2014年4月29日火曜日

カルトの災い

沈没船セウォル号とオーナーの兪炳彦(ユ・ビョンオン)

連日報道をにぎわしている沈没船セウォル号だが、時の首相が辞めたり、韓国人の喧々諤々の怒号や、我が国は三流国家などの自嘲めいたメディア報道を見ていると、集団ヒステリーの韓国の異様さが目に付く。
日本の都都逸に「恋に憧(こ)がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす」というのがあるが、近頃は、鳴く蝉ばかりが増えて喧しい。10日以上も現地で子供を待ち憧がれる親たちは船会社や政府をののしり続ける。韓国・朝鮮日報など複数のメディアは、沈没した「セウォル号」を保有する清海鎮海運が、キリスト系の宗教団体と関連があることが明らかになったと指摘し、実質オーナーの兪炳彦(ユ・ビョンオン)がこのカルト教団の代表であることと、イ・ジュンソク船長を含む、清海鎮海運の社員の9割がキリスト教福音浸礼会(別名:救援派=クウォンパ)の中心信徒だと報じた。
このカルト教団には「人を殺しても罪にはあたらない」という教義や「現金を私たちに捧げなさい」「現金を払えば、罪を犯しても罪にならない。」などふざけた教義が表沙汰になっている。そして
基準の3倍以上の過積載と安全を無視した利益優先の教団船は暴走沈没した。

韓国政府は慌てて実質オーナーの兪炳彦(ユ・ビョンオン)氏の関連企業など関係先約10カ所の家宅捜索に着手。系列会社13カ所の役員約30人を出国禁止処分とした。捜索先には兪氏が関与する宗教団体も含まれている。この宗教団体について韓国の中央日報(電子版)は、団体幹部が清海鎮海運をはじめ兪氏が出資する複数の企業の幹部を兼任していると報じている。しかし在日のこのオーナーは逃げ足が速いのか、政府を巻き込む弱みを握っているので逃がされたのかはわからないが、出獄禁止命令が出る前に高跳びしたようだ。
悪知恵の働くこのオーナーは、今回の事故にかかわるパソコン内の関連データを差し押さえの前に初期化されていたことや、過去の航海158回のうち157回で貨物の過積載が記録されていることも分かった。


特定の指導者への帰依を過度に強調することは、あらゆる宗教が陥りやすい誤りであり、そこに金が絡むとなおさらである。同じ韓国の統一教会しかり、日本のオウム真理教しかりである。日本ではあまり危機感を持たれていないが、創価学会の池田会長も在日朝鮮人成太作(ソンテチャク)であり、現在、創価学会は、フランス、ドイツ、オーストリア、ベルギー、チリの5カ国で「カルト(セクト)指定」されている(その他米議会下院でも指定)。
朝鮮人の成太作(ソン・テチャク、池田大作)率いる創価学会は、公明党を活用して、日本の政治に大きな影響力を及ぼしている。在日の多い公明党は、在日朝鮮人に選挙権をあたえるための  外国人参政権法案 に執着しており、 過去に29回も国会に提示し、すべて廃案させられている。 政教分離の日本の立場からは要注意の政党と言える。中国や韓国といった厄介な隣人が、これを手に入れた時を考えると背筋の寒さを覚えるのは日本人の多くであろう。



2014年4月12日土曜日

老成



メバルの老成魚

一般的に言って、動物は経験を通じて累積的に学んでゆく傾向を持っており、したがって老成した個体は通常もっとも老獪で賢い動物である。魚にしても老成したもの(大物)は警戒心も強く、やすやすと釣り人の手にはかからない。釣りをやってきて、折に触れそういう場面によく遭遇した。すなわち修羅場を潜り抜けてきた大物ほどアタリが小さいため、注意深く事前に対処しなければ、違和感を覚えられたときに餌を吐き出すことがよくあるからだ。まことに逃がした魚は大きいとは、つり人の語り草である。

ところが人間にあっては、自分と世界の間には象徴と言語とが介在してくるために、世界を誤って解釈することがおき、しかもこの誤った解釈が先入観となり固執することが多いので、したがって老人かならずしも賢い人とは言えないことになる。人は多くの場面で仮説を立て、検証を繰り返す。わからないから、あれこれと想像力を膨らませ、あらゆるモデルを動員する。その中のいくつかのものは、繰り返し検証され、その確かさが確認され、「知識」となる。特に科学の世界では検証に次ぐ検証の結果、精緻な結果と確信が得られるのであろう。あくまでも結果を想定してのプロセスの不明瞭さは馴染まず、今回のSTAP細胞に対する発見への信憑性が揺らいでいるわけだ。

毎日新聞
はたしてSTAP細胞は神話だったのだろうか?神話は説明のつかないものを説明するための仮説であり、検証不能な仮説をいう。基本的に誰でも提起できるものであり、新しい神話は常に作られる可能性を持っている。若い研究者は組織の老人たちに反論したが、STAP細胞の存在証明は不明で多くの国民が半信半疑のまま成り行きを見守っている。若くして老成しないことを願いつつ。






