2009年1月10日土曜日

アートな話 色について



色とはいったい何なのか?この素朴な疑問は長年漆を塗っていると、たびたび湧き上がってくる。今回開催した喜彫会30周年展では、多くの色漆や技法を駆使したが、朱から始まっていろいろな顔料を混ぜた色漆、その調合しだいで変わっていく色調の多彩さは我々塗師屋を悩ませる。


画像は喜彫会30周年展(鎌倉芸術館)1月8日~12日



我々が何気なく塗っている漆黒と言われる漆の深い黒を出すのが非常に難しいと、以前ある大手の塗料メーカーの工場見学に行った時に、技術者が言っていた言葉が印象に残っている。
自動車などの工業用の塗装に使われるものだが、一般的に高級車は黒が多く使われており、これが何種類も見本を見せてもらったが、同じ黒でも何色もの違いがあるのに驚いた。彼らの言っていた理想の黒は漆黒であり、なかなか出せないとも言っていた。
漆においては、この色ほどほかの色を引き立てる色はないかもしれないが、その対極にある白色をきれいに出すのが難しい。漆のあめ色が邪魔をして純白は出せないので、卵殻などを使用することが多い。それは鎌倉彫とは一線を隔した蒔絵の世界であるが、女房は蒔絵がたいそう気に入っているようで、今回の展覧会で自分で塗り技法として多用している。
漆は同じ朱でも顔料の配合の割合、塗る時の温度湿度、漆と顔料を合わせて寝かせる期間においても色合いが違ってくる。我々は自分の色を出すのに日々苦戦している。色気違いになりそうな世界でもある。

さてこの色については、科学的な研究は意外と歴史が浅く、りんごが落ちるのを見て「万有引力」を説いた、かのニュートンが太陽光をプリズムで分光して、スペクトルを得たところからはじまっている。「光」そのものには色がなく電磁波の一種で人間の目では、その極めて狭い部分しか捕らえることができない。その狭い中に紫(波長が一番短い)から赤(波長が一番長い)など様々な、波長の違いを「色」と、感じているわけで、その波長の屈折角度の違いで黄色、緑、青などの諧調があらわれる。



これらの可視光線の波長を越えたところに赤外線 紫外線 があり、これらは見ることができない。
色の世界はまず、大きく、二つにわけられる。それは 『有彩色』と『無彩色』からなり無彩色とは白、黒、灰の彩りのない色。有彩色とは・・・その他、赤、青などの 彩りのある色である。色と言うのは心理的かつ情緒的なものであるが、桃山時代に象徴されるように、有彩色の極めつけは金である。それは色と言うより光そのものであり、蒔絵はもとより鎌倉彫の漆塗りにも多用される昨今である。

さて原始時代の色は、赤 から始まった。日本の原始時代、縄文から弥生へと、殆どの土器は土の色をしているが、縄文の後期くらいになると中には赤く塗られたものがあり、これは原始信仰に関係するといわれ、だいたい世界のどの地域でも共通している。赤色は火や血や太陽の色であり、魔を払う呪術に盛んに用いられたという。赤の強い色がひきおこす感覚的、精神的興奮が強い力と霊的、神秘的ものを感じさせたのであろう。






古来我が国において色に関わる呼称は日本独特の名前がある。
江戸時代は『四十八茶百鼠』(48種類の茶色、100種類の鼠色)といわれ茶色は当時の歌舞伎役者から流行った色で、梅幸茶、団十郎茶などの役者名がついており、江戸文化、美意識の粋の世界である。この町の色と対照的なのが田舎の藍染めの藍色であった。また鼠色、銀鼠、深川鼠、灰汁色、鈍色、素鼠、鉛色、利休鼠、鳩羽鼠、等々庶民は上手に微妙な色の違いを楽しんでいたようある。



 最近はやりの色のグラデーションも歴史をたどれば繧繝(うんげん)彩色と呼ばれ、インドに起こり中国で発達し奈良時代に日本へわたってきた。この手法は仏像ばかりでなく、器物の装飾や絵画の立体感を出すために使われた仏教美術の文様の彩色法で分かりやすく言うと、同系色の色彩の濃淡を暈(ぼか)しを入れず段階的に彩色することによって立体的効果を生み出す工夫で、時代と共に色の階調の明快さが、薄れいわゆる透明感のあるグラデーションが多くなっていく。

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