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2016年2月5日金曜日

2016 テーブルウエアショー



東京ドーム会場風景

昨日は東京に2か月に1回の通院の日だったので、その帰りに東京ドームで開催中のテーブルウェアショーを見てきた。
平日とあって中高年の女性が多く会場は混雑していた。会場をくまなく見ると2~3時間はかかりそうなので、目に留まったもの、お気に入りの製品などを見て回った。
テーブルウエアというカテゴリーは、食文化と密接な関係があるが、大まかに言えば和、洋あるいは和洋折衷またその他に分かれ、どうしても和食器に目が向いてしまうものであるが、我々日本人が身近に接している食器も圧倒的に陶磁器が多く、食生活空間の中で占める漆器の割合は低い、特にその取扱いにおいては細心の注意が必要なため、各漆器産地の生産者も漆器の売れ行きが悪く苦心しているようだ。時遅く2013年の暮れに、我が国の和食がユネスコで無形文化遺産に決定したが、世界は今や和食ブームであふれていることもあって、日本の食文化が見直されてきた。同時に日本の漆器文化も、ライフスタイルに合わせたモノづくりで、世界のグローバルスタンダードになってもらいたいものである。
和のテーブルセッティング

ここで会場で2~3、眼についた製品をピックアップしてみると。


(陶器)周りを漆塗りで根来塗仕上げ



(ガラス)菊のデザイン
(磁器) アールデコ風デザイン

●漆器に関しては、あまり目新しいものは無かった。


最後に気に入ったぐい呑みを4つほど買って帰路に就いた。

●テーブルウェア・フェスティバル2016は、1/31~2/8まで
JR水道橋駅前 東京ドーム 

2016年1月28日木曜日

生と死のパラドックス

「死と生」 クリムト 1916

昨年暮れに親父が体調を崩し入院した後、年が明けて今月半ばに退院自宅療養に至ったのであるが、年齢も年齢だけに体調は芳しくない。足腰が弱いところに身体の衰えが目立ち介護支援をお願いした。
地域の介護センター経由で定期的にヘルパーや看護師のお世話になっていたのであるが、自宅療養は思った以上に負荷がかかり、時間に縛られがちである。女房と2人で昼夜を問わず身の回りの世話で明け暮れ、歩行困難もあり、食事もとれなくなったので、いよいよ緩和病棟に入院の運びとなった。


人間の死に様は人それぞれで、若くして急逝する人もあれば、じわじわ逝く人もある。死を悟って逝く人あれば悟らずに逝く人もある。その生き様が死に様となって現れるのであろう。私は親父のように96まで生きれるとは思わないがピンシャンころりと逝きたいものである。人生は長短で図れるものではなく密度が重要であろう。
思えば人間は誰しも無に向かって生きているものである。死(無)を意識した時から充実した人生を送ろうともがき苦しむ。目標を達成して逝った人、絶望の中で自ら逝った人、他者の過失あるいは意図によって逝った人、自然災害で逝った人、いずれも死は生のパラドックスとして蓋然的にやってくる。


病院は自宅から近いところにあるので、毎日親父の顔を見に行くのだが日に日にやせ衰えていく姿を見るのは辛いものがある。話す言葉も弱々しい。
いずれ訪れる時に向かって、日々を懸命に生きることの大事さを「死」という表層が語り掛けている。病室に行くたびに眠りこけている親父を見ると、眠りは痛みの緩和剤なのだろうと思う。介護なしで生きられる健康寿命を96年間全うしたのだから、あとは安らかに旅立ってもらいたい。


人間をかたち作る細胞はある一定の時間を経るとアポトーシス(死の指令)によって死を迎え、やがて新しい細胞に生まれ変わり、新陳代謝を繰り返し、生命を維持していくのであるが、まさに生と死が拮抗している中で、ガン細胞はアポトーシスを拒否して生き続けようとしている細胞である。この存在は生き続けるためにかえって生体そのものの死につながるというパラドックスの極みを我々に提示する。
8月には娘に子供が生まれる予定であるが、ひ孫の顔も見ることもなく生を終えるのであろう。大正、昭和、平成と生きてきた親父が死を迎え、やがて新しい命が生まれようとしてしている。そして
変わらぬようにリフレインが流れていく。

2015年11月29日日曜日

京都ぶらり旅

東福寺


入院後はや1年が経ち、無事でいられる有り難さをかみしめ、全快祝いを兼ねて、多忙の中、カミさんと秋の京都を訪れた。過去に娘が京都で大学生活を送っていた関係で、京都には何度か足を運んだが、今回は初めての京都の秋である。今回は京都の北(洛北)にある鷹峯(たかがみね)が旅の出発点となり、まだ行っていない寺巡りをしてみた。

今年は全般的に気温が高かったせいで、紅葉の色合いが例年になく芳しくなく、それでも紅葉で有名な社寺は大勢の人々でむせ返っていた。それでも春、夏、冬とそれぞれの季節が醸し出す京都各地の風情のなかでも、秋ならではの格別なものがあった。

東福寺境内

当日は10時ごろ京都駅を降り、JR奈良線で一つ目の東福寺を散策。東福寺は京都五山の一つ、境内の通天橋は紅葉の名所でもあり、人気のスポットのため、海外からの観光客も多く、境内は人でごった返していた。紅葉を浴びるほど見て歩き、昼前に京都駅に戻って、12時半の送迎バスで鷹峯のホテルについてからは、チェックインの時間まで近隣の3寺を散策した。


光悦寺山門

光悦寺、源光庵、常照寺、と拝観するが、各寺とも京の北の外れもあって人出は緩慢で、境内をゆっくり散策できたことは何よりだった。
光悦寺 京の北、鷹峯三山を見渡すふもとにあるこの寺は、江戸時代に工芸美術で名を馳せた琳派の祖、本阿弥光悦の一族の集落(光悦村)のあった場所に位置し、光悦ゆかりのこの日蓮宗の寺は、あらゆる工芸、書画に影響を与えた当時の芸術家たちの面影を残した佇まいである。

