2011年3月25日金曜日

悩ましき国


今回の東北関東大震災の津波で破壊された福島原発の被害の大きさから今,原子力発電の危険性が問題になっている。
周知のように日本列島は図のように4つのプレートの境界線上に乗っかった世界でも類を見ない危険地帯に位置している。

唯一大地震の警鐘を鳴らしていた神戸大名誉教授、石橋克彦氏の岩波新書<大地動乱の時代>が今やアマゾンの中古書籍で¥6,000円の高値を付けている。
地震学者の石橋克彦(神戸大学名誉教授)によれば、日本の経済の成長は「地震の地震活動の静穏期に合致していた」と。そして、現在は、「日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつある」と発言されている。

以下石橋氏が言及している重要なポイントをご紹介しよう。

「全国各地域にみられる地震空白域やその周辺の地震活動をやや長期的にとらえると、ひずみの蓄積と解放のくりかえしに関係した規則性が浮かび上がっている。
    第1に、地震活動には活動期と静穏期を交互にくりかえすという性質がある。1993年以来北海道から三陸沖は活動期に入ったと考えられる。1923年関東地震(M7.9)から73年が経過した南関東地域や1944年東南海地(M7.9)、1946年南海地震(M8.0)から約50年が経過した西日本も活動期にさしかかったと判断される。

 第2に、広域にわたり地下にひずみが蓄積され、プレートが相互に密接な力をおよぼし合うようになると、各地で地震が連動して発生する。この連動性が高まると、ある地域の地震が引き金となり、隣接する地域で短期間に次々と地震が発生するようになる。地震の活動期にはこの連動性が最もいちじるしくあらわれる。南関東では地震の連動が目立ちはじめている。

 第3に、ひずみの蓄積が増大し地震活動が活動期にさしかかると、それまでM2~3の地震だけが発生していた地域で、M4~5の地震が起き、ついにはM6やM7の地震が起きるということである。とくに南関東では、近年時間の経過とともに、より規模の大きい地震が発生する傾向が見出されている



安政元年11月4日(1854年12月23日)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という巨大地震が発生した。この地震が発生した年は嘉永7年で、当時の瓦版や記録はすべて嘉永としているが、この地震の32時間後にはM8.4と推定される安政安政南海地震が連
続して発生し、さらに広範囲に被害をもたらせたため、この両地震から元号を嘉永から安政に改めた。年表上は安政となるため後に安政東海地震と呼ばれるようになった。

巨大地震の東海地震は有史以来5回発生しているが、そのうち4回はその直後から2年以内に巨大地震の南海地震も発生するという、東海、東南海、南海の巨大地震の発生メカニズムを証明したのである。この史実は現在のわが国の地震予知学問に重大なキーワードをもたらせることになった。それまでに発生した過去の巨大地震を振り返ると・・・

1、東海東山道地震(1586年・天正13年)発生、その19年後の1605年(慶長9年)に「慶長地震」が発生。

2、元禄地震(1703年・元禄16年)発生、その4年後1707年(宝永4年)に「宝永地震」が発生。

3、安政東海地震(1854年・安政元年)発生、その32時間後(1854年・安政元年)に「安政南海地震」が発生。

4、東南海地震(1944年・昭和19年)発生、その2年後(1946年・昭和21年)に「昭和南海地震」が発生。

以上のように、東海道で巨大地震が発生すると、同時又は短時間後に南海道でも巨大地震が発生するというメカニズムが歴史的に証明されている。
近年東海地震発生の切迫性が伝えられているが、東南海、南海地震と連動して発生する可能性も高く、単独地震発生だけでなく連続巨大地震発生に備えた防災対策が急務である。」と締めくくっている。



一方、ノンフィクション作家の広瀬隆氏は、80年代から原子力発電所の危険性を訴えてきた。昨年出版した『原子炉時限爆弾』では、「原発が地震によって制御不能に陥り、周辺に放射能を撒き散らす“原発震災”が起きる」と予測していた。

