2009年1月22日木曜日

魚と日本文化



釣り師にとって年の終わりと年の初めは,納竿、初釣りと毎年慣例になっていて、納竿はアマダイを4匹。初釣りはカワハギ18匹とまずまずのスタートであった。我々が普段お世話になっているサカナは、古来日本人と深い関係にあり、神話に出てくる魚は神々の供物として珍重された。海とともに歴史を歩んできた日本文化の中に、サカナと人間とのかかわりを見出すことが出来る。

◎画像は国芳の「てっぽふづ」 現在の築地卸売市場の北側付近で、今では墨田川に面しているこの   場所は当時江戸湾奥の有名な釣り場であった。画面では馬鹿が3人描かれている。左には佃島が浮かんでいるが画面では見えない。

魚と言う字は古代はウヲ、イヲと読んだが、サカナの語源は「酒菜」で,もともと飯の副食物類をナと言い、その代表が食物の菜であった。酒を飲むのに、添えて食べる酒の肴の中で魚類が最も美味で酒によく合うので次第に肴は魚になり、サカナと言えば魚類のこととなったわけである。

かいつまんで言えば、生きて泳いでいるものをウオと呼び、食用にした場合にサカナと呼んだ。日本人が魚に強い関心を持っていたことは、魚についての漢字が多いことでもわかる。私の行きつけの寿司屋でもらった湯飲み茶碗には魚の名前がぎっしり書いてあるが、読めない字も多い。



日本人の魚介類の消費量は世界のダントツ1位であり、ヨーロッパの魚好きのフランスの2倍である。アメリカに至っては5倍にもなるそうだ。まさに日本人は魚食民族である。はるか縄文時代から我々の祖先は、現代人が想像する以上に、海へ出て漁をしただろうと想う。そのころから培った漁労文化は、今日まで連綿と続いている。万葉集にはカツオ釣りや鯛釣りの歌がある。「水之江の浦島の子が堅魚釣り、鯛釣り矜り7日まで家にも来ずて海界を過ぎて漕ぎゆくに、、、」



近頃世界中で海洋資源保護の動きが活発になり、マグロの漁獲高の制限が厳しくなった。その背景には中国人の巨大胃袋がマグロに目覚め、世界中が日本食に傾倒しだしたことにある。マグロが寿司屋から消えていくなどと騒ぎたてているが、養殖技術も進歩して、値段は高騰しても無くなることはあり得ない。もっとも全身トロの養殖マグロはあまり食いたいと思わないが。



魚と言うものは箸を使わないと食べにくいことから西洋人は魚との付き合いが薄い。
5世紀ごろに中国から渡ってきた箸は平安時代ごろに日本に定着して、同時期に渡来した匙(さじ)よりも多用してきた。また「箸(はし)」の形は中国と日本ではちょいと違い、日本人が一般的に使っている先端に向って細くなっている箸は片口箸(かたぐちばし)と言って、つまり片方(細くなっている方)のみを使う箸である。それに対して中国・韓国などの箸は両口箸(りょうぐちばし)と言って、両方とも使える箸(はし)である。ちなみにどうして日本人が片口箸を使う必要があったのかと言うと、肉食中心の中国などと違い、魚肉が中心の食事だったために、細かく骨を取り除いたりするのに必要だったのだと思われる。日本人が魚食民族と言われる所以である。





食文化の違いは恐ろしいもので同じ東アジア圏の韓国では、茶碗は持って食べてはダメで置いて食べる。汁類とご飯はスプーンで食べ、おかずは箸で食べることになっている。左右の手を使って軽々食事をする我々から見ると誠に不自由な様式である 。


いずれにせよ島国日本に住んでいる我々日本人にとって、海は我々に命をくれ、死後の我々を迎える魂の故郷でもある。

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