源光庵 悟りの窓と迷いの窓

源光庵  こじんまりした庭園を望む本堂には迷いの窓と悟りの窓があり、迷いの窓は矩形をなしており、角形には人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表す。また悟りの窓は円形をしており,禅と円通の心を表し、円は大宇宙を表現しているそうだ。すべてを丸く収めるといったところか。完全な円というものは仏教では悟りを示すことになるようだ。


常照寺山門

常照寺 
井原西鶴の「好色一代男」の人情話や歌舞伎に出てきた吉野大夫ゆかりのこの寺には吉野の墓がある。芸妓である吉野大夫における太夫の称号は、江戸時代初期に誕生し、当時は女歌舞伎が盛んで芸 達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれる。写真の山門は吉野大夫が寄進したものである。



二日目

銀閣寺
銀閣寺 ホテルから徒歩25分くらいのところに金閣寺があるが,そこは以前訪れたことがあるので、ここはパスして近くのバス停から銀閣寺行のバスに乗り40分くらいで銀閣寺についた。
銀閣寺は、金閣寺ほどの派手やかさはないが、日本人好みのさびのきいた佇まいは世界遺産にもなっている。起伏に富んだ庭園からは、室町時代の金閣に代表される3代義満時代の華やかな北山文化に対し、8代義政の銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」の発祥の地としての趣がうかがえる。足利幕府の栄華の跡が忍ばれるとともに、当時、正室の日野富子と管領が政治を行う傀儡政権で政治を妻任せにして、隠居の身に身をやつし、文芸に耽る風流将軍の姿が、歴史に思いを馳せると、もの悲しくもある。


哲学の道
さて銀閣を拝観した後は紅葉で有名な禅林寺永観堂に続く哲学の道を散策した。琵琶湖水路の小川沿いに石畳が2kmほど続き、哲学者西田幾多郎が思索をしながら歩いた道ということでこの名がついたようで、この細い一本道が、雑念を払い思索に専念できるのかと、歩きながら思ってみたが一回歩いただけでは周りの紅葉に目を取られ焦点は定まりそうもない。





禅林寺永観堂
禅林寺永観堂につくと、境内の大きな池を中心に紅葉が取り囲み、やはり観光客があふれていた。永観堂を出ると、タクシーで寺町通りの俗称美術通りの一角に向かい、書画骨董や漆器の店などを見て歩き、二時ごろに昼食を済ませ、最後の寺高台寺まで市内バスで20分ほど移動した。





高台寺の夜景

高台寺 秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺で、桃山時代の蒔絵の寺として有名であるが重要文化財の霊屋の中の蒔絵は見られなかった。日が暮れライトアップを待って、夜景に浮かび上がった紅葉を見た後、近くの祇園から先斗町まで足を運び、軽く一杯やってから、地下鉄に乗り、京都駅を発ったのは7時過ぎであった。本日の総歩数は23000歩。荷物を背負っての起伏のある遊歩行は、さすがに疲れて、車内でもう一杯やりながら眠ってしまった。

2015年8月5日水曜日

日々雑感

気象庁 HP


ここのところ暑さの収まりそうもない日々が続いているが、今年は確かエルニーニョ現象が広がり日本の夏は冷夏になる予報だったのが、台風の多発に伴い状況がガラリと変わった。紋切り型の定説はあまりあてにならないようだ。
このさき一週間も、東北~沖縄にかけて気温のかなり高い状態が続き、一部で40℃を超える高温となるおそれも出てきた。
東京では、きょうも35℃の予想は続き、すでに5日連続の猛暑日で統計開始以来の連続記録を塗り替えたそうな。年を取ったせいか薄くなった頭頂に照りつける太陽がじりじりと神経を刺激する。外出先でこんな日は帽子をかぶるに限ると思ってみても後の祭りだ。梅雨明け前の日照不足を騒いでいたあれは何だったんだろう?
一度でもまとまった雨が降れば、暑さに少しブレーキがかかるのだが、今週もその気配が本州付近ではないようだ。雨による冷却や空気の入れ替わりがないと、日に日に熱が蓄積され、気温が上がりやすくなってしまうのではないだろうか。私などは屋内で仕事をやっていることが多いので、クーラーのない外で働いている人は、体力を消耗して大変だろうと思う。

人間の場合、気温が高すぎると食欲不振におちいるが、反対に魚の場合は、水温が下がりすぎると食いが落ちることが知られている。以前、台風の後に千葉に釣りに行った時など、時化の後、海水がかき混ぜられて夏場なのに水温が14度まで下がり、魚が口を使わず貧果に終わったことがあったが、暑気払いに行った8月最初の走水釣行では、午後からのアジと、夜メバルはそこそこ釣れた。これも自然には逆らえないといったところか。


*エルニーニョとは、ペルー沖の海水温が上昇する気象現象を言う。海水温が上昇することで様々な異常気象を世界にもたらることで知られている。日本の場合は夏なら冷夏、冬なら暖冬となり、今年は既にエルニーニョが観測され、更に今後もかつてない規模で大きくなる予想が気象庁から出ている。ペルー沖の海水温が上昇すると、周囲の海水温が影響されて高くなる。この高い海水温域が日本に暑い夏をもたらす太平洋高気圧を引っ張り、東に寄ってしまい、結果として、日本は太平洋高気圧の影響が薄くなり冷夏となるようだ。

2015年6月14日日曜日

大アマゾン展



今月14日に終わるというので、11日に上野の国立科学博物館で行われている大アマゾン展を見てきた。会場は12のブースに分かれていて、アマゾンの成り立ちから各種生物のはく製や、植物、生きた魚類の展示など、日本の20倍の面積を持つ世界最大の森林の饗宴が狭い空間で繰り広げられていた。平日にもかかわらず、冒険というコンセプトに誘われて老若男女が、会場を埋め尽くした。会場では多くの映像を駆使して解説もあったが、圧巻は最後の4k画面の巨大スクリーンの臨場感あふれる画像だった。



モルフォ蝶と帝人のモルフォテックス

中でも帝人が開発したモルフォテックスの見本が会場で目を引いた。この不思議な色調は、アマゾン川流域に生息するモルフォ蝶の翅の構造を模倣することにより開発されたもので、ナノレベルの薄膜を数百層も積層したフィルムで、着色に金属や色素を用いることなく、光の干渉を利用して構造発色させることが可能で、現在の印刷技術では不可能な領域の発色を生み出している。人類の過去の技術のイノベーションは、あらゆる分野で自然から学んだものが圧倒的に多い。



