2015年4月11日土曜日

アートな話「ルネ.マグリット」


  国立新美術館入口風景  マグリット〔光の帝国Ⅱ」


昔好きだったルネ・マグリットの展覧会が六本木の国立新美術館で開催されていたので、懐かしさも手伝って見に行った。
マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである。この点は、夢や無意識の世界を描き出そうとした他のシュルレアリスムの画家とは異なっているが、マグリットの作品を見ていると、「言葉とイメージ」の問題が浮かび上がる。
それほど情緒言語や論理言語が入り混じる画題のタイトルの多様さに気付かされる。可視的な思考,すなわち眼に見えるかたちでの絵画的思考はマグリットの得意とするところだ。



「内-外」筆者20代の頃の作品 F100号

このイメージの魔術師に惚れて、私も20代の頃影響を受け日曜画家ながらシュールな絵を描いていた。遠い昔のことで正確な題名は覚えていないが、写真は私の連作「内ー外」の中の1作である。

意識下で流れる事象の類似性に着目したマグリットは、次のように述べている。「類似しているということは,思考だけの役目である。思考はそれが見たり聴いたり知ったりするところのものであることによって類似するのであり,世界が思考に差し出すところのものに生成する。」
マグリット的な思考は,それが見たり知ったりした,鳥のフォルムや《r8ve≫という文字に似ることによって,それらのイメージとなり,可視的な存在になる。つまり世界のどこにもない絵画作品に生成するのである。
類似は,直接的な認識を変更することなく,そうした認識へと生成する思考のことであり、だまし絵「トロンプ・ルイユ」のような描写における相似は,類似とは違う。現実をあるがままに模倣しようとする技術は,類似を実現する絵画でも必要ではあるが,類似の本質は技術的な精度の問題ではない。
類似であるような思考にとって不可欠な契機は,むしろインスピレーションという出来事である。日常的思考は思考様式に従属した思考であり、インスピレーションは日常的ではない出来事であり、思考が類似になるためには絶対に欠かせないものである。

表層意識において形象化された絵画は、平面に定着させたイメージに過ぎず、物としての実在ではない。我々が絵画を見るとき絶えず自分の視覚と画面との無言の対話をしている。
マグリットにおいては,芸術家の精神の領域に属する「類似」のほうに重心が置かれているが,それは「類似」が現実の事物間にある「相似」の関係を乗り越えた,超現実的な関係様式を指示する条件だからである。このマグリットの眼差しは、日常の表層世界の画一化された価値観や概念を否定する絵画的実践でもある。

◉ マグリット展 2015 3.25~6.29 国立新美術館 (東京 六本木)

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