あこがれ、プライドなどを満足させるものである。そんなブランド品がファッションの世界でも不振に落ちいっている。最近ファッション業界に激震が走った。80年代から「コムデギャルソン」や「イッセイミヤケ」などと並んでDCブランドをリードしてきたヨウジヤマモト(東京都品川区)が9日、民事再生法の適用を申請した。負債額は約60億円。  ファッションデザイナーの山本耀司氏が手掛ける「ヨウジヤマモト」や「ワイズ」など、全国の百貨店を中心に約60店舗を展開していた。。ピークの99年には120億円の売り上げがあったが、09年8月期は約75億円まで落ち込んだ。原因のひとつは、昨秋のリーマン・ショック直撃による消費不況である。 それにもましてユニクロやH&Mなどのファストファッション(流行に敏感な低価格衣料)に客を持っていかれ、高級ブランドの勢いが衰えてしまった。 現在高級ブランドは不振を極めている。シャネルは九州の店舗を閉鎖、ルイ・ヴィトンも銀座に大型店を出す計画だったが白紙に戻している。べルサーチに至っては、日本の全4店舗を閉鎖し、事実上の日本撤退を決断した。  ファストファッション全盛の裏で、高級ブランドが苦戦を強いられる。危険ゾーンに突入している高級ブランドはヨウジヤマモトだけではなさそうだ。

デパートの衰退

日本百貨店協会によると9月の全国百貨店(86社、270店)の売上げは4762億円、前年同期比7.8%減で、19ヶ月連続のマイナスだという。高額品を売らなければ成り立たないのに、それが売れずに、食品やバーゲンセールを中心に低価格志向で収益性を低下させている。デパート業界は今やリストラの嵐が吹いているところでもある。デパートに限らず大型スーパーも採算割れの店舗は閉鎖が続いている。消費の冷え込みは想像以上に進んでいるので、小売業界の低価格競争は激しさを増している。

2009年10月27日火曜日

金にまつわる話




主要国で最悪レベル、日本の貧困率



 読売新聞によると長妻厚生労働相は20日午前の閣議後の記者会見で、全国民の中での低所得者の割合を示す「相対的貧困率」が2007年調査で15・7%だったと発表した。我々があまり耳にしない言葉である。経済協力開発機構(OECD)がまとめた加盟30か国の中で4位で、貧困率の高さが際だった。相対的貧困率は、これまでOECDが日本政府の統計資料を基に算出してきたが、今回、初めて日本政府が算出した。相対的貧困率とは国民を所得順に並べて、真ん中の順位(中位数)の人の半分以下しか所得がない人(貧困層)の比率を意味する。つまり、中位の人の年収が500万円だとしたら、250万円以下の所得層がどれだけいるかということである。






OECDはパリに本部を置く国際機関で、欧米主要国や日本、韓国、トルコ、アイスランドなど先進30カ国が加盟している。その目的は先進国間の自由な意見交換・情報交換を通じて、「経済成長」「貿易自由化」「途上国支援」に貢献することである。 OECDによる加盟30か国の「2000年代の相対的貧困率」調査では、日本は14・9%(04年調査)だったが、今回の日本政府の07年調査では、貧困の悪化が顕著になった。OECD調査で貧困率が高かったのは、メキシコ(18・4%)、トルコ(17・5%)、米国(17・1%)の順。逆に低いのはデンマーク(5・2%)、スウェーデン(5・3%)、チェコ(5・8%)だった。厚労省によると、日本の1998年調査の相対的貧困率は14・6%で、以後、年々悪化傾向にある。



厚労省は20日、06年の時点で、日本の平均的な所得の半分以下で暮らす17歳以下の子供は14.2%で、7人に1人が貧困状態にあると発表した。また、大人を含む国民全体の貧困率は15.7%に上り、先進国では極めて高い数字だという。長妻厚労相は会見で「子ども手当など、貧困率を改善する政策を打ち出したい」と述べた。






