2009年5月30日土曜日

最後の足掻き


27日の党首討論で麻生総理は「小沢秘書逮捕」を追及する事が民主党攻撃の最大ポイントと考えていたようで、「民主党は西松問題で説明責任を果たしていない」と鳩山民主党代表を追及した。今回の小沢秘書逮捕で「説明責任」を求められるのは何よりも検察であり選挙直前に政界捜査を行なう事など、どう考えても民主主義国家のやることではない。民主主義で最も尊重されなければならない選挙に影響を与えるタイミングで、捜査権を乱発するなどは捜査機関と結んだ政治権力のなせる技と、国民に勘ぐられても仕方あるまい。検察が果たさない「説明責任」を何故政治家にだけ求めるのか。政治家は国民の代表である。国民が選挙で落とす事も選ぶ事も出来る政治家に対して、官僚以上の説明責任を負わせる考えが果たして世界の民主主義国家に存在するのだろうか。

麻生総理は民主党を突き崩すポイントはここぞとばかり、馬鹿の一つ覚えのように西松建設問題が国民の最大の関心事と宣まう。国民の関心事は景気を良くするための補正予算を効果的な組み方をしてもらうことで、官僚のために組んだバラマキ予算の正当性を強調するように、鳩山氏にあなたが社長[総理]になったら、官僚に従わないと彼らは動きませんよと、まるで官僚の背後霊に踊らされている忠犬、失礼忠猿のごとき形相で喋る。このおっさんは本当に国民のことを考えているのかと疑いたくなる。


麻生首相は選挙より政策、まず経済対策、景気対策だと言って選挙を避けてきたが、肝心要の対策にまともなものは無い。また地位の保全のため、経済危機を言い訳にして、さらに選挙を伸ばしている.
厚労省の分割案などメディアの背後霊のような渡辺恒雄の一言に乗って、軽々しく放言して断念撤回するなど迷走ぶりが際立っている。片や延命に勤しんでいる御仁と、片やマスコミにおける老害の両者も先の短い御同輩である。

2009年5月21日木曜日

裁判員制度




いよいよ今問題になっている裁判員制度が国民のコンセンサスを得ないまま、十分な議論を尽くさない状況で始まった。その制度を要約すると、対象の刑事裁判が実施される前年の12月頃に各地方裁判所ごとに,管内の市町村の選挙管理委員会が有権者の中からくじで選んで作成した名簿に基づき,翌年の裁判員候補者名簿を作成されるのだが、事件ごとに裁判員候補者名簿の中から,くじで裁判員候補者が選ばれる。そして最終的に6人が選出され、裁判員6人と裁判官3人で、多数決で判決が下される。そこには裁判の判決への道筋に百戦錬磨の裁判官の素人裁判員に対する誘導も十分考えられる。もっとも1審 に限られるわけだが、差し戻しされればまた違う裁判員が選ばれることになる。






裁判員制度では、不適切な判決が出た場合も裁判官の責任を問うことは困難で。裁判官は裁判員との責任のなすりあいで弁解することが可能になり、のちのち責任を問われることのない「行きずりの6名」が大きな決定権を持つわけで、判決の責任所在は不明確になる。裁判官は気楽になるが 、最適な判決を出そうというインセンティブは弱くなる。







当ブログでも昨年12月に言及したように、日本を都合よくコントロールするための日本政府への米国政府の年次改革要望書 [ご丁寧にもアメリカ大使館の公式ホームページに日本語で翻訳されている代物である。]これに添ってアメリカ政府は、アメリカ人弁護士が日本でも営業できるような環境をつくることを要望しており、法科大学院の設置や新司法試験はこの要望に従った結果であるが、陪審制の様な制度をつくることは書かれていない。むしろ「司法制度改革審議会」(司法審)は1999年、政府自民党の提言で設置され、やがて裁判員制度導入の声が高まり今日に至っている。
裁判員制度は陪審制とは似て否なる欠陥が目につく制度で、大きな特徴としては、有罪・無罪に加え、量刑も決めるという点にある。米国や英国の陪審制では、陪審員は有罪・無罪を決めるだけで、量刑は裁判官が決めている。だから、量刑までも決めるという点においては、日本の裁判員制度は、ドイツやフランスなどの参審制に似ている。






