2012年12月28日金曜日

アートな話「モノづくりの鍵」


温故知新は、『論語(為政篇)』の出典によるもので古いものをたずね求めて新しい 事柄を知る意から、すなわち古を知る=意識化するというのは、実は今を知る=意識化することにほかならないことであり、我々創作現場でも古典から学ぶことは多い。工芸デザインにおいてもモノの形の進化は現状の欠陥に気づくことからはじまる。産業の技術革新も数多くの失敗(過去の経験)からイノベーションがはじまった。
「本当の意味でモノの形を決めるのは、ある働きを期待して使ったときに感知される現実の欠陥にほかならない。」とは、米国の工学者ヘンリー・ペトロスキーが『フォークの歯はなぜ四本になったか』でいった言葉である。


モノづくりにおいて、創造性に大いに関係するのが抽象化能力である。抽象とは事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。 (三省堂大辞林)

観察した自然を切り取る。体験した場のエッセンスを抜き出す。味わったアートの良さを引き出す。こうしたことを行うには、自分が観たもの、体験したものから特定の要素を抽象化する力が必要になってくる。つまり、自然を観て絵を描く。体験したことを元に文章を書く。作品の制作に当たる。こうした創造的活動には、抽象化の力が不可欠になってくる。
抽象化には、まず自分が実際に観たり触れたりする現実の文脈から要素を抜き出せないといけない。要素を抜き出し、必要な要素だけに単純化し、単純な要素だけで事象を組み立てる力が抽象化でもある。一般的には、ある「モノ」が空間上の位置を欠いているとき、またそのときだけにそれが抽象的であるといわれる。

 
カンジンスキー 連続
絵画の世界では、カンジンスキ-がある日部屋の片隅で、不思議に魅力あるものを見かけたが、良く見るとそれは自分の絵が横向きに置かれていただけのことであった。彼は、その時発見した。絵画は現実にあるものだけをを模写する必要はない。全く自由に描けばよいといい、これが抽象画の始まりと伝えられ、彼は抽象画の先駆者になった。
いわゆるアブストラクト(抽象美術)は、1910年ごろから興った芸術思想で、「外界の形象を借りて表現するよりも、外界から抽出した線や面を造形要素とし、あるいは色彩自体の表現力を追求してこれを造形的な作品に構成するもの」だという。ロシヤ生まれのカンジンスキ-は、物ではなく、音楽のような目に見えないものも描いている。これは色や形ばかりでなく、対象からも自由になったといえるだろう。


人は概ねイメ-ジで思考することが多い。言葉だけが浮かんで、イメ-ジが浮かばないときは思考が停止するが、イメ-ジが先に浮かぶと仕事は速い。
作ることと見ることは、車の両輪 のようなものだ。良い作品を見ることにより眼の力は鍛えられていく。眼で見ることのできないものは、かたちにできない。作る技術はあっても、あるべきかたちをイメージする力がなければ、そのかたちを作ることはできない。
手の暴走、過剰な加飾の誘惑を抑制するのが目の力でもある。作品を通じて何が人を気持ちよくさせるのか、何が人を幸せな気持ちにさせるのか。
そういう意味での作品(もの)の良さを知らなければ、ちゃんとしたものづくりにはならないのではないか。それには多くのものを見て、さらにそのさまざまなものが人の感情をどう動かし、暮らしのなかの行動にどう影響するのかということを想像するための眼の力を鍛えておく必要があると思う。それが個々の感性につながることでもある。

デザインを考える場合、色や形をそのほか物に求められる機能や使い勝手や耐久性や安全性など、それぞれの属性を切り離すことなく包括的に捉えなければ良いデザインは生まれてこない。人の心に愛着やぬくもりやときめきや懐かしさや楽しさなどを感じさせる色々な要素が、デザインの裏には潜んでいて、それらの要素がデザインを豊かにする。
柳宗悦が『工藝の道』で、「用」をもたない物は生命を持たない物といっているが、その場合の「用」は単に物的用という意味では決してなく、心の「用」に適うものではなくてはいけないのである。つまり「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である」と言及している。