金が仇の浮世の常



 一方で日本人の預金残高はざっと1500兆円もある。このうち3%でもお金が動けば、経済は上向くとの話もある。つまりは、あるところにはどんどん貯まって、無いところにはとことん無いと言うことだ。言い変えれば富裕層が3%の無駄遣いをしてくれれば経済は回る。内需拡大が進めば、貧困率も縮まると言うわけであるが、話はそう簡単ではない。
景気低迷と雇用の悪化、円高が進む中で実は日本は先進国の中ではもともと輸出依存度が低い国である。輸出額の対GDP比は経済協力開発機構(OECD)諸国の中では米国に次いで最低水準で、中規模以上の企業の中で輸出企業(少しでも輸出を行っている企業)が占める割合も30%程度と、軒並み50%を超える欧州諸国に比べかなり少ない。輸出額のGDPに占める割合は2008年度は16%。にもかかわらず日本の輸出産業が自動車・電機などの耐久消費財に偏っていたことが、最大の輸出市場の米国の金融危機による落ち込みをもろにかぶったかたちで輸出の減少が顕著になっていった。



輸出と対極の内需の内訳をみると、GDPの6割弱を占める個人消費と、後に続く企業の設備投資や住宅投資が減少している。企業の過剰雇用による雇用の喪失と市場における物余りの二つのデフレギャップによって内需が低迷している状態である。

新政権に期待されているのは、小手先のバラまきではなく、雇用の創出をやることが緊急の経済政策でもあり、内需拡大の眼目でもあるはずである。






『ユダヤ5000年の教え』



歴史上民族が国家を作って歴史を作っているあいだ、ユダヤ人はかげでずっと迫害を受けていた。ユダヤ人はユダヤ人街に押し込められ、法律によって土地を所有することも、製造業につくことも許されなかった。また、住んでいる土地からいつ追放されるかも知れなかった。この寄る辺ない民族のよりどころにしたものが金である。金が全て、この世で一番信じられるもの、他民族を支配できるものが金である。そうして世界を支配する隠然たる国際金融資本が誕生した。それらは英国に端を発したロスチャイルドによって世界中に張り巡らされ支配されている。アメリカをはじめ先進国の金融はユダヤの呪縛から逃れられない。

2009年10月13日火曜日

中国共産党の寿命



共産党一党独裁国家中国について、1日付のMSN産経ニュースは以下のように報じている。
中国は10月1日、建国60周年を迎えた。中国は今や経済・軍事大国として国際社会での存在感を増し、金融危機克服などで世界の期待は大きいのだが、政治や軍事は透明性を欠き不信感も根強い。中国が国際社会との協調を進めるには国内の民主化と政治改革をし、開かれた大国になることこそ必要ではないか。この60年は、毛沢東時代の「政治第一」の前半と、トウ小平氏が率いた「経済第一」の後半で二分される。今日の経済発展が、1970年代末以来の改革・開放の成果であることは言うまでもない。過去30年間に中国の経済規模は60倍を超え、ドイツを抜いて世界3位になった。経済発展に伴い、軍事力の増強も著しい。国防予算は89年以来21年連続で2ケタ成長を続け、未公表分を含めると米国に次ぐ規模とされる。
 中国は、こうした国力増強を「特色ある社会主義」の成果と誇示している。共産党独裁の政治体制下で資本主義の市場原理と手法を取り入れたことを指す。私有経済の振興を促す一方で、国家が経済・金融を管理する計画経済時代の手法で、世界金融危機の影響も最小限に食い止め、景気対策でも、世界に先行、一党独裁の優越性を示した。(産経ニュース)


ここで歴史を紐解いてみると、17世紀以降、資本主義世界の欧米列強が築いてきた帝国主義による植民地政策で、武力をもってアジア、アフリカなどのあらゆる資源の収奪を行ってきた歴史が、現在中国によって資金力によって繰り返されようとしている。
現在中国では世界の工場として輸出経済とドル買いでため込んだ2兆ドルを超えた膨大な外貨を使って、政府系企業による世界中のエネルギー、鉱物資源を買い漁り、これら資源国で採掘する労働者を安い賃金で中国から送り込み、世界中に中国人街が増え続けている。アフリカ諸国では現在「新植民地主義国家中国の資源収奪」に対する怒りが強まっている。中国人襲撃事件が多発している。豪州では「これ以上、中国政府系企業が資源を買い漁るのは認められない」との動きが強まり、中国の新植民地主義に対する反感が燃え広がっている。そればかりかハイテク産業には不可欠のレアメタルを含む鉱物の世界の主要生産国であることから、それらの海外流出を防ぐために、関税率を上げたりして禁輸の方向に向かっている。とくに中国からの輸入依存度の高い我が国では、欧米とともにWTO(世界貿易機関)の協定に違反するとして対抗措置を講じているところだ。


