メバルの老成魚 |
一般的に言って、動物は経験を通じて累積的に学んでゆく傾向を持っており、したがって老成した個体は通常もっとも老獪で賢い動物である。魚にしても老成したもの(大物)は警戒心も強く、やすやすと釣り人の手にはかからない。釣りをやってきて、折に触れそういう場面によく遭遇した。すなわち修羅場を潜り抜けてきた大物ほどアタリが小さいため、注意深く事前に対処しなければ、違和感を覚えられたときに餌を吐き出すことがよくあるからだ。まことに逃がした魚は大きいとは、つり人の語り草である。
ところが人間にあっては、自分と世界の間には象徴と言語とが介在してくるために、世界を誤って解釈することがおき、しかもこの誤った解釈が先入観となり固執することが多いので、したがって老人かならずしも賢い人とは言えないことになる。人は多くの場面で仮説を立て、検証を繰り返す。わからないから、あれこれと想像力を膨らませ、あらゆるモデルを動員する。その中のいくつかのものは、繰り返し検証され、その確かさが確認され、「知識」となる。特に科学の世界では検証に次ぐ検証の結果、精緻な結果と確信が得られるのであろう。あくまでも結果を想定してのプロセスの不明瞭さは馴染まず、今回のSTAP細胞に対する発見への信憑性が揺らいでいるわけだ。
毎日新聞 |
愛犬ラッキー |
我が家の老犬ラッキーも、今年の10月で10歳になる。飼い主との言葉のキャッチボールは出来なくても、感情のキャッチボールは出来ており、喜怒哀楽も激しい。自分(犬)の好きな言葉には特に目を輝かせて答えてくれるし、自分の都合の悪い時は顔をそむけて横目でこっちを見たりする。私より犬を面倒みているカミさんの話では、他の犬をかまっていると嫉妬をし、たいそうな剣幕になるらしい。他の犬と遊んでいても、チラッと見て飼い主の位置を必ず確認している。
犬も賢くなって普段から飼い主を観察しており、だれが主人かを認識しており、ただ横になってるだけじゃなく、人間観察しながら寝転んでいるわけだ。我々が出かける時など、カミさんは犬に子供に接するように話しかけるが、言葉を理解しているわけではなく、発音の仕方や仕草、視線、表情、身体の動き、声のトーン、などを総合的に判断して、いわゆる空気を読んでいるのだ。犬とのコミニケーションが濃密なカミさんの姿が見えないと悲しそうな声を発し、まるで子供のようで自分を犬と思っていないようである。小型犬の寿命は15年ほどだが、犬も老犬になるとボケるらしく、犬仲間の話では足腰が弱り、食欲もなく昼夜を間違え無駄吠えして寝たり起きたりの犬がかわいそうになって、世話になっている獣医と犬のそばで安楽死の話をしていたら、寝ていた犬が突然起きはじめ餌を食べだしたという。この犬も何か嫌な気配を感じたのだろうか。(笑い)
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