2011年8月17日水曜日

原爆の日

広島       長崎

  原発事故の収束の目処が立たないまま、日本は66回目の広島・長崎の原爆の日を迎えた。被爆国の日本が、なぜここまで原発依存症におちいったかについて、われわれはよく理解できていない。低コストでCO2を出さない安全なエネルギーとして国内に55基ほどの原発を作り続け、産業界もそれなしには生産が成り立たないとして政官一体となって原発を推進してきた。
しかし、原子爆弾が後にもたらす放射能被曝の恐ろしさを身をもって知る国として、今回の原発事故への対応には疑問符が残る。
後から次々に出てくる汚染地域の拡大や、汚染の広がった牛や農作物、海産物への対応に追われている政府を見ていると、広島長崎の教訓が生かされていないようだ。

広島や長崎で原子爆弾が爆発した際、その爆風と熱、そして爆発の際に飛び散った放射線によって、多くの人命が失われた。しかし、その後、キノコ雲から広い地域に降り注いだ放射性物質によって、何キロ、あるいは何十キロにもわたって多くの人が低線量被曝や内部被曝をしている。今の福島の状況も同じでそれ以上といわれている。
現在でも原爆被爆症の認定を困難にさせているのは原爆を投下したアメリカが、原爆の爆風や放射能を直接浴びた近距離初期放射線による外部被曝者のみを原爆の影響の及ぶ範囲と定義し、遠距離の低線量被曝や内部被曝の影響は無視していることに由来する。
広範囲に広がる低線量被曝や内部被曝も考慮に入れなければならなくなると、原爆の一般市民への影響はあまりにも大きくなり、その使用が国際法上も人道上も正当化できなくなるアメリカのスタンスに我が国が追随しているからだ。
結果的に原爆の爆発後、キノコ雲から広範囲に降り注いだ放射性物質によって爆心から遠く離れた場所で被曝した人や、原爆が投下された後、救助などのために広島や長崎に入り被曝した人たちは、調査の対象ともなっていないため、実態も把握できていない。
これと似たことが今、原発を推進してきた国の原発に対する正当性維持のため、国は被爆の詳細実態を民間がやるほど熱心に調査をしていないことにも現れている。

たとえ原発が効率的に電力を供給する手段であったとしても、一旦事故が起きれば、これだけ広範囲に深刻な被害をもたらす原発は、やはり非人道的なものと断じざるをえないだろう。 様々な戦略上の判断から日本に原爆を投下した米国において、ルーズベルト大統領に原爆開発を進言する書簡を出したアインシュタインは、のちにそのことを後世にわたり我が身の恥としたという。
  
元々原爆の副産物だった原子力発電についても、1950から60年代にかけて、科学はこれを無限の可能性を秘めた夢のエネルギーと位置づけ、世界中で熱心に研究・開発が進められた。しかし、度重なる事故で原発が当初考えられていたほどいいものではないことがわかったあとも、日本を含む一部の政府はこれを推進し続けた。
そして、そこには利権構造に裏打ちされた政治に利用された御用学者の後押しがあった。そして原子力という魔物は今日まで息づいてきた.おそらくこれからも地球上から無くならないだろう。この魔物に魅せられた支配者がいる限り。

 今回の福島の原発事故は社会にとって重要な情報を提供する科学者と政治家の責任は大きい。問題になっている政府の被害の過少評価と徹底した汚染調査をやらないことは、民間の調査機関の活発な調査とは裏腹に、政府負担の膨大な補償を恐れての意図が読み取れる。
エネルギーは国を動かす血液であり、国の存続がかかったキーワードである。脱原発が叫ばれている中、それは急には唐突に変更できないだろう。時間をかけて廃炉にしていくことと次世代エネルギーの早急な開発が望まれる。

今年も終戦記念日の8月がやってきた。開戦当時、国の重要物資(石油の輸入量の78%,鉄鋼類の輸入量の70%,工作機械類の輸入量の66%)をアメリカに頼っていた我が国がアメリカによってその輸出を止められたことに端を発し、列強の経済ブロックにも阻まれ、身動きが取れないままアメリカによって仕掛けられた戦争に開戦を決意せざるを得なくなった歴史を振り返ると、開戦を決定づけたエネルギーは今も国の根幹にかかわるものであり、海洋国家である日本が現在大半の石油を輸入している中東からのシーレーンや日本近海のシーレーンも、中国に脅かされつつある現況では、この生命線を守ることが国の命題であろう。このことは国家の運命と国民の命に関わってくるということでもある。


