2015年11月29日日曜日

京都ぶらり旅

東福寺


入院後はや1年が経ち、無事でいられる有り難さをかみしめ、全快祝いを兼ねて、多忙の中、カミさんと秋の京都を訪れた。過去に娘が京都で大学生活を送っていた関係で、京都には何度か足を運んだが、今回は初めての京都の秋である。今回は京都の北(洛北)にある鷹峯(たかがみね)が旅の出発点となり、まだ行っていない寺巡りをしてみた。

今年は全般的に気温が高かったせいで、紅葉の色合いが例年になく芳しくなく、それでも紅葉で有名な社寺は大勢の人々でむせ返っていた。それでも春、夏、冬とそれぞれの季節が醸し出す京都各地の風情のなかでも、秋ならではの格別なものがあった。

東福寺境内

当日は10時ごろ京都駅を降り、JR奈良線で一つ目の東福寺を散策。東福寺は京都五山の一つ、境内の通天橋は紅葉の名所でもあり、人気のスポットのため、海外からの観光客も多く、境内は人でごった返していた。紅葉を浴びるほど見て歩き、昼前に京都駅に戻って、12時半の送迎バスで鷹峯のホテルについてからは、チェックインの時間まで近隣の3寺を散策した。


光悦寺山門

光悦寺、源光庵、常照寺、と拝観するが、各寺とも京の北の外れもあって人出は緩慢で、境内をゆっくり散策できたことは何よりだった。
光悦寺 京の北、鷹峯三山を見渡すふもとにあるこの寺は、江戸時代に工芸美術で名を馳せた琳派の祖、本阿弥光悦の一族の集落(光悦村)のあった場所に位置し、光悦ゆかりのこの日蓮宗の寺は、あらゆる工芸、書画に影響を与えた当時の芸術家たちの面影を残した佇まいである。

源光庵 悟りの窓と迷いの窓

源光庵  こじんまりした庭園を望む本堂には迷いの窓と悟りの窓があり、迷いの窓は矩形をなしており、角形には人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表す。また悟りの窓は円形をしており,禅と円通の心を表し、円は大宇宙を表現しているそうだ。すべてを丸く収めるといったところか。完全な円というものは仏教では悟りを示すことになるようだ。


常照寺山門

常照寺 
井原西鶴の「好色一代男」の人情話や歌舞伎に出てきた吉野大夫ゆかりのこの寺には吉野の墓がある。芸妓である吉野大夫における太夫の称号は、江戸時代初期に誕生し、当時は女歌舞伎が盛んで芸 達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれる。写真の山門は吉野大夫が寄進したものである。



二日目

銀閣寺
銀閣寺 ホテルから徒歩25分くらいのところに金閣寺があるが,そこは以前訪れたことがあるので、ここはパスして近くのバス停から銀閣寺行のバスに乗り40分くらいで銀閣寺についた。
銀閣寺は、金閣寺ほどの派手やかさはないが、日本人好みのさびのきいた佇まいは世界遺産にもなっている。起伏に富んだ庭園からは、室町時代の金閣に代表される3代義満時代の華やかな北山文化に対し、8代義政の銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」の発祥の地としての趣がうかがえる。足利幕府の栄華の跡が忍ばれるとともに、当時、正室の日野富子と管領が政治を行う傀儡政権で政治を妻任せにして、隠居の身に身をやつし、文芸に耽る風流将軍の姿が、歴史に思いを馳せると、もの悲しくもある。


哲学の道
さて銀閣を拝観した後は紅葉で有名な禅林寺永観堂に続く哲学の道を散策した。琵琶湖水路の小川沿いに石畳が2kmほど続き、哲学者西田幾多郎が思索をしながら歩いた道ということでこの名がついたようで、この細い一本道が、雑念を払い思索に専念できるのかと、歩きながら思ってみたが一回歩いただけでは周りの紅葉に目を取られ焦点は定まりそうもない。