今年も忙しさにかまけて、当ブログもあまり頻繁には書けませんが、ご高覧の皆様には良いお年を。 (わいは猫じゃー Y CAT)

2012年12月20日木曜日

あとの祭り(選挙)


国政を決める総選挙で、自民党は解散時の118議席から2.5倍の単独で過半数以上の292議席を得た。連立を組む公明(30)と合わせれば、322議席。三分の2は320であるから、参議院が過半数でなく、反対があっても全部の法案が通ることになる。一方の民主党は57議席の惨敗に終わった。

前回は民主党に投票した無党派層が、多少は自民党に流れたものの、維新、みんな、未来に、分散したことがうかがえる。前回の選挙で掲げたマニフェストの内容をことごとく反古にし、全くなかった消費税増税法案を成立させたことや、外交上のさまざまな失態など、初めての与党経験者が多かったとはいえ、お粗末な内部統制の取れない政権運営を続けた民主党に対し、有権者がNOを突きつけた結果の自民党勝利だと思う。
実際多くの選挙区で、第3極同士の政党が競合し票が割れたため、共食いの結果として自民党が勝ったという選挙区も少なくなかったようで、複数の第3極の候補者の得票数を合計すると、勝利した自民候補者の得票数を上回る例も相当数あったようだ。野田首相の思惑の一つでもあった第3極間の連携の準備が整わないうちに仕掛けた解散総選挙が、民主党の壊滅と自民党の快勝につながった。

世代別投票率の推移


報道によると今回の総選挙の投票率は59.32%。衆院選では戦後最低だという。低投票率の場合、有力な支持母体を持つ政党が有利となるため、自民・公明の勝利へとつながったのだろう。
それまで投票率の最低は1996年で、ちょうど小選挙区制がスタートした最初だった。一つの選挙区に当選者は一人だから死に票が多くなり、投票にいってもしょうがないやと思う人が多く、それ以前に、小選挙区だから立候補しても3番手4番手の党だから、当選する見込みがないとあきらめて立候補しなくなった。それで投票する人も少なくなって投票率が下がったと考えられる。
かつて自民党の森総理が無党派は寝ていて欲しいとの賜ったこともあり、国難のこの時期に国民の投票率が戦後最低とはどうなっているのかこの国は?選挙制度にも問題有りと言わざるを得ない。
早くからマスコミによる自公優勢との報道がなされ、しかも、多党乱立状態での選挙突入となったため、「どうせ今回は自公政権なんだろう」とか、「党が多すぎて、どこに入れたらいいか分からない」という有権者の思いが、結果として低投票率になったことも考えられるだろう。


また問題になっている「1票の格差」が最大2・3倍だった前回衆院選について、最高裁は昨年3月、小選挙区の定数を各都道府県にまず1議席ずつ配分して、残りを人口比で割り振る「1人別枠方式」が格差を生む原因だと指摘し、同方式の廃止を求めた。これを受け、同方式の廃止と格差を是正する「0増5減」を盛り込んだ選挙制度改革法が、衆院解散した11月16日に成立した。
しかし、区割りを見直す時間はなく、衆院選は違憲状態のまま行われ、最大格差も2・43倍に拡大した。また読売新聞によると「1票の格差」違憲状態で衆院選無効…一斉提訴. 最高裁が「違憲状態」とした選挙 区割りのまま行われた今回の衆院選は違憲だとして、二つの弁護士グループが17日、 27選挙区の選挙無効(やり直し)を求めて全国の8高裁・6支部に一斉提訴したが後の祭りだった。



  

  

2012年12月12日水曜日

日本のインフラ


最近読んだ本に「日本文明世界最強の秘密」増田悦佐著がある。「日本はもうダメだ」という悲観論のマインドコントロールから日本人を救い出す画期的論考!閉塞感漂う現代日本に一筋の光明が差すような本でもある。                                                 
「その国の経済発展を支えるものは強固で効率的な交通網(車より鉄道社会を守り抜いた日本の大首都圏のインフラ)であり、我が国が21世紀を通じて先進国の中では一番経済的パフォーマンスを繰り広げている。戦後の荒廃から脱却し1970年代までの日本経済の高度成長を支えたものは、世界一のエネルギー変換効率で、車よりもネットワーク性が高く、大量に人を運ぶインフラである鉄道網が東京、大阪といった二大都市圏に張り巡らされて、世界一急速に都市化が進んだにもかかわらず、交通渋滞による大都市圏の経済効率が下がることもなかった。」

