2015年3月14日土曜日

アートな話「みちのくの仏像展」



偶像崇拝とは神のイメージを、形象具現化したもので、ほとんどの宗教が偶像崇拝を禁止している。それぞれの開祖、ユダヤ教モーセ、イスラム教マホメット、キリスト教のイエス。いずれも人間であり、選ばれた預言者でもあるが礼拝の対象にはなっていない。人間を神格化することは神への冒涜とされているが、キリスト教の場合イエスはただの預言者ではなく神の子とされ礼拝の対象になっている。イエスを通して神の姿を見ることができるとされている。すなわち受肉によって今まで見えなかったものが見えるもの(像)を通して認識することができると考えた。仏教の教えはは慈悲であり、キリスト教の教えは愛と言われている。では我が国の仏像はいかなるものか?最近東京国立博物館で開かれている「みちのくの仏像展」を見てきた。



仏の世界にはいろいろの仏がいる。多面性を持った仏の具現化され、人格化表現されたものが各種仏像であるが、おおむね以下のように4つのグループに分けられる。その大本となるのが釈尊(仏陀・ブッダ)の姿であり、釈迦の姿をモデルに取り入れたものが仏像である。

●阿弥陀如来や薬師如来、大日如来という如来のグループ。( 釈迦が悟りを開   いたあとの姿  髪 型渦巻)
●十一面観音菩薩、千手観音菩薩、地蔵菩薩という菩薩のグループ。(  釈迦が  修行中の王子だった頃の姿)
●不動明王、愛染明王という明王のグループ。( 如来が姿を変え(化身)人々を   救済する為に行動している姿
●四天王や十二神将、仁王という天部のグループ。(古代インドの神々が土台に   なっている)

日本に伝来している仏教には、現代まで続く四つの大きな流れがある。奈良仏教(南都六宗)、平安仏教(密教系)、鎌倉仏教(禅宗系)、その他の宗派(浄土宗、浄土真宗、日蓮宗)で、現在の日本では最後のその他の宗派が檀家的には多い。

その歴史を要約すると、9世紀の平安期になると最澄・空海が唐から密教をもたらし、 最澄が天台宗(比叡山)を、空海が真言宗(高野山)を興し、特に真言宗は性愛の歓びを肯定・賛美する新興宗教として朝廷から支持を得た。 密教は強大な力を誇り、後世の禅宗・浄土宗などのルーツとなる。このほか平安末期から鎌倉時代にかけて法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗が興り、次第に巨大勢力へと成長して行くことになる。いずれも民衆の救済を標榜し、民衆に広く浸透を図る点で、それまでの南都六宗や密教系宗派とは全く異質であり、仏像の印象もかなり異なってくる。

時代背景的には、近世までいつ果てるともなく続いてきた、戦乱や疫病と飢饉等々などで疲弊した人々は心の拠り所を必要としたが、仏教が伝来しても、肝心の経典に書かれた文字を読めるのは貴族や高僧など一部の特権階級だけで、大半の民衆には縁遠いものであった。お経が読めない人間でも、ひと目見ただけで御仏の慈悲や有難さが五臓六腑に伝わってくるものを作ろうと視覚に訴えること、すなわちそれが仏像をつくるきっかけだと思うし、仏師の心意気だったのかもしれない。
しかし我々、昭和平成と戦争も知らないまま生きてきた団塊の世代からすれば、取り立てて念ずるに至らない距離感を感じるところでもある。いわゆる仏にすがる切実さは湧いてこないのが実感だろうか。

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