2009年4月11日土曜日

アートな話 「東西の天才」


先日、BS放送でルネサンス3大巨匠の光と影と言う番組を見た。3大巨匠とは絵を描く科学者レオナルドダビンチと絵を描く彫刻家ミケランジェロと画家のラファエロである。いずれも私が1986年にイタリアに旅をした時に、三者三様の作品を間の当たりに見た感動は今も思い出す。

放送では絵と彫刻の葛藤の中でライバルであったダビンチとミケランジェロは、お互いにそれぞれの絵と彫刻の優位性を主張している様が描かれているが、視覚芸術において絵画と彫刻の優位性を比べることに果たしてどれだけの意味があるのだろうか。優位性よりむしろ嗜好の問題である。


ダビンチ展は最近日本でも公開されたが、彼は理論モデルや地図、製図といった図的表現と、絵画作品のための構想図、素描、装飾図案といった美術的表現との間の各段階における、さまざまな視覚的表現をスケッチと言う手法で自在に用いている.
ダビンチが扱った数限りないモティーフのうちでも、初期の頃から晩年までほぼ継続して関心を抱き続けたのが「水」である。


画像ではトレコニルの急流を描いたものと対比して、片や日本の天才画家葛飾北斎の鳴門の急流を描いたものを載せてみたが、いずれも臨場感あふれる線描である。ダビンチは川、海、あるいは実験用の水路において水流を観察し、スケッチや記述によって表現し続けた。これらの表現を年代ごとに辿るなら、ダビンチによる、数十年にわたる水の表現の展開を知ることができる。水を初めとする諸対象の「運動」現象は、明らかにダビンチにとって、人体と同じく探求すべき最重要テーマであった。水はそれ自体に固有の形をもたず、ダビンチがその動きを視覚的に表現する仕方には、比較的判別しやすい描写法の展開が見られる。 39 歳頃の水流を表わすスケッチでは、何本も引かれた細い線によって水流が表わされており、一見実際の情景に近い写実的な表現とも見える特徴をもっている。

水が循環する地球と、血液が循環する人体、いずれも科学者の目からすれば興味あるもので、マクロコスモスとしての地球と、ミクロコスモスとしての人間はあらゆる森羅万象を描いた両者にとって語りつくせない永遠のモチーフでもある。水流のもととなる運動は、流れと打撃の他、落下、跳ね返りのときの入射運動と反射運動、渦などの種類に及んでいる。いずれも様式化されたような線描がつづく。

ダビンチは手記「絵画論」1436年の中で「光の入射角によって作られる角度が最も直角に近い時、最も明るい光が見られ、それが最も直角から離れた時、最も暗くなる」と記述している。科学者らしい記述である。
ダヴィンチも凄いが、北斎も凄い。事実90歳で没するまで花鳥画や美人画は勿論のことだが幽霊や古典物語を題材にしたもの、果ては気象の変化の様子まで森羅万象あらゆるものに興味を持ち克明にそして自在な筆で書き残していることはダヴィンチと似ている。

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