2009年9月21日月曜日

地下鉄 泉区民ギャラリー










 都道府県では教育委員会などの後押しで,各地の生涯学習センターが、地域住民のために盛んに行われている。それに付随した各施設も①公民館 ②図書館 ③青少年教育施設 ④文化会館・センター ⑤スポーツ施設などが数多く存在している。



我々の業界もお世話になっているわけであるが、昨今の地方自治体の財政難で、それらの活動も鈍くなっている。我々とかかわりの深い鎌倉市を例にとれば、現在、鎌倉市の財政赤字1000億円。利子だけで25億円が毎年消えている。どの自治体も赤字経営である。
さて話は変わるが、今回、わが町戸塚の泉区文化振興委員会が主催する、横浜市営地下鉄の泉区民ギャラリー(最寄りの中田駅の構内)を1ヵ月借りて9月10日から10月9日まで、喜彫会の作品展示をしている。初秋の一時、鎌倉彫を地域の皆さんに見てもらうことも、私と会員にとっての喜びでもある。

2009年9月15日火曜日

アートな話 「独り芝居」



 独り芝居と言う芝居がある。俳優1人だけで演じられる芝居であるが、日本では1926年、築地小劇場で汐見洋がチェーホフ作「タバコの害について」を独演したのが先駆。第2次大戦後は、杉村春子が48年に独演したジャン・コクトー作「声」が注目された.以後渡辺美佐子や小沢昭一、島田正吾なども名演をこなしている。




最近BS放送でNHKエンタープライズ制作の風間杜夫の4部「コーヒーをもう一杯」5部「霧のかなた」を見た。風間杜夫ひとり芝居は第一部「カラオケマン」、第二部「旅の空」、第三部「一人」と今回の完結編「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」になるのだが、 残念ながら今回の完結編「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」しか見る機会がなかったがおもしろかった。


一人芝居三部作は、三時間を一人で一挙に演じきったと言うからすごい。会社の接待のため派手な衣装でカラオケを歌うサラリーマン。ある日、サウナで記憶を失い交番へ。最後は旅回りの大衆演劇一座に身を寄せ、本当はこういうことがやりたかったのではないかと考える。笑いと哀愁が程よく混じり、管理社会で元気のないサラリーマンに様々な道を考えさせる。
団塊の世代の象徴のような主人公のサラリーマン牛山明、仕事の接待でカラオケで身を守り生きてきたが、ある日突然仕事上の心因性ストレスから記憶がなくなり、家族も仕事も何一つ思い出せないまま、子供時代に好きだったことを頼りに頑張り始める…そして今回続編として、4部「コーヒーをもう一杯」、5部「霧のかなたに」が上演されたのである。
水谷龍二が脚本・演出のこの芝居、風間杜夫がひとり芝居を始めて10年以上になるらしいが。同じころ、落語もはじめた。どちらも演じるのは一人。芝居と落語をやろうとした理由とその魅力は何だろう?牛山明という、ここに出てくるキャクターのペーソス溢れる人間ドラマの断章が描かれる。観客はその断章を見て、彼の人生を想像する。彼はいったいどんな人生を送りここにいるのか?それを風間杜夫が丁寧に演じる。決して奇をてらわない。風間杜夫の、魅力はその喋り方にある。そこは落語の世界にも似た発声や間の取り方が演技に芸に昇華していくのである。まさに落語と独り芝居の垣根を飛び越えた空間がそこにあった。子役時代の風間は知らないが、役者と言うものは色気と言うものがないと大成しないものだと思った。




今回見た芝居は段ボールハウスがその舞台である。そこに住む住人に助けられた主人公牛山明は、段ボールハウスの中で目覚めるところから始まるが、そのやり取りが面白い。舞台装置付きの落語のようだ。助けてくれたホームレスの男と男が飼っている猫「ルノアール」との交流が描かれ、ささやかな幸せがここにある。ホームレスの男はギターを鳴らし生演奏を始める。風間杜夫とギターを弾いている留守(とめもり)さんとのまさにライブセッションである。やがてそんな幸せを壊すように行政側の強制撤去が始まる。彼らは住むところも失い、それに怒る牛山は人間の非力さと無情さを思い知る。まさに現代の縮図がここにある。
牛山の物語はここで終わらない。霧の彼方へ向かっていく姿はチャップリンの「モダンタイムス」のエンディングシーンの後姿を彷彿とさせる。人間の滋味あふれる五部作の完結であり、新たなステージの始まりでもある。今後機会があれば劇場に出向き生の演技を見たいものである。余談だが最近、風間は横浜にぎわい座にも落語で出ているらしい。