大アマゾン
この世界最大の熱帯雨林には、6万種の植物、1,000種の鳥類、2500種の魚類、300種以上の哺乳類が暮らし、未だ確認されていない生きものが2万種も存在し、遺伝子資源の宝庫といわれている
しかし、南米9カ国にひろがる広大な森は、あと50年ですべて消えるだろうと予測されている。食物連鎖の頂点に立つ人類が、自然を脅かしているのだ。
近年、アマゾンの森は徐々にその姿を変えつつある。大規模な農地に姿を変え、大豆の栽培が盛んに行われ、畜産の飼料として世界中に販売されている大豆が、実はアマゾンの森を切り開かれて作られたものだったり、またバイオ燃料としてのトウモロコシやサトウキビの育成農地開拓などによる違法伐採、大規模な農地や放牧地への転換など、動植物の楽園は確実に縮小をしていくだろう。

文献によると、アマゾン川は、南アメリカ大陸の西に連なるアンデス山脈(ペルー)の標高5000メートルの氷河から融け出した水が源流となって、延長約6500キロ、流域面積705万平方キロ、支流の数約1100、川幅平均3~14キロ、河口の幅約350キロとなっている。
アマゾン川流域は、年間雨量4000ミリと雨が多く、湿地に満ちている。アマゾン川が運ぶ水と土砂は、透明な川、白い川、黒い川、褐色の川として流れ、世界中川のすべてが、この川に集まっているといわれ、肥沃な土地と豊富な生態系を創り出してきた。 近年、アマゾン川流域の開発が進み、計り知れない生物多様性の自然環境の破壊の危機に直面し、地球環境にも悪影響を及ぼしかねない状況下ではアングロサクソンの自然と対峙する手法を変換し、古来自然と共存してきた日本人の英知を組み入れる時期に来たのではないだろうか。帰宅して、わが部屋の作品「楽園シリーズ」とピラニアの彫刻を見ながらアマゾンに想いを馳せる一日であった。

2015年5月16日土曜日

鎌倉界隈

左から大正7年植樹した頃の段葛 中央平成26年 右平成27年 5月
 

最近久しぶりに用事があって鎌倉に行った。昨年の10月の入院以来久しぶりに見た鶴岡八幡宮の参道段葛は、桜の木が抜かれ高い工事用の塀が八幡宮に続いていた。月日の移り変わりの速さを感じた次第であるが、鎌倉市では近年、玉石の崩落が相次いだことや約250本に及ぶ桜並木の樹勢が衰えたこともあり、平成22年に鶴岡八幡宮から整備を求める訴えがあったという。
工事主体となる鶴岡八幡宮と国・県・市による総事業費は約5億8千万円。工事期間は1年半程度とみられ、玉石を新たに築き、桜を植樹することで全体をかさ上げすることになった。

期間中は段葛の両側を高さ約3メートルのパネルで遮断して通行止めとする。段葛はメーンストリートである若宮大路の中央部に築かれた高さ約1・2メートルの土塁上に敷設されており、現在は同大路に下りるための出入り口が36カ所設置されているが、歩行者の安全確保のため整備後は大幅に減少する見込みだ。鎌倉彫会館と目と鼻の先にある反対側の鎌倉彫慶には通路が遮断されていて鳥居まで戻り、大回りをして店に行かなければならない。そうでなくても慢性的な混雑ポイントのこの界隈は、工事でさらに混雑することが予想される。来年の初詣も今年同様歩道が人であふれることになるようだ。

報道によると、その改修工事は11月4日から始まった。老朽化の目立つ参道を補強し史跡としての風致・遺構を保全するとともに、参拝者と車両の安全確保、桜並木の回復と育成が主な目的で、期間中は高さ3mの仮囲いで遮蔽され、工事が終わる2016年3月まで通行できない。
改修により左右の堤をコンクリート擁壁の上に石積みする構造として、積石のたるみや崩落を防止するほか、踏み固めで桜の根を傷めないよう、参道の下に貯留槽と基盤材を埋設する。また試掘調査で発見された土層を保護するため、南側に向かって厚くなるように参道路面の「かさ上げ」を行う。東西への横断が可能な「開口部」に関しては、これまでの36カ所より少なくなる見込みだ。
また 現在植えられている桜は、専門家が「育成が期待できる」と鑑定したものを平家池周辺に移植し、そのほかは伐採する。改修後は、種類や樹齢など可能な限り統一した桜を新たに植え、育成に適した樹間を確保するため従来(248本)より少ない180本程度となる予定。つつじ類は全て同宮の境内と、交流のある東日本大震災の被災地に移植する方針だ。

若宮大路の中央部に位置する段葛は、鎌倉時代に源頼朝が政子の懐妊と安産への願いを込めて鶴岡八幡宮から由比ガ浜にかけて、頼朝が築いた。幅4~5メートル、長さ約500メートルの参道で、何も植えられていない段葛に松や梅が植えられたのが明治のことで、桜が植えられたのは1918年(大正7年)頃のことだったと言われている。 その後石垣を。昭和30年代には玉石が積まれ、それを覆うようにツツジが植えられた。思えば親父の年が大正7年生まれで、ほぼ同じの97歳である。
ここの桜はソメイヨシノでこの桜は江戸時代に染井という植木屋が、江戸彼岸桜と大島桜を掛け合わせて作った新種の桜である。 山桜や他の桜と違って成長も早いので、あっという間に全国に広まった。その代わりに寿命は100年といわれており、手入れが行き届いてないと60年とも言われている。老木が朽ち果てる前に新しい見頃の桜を植樹する予定であるが、上の画像は大正7年の段葛と昨年までの老木が咲き誇っている段葛と今年の段葛である。