 広瀬氏は、火力発電と水力発電で日本の電気使用量はまかなえる、原発を停止した際の電力不足を心配するより、まず今は、原発の危険性をしっかりと考えてほしいと話し、たとえ福島原発の被害を最小限に食い止めることができたとしても、次の大地震で別の原発が事故を起こすと警告する。

 現在、広瀬氏は福島第一原発の状況をどう見ているのか。また、今後どのような事態を想定し、放射線はわれわれにどのような影響を与える可能性があると考えているのか。そして、そもそも日本の原発はどのような危険性をはらんだものであるのか。政府、メディア、御用学者はほとんど事実を話していないと断じる広瀬氏。詳細はビデオニュース、ドットコムのジャーナリスト神保哲生との対談をご覧あれ。


                 < 画像は今回の原発が制御不能に陥った場合(チェルノブイリ並み)の避難区域>

現在世界全体で約440基の商用原子力発電所があるそうで、日本には55基ある。そのうち37基が運転中である。ヨーロッパではその危険性から脱原発の流れが定着しており、原子炉の寿命も40年程度と言われている。
問題はその使用済み核燃料の保管が青森県の六ケ所村に集中しており、そこも満杯の様だ、そのため今回の福島も自分ところのプールで保管している状況で、今回の原発災害の拡大の危険性が続いている。日本の場合、政府が原発推進を維持し、原子力産業の圧力が強大で、立地地域の経済が原発にどっぷりつかっているだけに脱原子力は容易ではない。

広瀬氏が問題にしているのは日本列島の地震が活動期に入ってることから、今後30年以内に、特に危ないのは静岡の駿河湾沖で、4つのプレートが押し合っているところだ。この近くにあるのが浜岡原発であり、巨大地震で修復不可能なまでの原子炉と電気系統の破壊が起きると指摘している。

大正時代の関東大震災の震源域は相模湾トラフで、周期的には12年遅れているそうだ。その分相模湾で地震が起きたらエネルギーが蓄積しているので、今回の、岩手、宮城、福島、茨木の様な連動型が予測され、隣の駿河湾まで連動しないとは言い切れない。

2003年の世界エネルギー見通しでIEA(国際エネルギー機関)は既に以下のように述べている。「公衆からの反対運動、核廃棄物の問題、核拡散に対する懸念、原子力の経済性の問題などが原因で、電力生産における原子力のエネルギー使用の割合は、世界の殆どの地域で減少の道をたどると予測される。世界的な発電量における原子力が占める割合は2001年に19%だったのに比べ2025年には12%まで減少するだろう。」2004年版の世界エネルギー見通しでも、「原子力発電はそれが抱える困難な問題のために他の発電技術と競争できない」ので、「減少傾向はずっと続くだろう」と予測している。2002年から2030年までに原子力発電が13%増える(新しく原子力発電に踏み出す国がないという想定で)という、新しい”アルターナティブ(もう一つの)”なシナリオにおいてさえ、2003年の核 エネルギーが世界の一次エネルギー市場で占める割合は5%にすぎない。
ちなみに現在日本で作られている電気の割合は、火力65%、原子力26%、水力8%となっている。

最後に氏は「そもそも日本列島に居る限り、地震と共存する文化というものを確立しなければならない。つまり、従来は自然と対決する文明で、それに対して最新技術でもってバックアップしようという考え方であったけれども、自然の摂理に逆らわない文明というものを我々は作っていかなければな らないと思う。要するに開発の論理、あるいは効率、集積、利便性の論理、それから東京一極集中、都市集中の論理、そういう物をやはり見直して、保全とか小規模、多極分散、安全と落ち着き、地方自立、国土の自然力と農村漁村の回復、といったようなことをキーワードにして、根本的な変革が必要であると、まあその地震災害を考えると、私は強く思います。」と述べている。