禅林寺永観堂
禅林寺永観堂につくと、境内の大きな池を中心に紅葉が取り囲み、やはり観光客があふれていた。永観堂を出ると、タクシーで寺町通りの俗称美術通りの一角に向かい、書画骨董や漆器の店などを見て歩き、二時ごろに昼食を済ませ、最後の寺高台寺まで市内バスで20分ほど移動した。





高台寺の夜景

高台寺 秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺で、桃山時代の蒔絵の寺として有名であるが重要文化財の霊屋の中の蒔絵は見られなかった。日が暮れライトアップを待って、夜景に浮かび上がった紅葉を見た後、近くの祇園から先斗町まで足を運び、軽く一杯やってから、地下鉄に乗り、京都駅を発ったのは7時過ぎであった。本日の総歩数は23000歩。荷物を背負っての起伏のある遊歩行は、さすがに疲れて、車内でもう一杯やりながら眠ってしまった。

2015年11月17日火曜日

変化する住宅事情

産経新聞

近頃横浜のマンションのくい打ち施工データ改ざんに端を発し、同じ施工会社の担当者のみならず、次から次と改ざんなどの不正行為が見つかっており、業界全体のデータ改ざんが常態化していることが問題になっている。住んでいるマンションが傾いていることが明らかになったのだから、住人にとって穏やかな話ではない。おそらく東日本大震災の揺れで欠陥が現れたのだろう。




問題のマンション

確かにマンションは居住性に優れ、利便性と経済性の点で私の場合、30代初めころに、県の住宅供給公社の4LDKの分譲マンションを購入し、20年ローンが残りわずかになったとき、あの阪神大震災が起きた。
ニュース映像で見た倒壊マンションの復旧が容易でないことや、数多くの居住者の考えの相違などで、合意形成が難しく、修理、建て替えがスムーズにいかないことを知ることになり、自分たちのマンションは世帯数が大きく管理組合がしっかり機能しているにもかかわらず、その後の耐震性の問題などを鑑みて、ここは終の棲家にはならないと判断し、売却して一戸建てを購入したものの、そこも6年足らずで手放し、親と同居するために2世帯住宅を新たに建て、現在に至っている。


国交省の資料によると、全国の分譲マンションは今や500万戸を越え、うち築30年以上は73万戸で今後毎年10万戸のペースで増えている。日本全体の人口が減少傾向にあるにも関わらず、どんどんマンションが建設されている状況である。
特に築30年を超えるような物件では、住民の高齢化や建物の老朽化、それに伴う空室率上昇や資産価値下落など、問題が山積しているようだ。
集合住宅の場合、個人が所有するのは住戸の内部だけ、建物の外壁や柱、エレベーター、廊下などは共用部分であり、全員の所有となる。それを全員で管理修繕しなければならないため、このマンションの区分所有権が建物の維持を難しくしている。また管理費滞納者の増加や、高齢者の増加によるマンションのスラム化が危惧されている。
 日本で建て替えを実現したマンションは、特例を認めた阪神大震災の被災地を除いて全国で40例ほどしかないそうだ。マンションのスラム化は、建物が古くなったから起こるのではなく、人間が住まなくなった時に始まり進んでいく傾向にある。


NPO法人空家空地管理センター

総務省が5年に1度調査する「住宅・土地統計調査」によれば、日本全国の空き家数は2013年時点で820万戸。国内住宅総数6063万戸に対する比率、空き家率は13.5%に及んでいる。
野村総合研究所の調査によれば、地方の高齢化と人口減少により、空き家が急増。2018年には日本の空き家は1000万戸を超え、2023年には空き家数は1396万戸、空き家率は21.0%となり、日本の住宅の5軒に1軒が空き家になりかねないとしている。地方にみられる限界集落という言葉は、今後少子高齢化が進むにつれ、都市部にも広がっていくだろう。