樹木に限らず生きとし生けるものはいずれ寿命が来る。天命とは言え我が家の老木も100歳を目指して目下奮闘中である。

2015年5月7日木曜日

顔について


2月初めに退院してから、顎の術後経過は日毎徐々に良くなっている。現代医学の最先端技術で元の顔に戻りつつあるが、外見は凝視しないとわからない傷が、右下顎の周りを覆っている。術前には他の患者の顔の修復写真を見ていたので、期待どおりのダメージの少ない外見に安ど感はあったのだが、いかんせん食事の際の食べにくさと、喋りにくさには閉口している。
自分の肩の骨と肉を顎に移植したのだから、口腔内が狭くつっかえ棒をしているようで、四六時中違和感は消えないのだ。物を噛むときは残った左顎と歯を使い、右顎は左顎に連動して動かされているだけなので、長時間の咀嚼は顎がだるくなってくる。喋ると滑舌の悪さも気になるが、やむを得ないとあきらめている。
顔の外見が崩れていないだけでも良しとしなければならない。阿部公房の小説「他人の顔」ではないが、ひどい火傷を顔に負い、他者との通路を得るために仮面を作った主人公の心の葛藤までには至らないが、容貌が一変するほどのダメージを負った場合は、この小説はリアリティーを帯びてくる。ことそれほどに顔の人間存在に占める比重は大きいのである。

第一印象という言葉があるが、もし言葉を交わさないのであれば第一印象なんて言葉は顔の印象を言っているに過ぎないのではないか。人はまず顔を見てその人間がどういう人間か判断するのだ。顔はたんなる物体ではない。観察者の記憶や経験や先入観やそのときどきの感情によって、相手の顔にはおどろくばかりに多彩なバイアス(偏見や歪み)が加えられる。見る側の内側から身勝手な投影がなされ、ときには別人のイメージと重ね合わされ、その結果として顔は事実上の変形と加工を受けるだろう。いっぽう見られる側も、相手を欺こうとすることがあるから厄介だ。
本心とはまったく別の表情を浮かべたり、演技によって顔の雰囲気をコントロールしようとする。人間が他人の価値を判断するとき容姿にどれだけ依存しているか、という危うさはつきまとう。


画面右がプロフィール

これらの顔の特性は、遺伝的なつながり、進化的に準備された学習、各文化に特有の学習をつうじてさまざまな属性をあらわす。性別、人種、アイデンティティーといった変化しない個人的属性、感情という急速に変化する属性、さらに年齢と身体的なゆっくり変化する属性などの相互作用で表情が出来上がる。人は相手を知ろうと会話を望み、自己を表現するために会話を発する。他者のまなざしの前では、ショーペンハウエルの言葉を借りれば「一般的に顔は舌よりも多くのことを語る…」ことになる。
同時にこのことは、顔は、他人の目の判断によつて、自と他と区別する大切な表徴であり、表層と内面は絶えず揺れ動いている。
そんな顔であるが、顔には否が応でもその人の生き様が刻まれていく。人の顔とは、その人物の人生そのものである。だから若い時に、いい顔をしていた人物が、年を経て妖怪顔になったり、若い時は、普通の顔 だった人物が、中年になっていい顔になるということは、よくあることだ。
だからよく言われる「人間40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉は「自分の人生とちゃんと向き合え」という意味で、リンカーン元アメリカ合衆国大統領の言葉でもある。
日本でも 「男の顔は履歴書だ」と云ったのは、故・大宅壮一(ジャーナリスト)である。男女を問わず経年による劣化とともに知らず知らずのうちに変貌を遂げていくのはいたしかたないことだが、年相応の年輪の入り方がある。
フランス語でプロフィールという言葉があるが、一般的には略歴と解釈されるが、横顔という意味もある。人間を正面から見ると、他者のまなざしの前で繕った顔が浮かび上がる。横顔は他者のまなざしを意識しない素の顔でもある。ある人物を見た場合、正面から見た顔と横から見た顔に内面的な違和感と落差を感じた場合、その人物の本質的な部分を横顔で知ることになる。誰しもいろんな顔を持っている以上、表層と内面の葛藤は続くものである。

2015年2月4日水曜日

まさかの、、、


東京医科歯科大学附属病院
昨年6月 3 日の当ブログでも書いていた顎の骨の関節症が、その後治療開始から5ヶ月以上経って、下顎骨の癌と診断が下つたのは10月を半ばすぎた頃だった。途中親知らずを抜歯した後に術後の経過観察が続いたが、レントゲンも最初の一回だけで、顎関節症は長引くと言われていたことで漫然と痛み止めを続ける日々が続いた。
こちらの様子を見てようやく二回目のレントゲンを撮ったところ、様相が変わったと、くだんのヘボ医者が顔色を変え、翌日CTを撮ったところ、癌が進行しているとの診断で、急遽市内の専門病院を紹介されたが、それを蹴って日本で一番実績のある東京医科歯科大学病院の口腔外科の原田教授に直接メールでコンタクトを取り、」手術入院の運びとなった。

まさか顎の骨に癌が出来る事など想像だにしてなかったので、漫然と経過観察をしていた総合病院の口腔外科のバツの悪そうなヘボ医者の顔が眼にやきつく。癌のステージを正したところ、口ごもり2と言ったが、明らかにこの医者は嘘を言ってると直感した。

下顎の骨から発生した癌は、症例も少なく珍しいがんの種類に入るそうだが、ステージは4と言われたが幸いにしてリンパ節には転移してなかったのがせめてもの救いであった。顎関節の再構築の手術は17時間の長きに及んだが、術後は切断した顎に自前の肩甲骨の一部と付随した肉を下顎に移植したため、入院生活は非常に辛いものがあった。最後に25回の放射線(50グレイ)を当てた影響で、口内炎がひどくKOされたボクサーのように唇も舌も腫れ上がり、食事は流動食しか取れず、入院は3ヶ月を超え、体重も約八キロ落ちつらい日々だったが、カミさんにも私以上の苦労を掛けてしまった。その間会員の皆様を始め関係各位並びに多くの方々のご厚情を頂き、この紙面を借りて厚く御礼を申し上げます。

今思うと医療に関してはセカンドオピニオンは不可欠ということを実感した次第であるが、現在コンビニの数(全国で27000)より多い歯科医院は、玉石混交で需要と供給の経済原則から、地域人口の減少にともなう供給過多で、腕の悪い医者は消えて行き歯医者の経営も大変らしい。ただ地域の総合病院の口腔外科で設備が揃っているにもかかわらず、ガン発見まで五ヶ月を要したことは、こまめなレントゲン診断を怠ったこともさることながら、担当医師の感度の悪さを思わざるを得ない。