2009年9月12日土曜日

どん底競争

                                        世界の下請け
         
経済グローバル化時代の現在、一国の競争力は中国を例にとれば、国家に属する企業が備える競争力に体現される。デフレ経済のもと、100円ショップ、ユニクロ、ニトリなど中国製品の圧倒的な安さはもとより、国内外を問わず多国籍企業の下請けとしての中国が存在している。、改革開放以来、中国の貿易総額は急速に増加しており、いまや日本をしのぐ勢いであるが、製造業において中国発の国際的な巨頭企業が現れていない現状をみると,中国側の経済研究者の分析レポートがそれを物語っているので要約してみよう。


北京大軍経済観察研究センター特約研究員・袁剣氏によると、今、中国の高度成長に伴い自国ではさまざまな問題が指摘されている。それは、中国の輸出製品の価格が不断に下落を続け、輸入製品の価格が不断に上昇を続けているということであった。輸入製品の価格上昇と輸出製品の価格下落は、交易条件悪化の典型的な症状と認識される。ある統計によると、2002年、日本の対中輸出製品の価格は3%上昇し、対中輸入製品の価格は、18.4%下落した。この点だけでも、日本は、対中貿易において、毎年200億ドル節約していることになる。
これと対比をなす現象として中国華南のある輸出工場において、扇風機、ジューサー、トースターの平均卸売価格は、10年前の7ドルから、2003年の4ドルへと下落している。この工場の責任者は、“最も安い者だけが生き残ることができる”と嘆いている。中国の交易条件が不断に悪化を続けている事実について、表面的に中国は、不断に成長する貿易において得る利益がますます減少しているだけである。また、深層においてこのロジックに符合し、人々を不安にさせる現実がある。それは中国企業の相対的競争力は経済成長に従って上昇しないばかりか、かえって、不断に下落を続けているということである。

他方、技術が簡単で、生産性が低い中国本土の製造業は、世界的な生産過剰がもたらした熾烈な競争により、多国籍資本が、これを世界生産体系に組み入れ、その世界的な生産体系の中で、簡単な組み立て、加工、部品の生産等の提供されることに成功した。このため、中国の膨大な下層労働者は、実際上、世界経済体系の最下層に変化していった。中国の階層分化が、既に世界的な階層分化と緊密に融合していることは明らかである。本国の政治体制、国際資本の二つの力を借り、中国の膨大な下層労働者の地位は、更に堅固なものとなるであろう。中国の製造業が直面しているのは、自国の同業者との競争だけでなく、世界規模での熾烈な競争であって日本も例外ではない。

中国に最も多くの就業機会を提供している本土製造業(他の産業も含む)が、生存が困難であり利潤が薄く、労働者の賃金を引き上げることができないために、労働者が貧困の罠に嵌っている。これは、中国のマクロ経済のパフォーマンスにおいて、常に内需が不足している重要な原因の一つである。内需不足であれば、必ず外需を拡大する必要があり、外需の増加は、必ず他の貧困国との競争が必要になる。こうした競争は、再び賃金及びその他コストの不断の引き下げを引き起こす。そして、これが更なる内需の萎縮をもたらす。これは、抜け出すことが難しい需要の罠であり、過度の輸出依存から抜け出せない構造である。 最近見たテレビで貧困国の少年少女が、過酷な労働条件の製造工場の現場からふと漏らした言葉「生きているのがつらい。」が耳に残る。


多国籍企業に象徴されるグローバル化の力は、中国の転換に深く巻き込まれていく中で、中国に新たな経済の局面を作り出した。一方で、多国籍資本はブランドと文化的影響力により、中国における少数の富裕者と中産階級の絶対部分の消費力を独占した。富裕者と中産階級は、中国で最も消費能力を備えたグループであるが一握りの階層である。消費が膨大な下層の方向へと拡大していかない断絶社会にあって、その長期的な経済成長の潜在力は非常に疑わしい。合理的な推測として、次々と押し寄せるグローバル化の力は、おそらく、短期の経済成長を促進したであろうが、その長期的な発展の道を断ち切ってしまったであろう。膨大な最下層の人口と、全く競争力のない本土企業が、グローバル化の未来図の背後に、我々が目にするもう一つの中国である。