2015年11月9日月曜日

アートな話「芸術と経済」


私の好きな日本の画家に田中一村(本名、田中孝)がいる。生前は、まったくの無名の画家で、明治41年(1908年)仏像彫刻家の父の長男として栃木県に生れ、69歳の1977年に、日本の最南端の奄美大島で画家として認められないまま、孤独の生涯を閉じている。南の島奄美の自然を描いた画風は昭和の若冲とも称され、飽くことなき動植物の写実に徹し、どこか平坦で装飾的な画面から漂う躍動感と静けさは、アンリルソーにも似ていて、また日本のゴーギャンともいわれている。



神童と呼ばれ、若くして水墨画にその才能を発揮した彼は4、7歳の時には児童画展で天皇賞もしくは文部大臣賞を受賞し、10代では、蕪村、木米らを模した水墨画を自由に描いたという。
1926年、18歳にて東京美術学校(現東京芸大)の日本画科に学ぶが、父の病のため中退。同期には東山魁夷がいた。その後、家族を養うため水墨画を描いていたが、従来の水墨画を捨て、日本画にもどってみたものの、画壇からは不評であった。

日本美術展覧会(日展)、日本美術院展(院展)に何度も応募するが落選を繰り返す。名の売れた画家になりたいという夢が強かったと言うが、中央画壇で認められることはなかった。
 50歳の時に出品した作品は、自分の絶対的自信作であったが、これも落選。東京美術学校の同期生は、すでに審査員になっているものも多かった。中央画壇に失望した一村は、すべてを捨て、そして、一人、日本の最南端の奄美大島にわたる。そして生計のため大島紬の染色工になるが、無口で、あまり他人と交わることはなかったという。生業以外の余った時間はただ、ひたすら絵を描いていたという。画集の写真からうかがえる貧しい生活も、やせ細った身体も如何にも満足げである。そこにはゴッホのような貧しさの果ての狂気は見いだせない。
 
奄美大島に来てから描いた花鳥画は、自然を愛し、植物や鳥を鋭い観察眼で、精緻に描いた、いかにも熱帯の日本画、と呼ぶにふさわしい大作が何枚もある。一村のエピソードでは、彼が描いた村人が、亡くなってから家に飾るための遺影として、どの家にも大切に残されているという。貧しかった村では、写真にして遺影を飾ることができなかった。そこで、絵で代用をしたそうだ。
神童と呼ばれ、画家としての将来を期待されながら認められず、外側からだけ見れば、悲運の人の生涯であったようだが、本人にしてみれば好きな絵を描いて、貧しくても幸せで孤高の人生を全うしたのだろう。


奄美パークにある田中一村美術館
 
中央画壇で認められたいと、悪戦苦闘し、夢破れて、俗世間から離れ、一人自分の志を守り、静かに去って行った一人の無名の画家。そこに垣間見るのは男の美学か。現在奄美大島の奄美パークにある田中一村記念美術館に機会があれば足を運んでみたいと思っている。


思えば芸術も、我々に身近な経済も人それぞれの人生を語っている。人間の営みの根底にあるものが経済で、これなくしては個人も国も社会も成り立たない。バブルのころならいざ知らず、今の時代、芸術で飯を食うのは難しい。芸大を出ても二足わらじの人もいれば、芸術とは関係のない仕事をしている人もいる。幸いにして絵で食っていける人でも、世間に迎合すれば芸術家精神の堕落が始まる。
いっそ商業主義に徹したデザインの世界や工芸の世界であれば、その葛藤は少ないだろう。なぜなら消費者あっての生産者(製作者)であることが前提にあるからだ。
一般消費世界では、把握しきれないほど多量なモノや情報が、限られた消費者の関心を奪い合っている。良いモノさえ作れば売れたような時代は終わりつつある。前時代の希少性とマスメディアの情報独占に操作された価値観は、ネットの出現により、知識や情報の源泉が広く分散され、消費者の関心を引きつけるものは、モノに内在するエンターティメント(面白さ)とモノの属性、即ち、デザイン、性能、品質と消費者にとっての有用性であろう。芸術は長く、人生は短し。されど人生の基盤は経済である。