人類で最初に原爆被害に遭遇した我ら日本人。そして世界が固唾を飲んで見守っている福島原発事故。今後は見えない核物質との闘いが始まっている。地理上地震の巣の上に存在してる宿命とはいえまさに時限爆弾を抱えた島に我々は住んでいる。と同時に核に対する処し方、今後の大地震に備えた原発の安全管理もしくは縮小など、日本が世界の規範になることだろう。

2011年3月12日土曜日

地震列島日本




巨大地震が起きた。その時間私は大船のカルチャーセンターにいたが、大きな揺れの後店内が停電になり、店内にいた客はみんな外に出たが、揺れの大きさは今まで体験したことが無かった。2~30分は余震が続いていたが、震源が宮城沖と聞いてその場を離れることにした。揺れる地面と車を感じながら教室を出て横浜に向かったが、信号機の点灯していない個所が何箇所かあり、警察官の手信号で交通整理が行われていた。途中携帯電話もつながらず、電車はストップ、JR関内駅は駅の一部が崩れ、磯子の工場地帯の一部では黒煙が上がっているなど、ラジオの情報が乱れ飛ぶ中教室につくと、関内の教室内ではロッカーが倒れ、テーブルもばらばらに散らばり、室内の壁にはあちこち亀裂が入っていた。室内を片付け帰路に就いたが、道路は大渋滞、歩道は帰宅の足を奪われた人々が大勢ぞろぞろ歩いていた。そしていつもの倍以上の時間を要し帰宅したのは9時を過ぎていた。
一夜明けると被害の甚大さがTV画面からひしひしと伝わってくる。特に津波の破壊力はすさまじい。また今朝がたには長野県でも大きな地震があった。
宮城県気仙沼と福島県南相馬市

今回の東北沖大地震は、記録が残る中で国内最大の規模(マグニチュード=M)8.8を記録した。専門家は「死者1000人を出した貞観(じょうがん)地震(869年)の再来の可能性がある」と指摘する。日本がかつて経験したことのないM8.8という規模は、どれほどのインパクトを持っているのだろうか。

地球の表面を覆う岩板(プレート)の境界では、「プレート境界型」と呼ばれる巨大地震が起きやすいが、専門家によると今回の地震もこの仕組みで発生した可能性が高いと言う。大きな被害をもたらした東海地震、東南海地震、南海地震などはいずれも「プレート境界型」だ。古村孝志・東京大地震
研究所教授は「今回の地震もプレート境界型の可能性が高い。日本で起きる最大級の地震が起きた」と話す。


これだけの規模になったのは、プレートのずれの大きさによる。推定では、南北二百数十キロ、東西百数十キロにわたってプレートが十数メートル動いたとみられる。古村教授は、「2005年8月に発生した三陸沖地震(M7.2)のあと、震源域にずれ残った部分があり、そこが地震の震源になっ
た可能性がある」と指摘する。

また震源が、宮城県沖で過去に繰り返し起きてきた「宮城県沖地震」の想定震源域にあることから「(今後30年の発生確率が99%と予想されていた)同地震が1978年以来約30年ぶりに起きた」との見方だ。ただ、想定宮城県沖地震の規模は「M7.5~8程度」で、今回のM8.8はその約90倍というとてつもないエネルギーだ。古村教授は「想定の震源域に加え、福島~茨城県沖まで連動して破壊されたため、これほど大きい地震になったのでは」とみる。


世界ではこのように、広域で連動して起きた巨大地震には、チリ地震(1960年)、スマトラ沖地震(2004年)がある。
さらに大規模な破壊が起きた可能性を指摘するのは、岩田知孝・京都大防災研究所教授だ。「岩手県から茨城県までの約500キロにわたって破壊が起きた可能性がある。今回の地震の規模は阪神大震災(M7.3)の100倍以上。もともとの地震の規模が大きいので、余震も大きいのだろう」と話す。