そのことに関連して昨年の四月から五ヶ月の間、ひどい肩こりに悩まされていたが、どうやら漢方では、「病膏こうにいたる(入る)」といって、病気がその位置にくると治りにくいと言われており、そのツボは肩甲骨と背骨の間を、上から指一本分下がったところにあり、私が集中的にマッサージ機でもんだところと左右一致する。文献では肺がんなどもここに頑固なコリがが出るらしいから要注意だ。術後は嘘みたいにコリが消えたが、五ヶ月間同じところを揉んだので、今でもその場所にアザが残っている。今回のことで漢方もバカにできないことが分かった。


医療の崩壊  (貧困大国アメリカの第三弾)


国民皆保険を目指したアメリカのオバマケアーは、海の向こうでは大変なことになっている。「がん治療薬は自己負担、安楽死薬なら保険適用,高齢者は高額手術を避け痛み止めでOK。一粒10万円の薬。自殺率一位は医師で、手厚く治療すると罰金、やらずに死ねば遺族から訴訟。こんなことが1%の超富裕層(国を操るものたち)の手で進行している。その仕上げが、人類の生存と幸福に直結する「 医療」の分野だった。前にご紹介したアメリカに関する堤未果の最新のレポート第三弾「沈みゆく大国アメリカ」。現在TPPを交渉中の日本にとって、これはフィクションではなく明日の日本の姿になるかもしれない。と言及している。

現在医療費削減のため我が国は医療機関に対して、無駄な薬は出さないよう指導しているようで、実際医者にかかつていると医者は患者が要求しても必要以上の薬は出し渋っている。いわゆる高齢化社会に伴う医療財政の逼迫によって国からのお達しがあったのだろう。日本の近未来は様相は違うものの、やがてアメリカのような市場原理に医療現場が押し潰されて行く危機感とその可能性に、本書は警鐘を鳴らしている。

さて本書によると、周知のようにアメリカはクレジット社会で、国は国民に借金を奨励している。クレジットに占める医療費負担の割合が大きいのは、国が高額な医療費や製薬会社の法外な薬価(一粒10万円のすごい薬も出ているようだ)一部独占的な保険業者の高額な保険料などで、無保険者を含め低所得者のみならず、中産階級までが自己破産に向かって悲鳴をあげている。

そんな中でオバマ大統領が打ち出したオバマケアー(患者保護並びに医療費負担適正化法案)は国民皆保険制度を目指して立ち上げたものの,一部抵抗勢力(1%の富裕層、国を操るものたち)によって骨抜きにされている。
特にぼろ儲けの製薬会社に対しては、彼らの既得権である薬価の交渉権を政府は奪取できない状態だ。その内情は今後10年で見積もられる処方薬の総額360兆円のわずか2%(8兆円)の値下げとの引き換えに、
オバマが薬価交渉権という選挙公約を放棄する取引を業界との間で交わしていた事にある。

またオバマケアーは保険業界が既往歴や病気を理由にした保険の加入拒否を違法にしたが、業界は代わりに薬を値段ごとに7つのグループに分け、患者の自己負担率を定額制から一定率負担制に切り替えたから、患者負担は恐ろしく跳ね上がる結果となった
中産階級の没落と共に借金漬けで、7秒に一軒の家が差し押さえられ、労働人口の三人に一人が職につけず、六人に一人が貧困ライン以下の生活をする中、年間150万人の国民が自己破産者となって行く国アメリカ。市場原理が働く社会で、医療や保険の縛りで医師も看護師も過重労働をしいられ、医療という聖域に市場原理を推し進める業界の犠牲者である。


アメリカには65歳以上の高齢者と障害者、末期患者のための(  メディケアー)と最低所得層のための(  メディケイド)という二つの公的医療保険があるが、メディケイドは国からの治療費支払い率が、民間保険の六割と非常に低く、メディケアーは8割と高いため、メディケイド患者を見れば見るほど医師や病院は 赤字に追い込まれるため、これらの患者を見る医者が激減した。その裏には保険業界が牛耳る医療機関に対し、オバマケアー保険加入者を見る指定医療機関リストを大幅に縮小したり保険の支払い率を下げた業界の操作があった。
一方でがんじがらめの保険会社に提出する診療報酬のための膨大な書類提出作業と、高額な訴訟保険の備えで、ワーキンプアーになる医者も多いという。そして驚いたことにこの国の専門職の中で自殺率がトップの職業が医師という本書の報告である。

  またこのオバマケアーは皆保険制度を機能させるために様々なことを義務化する。その一番のハードルが(社員50人以上の全企業は、従業員へオバマケアー条件を満たす健康保険を提供すること。) これが従来の格安の企業保険からオバマケアー保険に送られ、企業側は保険の要件を満たさないと罰金まで食らうことになる。そのため企業側は人件費削減のため
労働者の非正規化を進めることになり、聖職である大学教授も非常勤講師に落とされ、今では全米の大学短大で非常勤講師の占める割合が、7割以上を占めている。国力の基盤である教育が資本の原理で崩壊してゆくことは、国家にとって由々しき問題であろう。


アメリカの医療はビジネスという理念で成り立っている皆保険制度に対して、日本のそれは、憲法25条生存権に元ずく社会保障の一環として成り立っており、そこには歴然とした隔たりがある。問題のTPPもさることながら、今後外資企業が日本の経営不振の医療法人を買収する可能性は十分あるが、命の沙汰も金次第と言ったドライな営利主義に凝り固まった強欲な銭ゲバ連中の動向には注意する必要がある。

今回入院で病院のお世話になって見て、高額医療の場で日本の国民皆保険制度の有難さが分かり、日本に生まれて良かったと実感する次第である。今や高齢化が進む我が国の医療財政が曲がり角にきており、その危機的状況も想像できるが、ここは国政を預かる政治家や官僚が知恵を絞って難局を乗り切ってもらいたい。