愛犬ラッキー


我が家の老犬ラッキーも、今年の10月で10歳になる。飼い主との言葉のキャッチボールは出来なくても、感情のキャッチボールは出来ており、喜怒哀楽も激しい。自分(犬)の好きな言葉には特に目を輝かせて答えてくれるし、自分の都合の悪い時は顔をそむけて横目でこっちを見たりする。私より犬を面倒みているカミさんの話では、他の犬をかまっていると嫉妬をし、たいそうな剣幕になるらしい。他の犬と遊んでいても、チラッと見て飼い主の位置を必ず確認している。
犬も賢くなって普段から飼い主を観察しており、だれが主人かを認識しており、ただ横になってるだけじゃなく、人間観察しながら寝転んでいるわけだ。我々が出かける時など、カミさんは犬に子供に接するように話しかけるが、言葉を理解しているわけではなく、発音の仕方や仕草、視線、表情、身体の動き、声のトーン、などを総合的に判断して、いわゆる空気を読んでいるのだ。犬とのコミニケーションが濃密なカミさんの姿が見えないと悲しそうな声を発し、まるで子供のようで自分を犬と思っていないようである。小型犬の寿命は15年ほどだが、犬も老犬になるとボケるらしく、犬仲間の話では足腰が弱り、食欲もなく昼夜を間違え無駄吠えして寝たり起きたりの犬がかわいそうになって、世話になっている獣医と犬のそばで安楽死の話をしていたら、寝ていた犬が突然起きはじめ餌を食べだしたという。この犬も何か嫌な気配を感じたのだろうか。(笑い)

2014年4月1日火曜日

アートな話「世紀の日本画展」



3月も終わりになって、上野の東京都美術館で開かれている日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』を見に行った。3月の終わりでいつもなら花見客で賑わう公園内であるが、さすがに荒天の雨の中では花見の宴席はガラガラで、傘をさして一杯やっている小人数の団体が2組いただけで、あとは雨の花見客が大勢そぞろ歩きをしていた。

いわゆる院展は日本画の展覧会で、前半後半の2部に分かれ、今回は後半の展示を見にカミさんと雨の中出かけた次第である。会場はテーマ別にコーナーが設けられ、歴史や花に鳥、また風景や幻想などを1章から7章まで展示されていた。会場の多くは再興院展の馴染みの画家の作品が並んでいて、いまだ存命の作家の作品も展示され、時系列での展開ではないが、作品を通して院展100年の歴史が概観できるようになっていた。主に国公立の博物館や美術館から集められた日本画。見慣れた作品も少なくなかったが総じて大作揃いで、一定の見応えはあった。心に残った作品を2点あげると,

 小野田尚之 くつおと 1996年

 私は具象と抽象のはざまに位置するこのような作品が好きで、(第5章の風景の中で)の会場にあった小野田尚之 くつおと が院展の中でも斬新さを感じさせた。この絵は、今は使われていない京成線「博物館動物園」駅を描いた絵で、1997年まで営業していたという地下駅で、私も大学時代下宿していた京成お花茶屋にいたころ何度か利用した記憶がある。この駅は老朽化や乗降客数の減少に伴い、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止になったそうだ。廃止後も駅舎やホームは現存するらしいが見たこともなく、遠い記憶の中に閉じこもったままである。
駅の正面をとらえたこの絵は、ただ過去の情景を思いだすというだけでなく、今の時間も広がってくる仮想空間が、博物館という駅名の入り口とも出口ともいえないところから亡霊のように浮かび上がってくる心象風景。ありふれたなつかしさに流されてしまうなかで、画面中央の下階から上がってくる二人の人物ととすれ違いそうな錯覚を感じ、過去から湧き上がってくるような幻想的な空気感に包まれ。得体のしれない駅がぽっかり口を開けて待っている画面はシュールな感じが立ち込める。
美術館を出た後日本橋に向かうため、過去の淡い記憶を頼りに地下鉄を探し、確かこの辺にあったと思いつつ、芸大の前あたりをうろついていたら地下鉄と京成線の地下駅を混同していたことに気づいたのはシャッターの降りた今は面影もない駅の入り口で、まるで迷路に迷ったようにあたりを徘徊し、JR上野駅まで歩き、ようやく地下鉄に乗れた次第である。


平櫛田中 •禾山笑
•1914年(大正3年)


 愛媛県にある 江西山大法寺18代和尚 臨済宗師家臨済宗での最高峰にある老師として日本中に鳴り響いていた禅師西山禾山老師(1837~1917)を彫った木像作品で、芸大所蔵の木彫であり、これを型どりしたブロンズ像が、田中美術館(岡山県)に所蔵されているそうだ。
いすに腰かけ両ひじをはって後ろにのけぞりながら、大口を開けて大笑するポーズで、和尚の豪放らいらくな風格がしのばれる面白い作品であった。作者の平櫛田中は107歳まで生きた彫刻家で満百歳の誕生日を前に、30年分の材料を買い込んだと言われる。「六十・七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」とは本人の弁。これを聞いた横溝正史は「田中さんには及びもないが、せめてなりたやクリスティ」と詠んだ。という逸話の持ち主である。

会期 4月1日まで 東京都美術館