2011年8月3日水曜日

この厄介な国、中国



最近読んだ本に、中国史に造詣の深い東京外語大名誉教授岡田英弘の著書で「この厄介な国、中国」がある。

中国は20世紀になるまで中国大陸には中国と言う国家もなかったし、中国人と言う概念も意識もなっかった。というくだりに衝撃を覚え、昨今の中国の引き起こした数々の紛争や国内問題に思いを馳せ読み進んでみると、私が知り得ていた中国の姿と違う側面が陳述されているので一部掻い摘んで列記してみると次のようになる。

「古代中国において歴代王朝は存在していたが、民族の集団ではない。皇帝ただ一人の専有物で中国人民の支配者でも中国大陸の所有者でもなかった。皇帝は中国全土に張り巡らされた流通システムを所有していた。つまり総合商社の社長のような存在であった」と筆者は述べている。

つまり中国においては、最初から王は流通業、商売の頂点に立つ人間のことであった。王はマーケットの支配者であり、この商業ネットワークシステムを帝国の形にしたのが秦の始皇帝、あるいは漢の武帝である。中国の統治システムにおいて最も重要なものは交易である。そのため交易が発展
すればわざわざ領民や領地を持つ必要がない。そのためその存在はボーダレスになり現代の巨大商社の様に国籍がさほど問題にならなくなった状態と似ている。

一般民衆にとって皇帝は利害関係に基づくつながりでしかなく、都市において交易したいものは一定の税を払ってその権利を手に入れ、都市の戸籍を持ち、そうでない物は農村籍あるいは蛮族と言うように厳然と区別が現代中国まで続いている。
中国政府が主張している漢族の優位性と存在自体が厳密な意味で存在しないとも筆者は述べている。つまり古代中国の都市国家の発生を見ても分かるように、商業都市としての住民は様々な地方から交易を目的に集まった雑多な烏合の衆であり、やがてそれらが混じり合い漢族を形成したものととらえている。

「だがそうやって誕生した漢族もまた紀元184年に起った「黄巾の乱」によって消滅してしまった。この乱は都市に人口が集中した結果深刻な食糧不足に陥り、漢王朝に対する不満が爆発し反乱は全土に及んだがやがてそれは制圧されたものの、それがきっかけで中国は四分五裂になり後漢は滅び、三国時代に突入するのである。」

古来中国の歴史は飢餓との戦いでもあり食人の歴史でもある。食料が欠乏したら直ちに共食いが始まる。各時代にある人を食った話は非常に多く、枚挙にいとまがない。そこにはひとかけらのセンチメンタリズムもない殺伐とした世界がある。

「三国時代の混乱は隋の文帝が中国統一に成功するまで400年も続いた。この間都市機能は疲弊し人口が10分の1以下に激減したが、この人口空白を埋めたのが北方の騎馬民族の流入で、中国の住民はそっくり騎馬民の子孫に入れ替わり漢族はほとんどが紀元2世紀で地球上から姿を消したとされている。ただし、漢時代の皇帝システムだけは生き残り、隋、唐、宋と言った王朝に受け継がれ、新たな漢族となった騎馬民の子孫鯛がそのシステムの中に組み込まれ現在に至る。
その皇帝システムが形を変えて出来たのが現在の中華人民共和国なのである。」

「中国人のメンタリティーには他人はすべて敵であり、油断をすればいつ寝首を掻かれるか分からないという考えが常にあり、相手が弱みを見せるとすぐに攻撃を仕掛けると言った個人主義の極め付きがみられる。」和を大事にするわが国の国民性とはかけ離れた国民性である。

「中国人社会において最大のタブーは他人に弱みを見せることで、中国人の行動原理は他人から付け込まれる前に他人の弱みに付け込むといったパターンである。」尖閣諸島問題のあの中国の高飛車な言動はまさにこれが当てはまるであろう。

  参照 中国史略年表

◎ 中国への戒め
中国浙江省温州の高速鉄道事故後に車両を地中に埋めるなど、証拠隠滅が行われたことについて、1日付の週刊経済紙「経済観察報」は「以前から同じ。今回はメディアの関心が高かっただけ」とする主要駅責任者の内部告発を掲載、同様の行為が常態化していたことを暴露した。