2014年10月15日水曜日

お知らせ


体調がよろしくないので、しばらく当ブログ休筆いたします。



なお10月14日まで鎌倉彫会館で開催中の喜彫会展は19号台風直撃のため予定より
1日早く終了いたしましたのでご了承ください。

2014年8月10日日曜日

高齢化社会到来

横浜市発行の介護サービスガイドブック

1か月半前から区の福祉課に親父の介護認定の申請をして、その後2回に分けて自宅に市の担当者とケアプラザの担当者が来て本人から聞き取り調査した結果、介護に当たらない要支援2ということで話が落ち着いた。週2回リハビリが出来て、周りのお年寄りとの交流ができるところを何件か紹介されて、連日の暑さの中、本人を連れて見学に行ってきた。

区の福祉課から渡された横浜市の冊子を見ると、近所にある該当施設が相当数ある。中には昔病院だったところが介護施設になっていたり、医療法人が運営する大規模な施設などもあり、こういったところは1日いなくてはならず、通院入院のお年寄りも多く、初日は規模の大きい施設2件を見学したが、様子を見て本人も週2日で一日は居られないようで、そこは断らして頂いた。高齢社会の縮図のようなところを見学して、私もいずれこのようなところにご厄介なるのかと思うと気が重くなると同時に、そこで働く若い人たちの健気な姿が印象に残った。
私の周りでも顔見知りの若くない女性が4人と若い女性が2人この介護の仕事をやっている。町ではあちこちの介護センターの送迎車が走っていて、高齢化社会の到来をひしひしと感じるこの頃である。<年は取りたくネー!>と思っていてもいずれ通る道と諦めはつくが、人生なんてあっという間だ、御同輩。

さて2日目は週二日で半日過ごせるところで定員10名のこじんまりしたところを紹介されて行ってみた。室内には何種類かの運動器具があり、マッサージ師が、一人15分ほど順番でお年寄りをマッサージしていた。ちょうど見学の時間は頭のトレーニングをやっていたが、最年長の親父も参加を促されやっていたが全員反応がよくボケっぽい年寄もいないので、安心したようだった。ちょうど定員が一人空いていたので昼まで居させてもらい私とカミさんはその場を後にし、のちほど迎えに行くことにした。
結果は本人が気に入ったようなので後日契約を結ぶことにした。思えば自宅でご主人の介護をしているご近所からの早めに手続きを取るように進言されたこともあり、今回の手続きをしたわけであるが、人間一人を介護をするということは大変なことだと思った。

2014年6月3日火曜日

身辺雑記


顎関節症の部位
4月頃に材料の鉋掛けから、トリマーまで使い木地づくりを10個ばかりやってみたが、そのころから例年になく肩こりがひどく、首から顎にかけての痛みもひどくなり、家にあるマッサージ器でもみほぐしてみたものの、なかなか治らず、口腔外科で見てもらったら、右頬の痛みが顎関節症という診断だった。その後痛み止めを飲んだり、近所の鍼灸院で針を打ってもらったりして1週間ほどで痛みのピークは過ぎたので、そのうち治るだろうとたかをくくっていたが 6月に入ってもまだ痛みは残っている。

顎関節症というのは、あごを動かす筋肉に痛みや違和感を感じるもので、首筋や肩の筋肉に連動していて、肩こりもひどくなるのが特徴である。特に若い女性に多い病気らしいが、最近ではこんなおっさんでも増えているらしい。一番つらいのは口を開けるのが痛く、最初は指1本口にやっと入る程度しか入らなかったものが、最近では大口も開けられるようになったので食事も普通にできるようになった。5月半ばごろに情けなかったのは、すし屋で握りを食べる時まともに口が開かないので、ネタを最初に押し込み、シャリを小分けにして口に入れていたら寿司屋の親父に怪訝そうな顔で見られたことだ。痛みで渋い顔をしながらまずそうに食ってる印象だったのだろう。それにしても2か月以上たった今でもまだ完治せず、痛みは残っている厄介な病である。同じ姿勢で長時間仕事をしている人や、歯を食いしばって作業をしているご同輩は要注意。肩の力を抜いてリラックスして根を詰めないことが肝要である。


西洋鉋と西洋鋸

わたしの工房には木地づくりのための電動工具が何種類かあるが、これらは木取りと言って材料を切ったり、削ったり、穴をあけたりするのに効率よく楽に作業ができる道具である。しかし最終的な仕上げは、すべて一般的な大工道具を使っての手作業である。代表的な道具である鋸や鉋などはもともとヨーロッパから来たもので、日本のものとは使い方が真逆で押して使う。日本の道具は引いて使うことから西洋よりも緻密な作業が出来て使いやすい。実際に使ってみて鋸にしろ鉋にしろ引くほうが楽である。西洋人の身体構造と日本人の身体構造の違いとも言えるが、感覚的なものもあって、能動的で荒削りな押す文化と受動的で繊細な引く文化とも言えるだろう。

愛用の仕上げ用の鉋と鋸

あえて西欧の道具を使う日本人は少ないが、日本の道具を愛用している西洋人は多いと聞く。とにかく力加減の自在性に優れ、細かい仕事ができるのである。刃物も日本には優れたものが多く、日本に来る外人でも知る人は日本の包丁を土産にするらしい。特に和包丁は洋包丁と違って片刃仕上げになっており、洋包丁が肉を叩き切る食文化の上に形作られてきた部分があるのに対し、和包丁は魚を引き切る食文化の上に発達してきた違いがある。西洋料理人がTVで調理をしているのを見ていると包丁さばきも押し切りである。いずれにせよ切れ味を左右するのは、ふだんの道具の手入れと調整であることには変わりがない。

2014年4月12日土曜日

老成



メバルの老成魚

一般的に言って、動物は経験を通じて累積的に学んでゆく傾向を持っており、したがって老成した個体は通常もっとも老獪で賢い動物である。魚にしても老成したもの(大物)は警戒心も強く、やすやすと釣り人の手にはかからない。釣りをやってきて、折に触れそういう場面によく遭遇した。すなわち修羅場を潜り抜けてきた大物ほどアタリが小さいため、注意深く事前に対処しなければ、違和感を覚えられたときに餌を吐き出すことがよくあるからだ。まことに逃がした魚は大きいとは、つり人の語り草である。