政府は裁判への民意の反映と信頼の向上、ならびに公判前整理手続による裁判の迅速化を制定理由にしているが、一部例外を除く強制的な参加や数日間拘束されることにたいして、過去のどの調査でも「裁判員として参加したくない」は7~8割を占めている。朝日新聞が08年12月に実施した面接調査では59%が裁判員制度は根づかないと考え、裁判員制度そのものに対しても、反対が52%で賛成の34%を大きく上回っていた。






裁判員制度スタートを前に、鳥越俊太郎さんら民放キャスターが今月19日、都内で記者会見した際、鳥越さんは、守秘義務のため、裁判官と裁判員との評議内容が検証できないことなどを挙げ「透明化された裁判の実現という面で、大きな欠陥を持ちながらのスタートだ」と批判。安藤さんは「制度が成功するかどうかは、情報が一つでも多く開示されることが鍵」と指摘。大谷さんも「国民の目から裁判を隠し、透明性を担保しないで、制度を定着させようとするのは問題だ」と強調した。
このように批判的な意見が多いなかの裁判員制度であるが、吉と出るか凶と出るかは今後の推移を見た上で国民が審判を下すであろう。

2009年5月20日水曜日

日本病からの再生




 民間企業の許認可権を持つ役所(官庁)は企業献金のおおもとを握っている。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所が面倒を見てくれ、献金も集めやすくなり、選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。長く続いてきた一党独裁政治のもと、こうして族議員が生まれ持ちつ持たれつの関係が生まれてきた。
 
本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。
 三木内閣以降、金額を「規制」した結果、政治資金は次第に闇に潜るようになり、一部では闇の世界と結びつくようになった。バブル期に日本の銀行が軒並みヤクザに絡め取られ、不良債権を累積させたように、政治の世界にもヤクザの資金が入るようになった。


それに絡んでヤミ金の摘発などで国会の爆弾発言男の異名を取った野党第1党民主党の石井紘基衆院議員暗殺事件は、右翼の黒幕が絡んだ口封じの真相はまだ明らかになっていない政治の闇である。


彼はソ連留学中ソ連崩壊を目の当たりにし、現在の日本が明日のソ連になることを警告し続け、資本主義の仮面をかぶった官僚型社会主義の我が国の利権システムに組み込まれた政治体制に危機感を抱き、このままでは日本が崩壊すると言うことを言い続け、日本の財政予算の根幹である一般会計と特別会計にメスを入れていく。




それによると、我が国の一般会計は85兆円で、問題の特別会計[道路建設、港湾整備など]は330兆円にもなりこれらの金が特殊法人に流れ、道路公団一つとってみても700社に上るファミリー企業を肥やしている。国の財政の見張り役である会計検査院もカネの流れは把握しきれていない。もちろん4600にも上る膨大な天下り法人の詳細な情報は我々国民は知る由もない。




メディアを巻き込んで国が情報を遮断したり操作したりする国は、ソ連をはじめアルゼンチンなど、ある日突然崩壊する。崩壊は時間をかけて進んでいることに我々は気がつかなければいけない。せめて心ある政治家ならば、日本病を明らかにした石井議員の遺志を継いで日本再生に臨んでほしいし、来る衆議院選後には民主党がリーダーシップを発揮してもらいたいものである。

2009年5月9日土曜日

末期資本主義


最近巷でよく耳にする言葉に肉食系、草食系と言う言葉がある。言葉のイメージからすると肉食系は食うか食われるかの弱肉強食の世界で狩猟民族が思い浮かべられ、草食系はあまり他者に対して侵略を犯さない農耕民族の害の無いおとなしいイメージが喚起されるが、一般的には男女の行動パターンの分類に使われているようだ。今、若者の間では草食系男性に肉食系女性と言った傾向が増えているらしい。

これを世界の趨勢である資本主義に置き換えてみると、資本主義発祥の西洋の風土は、搾取するか、されるかの「二者択一の世界」である。欧米の資本主義に日本型資本主義の「共存共栄」はない。過去の歴史からも推察できるように、欧米の列強は植民地を広げ、あらゆる地域の経済的な搾取を続け、冨の肥大化を図った。

欧米型経営が、利益至上主義という強者のための契約関係に対して、異文明の日本では、労使の共存共栄という信頼関係を築き、 日本型経営は欧米企業とは正反対の道を歩んだ。欧米が簡単にやる首切りをしない代わりに、それ以外のありとあらゆる方法でコストを削減し、利益を出すことを目指した。労働者とは対決せず、会社のために勤勉に働かせることで利益を上げようとしてきた。