中国は世界中の鉱物・エネルギー資源を独占すべく、さらに買収攻勢を強めている。獲得した資源や権益を守るため、空母艦隊を初めとする遠洋海軍の大増強に乗り出した。軍事力で中国の海外利権と資産を守り抜く様相である。米国に媚を売りながら覇権国家の機を窺っている。表向きは覇権国家は目指さない、平和で民主的な国家を建設すると米国に言っているが、その野心は見て取れる。




奇しくも今年は天安門事件から20年経っている。当時民主化を求めて解放軍によって弾圧されたのはほとんど大学生だった。現在の中国は当時に比べて、貧富格差が拡大し官僚汚職の数も規模も進み、共産党政権に対する国民の不満はずっと高く鬱積しており、各地で頻繁に暴動が起きている。大学生を中心とした若者たちが20年前と同じように立ちあがれば、国民の支持を受け、民主化運動は一気に全国に広がる可能性もあり、政権の存亡の危機ににつながりかねない。そんな中、一般国民を締め出し、一部のボランティア市民にも警護され60周年のパレードが行われた。


中国歴代の王朝の崩壊は、腐敗や格差を是正できない専制政治に怒った農民や民衆らが立ち上がって始まった歴史でもある。建国60周年を迎えて、中国共産党もソ連共産党と同じような内部矛盾による崩壊の道を進んでいるように思える。 いずれ遠くない将来共産党の寿命が来るであろう。

2009年10月6日火曜日

アートな話「桃山時代の金色」


日本のルネサンス から琳派 へ

天皇陛下のご即位20年を記念して、皇室ゆかりの美術品を一堂に集める特別展「皇室の名宝―日本美の華」が東京国立博物館で開かれている。そのパンフレットの表紙に載っているのが、桃山時代の狩野永徳の唐獅子屏風絵である。
 


あの戦国時代を経て桃山時代という豪華絢爛な文化を生み出した時代がやって来る。 この桃山時代から江戸時代の前期にかけて、日本人の感覚はもう一度古代の多色時代に立ちかえったような状況を呈した。桃山時代は30年と短く終わったが、日本文化の気配を転換した。乱世に終止符を打たれた人々は太平の世を謳歌して現世享楽の様相を展開した。      

桃山時代で目立つのは、金色に対するあこがれと執着である。この金の色は、前の奈良時代では仏教文化の燦然とかがやく仏の世界を象徴するものであったが、桃山時代の金色に対する観念は仏の世界の色ではなくて、この現世にある最も豪華な色、絢爛たる色というきわめて現実的なものであった。それは色と言うより光でもあった。金と言うものは不思議なもので、使い方によっては高貴にもなるし下品にもなる難しい色である。
     

この時代の絵画には障壁画といわれるものがある。武将の城や館のみならず、公家の邸宅も寺院の特権階級から、一般の町衆の屋敷にもゆきわたり、美々しく飾り立てられた。この障壁画は金碧濃彩画、つまり金箔を張りつめた金地の上に極彩色で描くというもので、この様式が全盛を極めた。桃山画壇で最も多くの俊英を輩出させ一大王国つくったのは、漢画系の狩野派で、安土城、聚楽台の障壁画に筆を振るった。金箔を使った背景は、奥行きのある立体感をうばい、題材を画面の前面に押し出す作用があるように思われる。こうして桃山時代には絵が日常的なステージに解放され、日常使う道具類などの蒔絵装飾などが盛んになり、生活の芸術化が始まり、やがてそれらは江戸時代の俵屋宗達、尾形光琳に代表される[琳派]につながる。 