競争力は何によってきまるのか、との命題から考え始め、原材料、技術、労働力、エネルギーの要素は移転可能だから、決め手にはならず、一番大事なのはインフラだとする。ここでインフラというのは、人間を大量に集積する都市が有利であることであり、特に人口を集められるのは鉄道中心の都市であるとする。結果、東京や大阪など鉄道中心の都市がある日本は他の国に対して競争の上で優位に立っているという、増田理論の結論が出てくる。

また本書ではこう続ける、鉄道を発明したのはイギリス人だが、鉄道網を発明したのは日本人だと。実際欧米諸国の鉄道はターミナル駅はそこから乗り換えするのに非常に不便な位置に有り、日本のようにターミナル駅が通過駅としての機能を併せ持ち、そのため同じ駅内で乗り換えがスムーズに行われて、時間のロスがなく、時刻の正確さはこの上ない。しかも駅の中ではショッピングモールを組み込んだ多機能な空間が存在する。この利便性は他国の追随を許さない。

世界最大の乗降客数を誇る新宿駅でも、山手線、中央線、京王線、小田急線、地下鉄各線が同じ構内に集中している。そのため欧米では貧乏人以外は不便な鉄道をさけ、通勤は圧倒的に車に頼る車社会で、一度に大量輸送が可能な鉄道に比べエネルギー効率が非常に悪いのである。日本では旅客は鉄道、足のない貨物は車と概ね棲み分けられている。そのため日本では旅客では世界一鉄道依存度が高く、貨物では世界一鉄道依存度が低い。よって道路を走行する自動車に占める業務用車両の比率が高くなっている日本では交通量の増加はほぼストレートに経済活動の拡大を意味する。

中央道笹子トンネル事故
ただ我々も荷物が多い遠出には車を使い、少ない遠出には鉄道または飛行機を使ったり、旅行先で荷物が増えたら宅急便を使ったりと、選択肢は多い。田舎を走ってみて気づくことであるが、大都市圏の利便性がない地方の移動手段は圧倒的に車である。それも一家に一人1台の軽自動車の多いことか。とにかく軽自動車が多いのが目に付く。ただ今回報道を賑わした中央道の笹子トンネル事故は、時々利用する者として穏やかでない話である。

笹子トンネルは、今から約37年前の1975年に完成し、77年から使用されており、まだわが国が高成長の真っただ中にある時期に使われ始めた。笹子トンネルがある中央自動車道は、わが国の中心である東京と山梨や長野、さらには兵庫県西宮を結ぶ幹線道路の1つとして、わが国経済の動脈としての役割を果たしてきた。
そして老朽化していた笹子トンネルの事故は、9人の尊い命を奪った。現在、同様の問題を引き起こす可能性のある危険度の高いトンネルは全国で49カ所あるとも言われ、その点検が急がれている。直近では首都高羽田トンネルもボルトの脱落を指摘されている。
そしてこの事故を受けて,各党代表は,インフラのメンテナンスの重要性を訴えるに至っている。言うまでもなく高度成長期につくられた道路、トンネル、橋梁などのインフラの多くがこれから大量に寿命を向かえる。時代錯誤の無駄な新規大型公共事業復活の前に、過去のインフラのメンテナンスが最優先されるべきだろう。
そのためにはデフレ不況の今,増税をしたところで不況が深刻化する以上,なんとしてでも「経済成長」をはたして財源を確保して,抜本的な「インフラのメンテナンス事業」に政府として取り組んでいく事が不可欠だと思う。