事故後、遺族は福建省などから温州に続々と集まり、地元政府が用意した施設に陣取る一方、鉄道駅や市政府前などで激しい抗議活動を繰り返した。その報道をみた人が、ネットや中国版ツイッター「微博(ウェイボー、マイクロブログの意味)」で鉄道当局のずさんな対応を非難。怒りが増幅する構図となった。


中国浙江省温州市で40人が死亡した高速鉄道事故ではネットを中心に「人命軽視だ」「真相究明が先」と世論の怒りが爆発した。中国メディアの一部も報道規制を振り切って当局批判に転じた。いったん埋められた車両の一部は「証拠隠滅だ」との批判を受けて26日に掘り出され、温家宝首相は28日に現地入りした。

中国の過去の災害や事故とは“異質な空気”が流れ、事故の収束を急ぐ当局に強い怒りが世論となって対峙(たいじ)している。
「事故現場の処理は急ぎ過ぎではないか」。事故後初めて現場を訪れた温首相の記者会見で、とげのある口調で質問を突きつけたのは中国国営中央テレビ(CCTV)の記者だった。

不可解な事に行方不明者の数がいまだ公表されていないことだ。「2つの高速列車の乗客は合わせて1630人が乗車していたと報道されている。多くの行方不明者はどこに消えたのか?。。世界の最新技術のいいとこ取り、技術の寄せ集めの産物の高速鉄道はこうした寄せ集めた技術を、おのれの開発技術のごとく主張して世界に特許を取ろうとしている厚かましさには開いた口がふさがらない。そうした考えが世界に通用すると考えているのが、今の中国社会の実態である。

今回の事故はまさにそれを戒めるべくして起きた事故以外のなにものでもない。「無理を通せば道理が廃る」とはこのことである。
川崎重工は、鉄道省との間で締結した技術移転契約は、技術使用は国内に限られると定めており、中国企業は輸出にそうした技術を使うことができない、と交渉の中で強く主張している がそれも豚の耳に念仏となりそうだ。

今回の事故を起こした車両は、先に停車していた車両がカナダの技術をベースにした「CRH1]で、追突した車両は日本の東北新幹線の技術を導入した「CRH2」である。 信号機などの運行技術に至っては海外の先進技術を十分に取り入れることが出来なかったために、時速300~400キロのスピードには追いつかないまま、運行開始に至ってしまっていたのである。

世界各国に現在商談を持ちかけている高速鉄道の入札に焦るあまり、事故を原因究明などもせず不都合な事はすべて覆い隠し、人命を無視した揚句、事故の早期終結を図ったことに、伝統的な商業至上主義者の中国人のがめつさの片鱗が見えてくる。

その一つが、中国鉄道省が事故の発生の翌日24日早々に、上海鉄道局 トップの幹部3人を解任したことである。事故が起きたら最高責任者として、事故対応や事故原因の解明に当たらす事は避け闇に葬ろうとした。
二つ目は、発表されている死傷者の数が40人程度の少なさである。追突した電車と追突された車両の乗客のほとんどすべてが負傷していて当然なのに、けが人の数はたった200人ほどだという。どう見ても、中国鉄道省や政府が事故の規模を小さくしようとしているとしか思えない。
3番目は、事故後真っ先に現場に駆けつけた処理班は追突した先頭車両、つまり運転席を含んだ車両を破壊し、穴に埋めてしまったのである、事故原因判明の一番の手がかりになる運転席部分を破壊して埋めるなどと言うことは、事故原因をうやむやにするため以外考えられないことである。
そしてインターネットを通じて政府鉄道省への批判が激しくなると、直ちに掘り起こすことをやる。

中国で長年ビジネスにかかわってきた日本人が口をそろえて言うのは、「二枚舌、利己的、契約を破っても平気、こんな信用の置けない国が何故ここまで発展するのか不思議でならない。」と。
ビジネスの世界では欧州人もアメリカ人も韓国人も、みんな中国人を好きになれない、中国の話をするときは皆顔をしかめて.ため息をつく。今回の事故で中国は世界中に一番大事な国家の信用の欠落を露呈した。

しかし多くのビジネスにとって悲しいかな安価な労働工賃の魅力には勝てない。おかげで中国の外貨保有高は日本を抜いていまや世界一。
各国が安い工賃を見込んで中国全土に工場を作り世界中に物を売る、結果中国に大量の外貨が入ってくる。そしてその金で軍備増強に余念がない中国、世界中の資源を独り占めする勢いの中国、共産党一党独裁政権が維持できないと崩壊する中国。