資本主義は、自国の産業を発展させ、他国の産業より常に一歩リードすることで、富の独占をはかるシステムである。そのため産業が停滞してしまうとすぐに追いつかれ、限られた富の配分からの排除がはじまる。
欧米の資本主義では、弱者は常に搾取され、切り捨てられる運命にある。欧米の会社は、労働者を利用するだけ利用して捨てるので、労働者の方も、会社を自分のキャリアを積むための場としか考えていない。だからキャリアを積んだものは、少しでも給料のいい会社をと渡り歩こうとする。近年では、頻繁な首切りと引き抜きと転職のせいで、熟練労働者の数が減少し、逆に仕事に不慣れなものや、熱意の欠片もないものが増え、産業が底辺から揺いでいる。

近年欧米型資本主義が浸透してきた日本の産業界も、昨今の経済危機の局面で、製造業を中心に容赦ない労働者のリストラが始まっている。欧米の金の亡者たちが引き起こした今回の金融危機は、西洋型資本主義の金のためなら何でもやると言った、限度を知らない暴走した資本主義の結末でもある。


仏教の教えの中ですべての基本になっているのが、中庸(中道)である。ブッダが修行の中で悟った「何事も程々がよい」という教えは、仏教と融合した儒教でも、「過ぎたるは、及ばざるがごとし」と説かれている。このような思想とは、正反対な道を歩んだのが西洋文明だった。何事にも限度というものを知らないため、ついやり過ぎてしまう。やり過ぎて暴走するのは、中庸という一番大事なブレーキがついていないからである。
文明を暴走させる原因は、限度を忘れさせる飽くなき欲望と競争にある。西洋文明は、欲望の固まりである金儲けを基準にして競争させるので、一度走り出すと止まらなくなってしまうのだ。
歴史上最悪の資本主義の形態は奴隷制度である。世界の弱小国家から労働力(人間)を強奪あるいは売買し、一握りの富裕層[国を動かす階層]の富を肥やして拡大していくシステムを我々は歴史で学んだ。今我が国はアメリカと言う金権国家の経済奴隷でもある。

2009年5月4日月曜日

どうなる年金制度




厚生労働省は1日、実質経済成長率が今後長期にわたってマイナス1%前後で推移すれば、公的年金は積立金が枯渇して制度が破綻(はたん)するという試算結果をまとめた。試算では、物価上昇率、名目賃金上昇率、積立金の名目運用利回りが、今後それぞれ過去10年間の実績値の平均(マイナス0・2%、マイナス0・7%、1・5%)のまま推移し、実質経済成長率がマイナス1・2%の状態が続くと想定。このケースでは積立金が2031年度に底をつき、年金給付の財源が足りなくなることがわかった。 (読売新聞)


国民年金特別対策本部では、中長期的な目標納付率として80%を設定いるようだが国民年金の納付率は、04年度の63.6%から08年の61.1%と年々納付率の低下が止まらない。厚生年金もこれと関わっていて、各年金制度共通の基礎年金と、収入に応じて支給される報酬比例部分の2階建てとなっているが。基礎年金は国民年金を含む各制度から拠出金を受けており、国民年金保険料の納付率が下がれば、年金財政全体に影響を与える仕組みとなっている。年齢階級別で見ると、50歳代後半は8割近くが払っているが、20~24歳だと56%しか払っていない。特にこの年代は学生が多いので親の負担が掛かり、我が家もご多分にもれず2人の子供の分を4年間負担してきた。


経済的な理由以外で保険料を払わない人も増えている。それは年金制度や社会保険庁が信用できないとか、国民年金はあてにしていないことを理由に、保険料を払わないことらしいが、その背景には国民が支払う保険料をずさんな管理と、全国13か所にグリーンピアを作り、建設費約2,000億円、維持費や固定資産税を含めると約3,680億円を費したところに官僚たちが天下りし、赤字続きのグリーンピアが経営破綻しても、誰も責任をとらず、これらを全てまとめて48億円で叩き売ったり、国民が納めた年金まで横領した職員がいる醜悪な社会保険庁の姿を我々国民が目の当たりにしたからだろう。
すでに年金をもらい始めている我々はいいが、子供たちの未来の年金制度を考えると暗澹たる思いがするのは私だけではないだろう。