2015年10月29日木曜日

新映像の世紀


NHKスペシャル 新映像の世紀を見た。20世紀に発明されたばかりのムービーカメラが初めて本格的に動員されたのが、第一次世界大戦である。1914年6月、バルカン半島でおきたテロ事件(オーストリア皇太子夫妻暗殺)をきっかけに、戦火は瞬く間に世界中に拡大、毒ガス、戦車、爆撃機などの新兵器が登場、30カ国を超える国家が巻き込まれ、犠牲者は民間人をふくめ3800万人に及んだ。この戦争は、今も世界を覆う不幸の種子を世界にばらまいた。そこに関わった人々の人間ドラマを、最新の映像技術を駆使して描いていくスタンスで番組が始まった。

あのアインシュタインが天才と呼んだ、ドイツの科学者、フリッツ・ハーバー博士。画期的な肥料の研究でノーベル賞まで受賞した博士は、大戦中、人類史上初めての化学兵器・毒ガスを発明した。ドイツのために貢献したユダヤ人の博士の発明が、後世に、これがユダヤ人虐殺に使用されるという歴史の皮肉。そしてロシア革命を成し遂げ、世界で初めての共産主義国家を樹立したレーニンは、恐怖政治の創始者でもあった。
また、昔映画で見た砂漠の英雄・アラビアのロレンスは、史実では新たなエネルギー・石油をねらったイギリスの情報将校としてアラブ社会に食い込み、本国の思惑によりアラブを裏切った結果となった。今にいたる中東紛争のきっかけはロレンスから始まり、イスラエル、パレスチナ問題も、イギリス統治から端を発した。すなわち我々の生きている世界自体が、第一次世界大戦の産物というくだりである。


これら紛争の底流に流れているのは、いつ時代も国家の経済的利権である。各民族の生存がかかっているからこそ、人は命がけで戦う。
どの国の歴史も、どの民族の歴史も血塗られたものである。歴史を学べば誰も自国の犯した罪を正当化する事はできない。罪の大小はあれ、どの国も罪を犯してきた。否が応でも我々が歴史から学ぶ大きな命題は人間の犯してきた罪である。どこかの国のように謝れとか謝らないとかの話ではない。

戦争に正義はない。戦争にあるのは勝敗だけである。勝敗で問題とされるのは、強弱である。強者だけが己の正義を全うできる。 敗者に大義は許されない。戦争で一番被害を被るのは弱者である。それが歴史の真実である。また歴史は勝者によって作られるというのも,非情の真実である。
歴史は、人の犯した愚行や悪行に満ちている。 戦争の惨禍は人間の犯した罪である。第一次世界大戦後、連合国がドイツに課した膨大な国家賠償、すなわちドイツ国GDPの20倍もの賠償金が、ドイツを苦しめ、のちのナチスを生む契機になり、やがて第二次世界大戦へと繋がっていく。

戦争は、生産設備をフル稼働し、多額の経済効果をもたらす。人員も動員される。インフレーションにもなるが、それによって雇用も創出される。つまり、過剰な消費が生じて過大な需要を生み出す。その結果、金回りが良くなるのである。その一方で過去の負債や債務が清算される。又勝てば新たな市場を獲得する。 しかし、戦争は戦争である。一方で莫大な破壊を伴う。金の匂いのするところに国際金融資本は動く。ロシアとシリアの接近はアメリカとロシアの代理戦争になる様相を呈し、南沙諸島をめぐる中国とアメリカの小競り合いなど、世界中が何やらきな臭くなってきた。歴史は繰り返すという教訓は忘れてはならない。

2015年10月24日土曜日

ミクロな話


最近ミクロの世界で2人のノーベル賞受賞者が出た。物理学賞の 東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授と、片や生理学・医学賞 の北里生命科学研究所の大村智教授のお二人である。

物理学の世界では、物質のもとになる分子を分解した原子を、さらに分解していくと、これ以上分解できない限界物質といわれるのが素粒子で、宇宙から飛んでくる無数の素粒子がニュートリノといわれている物質だ。この物質に質量があることを実験で証明した。これが物理学の定説を覆した発見となったのである。2002年ノーベル賞受賞の小柴昌俊教授から始まったカミオカンデの実験装置から始まったニュートリノの研究がここで帰結したわけだ。

