2011年5月12日木曜日

アートな話「平塚美術館」



■画家たちの20歳の原点


池田満寿夫「橋のある風景」

先日平塚市にある平塚美術館に行った。明治・大正・昭和から現代まで様々な新旧の54人の画家たちの約120点の20歳
前後の絵を集めている「画家たちの二十歳の原点」という企画展で、併設で北大路魯山人展もやっていた。

全国の美術館から集めた作品の中には、今回の震災で持ち込めなかった東北の美術館所蔵の作品が写真で展示していた。「二十歳の原点」の企画展は、青木繁、坂本繁二郎、など明治の大御所から始まり、大正から昭和へと、それぞれの時代の空気を投影しながら、どれも「若々しい」真摯な姿勢が感じられる作品が出品されていた。それぞれの思いを込め20歳前後の多感な時期に漠然とした未来に対する不安と希望の入り混じった青春時代がそこに繰り広がっていた。後に明るい色調になる何人かの作家たちは、一様にその色調は暗く重かった。中には池田満寿夫の作品とともに両親にあてた、切々とした手紙が印象に残った。

草間弥生「flower」 靉嘔「クレーンと人」

草間弥生の「Flower」(1953)は、初期のころからもうすでに水玉模様。粘着質の作風が際立つ。対称的なのはレインボウカラーの夭折作家靉嘔 の無機的な作品「クレーンと人」が彼の作品とはだれも想像できない過去のモニュメントだ。




石田徹也「燃料補給のような食事」
そして、石田徹也の「燃料補給のような食事」。31歳の若さで交通事故で亡くなった石井徹也の絵はシュールリアリズムに通じるインパクトをはらんでいる。現代社会が生み出す精神的な抑圧感や日常の中に潜んでいる怖さ危うさなどの負のイメージを鏡のように鮮やかに浮き上がらせる。この作家の作品には石田自身の自画像と思わせる人物が必ず登場するのが特徴だ。石田徹也のような典型的な夭折の画家はもとより、長い活動に生きた芸術家たちもまた、この時期の作品に創作の核となる初々しくも痛切な感性のほとばしりに満ちていた展覧会であった

●会期は6月12日まで


北大路魯山人展

食に対するたぐいまれな美意識と料理を盛りつける器までを自ら手がけた北大路魯山人。展示された作品はほとんど食器であり、それ以外の器は好んで作ろうとしない。食通でもある彼は最後に肝臓ジストマという寄生虫による肝硬変でこの世を去った。食通らしい最期である。
芸術家は短命か長生きかの2様が多いが、彼の場合77歳で死去したのであるから長命の方で味道を追求した揚句の最期で、魯山人らしい生き様死に様であろうか。

魯山人は京都府生まれ。16歳から書や篆刻(てんこく)で名を知られた。美術骨董(こっとう)店「大雅堂美術店」を経営し、38歳で同店2階に高級料理店「美食倶楽部」を開設した。自作の器で料理を振る舞いたいと考えた魯山人は、40歳を過ぎて本格的な作陶活動を始め、古陶磁の研究を基にした織部焼や志野焼の新たな創造など独自のセンスで世に作品を発表してきた。いずれもそのルーツは桃山時代に端を発した瀬戸と美濃窯である。個人的には織部のグリーンの色調はあまり好きではないが、しっとりとした志野焼きの絵付けの作品がしっくりくるし、料理の邪魔をしないと感じた。
  ●会期は6月19日まで

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