室町から桃山時代にかけて造られたものであるが、作者は不明である。躍動感あふれる画面の獅子を背後で支えている様式化した牡丹と波の構図は、大胆で日本的な抒情性を感じさせ、中国的なものから一歩抜け出た構図となっていて、余白部分を埋め尽くす地紋の様な波は、画面の密度を際立たせている。彫刻も力強くまさに日本のルネサンスたる桃山時代を象徴する鎌倉彫である。背景の波はものを言う間(余白)でもある。
吉川創雲 文具セット「屈輪」2008
上は私の作品屈輪(ぐり)の文具セットであるが、彫刻面に残る余白は物言わぬ間(余白)である。屈輪文の発祥の地は中国宋代で「ぐりぐり」ともいわれ、元、明へ流行った彫漆文様の様式である。その文様の原型は雲型で同じ形の連続から渦巻き、蔓草、唐草などに変化していくが、中国の屈輪は余白のないのが特徴である。
古今東西、あらゆる芸術のジャンルにおいて、人間の意識の中に存在するものとして「間」という概念がある。
まず時間芸術における音楽では、間の取り方でリズムになったり,メロディになったりし、それぞれの民族による土着性が,様々な国の音楽を作っているのである。
そしてわが国の文学においては、間の妙味と言われる俳句などの独特の表現様式が生まれた.また舞台芸術においては西洋のオペラ、やミュージカルなどのアップテンポなものとは対照的に、日本的な間の取り方が具現化された歌舞伎と言う伝統芸能が継承されてきた。
かいつまんで言うならば、日本文化の神髄は「間」にあるとみていいだろう。それは時間芸術にとどまらず空間芸術における「間」にも現れている。
それは、千利休の茶道でも、芭蕉の俳諧でも、夢窓疎石の作庭法でも通じる一種の日本文化の中で生成した哲学のようなものである。
芸術における表現対象物から余分なものを取り去って、その「間」に、美を観じることにつきるではなかろうか。そこには自己主張的、明示的なものを抑え、さり気なく黙示的な「粋」の精神が、わび、さび、もののあわれとなって見る者のに漂ってくる。
私が図案を考えるとき、絶えず余白「間」を意識する。世界の図案などを概観してみると、時代をさかのぼるほどに民族間の侵略や紛争が多くみられ、それらに曝された時代の民族意匠は、ある心理学者に言わせると、紛争の時代には空白恐怖、すなわち画面上にある余白を忌み嫌い、画面上をすべて埋め尽くす充填構図が多くみられるという。それはとりもなおさず空白恐怖と言った強迫観念がこの構図を生みだした一方、国が安定した時代には画面の余白が増えるという。
わが国の美術意匠に余白の多い絵画的な文様が多いのも、他民族からの侵略もない風土がその感性を育んできたのかもしれない。
日本人は昔から、すべてのものと一緒に生きるという共生という考えを持って生活してきたので、世界の人たちには見られないような特有の自然観・人生観を持つようになった。自然を支配、搾取する西欧の自然観とは対照的に、日本人は自然との同一性、すなわち自然に融合する志向性の強い民族でもある。