ところが人間にあっては、自分と世界の間には象徴と言語とが介在してくるために、世界を誤って解釈することがおき、しかもこの誤った解釈が先入観となり固執することが多いので、したがって老人かならずしも賢い人とは言えないことになる。人は多くの場面で仮説を立て、検証を繰り返す。わからないから、あれこれと想像力を膨らませ、あらゆるモデルを動員する。その中のいくつかのものは、繰り返し検証され、その確かさが確認され、「知識」となる。特に科学の世界では検証に次ぐ検証の結果、精緻な結果と確信が得られるのであろう。あくまでも結果を想定してのプロセスの不明瞭さは馴染まず、今回のSTAP細胞に対する発見への信憑性が揺らいでいるわけだ。

毎日新聞
はたしてSTAP細胞は神話だったのだろうか?神話は説明のつかないものを説明するための仮説であり、検証不能な仮説をいう。基本的に誰でも提起できるものであり、新しい神話は常に作られる可能性を持っている。若い研究者は組織の老人たちに反論したが、STAP細胞の存在証明は不明で多くの国民が半信半疑のまま成り行きを見守っている。若くして老成しないことを願いつつ。






愛犬ラッキー


我が家の老犬ラッキーも、今年の10月で10歳になる。飼い主との言葉のキャッチボールは出来なくても、感情のキャッチボールは出来ており、喜怒哀楽も激しい。自分(犬)の好きな言葉には特に目を輝かせて答えてくれるし、自分の都合の悪い時は顔をそむけて横目でこっちを見たりする。私より犬を面倒みているカミさんの話では、他の犬をかまっていると嫉妬をし、たいそうな剣幕になるらしい。他の犬と遊んでいても、チラッと見て飼い主の位置を必ず確認している。
犬も賢くなって普段から飼い主を観察しており、だれが主人かを認識しており、ただ横になってるだけじゃなく、人間観察しながら寝転んでいるわけだ。我々が出かける時など、カミさんは犬に子供に接するように話しかけるが、言葉を理解しているわけではなく、発音の仕方や仕草、視線、表情、身体の動き、声のトーン、などを総合的に判断して、いわゆる空気を読んでいるのだ。犬とのコミニケーションが濃密なカミさんの姿が見えないと悲しそうな声を発し、まるで子供のようで自分を犬と思っていないようである。小型犬の寿命は15年ほどだが、犬も老犬になるとボケるらしく、犬仲間の話では足腰が弱り、食欲もなく昼夜を間違え無駄吠えして寝たり起きたりの犬がかわいそうになって、世話になっている獣医と犬のそばで安楽死の話をしていたら、寝ていた犬が突然起きはじめ餌を食べだしたという。この犬も何か嫌な気配を感じたのだろうか。(笑い)

2014年1月22日水曜日

鎌倉散策

光明寺庭園             石庭

後日談になるが、今年の鎌倉での初詣は、正月3日に由比ガ浜で偶然見つけた光明寺から鶴岡八幡宮に足を運んだ。例年になく今年の鎌倉は混雑していて段葛の中程まで行列が続きなかなか動かないので、参拝を諦め後日参拝をすることにした。光明寺は私の近所の檀家寺と同じ浄土宗の寺で由緒ある佇まいで、歴史のある寺の境内を散策した。

上の画像左は光明寺本堂の左側の庭園(光明寺の大殿)。右は石庭で秩父青石のうち、奥の三石が阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を表し、手前の五石が浄土五祖(釈迦・善導・法然・鎮西・記主)を表す。



当日は久々に息子と3人で鎌倉の七里ガ浜のアマルフィーで昼食をとり、鎌倉の海を眺めてからの初詣だったのだが、八幡宮のあまりの人の多さに辟易し、いつでも来れるという気分が先行し、八幡さんは月半ばを過ぎてすいてる初詣でとなった。
もともと鎌倉は中学高校と6年間通い続けたところで、私にとって馴染みの深い場所であり、現在鎌倉彫をやっているのも何かの縁だと思っている。

鎌倉彫 慶

丁度段葛から少し入ったところに、鎌倉彫慶という組合が運営している店があるが、最近まで私がその店のホームページを担当していたが、現在は鎌倉彫会館のH.Pに併合され、今は特に作っていない。私のもう一つのブログ鎌倉彫通信は、現在閉鎖中なので鎌倉彫関連の話も「四方山話」のなかでしていくつもりである。

2014年1月13日月曜日

骨董市

東京ビッグサイト 骨董ジャンボリー

東京有明にある東京ビッグサイトで開かれている、骨董ジャンボリーを見に行ってきた。1月と8月の2回開催される日本最大級の骨董市だが、広い会場に500ほどの全国の骨董屋が集結して、和洋骨董、古美術、民芸品、家具や、紙モノ、おもちゃ、雑貨など数多くの品々が所狭しと会場を埋め尽くしていた。大勢の一般客やバイヤーなどに混じって外人客もちらほら見受けられた。中でも中国人の買い方はすごく、業者も鼻息が荒い。

中央の通り

出店している知人の話では、代金決済は全て現金払いで、どんな小さな店でも3日間の売り上げは2~30万は下らず、中国人相手の業者の中には5~600万の札束をちらつかせている業者もいるようだ。 海外ではフランスの蚤の市などが有名だが、青い目の外国の出品者も変な日本語で客の呼び込みをしていた。
会場は広く全部の店を隈なく見るとなると、4~5時間はかかる。最終日に行ったので、あまり思ったものは買えなかったが、いろんなものがあって見るだけでも楽しめそうだ。
骨董市は大井,大江戸,大和と時々足を運ぶが、なかなかピンとくる品物との出会いは少ないが、運がよければ良いものと出会えるのが楽しみである。ゲットした品物がお宝になるかならないかは、ご当人の心がけ次第といったところか?
人間誰しも収集癖というものが少なからずあるものだが、男女で比較すると圧倒的に男の方にコレクターが多いそうだ。また自分にとっては宝物でも、他人にとってはただのゴミになりうるのもこの世界の常である。

