2013年1月14日月曜日

アートな話「埋め草」

茘枝雀文丸盆 江戸時代模刻

【埋め草】という概念

一般的にうめくさ(埋め草)という言葉は、空いたところや、欠けた部分を埋め補うものとして、雑誌・新聞などの余白を埋めるために使う短い記事としての「―原稿」などと辞書には載っているが、本来は 城攻めのとき、堀や溝を埋めるために用いる草やその他の雑物のことを言っていた。
アートの世界では余白や間を埋めるものとして、空間処理の便法として表現されるものである。(筆者の過去ログ「間について」参照)

図案における余白と埋草は、鎌倉彫の場合特に薬研彫りにおいて、絵を取り囲む空間において、他の余白よりも不自然に大きくバランスを崩す場合は、捨石のようなものを作ることで全体のバランスをとっている。写真の赤い部分がそれにあたる。絵としてはなんの意味もないものであるが、空間処理の便法として度々使われる。
花鳥風月を図案化した場合、花を例に取ると余白の多い図案は風景的(絵画的)になり、充填構図で余白を嫌う便法として埋草を空いた余白に埋めていけば、その図案はデザイン的になる。
日本人の感性に照らすと、水を抜いて水を感じさせる枯山水という日本庭園や、墨の色を感じさせるための水墨画の余白など、埋め草の反対概念として浮かび上がるこれらの創造意図は、余すところなく充填してしまったり、あるいはすべてを描き尽くす絵やデザインとは対極のところにある。


国宝<待庵>京都と黄金茶室<復元>金沢市
余分なものを削ぎ落としたところにあるのが、わび、さび、もののあわれ、うつろいの日本独特の文化である。豪奢な茶室を作った秀吉に切腹を命ぜられた千利休の質素な茶室は、何を物語っているのだろうか?すべてを手に入れた権力者が常に不足感に苛まれて金の茶室を作らせた者と、心の充足を保った一介の茶人が、余計なものを削ぎ落として行く引き算の文化を具現化した者とのあいだには、常に満たされた者と満たされぬ者との相克が浮かび上がってくる。
時の権力者は心の隙間を埋めるためあらゆる手段を使って埋め草を手に入れようとする。歴史の異物として残る秀吉の茶室は彼自身の埋め草だったのかもしれない。

利休が設計した二畳敷の小さな茶室『待庵(たいあん)』(国宝)は、限界まで無駄を削ぎ落とした究極の茶室。利休が考案した入口(にじり口)は、間口が狭いうえに低位置にあり、いったん頭を下げて這うような形にならないと中に入れない。それは天下人となった秀吉も同じだ。しかも武士の魂である刀を外さねばつっかえてくぐれない。つまり、一度茶室に入れば人間の身分に上下はなく、茶室という小宇宙の中で「平等の存在」になるということだ。このように、茶の湯に関しては秀吉といえども利休に従うしかなかった。
・「世の中に茶飲む人は多けれど 茶の道を知らぬは 茶にぞ飲まるる(茶の道を知らねば茶に飲まれる)」(利休)
今の世界を見ていると、引き算の日本文化が必要な時代である気がしてならない。すなわち必要以上の埋め草はいらないということである。国も人間個人も強欲の果にあるのは退廃である。

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