今回の地震との類似性が指摘される貞観地震は、869(貞観11)年7月に発生した。平安時代の歴史書「日本三代実録」には、津波で1000人の水死者が出たとの記録がある。津波の痕跡は現在より約1キロ内陸にあったとみられる当時の海岸線から、さらに3キロ山側に到達。産業技術総合研究所の最近の解析によると、貞観地震の震源域は宮城県沖~福島県南部沖の長さ200キロ、幅100キロ、地震の規模はマグニチュード(M)8.4と推定される。

政府の地震調査委員会の阿部勝征委員長は「今回の地震はすごい地震で言葉も出ない。今回の地震は、この貞観地震の再来かもしれない。過去1000年に1回に起きるかという巨大地震だ。最近は、東海地震や東南海地震、南海地震に注目が集まっていたが、東北地方の地震の見直しをしているところだった。M8を超える地震は、これまで海外の話と思われていたが、それが日本でも起きたということだ」と話す。

さらに古村教授は、「この地震をきっかけに大きな内陸地震が起きる可能性がある」と指摘する。過去には、1944年に東南海地震(M7.9)、1946年に南海地震(M8.0)が続けて起きたが、その間にあたる1945年に内陸で三河地震(M6.8)が起きている。


私の街神奈川県の震度は「5強」とのこと、東北の惨状を見るにつけ、今回の大災害で命を失われた大勢の方々のご冥福をお祈りしたい。と同時にこのような大地震が首都圏を襲う直下型だったらと想像しただけで背筋に寒さが走るのは私だけではないだろう。天災は忘れたころにやってくる。我々は地震列島日本にまぎれもなく住んでいる。

2011年3月9日水曜日

中国その経済環境

「中国は10年後にはGDPで米国を抜いて、世界一の経済大国になる」という予測がある。過去10年の平均成長率(中国10.5%、米国1.7%)をそのまま延長すると、2022年に米中のGDPは逆転するという。

中国は生産コストの上昇をを避けるために、元安政策を続けなくてはならないが、貿易赤字を抱える米国が元安をいつまでも許さない。あと10年も元安を続け、ドルをさらに貯め続けることができない。そうした経済情勢から単純にこの数字を予測はできないだろう。  (写真は上海)                                            
                                                                                                        
一方で外資系企業に対中投資を続けてもらうためには、低賃金を続け、また無尽蔵に労働力供給を続けなければならない。しかし、中国の労働力人口が2013年にもピークを迎え、人口抑制のための一人っ子政策により、中国は世界最速のペースで高齢化が進んでおり、労働力供給が底を突けば、賃金の上昇はまぬがれない。ましてや労働者の賃上げ要求が年々激しさを増していく中で、低コストの貸し工場としての魅力は薄れ、海外からの投資は減りより安い新興国に向かうため「貸し工場」で外資企業頼りの成長モデルでは、このままあと10年も成長が続くとは思えない。

国民が豊かになって、国内消費が伸び、それが投資と国内生産を押し上げて、さらに国民を豊かにするという日本型の高度成長とは違う成長モデルがそこにある。日本の経済成長最盛期には個人消費がGDPに対する比率が60%ぐらいあった。中国の個人消費は2000年まではGDPの45%と、もともと低い段階であったのが、2009年には35%まで下がってしまった。



ここに2008年度の総務省による世界各国の輸出高の統計がある。中国の輸出のGDP比率は、2009年で26%、ピークの2006年では39%もあった。すなわち、輸出依存度で言えば、日本の2.5倍から4倍という「超輸出依存型」である。また。逆に投資は2000年が34%で、2009年には46%にまで上昇した。中国政府の公共投資と不動産バブルの影響である。