            どん底競争

 中国が高度成長をした27年間において、中国GDPの成長速度は先進国の数倍であったが、賃金の伸び率は、このペースを大きく下回った。中国では、体制内における人員の賃金が堅調な伸びを示す一方、数が膨大な最下層の労働者の賃金は、稀に見る停滞を示している。日本が高度成長期にあった時、日本の賃金は、伸び率が米国のそれを70%上回っていたが、1980年に至って米国の賃金と並んだ。日本の賃金が米国に追いつくまでには、1950年から1980年までの30年間を要した。他方、中国経済もまた、1978年から2004年まで、30年近く高度成長を実現したが、賃金は、米国の4%程度しかない。製造業において、中国の労働力価格は、90年代になってようやく高度成長が始まったインドよりも10%低い(インドの高度成長の歴史は、中国よりも10年余り遅い)。
この現象は実に難解であるが、90年代初期から現在(中国の経済成長が最もハイペースであった時期にあたる)、中国で最も発展した珠海デルタ地区において、出稼ぎ労働者の賃金は、意外にも、この10年間で全く上昇していない。これは、世界から突出した中国の経済成長に対し、耳障りな嘲笑となるばかりか、中国における賃金の伸びに、ある種の“不自然性”があることを証明している。
このように、賃金と経済成長が逆方向に向かう現象は、現在、既に中国最下層の出稼ぎ労働者から、いわゆる知識階層へと蔓延しつつある。ここ数年、中国経済が過熱すると同時に、中国大学卒業生の賃金が顕著に下落している。2005年初め、中国大学卒業生の賃金は、既に毎月500元~600元という超低水準に達している。人材市場で職探しに急ぐ河南財経大学の卒業生は、やるせない様子で、“これでどうやって生活していけというのか?”と語っている。こうした労働力価格の趨勢に基づけば、更に30年が過ぎた後、中国と先進国との格差はますます大きくなるおそれがある。いわゆる中国の世紀とは、民族主義の非理性的興奮が残した歴史の笑い種にすぎないものとなるだろう。まさに国栄えて民衆が滅びる例えである。


一方、我が国はどうかと言うと雇用問題で、とりわけ生産調整の便法である非正規雇用の増大と正社員のリストラが、内需拡大に影を落としている。今や懐かしい中産階級はグローバル経済の下、国際競争にさらされ崩壊していった。今、日本は底辺から社会が崩れ始めている。“どん底に突き進む競争”は、まさに、20世紀90年代以後、中国がグローバル化において実践した内容と重なり合う。そして、生活保護費以下の収入しかない非正規雇用者の急増は、20歳代の若者だけではなく、35歳以上の中高年フリーター・パートにも拡大している。

生活保護に関しては、受給資格がありながら生活保護を受けていない割合が80%にも達しているという試算もあり、厚労省の発表では、2009年1月現在、生活保護世帯数:116万8354世帯 (前月:115万9630世帯)生活保護人員数:161万8543人 (前月:160万6714人)が生活保護を受けているが、これは実際の20%にしか過ぎないということで、大多数の生活困窮者は未だに異常なまでもの貧困にあえいでいると見られ、潜在的に生活保護対象者を抱えている。また、厚生労働省が発表した「福祉行政報告」によると、09年1月の生活保護を受けている世帯・人員とも過去最多を更新したことが明らかになった。

2009年9月7日月曜日

魑魅魍魎の裏社会


戦後の裏社会を概観してみると、「この国の戦後はヤクザと自民党とCIAが作った」という格言がある。戦後、敗戦による混乱の中、三国人による治安悪化を防ぐために、GHQの政策により弱体化した警察上層部は、地元ヤクザに三国人鎮圧を託した。 以後ヤクザは反共の防波堤として60年代安保闘争の背後にも国の盾としても控えていたが、時代が進み70年代になると警察庁によって暴力団の頂上作戦が行われ、暴力団は徐々に従来型のシノギを得る為にその姿を変えて行く。

事例をあげると、「政治団体化に加え、日本の司法システムの欠陥を利用した整理屋・損切り屋・競売妨害・地上げ屋などの民事介入暴力(民暴)、総会屋、北朝鮮ルートでの麻薬の密輸と国内販売などの犯罪集団に変貌していく。


70~80年代、地上げや債権回収などでヤクザは銀行に足がかりを築いた。またヤクザが銀行に恩を売る一方で、銀行側もむしろ積極的にヤクザを利用した経緯がある。 そして裏社会が表社会の経済活動に本格的に進出を始めたのが、バブル後の「失われた十年」が芽生えた時で、90年代の金融危機につながっていく。一方でヤクザと自民党の歴代閣僚とのつながりも多く伝えられており、徐々に政治に対する影響力を現してくるが、そんな折、時は2002年1月、ブッシュが訪日前に小泉首相に親書を送っていたことが明らかになった。そしてその親書の内容とは日本経済システムからのヤクザの排除であったといわれている。米国ではほぼ日本のヤクザの実態を掴んでおり、放置しておくと日本経済の足かせになると考えた末の不良債権処理・竹中プログラムは米国の意向通りに行われた。

