2014年9月28日日曜日

アートな話「横浜トリエンナーレ2014」


「華氏 451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」という展覧会タイトルのもと、世界各国から65組79名のアーティストによる400点以上の作品が選定された今回の横浜トリエンナーレ2014を観た。
主催者が主眼とする2つのキーワード、すなわち華氏451(摂氏232)は紙が自然発火するとされる温度のことであり、いわゆる“焚書”がテーマとなった小説で、電波が生活の中心となり、本を持つことが禁じられた近未来の情報管理社会の世界が描かれているレイ.ブラッドベリの小説のストーリーのテーマである本を芸術に置き換えたものとみられる。

トリエンナーレでは「華氏451はいかに芸術にあらわれたか」というコーナーが設けられ、第二次大戦中に文学者や芸術家が書いた文章が資料展示してある。北原白秋や西条八十、高村光太郎、瀧口修造などが戦争礼賛を書いている。、結果としてそれらは戦意を煽り、戦争の熱狂へと国民を駆り立てていった。これらの資料展示されている文献は、戦後刊行された全集には収録されずに「忘却」されたものであることも付記してある。
  

マイケルランディー<アートビン>

もう一つのキーワードは忘却で、いずれも破棄消去への道が待っているが、思考停止の前にもう一度大事なものを取り戻そうといったメッセージが込められている。
最初のエントランスでいきなり面食らったのは、マイケルランディーのインスタレーション(展示 空間全体を使った3次元的表現)の大きなゴミ箱「アート.ビン」で、創造の影の部分として発生する事物や概念の破壊や廃棄をする場としてのゴミ箱が物として存在していた。真っ先にPC上の仮想空間におけるゴミ箱が浮かび、「さながら忘却の海か!」とつぶやいた。
現代社会は「情報の海」が世界の中心に存在し、今回のトリエンナーレでは、その裏に潜む「忘却の海」に観る者を誘い、記憶や記録から消え去った大事な「忘れ物」に思いを馳せ、これを様々な方法で気づかせてくれる作品に注目する趣旨の展覧会となっている。3年前の大震災のあった年に開かれた前回のトリエンナーレよりもコンセプトが明確であった。


大竹伸朗<網膜屋/記憶濾過小屋>

会場を見た限りでは、今という時間軸が近未来に忘却の彼方に葬り去られていく事への危惧を提示しているように思える。すなわち移ろいやすい現在は、過去に向かって溶解していくのと同時に近未来に向かって歩を進める。その際無数の忘却の海の中に我々は大事なものを忘れてはいないだろうかと立ち止まり、過去の事象を現在の時間軸の中で、いろいろな表現手段を用いて提示していく。あたかも芸術の語り部のように序章から始まり、1話から11話で完結する。
中でも印象に残った作品が11話の新港ピアの会場にあった大竹伸朗の網膜屋/記憶濾過小屋が個人的な歴史に刻まれた残存物の集積場のような見世物小屋仕立てで、絶妙の空間を楽しませてもらった。
タリン・サイモンの<死亡宣告された生者>と釜ヶ崎芸術大学<漂流する教室にであう>


今回は経時変化、人の行為の軌跡、メディア(ラジオ、テレビ、本)をモチーフとした作品がごった煮のように多かった。タリン・サイモンの《死亡宣告された生者、その他の章XVIII》のように、ウクライナの児童養護施設の入所者達との説明がなければ分からない作品も多く、中には今回トリエンナーレのアートディレクター森村泰昌とかかわりのあるNPO主催の釜ヶ崎芸術大学のコーナーもそのまんまで分かり易く対照的なものもあった。横浜発現代アートの国際展と銘打っているがトリエンナーレも一種の祭りである。


◆ ヨコハマトリエンナーレ 2014  横浜美術館~新港ピア

                     会期 8/1~11/3

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