さらに中国国内の所得格差は凄まじい。人口の上位10%が国民全体の所得の50%を占めている。日本では29%である。
非常に速いスピードで経済成長を続けてきた中国だが、大卒者の数はそれを上回る速度で増えてきた。大学を出て職にありつける学生は3人に一人と言われている。インフレと高い失業率は民衆の不満を民主化運動に火をつける。中東に広がっている民主化運動がその例である。
中国ではジャスミン革命と呼ばれる民主化運動に本格的に火がつく可能性は十分にある。中国政府の強力な消火機能で当面は抑えられても、火の手はあっちこっちで広がっていく。
原油価格と食料品の価格高騰による激しいインフレ、そしてバブル経済の崩壊による経済の失速は避けられない。


インフレの背景にあるもの

重要な穀物である小麦は、中国、インド、米国、ロシア、フランスの5ヵ国で、世界の産出量の半分以上を生産しているという。また、原油の主要産出国は、サウジアラビアをはじめ中東地域に集中している。それらの穀物や資源は、基本的に国内で消費される分を除いて、輸出に回される。ところが、当該品の生産国や地域自身の需要が拡大すると、当然輸出に回る分量は減ることになる。原油に至っては、昨今の中東情勢の影響で原油価格が高騰している。



大紀元では中国の最近の食糧事情を報告しているので、本文をご紹介しよう。タイトルは<食糧不足、中国の深刻な危機


「中国は世界にとって重要な小麦生産大国だが、国連食糧農業機関(FAO)によると、中国大陸では08年の時点ではまだ150万トンの小麦を輸出していた。それ以後、09年と10年は輸出をしておらず、すでに生産が国内の巨大な需要への供給を賄えないほど落ち込んでおり、国外からの輸入食糧に依存する量が徐々に増加しているという。また、米国農務省の資料によると、中国は2010年にはすでに米農産物の最大輸入国となっている。

さらに、昨年10月から中国北方では100日以上の有効降雨がなく、深刻な干ばつに見舞われている。国内メディアによると、小麦の作付と生産量が中国全土の8割以上を占める河北省など8省の主要小麦生産区では、干害面積が640万ヘクタールを超えた。これに伴い、最近の小麦買い付け価格は4割以上も高騰しており、ここ5年で最高額になると予想されている。(写真は枯れた麦苗を手にする山東省の農民)

一方、南方は10年来稀に見る低温に見舞われたため、冬季稲作の生産量が減り、米価格が上昇し始めており、一部農家は米の買いだめを始めているようだ。
最近、北朝鮮が珍しく40か国の大使館を通じ食糧援助を求めていることも注目すべきである。今冬、中国が農作物に受けたダメージは極めて大きく、政府がすでにこの方面への供給力がないことを物語っている。

小麦価格の高騰は今後、小麦粉を原料とする食品類の価格をつり上げ、米の供給不足も手伝って、各種食品価格の上昇が次々に引き起こされると予見できる。国民の大半を占める中低所得者層に大きな衝撃となるに違いない。価格上昇が深刻なことであるのは間違いないが、金さえあればまだ買うことができる。しかし、極端な気候の影響により、ロシア、ウクライナ、豪州、ブラジル、インドなど世界の重要な穀倉地域の農作物生産にも凶作が現れており、国際食糧価格が上昇し続けることを憂慮すべきである。中国当局が海外から食料を輸入し自国の不足を補おうと考えても思い通りにはいかなくなる可能性もある。そうなれば、その時どれほどの中国人が飢えるのだろう。

これらの人々が一斉に立ち上がり中国共産党政府に対し、抗争運動を発起するのではないだろうか?今、チュニジアの「ジャスミン革命」からエジプトの革命まで、北アフリカ、中東地域の民主運動が盛んだが、その背後には共通して、物価高騰、生活不安が存在している。民衆は街頭に出て、自分たちの基本的な生存権のために奮戦せざるを得ない状況に立たされて必然的に生じていることが現状だ。

