2014年4月1日火曜日

アートな話「世紀の日本画展」



3月も終わりになって、上野の東京都美術館で開かれている日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』を見に行った。3月の終わりでいつもなら花見客で賑わう公園内であるが、さすがに荒天の雨の中では花見の宴席はガラガラで、傘をさして一杯やっている小人数の団体が2組いただけで、あとは雨の花見客が大勢そぞろ歩きをしていた。

いわゆる院展は日本画の展覧会で、前半後半の2部に分かれ、今回は後半の展示を見にカミさんと雨の中出かけた次第である。会場はテーマ別にコーナーが設けられ、歴史や花に鳥、また風景や幻想などを1章から7章まで展示されていた。会場の多くは再興院展の馴染みの画家の作品が並んでいて、いまだ存命の作家の作品も展示され、時系列での展開ではないが、作品を通して院展100年の歴史が概観できるようになっていた。主に国公立の博物館や美術館から集められた日本画。見慣れた作品も少なくなかったが総じて大作揃いで、一定の見応えはあった。心に残った作品を2点あげると,

 小野田尚之 くつおと 1996年

 私は具象と抽象のはざまに位置するこのような作品が好きで、(第5章の風景の中で)の会場にあった小野田尚之 くつおと が院展の中でも斬新さを感じさせた。この絵は、今は使われていない京成線「博物館動物園」駅を描いた絵で、1997年まで営業していたという地下駅で、私も大学時代下宿していた京成お花茶屋にいたころ何度か利用した記憶がある。この駅は老朽化や乗降客数の減少に伴い、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止になったそうだ。廃止後も駅舎やホームは現存するらしいが見たこともなく、遠い記憶の中に閉じこもったままである。
駅の正面をとらえたこの絵は、ただ過去の情景を思いだすというだけでなく、今の時間も広がってくる仮想空間が、博物館という駅名の入り口とも出口ともいえないところから亡霊のように浮かび上がってくる心象風景。ありふれたなつかしさに流されてしまうなかで、画面中央の下階から上がってくる二人の人物ととすれ違いそうな錯覚を感じ、過去から湧き上がってくるような幻想的な空気感に包まれ。得体のしれない駅がぽっかり口を開けて待っている画面はシュールな感じが立ち込める。
美術館を出た後日本橋に向かうため、過去の淡い記憶を頼りに地下鉄を探し、確かこの辺にあったと思いつつ、芸大の前あたりをうろついていたら地下鉄と京成線の地下駅を混同していたことに気づいたのはシャッターの降りた今は面影もない駅の入り口で、まるで迷路に迷ったようにあたりを徘徊し、JR上野駅まで歩き、ようやく地下鉄に乗れた次第である。


平櫛田中 •禾山笑
•1914年(大正3年)


 愛媛県にある 江西山大法寺18代和尚 臨済宗師家臨済宗での最高峰にある老師として日本中に鳴り響いていた禅師西山禾山老師(1837~1917)を彫った木像作品で、芸大所蔵の木彫であり、これを型どりしたブロンズ像が、田中美術館(岡山県)に所蔵されているそうだ。
いすに腰かけ両ひじをはって後ろにのけぞりながら、大口を開けて大笑するポーズで、和尚の豪放らいらくな風格がしのばれる面白い作品であった。作者の平櫛田中は107歳まで生きた彫刻家で満百歳の誕生日を前に、30年分の材料を買い込んだと言われる。「六十・七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」とは本人の弁。これを聞いた横溝正史は「田中さんには及びもないが、せめてなりたやクリスティ」と詠んだ。という逸話の持ち主である。

会期 4月1日まで 東京都美術館

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