宗達は、御用絵師として制約の大きかった狩野派とは違い、市井で扇屋を営む自由気楽な町絵師であった。絵師は手本や師匠の作品を忠実に再現する。それが当時の常識だった。 ところが宗達は、構図も人物も、どこからか借用してくる。今なら盗作、盗用騒ぎになりかねないところだが、それを独創的、斬新なアイディアで味つけし、一歩別の世界へ踏み出す。普通ならまとまりがなくなるところだが、それを傑作にし仕上げてしまういう才能を持っていたらしい。宗達の構図には独特の味わいがある。宗達は扇屋という商売柄、扇面という末広がりの特殊な画面形式では、四角い画面とはちがった描き方の工夫があったために、ことさら構成に長け、後に大作を頼まれるようになった時、独自の斬新な絵が生まれたのであろうか。        


一方、尾形光琳ははじめ狩野派に学んだが、宗達に傾倒、美麗な装飾的な画風を完成し、蒔絵にも美しい光琳蒔絵を考案し、元禄文化の粋をつくりあげた人である。宗達と光琳の違いは宗達が常に楽々と対象と一体になったのに対し、光琳は一方で対象の客観的な把握につとめ、他方で造形化をはかるところにある。大胆な装飾画の大家として知られる光琳は、反面において、我が国にあっては「写生帖」を残す最初の画家でもあった。        

2009年10月1日木曜日

終わりと始まり


「自民党をぶっ壊す」と絶叫した小泉元首相、安部、福田と続き、麻生漫画内閣によって、戦後54年続いた自民党崩壊の総仕上げをした麻生太郎元首相は、国民が望んだ政権交代の立役者である。今回の選挙結果は自民党のコバンザメ政党の公明党までぶっ壊したおまけがついている。

民主党は今までの旧政権が残したレガシーコスト(負の遺産)のあと始末を始めているが、これが一筋縄ではいかない。建設中または建設予定のダムは八ッ場ダムを筆頭に140ほどある未建設のダム問題、天下り廃止問題、日航の再建問題、年金問題、どれをとってもマニフェスト通り忠実に実行できるのか、いささか疑問である。硬直したマリフェスト実行よりも柔軟性のあるマニフェストの実行をしてもらいたい。


自民党の再生  

戦後半世紀に渡り日本の政治権力を独占してきた自民党の力の源泉は、農村を権力の基盤としながら、経済成長を図り、その成果としての富を公共事業を通じて農村に還元させる再配分政治にあった。その再配分政治をより上手く回すために綿密に練られた権力構造が、「自民党システム」であった。しかし、その後の経済成長に伴う日本の工業化を進めた結果、自民党は自らの権力基盤である農村を弱体化させていった。 伝統的な農村依存型ではもはや権力の維持が困難であることを悟った自民党は、小泉首相の登場によって、これまで自民党システムを支えてきた農村を切り捨て、都市浮動票を獲得することで一時的に新自由主義政党として党を再生させるという、窮余の一策に打って出るが その結果、小泉政権誕生以降、自民党は急速に農村の支持基盤を失い、人気をベースとする都市無党派層に支えられた都市型政党に変質した。



今回の選挙では自民党が失った農村地盤を、そっくりそのまま小沢民主党が取り込んだ結果が見えてくる。
小泉改革は格差の拡大という深刻な問題を引き起こし、小泉路線を引き継いだ安倍首相以降の自民党は、従来の支持母体を失った上に、都市無党派層にもそっぽを向かれ、その後の福田、麻生の軟弱な体制のまま、方向性を失って迷走を続けることになる。


自民党の再生は過去のしがらみを振り棄て、50年間でため込んだ垢と膿をきれいに払拭し、新生野党自民党としての実績を積み重ね、コバンザメのような信者政党の公明党(かつて20年ちかく公明党の委員長をやってきた竹入氏が、公明党と学会の関係を政教一致と赤裸々に暴露している。)からも解き離されたならば、将来復権も考えられるだろうが、あくまでも民主党が大きな過ちを積み重ねないことが前提になるだろう。

それにもまして既得権益にまみれた自民党の体質が変わらない限り、いくら国民への再分配を謳っても、国民は戻ってこないことを今の自民党若手は痛いほど知っているはずである。いまだ隠然たる影響力をもった党内のご老体には、聞こえてか聞こえずか世代交代の声は日増しに上がっている。