熱帯で寄生虫が引き起こす「河川盲目症」や「リンパ管フィラリア症」の特効薬となる抗生物質「イベルメクチン」の開発と、数々の抗生物質を発見した大村智教授によるイベルメクチンは、教授が様々な場所から土を拾いつづけ、2000~3000サンプルの中の伊東市のゴルフ場の土から抽出した放線菌を譲り受けた、同時受賞のキャンベル博士の薬開発によって牛や犬などに対する駆虫薬として発売され、世界のベストセラーとなった。
このおかげで犬のフィラリアなどを駆除でき、犬の寿命が大幅に伸びたことは愛犬家にとっては有り難いことである。また河川盲目症や象皮症で苦しむ多くの人々を救ったこの薬は熱帯地方の風土病を封じた画期的な薬でもあった。




我々人類の歴史は細菌やウイルスとの闘いの歴史でもあった。細菌もウイルスも、はたまた多細胞生物である人間の体も肉眼では見えない細胞の集合体である。細胞一つ一つの大きさはわずか1マイクロメートル(100万分の1m)にすぎず、細胞を1000個並べてようやく1cmという微小な世界で成り立っている。
その細胞が1人の人間の体の中に約100兆個あるといわれている。毎日、何千万の数の細胞が新陳代謝して、死んでは生まれ替わっているが、生体を構成している分子や原子は絶えず入れ替わり、数か月もたつと体の多くの部分の原子が新しいものと入れ替わり、1,2年のうちにはほとんどの原子が変わってしまうといわれている。(生命を捉えなおす●清水 博著)

さて、私も罹った癌であるが、癌はその中のたった1個の正常細胞が癌化することから始まるようだ。その1個の癌細胞が分裂を繰り返し、増殖していく。人間はそこに癌が発生しないで生きられるのが奇跡である、と医学は言う。
今、日本人の2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死んでいるといわれているが、なぜ急に増えているのだろうか。現代医学は、これを世界中の誰も、どうする事も出来ない。早期治療早期発見しか手立てはないようだ。
抗がん剤は増殖の速い枝分かれした若いガン細胞を狙い撃ちにするが、同時に正常な細胞まで傷つけるため副作用が多く、親元になる幹細胞ガンまで完全に駆逐できないのが現状で、この幹細胞ガンを壊滅してくれる薬は現在開発中で、治験の中でも有望な薬の開発の可能性は広がっているようだ。これが開発されればノーベル賞ものだろう。厄介者のたとえにされるガン、治癒して共存している人々も多い。酒を殺しながら飲む人はあまりいないが,ガンを殺しながら生きている人は多い。

2015年10月13日火曜日

日本経済雑感

 
●老人栄えて国滅ぶ
 

80歳以上人口が今年初めて1千万人を超え、街でお年寄りが目立つこの頃であるが、経団連のシンクタンク、21世紀政策研究が発表した2050年までの日本と世界50カ国・地域の長期経済予測によると、日本は人口減少の進行で2030年以降マイナス成長を続け先進国から脱落する恐れがあることが分かった。

貯蓄や投資も鈍化し、生産性が他の先進国並みを維持する「基本シナリオ」では30年代からマイナス成長に転じ、2050年には現在世界3位のGDP(国内総生産)が4位に落ち、中国と米国の約6分の1の規模になり、1人あたりのGDPも世界18位と韓国(14位)に抜かれる。
成長率が最も下振れする「悲観シナリオ」では、マイナス成長は2010年代に始まり、GDP規模は世界9位と中国、米国の約8分の1に縮小。経済大国から脱落し「極東の一小国」に逆戻りする可能性があるとしている。
日本の総人口は2050年には、約25%の3,300万人減少し、9,515万人となり,そして、高齢化率は20%から40%へと上昇する。生産年齢人口は、8,442万人(66.1%)から4,930万人(51.8%)となり,15歳未満の年少人口と65歳以上の老年人口を合わせて被扶養人口と言うが、現役世代と被扶養人口が「1対1」になり現役世代の過負担が問題になっている。このことから
生産年齢人口が50%に近づく日本を先頭にしたワースト7を比較したグラフ (団藤保晴氏作成)が上図である。      ●ここでいう生産年齢とは(15歳~64歳)のことである。