こんな厄介な国と我々日本人は心して付き合わなければならないことをこの本は教えてくれた。

2011年8月2日火曜日

アートな話「東西の接点」

国立西洋博物館で開催中の古代ギリシャ展と,国立博物館で開催中の空海と密教美術展を見て来た。



全知全能の神ゼウス小像 ブロンズ

○大英博物館古代ギリシャ展


古代ギリシア人は人間と非常に似た神々が登場するユニークな神話を持っている。 太古の昔より存在するのが神話であるが、ギリシャのそれは神を擬人化しているのが特徴であり、。そのため神の数が多い。オリュンポス十二神 ゼウスを中心に12の神々が男神7神、女神5神が存在しそれぞれの役割を分担している。それとは別に異形の神・怪物なども彫刻で表現しているが、顔が人間で胴体が獣などさまざまである。だがその根底にあるのが人間賛歌であり、人体美の追求だったのだろう。



会場にある彫刻はどれも素晴らしく、時空を超え眼前に存在していた。多くの彫刻は大理石で作られたものであるが、そこに展開する人体の数々は硬質な素材を感じさせないなめらかな肌合いと力強さを見せている。会場内の説明文を読むと、屈強な肉体を持つ人間は戦いのために、各種競技で体を鍛えそれが彫刻に反映されているようだ。特に円盤投げの彫刻を三六〇度見渡してみると筋肉の動きや血管までの表現は細部にわたり精緻を極めていた。
愛と美の女神 アフロディーテ

人体表現は西洋美術の中心的なテーマのひとつであるが、このテーマにはじめて徹底的かつ真摯に取り組んだのは古代ギリシャ人だ。神々の彫刻を見ていると、ギリシャ人は神も人間と同じ姿であるとみなしていたことがうかがえるのであるが、その神や人間を「身体」という現実の形で表すことは、ギリシャ人が人間について考え、神について考えるときに欠かすことのできない手段だったのであろう。彫刻は神のイメージを具象化するための「表現」であり「技法」であると同時に、身体を絵画や彫刻によって形作リやがて、陶器に見られる黒像式、赤像式の様式の中に人体が展開していくのである。
これらの図像には人間社会のストーリーが秘められている。会場で見たこれら陶器の数々は堅牢で大ぶりな壺類が大半を占めていた。


黒像式と赤像式のアンフォラ(2つの取っ手付き陶器)

また、会場の一角にあったアクロポリスを俯瞰したジオラマは、神殿や祭壇、劇場 競技場、彫刻を造る工人の館など当時の古代ギリシャ人の生活が偲ばれる興味深いものであった。

 <会期 7/5~9/25 >


空海(弘法大師)

○空海と密教美術展


密教とは一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くのに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。(ウイキペディア)
平たく言えば師匠が弟子に直伝する手法で仏教を指南することであるが、上述のギリシャにおける人間界の上位に立つ者としての概念が神であり、ここでは仏教の仏である。両者とも土台になっているのは人間である。

密教を日本に初めて伝えたのは弘法大師空海で、804年に中国唐に渡り、2年後密教の教えとそれに付随した美術をわが国に広めた。いわゆる真言仏教と言われるもので源流はインドを経て中国で消化咀嚼された仏教である。同じく唐に渡った最澄の天台仏教とは区別される。

胎蔵曼荼羅


その教義は中心(本尊)に大日如来(宇宙の真理を仏の形にしたもの)を8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来、その周りに4体の如来4体の菩薩を配置し、さらに縦横に多くの仏を配置している曼荼羅と言う図は仏教絵画の典型である。さらに会場は空海の書が数多く展示されていた。弘法筆を選ばずの名言のごとく達者な筆使いが入場者の目をくぎ付けにしていた。


京都東寺の仏像群のある会場

さて会場の一番のハイライトは、京都東寺の仏像群で、大日如来を中心に5仏、5菩薩、5大明王の中から8体の仏像が所狭しと安置されており、さながら仏像曼荼羅である。
仏像の背後にははるばるとした仏教の歴史が控えていて、奥深い天上的な魂と一刀入魂の工人(仏師)の技が一体となり、まとまりのある臨場感を醸し出していた。見えない神を大理石やブロンズで具現化した西洋彫刻の始祖ギリシャ。やがてインドで発した仏教は中国を経て日本において木で具現化され、いずれも中心の神ゼウス、中心の仏、大日如来。それらを取り巻く幾多の神々あるいは仏たちの何と構成の似たことか。

<会期 7/20~9/25>