  最近取りざたされている薬物事件

大麻の所持や栽培などで全国の警察が1~6月に検挙した事件は昨年同期比13.4%増の1907件、検挙人数も21.3%増の1446人だったことが20日、警察庁のまとめで分かった。いずれも上半期の統計が残る1991年以降で最多となった。検挙された人の63%は20代以下が占めており、若者を中心とした大麻汚染の拡大が浮き彫りになった。覚せい剤事件でもタレントがワイドショウで連日報道されている。全体の検挙人数は5384人で13.1%減ったが、覚せい剤の押収量が6.4倍の約263キロに激増。末端価格は昨夏をピークに下がりつつあり、同庁は「根強い需要と相応の供給があるとみられ、使用者が減っているとは言い切れない」と警戒している。(2009/08/20 jcom)


これら薬物問題は日本の裏社会の一面でもある。元公安調査庁の菅沼光弘氏によると「ヤクザの活動と、日本の表の活動である政治、経済、外交は、複雑な絡まり合いのなかで運営されているのが現状。日本の本当の姿を知るためには、裏社会の問題について十分な知識がないと正確な分析はできない」と述べたたうえで、日本の裏社会の構成要素として「やくざ・同和・在日」の3つを挙げている。また、ヤクザの6割を同和関係者、3割を在日韓国・朝鮮人が占めており、残りの1割を一般日本人と中国人が占めていると分析している。
現在取りざたされている覚せい剤問題も、北朝鮮ルートと中国ルートは在日朝鮮人ヤクザと中国人ヤクザがからんでいて、イランからのルートも摘発されている。現在何らかの薬物に依存している日本人は約60万人いるというからすごい数だ。まさに裏社会のドル箱である。また各暴力団組織には多くの右翼団体とも繋がりがあると言う。ヤクザの人口は、警察庁発表では8~9万だが、実数はもっと多い。全国21組織でヤクザの全体の90%を占めている。そのうち山口組・稲川会・住吉会の3組織で、70%を占め、そのなかで山口組だけで50%を占めている。
 


警察白書(平成17年版)によると、暴力団構成員・準構成員の総数は96年以降増加傾向にあり、その数は8万7千人にのぼる。山口組、稲川会、住吉会の主要3団体で構成員総数の7割を占めるなど寡占化が進んでおり、最大規模の山口組の収入は大企業に匹敵する。菅沼氏によると、5代目山口組・渡辺組長の時代には、当時のトヨタ自動車の純益が1兆円だったのに対し、山口組は8000億円の収入を得ていたという。  92年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」、いわゆる「暴力団対策法」が制定されたことにより、賭博、覚せい剤、競馬・競輪からの収入など伝統的な収入源が完全に絶たれた。

その結果、近年はその経済活動が巧妙になっており、IT関連の犯罪から産業廃棄物処理事業まで一般企業に活動の場を広げていると菅沼氏は言う。 また、暴力団対策法はFBIがマフィアを撲滅した例をもとに「日本に機械的に適用」したもので、法律施行後は、山口組のように全構成員に警察との接触を禁止する組も出てきており、「警察がやくざの問題について、ほとんどわからなくなってしまった」実態を明らかにした。
さらに菅沼氏は暴力団が日本の社会に浸透している背景について、「ヤクザは日本の文化の一端を担ってきた組織。神社のお祭り、相撲、プロレス、芸能界といったものの興行は、ヤクザと渾然一体となって日本の社会で育ってきた」ことや、「トラブルシューターとしてだけではなく様々な仕事ができるヤクザを、日本の社会は必要としてきた」ことを要因として挙げた。 

公安調査庁は、設置当初、共産主義勢力を調査するのが主たる目的だったが、共産主義運動の衰退やオウム事件の機に、仕事の重心が国内の治安維持に移ってきた。その結果、対外情報機関としての能力は低下したことについて菅沼氏は、「北朝鮮問題や拉致について、第一次情報を持っているのは外務省でも警察でもなく、公安調査庁」と述べ、対外情報機関としての存在意義を主張する。 また、外国による諜報活動に対抗する日本のカウンターインテリジェンス(対工作防衛)について問われた菅沼氏は、「日本はスパイ天国。脆弱なんてものじゃない、何もない」と指摘し、日本の伝統的な縦割り行政・セクショナリズムや法律の不備がその背景にあると述べた。