中国は広大であり、ネット封鎖、中国共産党の軍隊と警察の残酷な武力による鎮圧などのため、一般大衆の動員が難しいといわれているが、孫中山(孫文)が清を倒したことを思い起こして欲しい。この革命(辛亥革命)でのキーポイントは「各省の呼応」だった。インターネットのない時代、変革を切望する人々が皆、同じ心で連絡を取り合い、専制主義政府を倒したのだ。インターネットの発達した21世紀の中国では起こらないと誰が断言できるのだろうか。」

2011年3月1日火曜日

アートな話「色について」

◆ 黄色について

黄色で目に浮かぶのがゴッホのひまわりである。花瓶に活けられたひまわりの油彩の絵画としては11点が描かれており。これはその中の一つである。

バブルに浮かれていた時代に、わが国の1企業のオーナーが58億円で落札して一躍有名になった。

印象派の影響を受けつつ、印象派の点描のタッチとは異なったゴッホ特有のストロークの長い筆致で、絵の具のマチエールがむき出しになった重厚なタッチは、画家の気性の激しさと、鬱積した精神の高揚を求めた痕跡を覗かせている。ゴッホも後期印象派と言われるように、印象派の画家たちが用いた技法で、ぶっつけ描きと呼ばれる『アッラプリマ技法』を用い、絵の具をパレット上で混ぜ合わせるのではなく、キャンバス上に原色を塗り、その視覚的効果で混色を感じさせた。絵の具を混ぜて作る混色よりも、彩度が高い鮮やかな色を得ることができ、好んでこの技法を使っている。


ゴッホの絵画を居ながらにして間近で拡大して見たり、離れて見たり、それらの絵を飾っている美術館内部の様子も360度見られるサイトが、Googleが提供している<Art Project>である。英文ではあるが世界の名だたる美術館と名画が、グーグルアースの手法ですべて見れて、画家の絵の具のタッチまで分かるすぐれものだ。興味のある方はこの中のゴッホ美術館で確認あれ。




美術商のもとで働いたのち、伝道師や学校教員などをやりながらやがて画家を志したゴッホは、画商をやっている弟テオの援助を受けながら絵画を学んでいくのであるが、彼には癲癇持ちの持病があり、絶えず発作に悩まされ最後は孤独と絶望のうちに37歳の若さで自らの命を絶った。そんな不遇の画家ゴッホの生前に売れた唯一の作品が「赤い葡萄畑」である。


黄色は太陽の色であり、幸福や生命の光を感じさせ、色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を表わしていると言う。まさにゴッホが希求していたものだったのかもしれない。確かに黄色は精神を高揚させる何かがあるようだ。

 黄色はすべての色の中で一番明るい色であり、目立つ色である。黄色は明るく楽しく陽気な色なので、人に受け入れやすい色でもある。人間関係で問題のあったゴッホにとって潜在的な人とのコミュニケーションの手立てとして、この色彩を多用したのではないかと想像が駆け巡る。ゴーギャンとの共同生活の破たんや、耳切り事件と、現実と理想のはざまでもがき苦しんだ孤独の画家ゴッホ。
この赤い葡萄畑も背景にある黄色が赤を侵食している。ゴッホが死ぬ5カ月前に400フランで売れた絵である。

ゴッホはこんな言葉を残している。「すばらしい絵画を制作するのは、ダイヤモンドや真珠を見つけ出すのと同じくらい難しい。困難や苦労を覚悟して、命も賭けなければ成し遂げることができない。」



さてわが国に目を転じれば、黄色と言えば原色よりも黄土色で荒涼たる大地を描いた平山郁夫がいる。いわゆるシルクロードの砂漠と土の色である.氏は生前「色と言うのは人間の感情を表現する一つの言葉ではないかと」述べていた。

平山郁夫のシルクロードは、かつて栄えた国々が歴史の流れの中で消えていった痕跡を、あるいは仏教伝来の道を探す旅だった。この画家は国内では非常に評価が高いが、海外では低い点、ゴッホとは正反対である。
上の絵は平山郁夫の「桜蘭遺跡を行く」