日本(50.9%)、スペイン(51.6%)、韓国(53.1%)、イタリア(53.1%)、ポルトガル(53.6%)、ギリシャ(53.8%)、それにドイツ(54.7%)と続く生産年齢人口割合「ワースト7」が世界の趨勢から一段落ち込んでいる。ワースト7は65歳以上人口が各国の水準より浮き上がって30%台になっていて、日本はダントツの36.5%。二番手は韓国の34.9%である。
       

上の図はH26,27年度の総務省発表の我が国の人口統計である。
ちなみに日本では75歳以上が2割を超える恐ろしい事態になっている。2050年は我々ベビーブーマー世代もほぼ死に絶える35年後であり、経済成長などとても望むべくもない状況に陥るのは間違いないところだ。戦後の中核になったベビーブーマー世代が現役から引退して、昨今の社会、経済情勢からみて労働人口の中身はお寒いばかりである。
総務省の統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)は、2015年で「日本の高齢者人口の割合は、主要国で最高」として日本(26.7%)、次いでイタリア(22.4%)、ドイツ(21.2%)などがあがっている。

OECDによる対日審査報告書(PDF)によると、人口減に直面する中で労働力を維持するために、《労働力人口の減少を緩和するため、男女平等の推進が必要である。男性の労働参加率は85%と女性よりも20%ポイント高い水準にある。もし女性の労働参加率が2030年まで男性の労働参加率と同レベルに追いつけば、労働供給の減少は5%に留められ、労働参加率に変化がなかった場合に比べ GDPは約20%高まるだろう》としているが、
  実際にこの大変革は容易ではないだろう。《雇用における男女間格差は、出産後労働市場に残る女性が38%に過ぎないという事実に表れている。

日本は子育てや学童保育に対する支出(対GDP比)がスウェーデンや英国の3分の1に過ぎない。ただし、支出を増やすためには税もしくは社会保険料収入が必要》であり、子育て支援の拡充は遅々として進まない。もう一つの労働力確保手段である外国人労働者の活用問題では、政府も尻に火が付かない限り本腰を入れない状況である。そうでなくても最近の非正規雇用拡大は若い男性から結婚の機会を奪っており、出生率改善どころか更なる低下も考えられ、労働環境の劣化がすすみ、このままの状況が改善されなければ、経済縮小が続き、日本経済に赤信号がともることは火を見るより明らかである。国家100年の計として具体的な実現可能な政策とその実行を示してもらいたいものだ。

さて我が国の経済を概観してみると、バブル崩壊後、25年以上もたった2015年現在になってもバブルの後遺症に引きずられ、未だに日本経済は立ち直れずにいる。立ち直れないどころか長期低迷の底にあえいでいる。
高度成長期に10%以上あった成長率が70年代には、5%代に、80年代には、4%代に、90年代には、1%代、2000年以降は、1%も切って、更にマイナスへと落ち込んでしまった。今日に至る日本経済低迷の伏線として挙げられるのは1985年のプラザ合意が成立する直前の9月には、1ドル241円70銭だったドル円が1週間もたたないうちに210円台まで値を下げ、1986年初頭には、200円の大台を割り込みその後、1988年に120円台で小康状態に至った。プラザ合意に基づく急激な円高によって、本業で利益が上がらない企業が続出し、アジア転出組と並行して、銀行ぐるみで株や土地への投資に奔走する企業が増え、バブルが始まった。やがて1990年代後半になるとバブル崩壊が進み、長期停滞の時代が始まった。