2012年12月1日土曜日

日本海クルマ紀行

Hacoaの工場

昨日かみさんと日本海の旅から帰ってきた。93才の親父の世話に明け暮れるかみさんの日頃の労をねぎらって、たまたま一人暮らしの息子が親父のお守りをしてくれて、かみさんの還暦祝いに旅費まで出してくれた勢いで、福井と京都城崎の2泊3日の旅に出かけた。
初日は京都から福知山線に乗り換え、西舞鶴からレンタカーを借り鯖江市にある越前漆器の漆の里を見学し、紹介された木地師の山口さんの工場を見学した。Hacoaという業界では大手の工場の社長でもある山口さんは、伝統工芸士でもあり、ご多分に漏れず越前漆器の現状は厳しい状況で、大きい品物があまり動かないと話しておられた。それを裏付けるように近代的な設備の大きな工場も機械音が止まっており閑散としていた。しかし業界の若手を中心に時代のニーズにあった小物の商品開発に取り組んでいるのがショールームから伺えた。
もう一件紹介されたところは留守だったので、時間も限られていたので4時半頃鯖江を後にした。
原発銀座 福井

北陸道を通り敦賀インターから原発銀座の若狭湾の海岸線を走り、初日の三方五湖から突き出た常神半島の先端近くの旅館についたのは7時の夕食時間だった。カニ三昧とアオリイカの活き造りや寒ブリの刺身などとても二人では食べきれず、残った越前カニは道中の酒の肴に土産にもらった。


三方五湖
翌日三方五湖を眺望できる展望台に登り、自然豊かな福井のリアス式海岸の雄大な景色を楽しんだが、一方でこの素晴らしい自然が原発銀座に囲まれたど真ん中にあることを思うと福島が頭をよぎり、複雑な思いがこみ上げてきた。まさに日本の核エネルギーは綱渡りである
地図上の赤マルが我々のいた三方五湖の位置で、黒丸はもんじゅ、敦賀、美浜,大飯、高浜の各原発の位置。そして今、敦賀原発は地下を通る活断層の調査結果次第ではその存続が危ぶまれている。

福井を通って近隣の町や農村風景を見たところ、過疎化に残されたこれらの土地は、京阪神地域からの工場誘致もままならないまま、これといった産業も育たない中で、原発誘致で町おこし村おこしをやってきたのだろうが、ここに来て地域の大きな雇用の受け皿としての他府県にはない多くの原発も、岐路に立たされている。実際問題、多くの原発が止まっている状況下で、従来の火力発電はコストの面で多少は高くはなっているものの、電力側が誇大宣伝しているほど電力の供給は逼迫していないのである。枝野経済産業相は30日の閣議後記者会見で、関西電力や九州電力の電気料金値上げ申請に関連し、「元々、(電気料金は)おかしなくらい安すぎた」との見解を示したが、世界一高い電気料金を棚に上げよく言えたものである。まるで原子力でないとどんどん値上げをするぞとばかりに。

このようにたとえ多くの既得権益側の原子力村や、官僚、政治家などの抵抗が強く働いたとしても、国民の総意としてこの豊かな自然の日本を守るためにも、日本人の知恵で代替えエネルギーの開発に、総力を挙げてもらいたいものである。

城崎温泉

福井を後に次の目的地城崎温泉は、かみさんが独身の頃読んだ志賀直哉の小説の城崎温泉に憧れていて、是非とも行ってみたいと言われていたのでお供した。天橋立を通り、京丹後を抜け、城崎のホテルに着いたのは3時を過ぎた頃で、それから温泉街に繰り出し、外湯を5軒ほど廻り、湯あたり寸前で終わりにした。その後は温泉街の酒処を2軒まわり、その日はホテルで昨日のカニで一杯やって朝までぐっすり寝こんでしまった。
川のある街は風情があっていいものだ。城崎温泉も大小の川に挟まれてたたずんでいて、温泉街を流れる川は水がきれいで、川に沿って一面柳の木が生い茂っている。
9時にホテルを後にし福知山のトヨタに車を返したのは11時頃で、走行距離は交代で運転しても511km走っていたことになる。そろそろ旅の疲れが出てきたので筆を置くことにする。