注釈 同和問題
16世紀末、豊臣秀吉は農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民、農民とを分けた身分制度を作った。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限していく。こうして被差別部落の形成が進んでいったといわれている。徳川政権が大多数の農民を支配するために、宗教的理由で忌避されていた食肉皮革産業や廃棄物処理、風俗業界、刑吏等の賎民を身分支配のため固定化し、代わりに独占権益を与えたことに始まる身分制度において、この差別されていた一部の人々は、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いていた「ケガレ意識」の対象として見られていた。そのほとんどが神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業の人々である。観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、武具や馬具、太鼓などの革製品、竹細工、歌舞伎や浄瑠璃にいたるまで、現在日本の伝統文化といわれるものの多くは、当時の被差別民衆が担ってきたものであることが言われている。
 
明治4年の解放令によって身分制度は廃止されたが、しかし、被差別部落の生活や暮らしは改善されず形式的なものであったため、偏見や差別はそのまま放置された。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革は、これまでの農民からの搾取を目的とした身分差別から産業労働力確保のための差別として拡大再生産され、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになっていった。西日本には大規模な被差別部落が多く存在し、解放運動が盛んであるが、関東地方では被差別部落自体が比較的少ないことから認知度が低い傾向にある。現在、行政・企業・宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が同じ日本人としての平等性の観点から部落差別撤廃に取り組んでいる。しかし、今日に至っても、同和問題は結婚や就職など日々の暮らしの中で差別事件として現われる、早急に解決が必要な現実の社会問題ではある。


穢多(エタ)非人(ヒニン)とは箆棒(ベラボウ)な
 江戸っ子が「そんな箆棒(ベラボウ)な事があってたまるもんけえ」なんて使い方をする「篦棒」、つまり「いくら何でも、無茶苦茶でゴザリマスガナ」と言った言葉は、小塚ッ原や鈴ヶ森などの刑場で、死刑囚の屍体を扱うときに使う棒だ。つまり刑場幕吏の使役人は非人(ヒニン)と言われ、酷い差別待遇を受けていた。人間の屍体を処理する人達が非人と言われていたらなら、動物の屍体を処理する人達は穢多(エタ)と言われていた.いまでも関西地方では彼らのことを指4本で表現する。つまり動物は四つ足で、動物の屍体で食ってるというわけだが、民主主義の世の中でまだこのような差別問題が尾を引いていることが問題なのである。

2009年9月2日水曜日

祭りの後


衆院選は下馬評を超える民主党の308議席獲得の圧勝で幕を閉じた。失業率が過去最悪を記録し、年金制度の破たん、実体経済の低迷で国民生活はガタガタになった。「小泉・竹中改革」による行き過ぎた規制緩和で社会はあちこちで綻んだ。官僚の言いなりの自民党は、壊れた社会をほとんど修復できなかった。


自民党は、1955年から一党で政権を握っている。たった一度、細川連立政権があったが、これは党内の内ゲバのようなもので、野党が政権を握ったとは言いがたい。先進国を見回してみても政権交代がないというのは不自然で、極めて不健康な状態が続いたわけであるが、このような国は共産主義の国か独裁国家しかないと国民は気付き始めた。


今回の選挙は、いわば国民が自民党政権に対する長年の鬱積した不満と怒りが頂点に達し、自民党に愛想もクソも尽かした現象が今回の民主党の大勝を呼び込んだと言えるだろう。

政治の貧困とは、寄生集団(利益誘導型の政権とそれに群がっている官僚)が国民に渡るべく栄養分を吸い取って、フラフラになっている国民の現状を見ればすべて説明がつく。政権が民主党に移行することが分かった段階で、6つもの駆け込み天下りを許す自民党。前倒しの消費者庁設立に伴う官僚人事、総裁を辞めた党首を総理候補に指名する動きなど、この理解しがたい自民党はまるでゾンビのように醜い姿を世界に曝しているようだ。


今、民主党政権の大義名分となる“脱官僚”を本当に実現できるかに最も注目が注がれている。自民党政権よりも国民の支持を集めたという事実こそが、官僚機構の抵抗を押さえる後ろ盾になっているのだが、優秀で狡猾な官僚を本来のあるべき姿にもどし、国民のために働かせるかが問われているのであって、決して官僚を排斥するものではないことは、賢明な政治家であれば分かっているはずである。長年のうちに培われて曲がった根性を矯正することは困難を伴うであろうが、いかに官僚をコントロールするかが民主党の力量が問われるところである。我々国民は辛抱強く寛大さを持って成果を見守りたいが、望むところは迅速に政策を推し進めていただきたいことである。