すなわち周知の失われた10年と言われているものだ。さらに2000年代に入ると、同時多発テロ、リーマンショックと世界が翻弄された時代である。国民総所得が20年以上も横ばい状態が続く。この時代も失われた20年と言われ、今日では横ばいどころか下降しているようにも見える。すべてが国内経済から起因したものでなく、グローバル経済下での外的な要因で動いているが、今日の日本経済は上述したように内部構造の土台が揺らいできているため、経済を取り巻く環境は一段と厳しさを増している。ましてやTPP(環太平洋経済連携協定)などの条約締結といっても、米国自体議会の反対勢力も多く、何よりも秘密裏に進められている条約ゆえに問題点も多く、国内外とも議会の承認をその都度とらなければならず、すんなりと条項が実施されることは未知数であるため、各項目ごとに吉と出るか凶と出るかは現時点では分からない。政府の歳入と歳出の隔たりは非常に大きいまま国の財政は悪化の道をたどっている中、この国はどのように進んで行くのだろうか、、、?




2015年10月9日金曜日

日本人の美学


美学という言葉がある。アカデミックにとらえれば美術の系譜を歴史的に研究したり、美の本質あるいは美の価値などを研究したりして、西洋では一貫した哲学の体系として思索の対象になっていたが、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて美意識としてのいき、わび、さびなどが古来存在していて情緒的である。

美学が何を美しいと感じ取るかは、その受け取り方は人によって異なることになり、個人的な嗜好に陥りがちであるが、そこに時代背景が絡んだ一定の普遍性を醸し出す要素がある。総論でいえば日本人の美学であるが、男社会に象徴されるように男の美学というのなら男にしかない価値を語るということになり、限りなく女性を意識しながら語ることであると思われる。
男の器 潔さ 自分なりの基準やこだわり、ストイックさ 自制抑制のきいた行動  精神のダンディズム 自分なりのポリシー  男の粋と伊達などの言葉が浮かんでくる。何を持って美しいと言うかは人それぞれの価値観でもあるが、つまるところ、これを守らないと、自分の中で自分を男として認められなくなるというのが男の美学でもある。死に目覚め生に目覚めた時、人は人生思いっきり、生きる、男としてやりたい事をやり通し、悔いのない人生を生きる、それが男の美学だろう。

梅原猛は、日本人の価値観の基本は美意識にあると言った。(「美と宗教の発見」梅原猛著
綺麗な生き方をしようとしている人間が少なくなった。特に、日本の政治家の生き様から美しさがなくなりつつある。美しさは、潔さにも繋がる。花は桜木、人は武士といった美意識がなくなってきたのである。その結果、美学が廃れつつあるのである。

美は、外見に現れる。美は形である。美を追い求めれば、形式に至る。
美の基準は外形である。むろん、外見の裏には内面がある。しかし、美の本質は姿形、外に表れた象である。形からその内面を伺い知るのである。
普通、美しい、という表現は、多く外観に対し用いられるが、「美学」という表現には、むしろ外観的な要素はなく内面的な要素に集約される。



織田長益像(正伝永源院蔵)


史実によると、桃山時代から江戸時代にかけての茶人織田有楽斎は当初織田長益(ながます)と名乗っていた。織田信長とは13、歳が離れてはいたが、信長の実弟であり本能寺の変の時は、信長の長男信忠の旗下にあった。信長討たれる、の報に接すると信忠に自害を進言し、切腹させ自分は逃げてしまった武将である。
当然、世間からはもの笑いの種とされた。だが信長の実弟として天下を取ろうなどと、奮起する気配は一向に見えなかった。その後、いくつかの戦いを経験するが生き伸び、信長の後継者となることを捨て、僅か3000石の大名となり、政治向きから遠ざかり千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられ、後には自ら茶道有楽流を創始した。織田有楽斎と名乗り、野心を捨てた茶人として豊臣、徳川に仕え、75歳の天寿を全うした人物である。
花は桜木 人は武士、と言われるように、潔(いさぎよ)い生き方とは正反対の生き方をしたこの御仁、有楽斎は現在の東京有楽町の名の由来とされる俗説もあるが、歴史の裏に潜んだ人生いろいろである。