2013年12月31日火曜日

一本釣り


今年も毎年4~5回はある忘年会の最後は、家族集まっての締めとなるわけだが。はて今まで何回年を忘れたことやら。
竿先に糸が垂れ、竿尻に馬鹿がいる。
 
その年が終わりまた次の年に心がリセットされ、新たな年に向かって人は歩み始める。良い年であろうが、悪い年であろうがロマンを求めて淡々と生きるしか我々小市民には生きるすべはない。
我が国を取り巻く国際環境や社会環境あるいは原発に象徴される自然環境など、重くて抜き差しならないこの時代に、どっこい我々は生きている。

忘れたいこともある中で、日々の中で記憶にとどめておきたい心の内を自身の記録として保存し、私に関わっている身近な人々に発信することで始まったこのブログも早いもので6年が過ぎた。
基本的には自分たちを取り巻く世界や社会の疑問を解き明かす知識欲がモチベーションとなり、このブログも回を重ねている。いわば私自身が、広大な知識の海に一人小舟に乗って釣り糸をたれている釣り人のようなものであろうか。まさに竿先に糸が垂れ、竿尻に馬鹿がいる風景が思い浮かぶ。情報の洪水の中で取捨選択をしても有り余るものがある。少なくとも間違った情報や偏った情報に陥らないように心がけてはいるが、情報は釣った魚のように生ものである。取り扱いを間違うと腐臭を放つ、煮て食おうが焼いて食おうがあるいは刺身で食おうが、それは釣り人の勝手である。そのような日々の中で食べる側(読者)の美味に浸る顔や、まずいものを食わされた顔を思い浮かべながら魚という情報を追いかけている自分がいる。

そして魚(情報)を探してくれる道具が魚群探知機であるところのインターネットだ。大学時代には調べものがあれば図書館に行かなければ見つからなかったものが、今の時代はネット検索で有料無料にかかわらず居ながらにして大概事足りるので便利になったものである。いわば我が家の書斎が図書館でもある。

めまぐるしく変わる時代の流れに翻弄されつつ、この年末には我が工房も実験的にハードルは高いが、巨大化するネット通販のAmazonに出品することにした。昨今の消費性向も上向かない状態が続き景気低迷の中、どの業界も 生き残りをかけてしのぎを削っているが、来年は景気が上向くことを期待しつつ、まずは良いお年を。

2013年11月13日水曜日

沖縄駆け足紀行


琉球王朝時代の王宮  首里城

普天間の基地問題で揺れている沖縄に行ってきた。35~6年前に新婚旅行に行った地であるが、沖縄は悲劇の島である。今回は短い期間だったが、たまたま行く機会があったので便乗してカミさんと行ったわけである。沖縄は14世紀頃、琉球王国として栄えていたが、16世紀に薩摩藩に侵略され、明治維新後は日本のものとなった。琉球王国は元来武器を持たない民族で、政治・外交は交易などを通じて中国、日本、東南アジアの国々と平和裏に交流してきたという。首里城に“守礼の門”があるが、これは徳礼を用いて政事を行うという意思表示だそうだ。当時薩摩藩は武器を持ってやって来たので一日で占領された。漆器、陶器、染め織物など文化財を持って行かれた。沖縄人の薩摩に対する敵意はいまだに残っているということらしい。

普天間基地         嘉手納基地


 日本の領土となっても悲劇は続く。太平洋戦争末期の1945年6月、米軍の猛烈な艦砲射撃の後、米軍が上陸、本土防衛の盾になり、日本で唯一地上戦が行われ日本兵・民間人約20万人の犠牲者を出した。米国の占領が続き、1972年に日本復帰を果たしたにも拘らず、米国に基地を提供しなければならなかった。 日本の0.8パーセントしか占めない沖縄の地に、日本にある米軍基地の75パーセントが押しつけられているという。


今回は1泊2日の強行軍だったのでレンタカーを借りてもそう多くは回れなかった。
早朝に家を出て、沖縄に到着したのは11時を過ぎたころだった。1日目は空港から島の西側を回り、宜野湾市にある嘉数高台公園から普天間基地を見て、北に進み「道の駅 かでな」の建物の上の階に嘉手納基地展望スペースがあり手軽に基地を展望することができた。どちらも我々が目にする厚木基地と概観がよく似ていた。ただ写真のように普天間基地は民家の密集地に隣接しており、その喧騒は想像以上だ。日本の防衛の最前線の責務を背負って立っている感じがした。

琉球村        美らうみ水族館

さらに北上し、琉球村や美らうみ水族館を回り、海中道路のある古宇利島に渡り、帰りは沖縄自動車道をひた走り那覇のホテルについたのは7時半を過ぎた頃でハードドライブだった。途中3件の交通事故を見たのも珍しい光景で内地ではあまり見たこともないことだった。確かに沖縄の人々の運転は荒っぽい、普通の車間距離で走っていても左から追い越しをかけてくる。交通手段が限られているのでクルマの数が多いので主要道路の渋滞箇所も多くなる。

国際通りの公設市場         古宇利島


翌朝は島の南から東を周り、10時頃には国際通りで買い物をして公設市場の2階で1階で買った魚介類を料理してもらい昼食を済ませた。ここ沖縄は11月いっぱいまで半袖で過ごせるぐらい暑く、日差しは強くカミさんが日傘を買うほどであった。1時頃にはそこを出発して首里城を見て、一路那覇空港に向かい、定刻より30分ほど遅れて空港を飛び立ち、家についたのは0時近かった。とにかく忙しい旅であった。沖縄のオススメ料理はあまりなかったが、青い海が唯一のご馳走だった。

2013年7月13日土曜日

猛暑列島


「2013年は、過去最高の暑さになる」とアメリカ航空宇宙局(NASA)がそう警告したのは、今年1月のこと。その後、3月には煙霧、4月には爆弾低気圧が日本を襲い、関東地方の梅雨明けは例年より早く、現在猛暑に突入中。NASAによると2010年が過去最高記録だったらしい。(地球が最も暑かった気温が平均値プラス0.54%上回った。)
NASAの研究者によると、地球がバランスを失い、極端な気象現象がより頻繁に発生するようになったことや、地球温暖化によって増えた熱量が海に蓄えられ、海水温が上昇していることも、気候変動に影響を与えている可能性の指摘など、今後10年間はさらに気温が上がる可能性が高いことなども言及している。複合的な要因はいろいろ取りざたされてはいるものの、確たる定説にいたっていない。


梅雨明け発表の前日、まだ冷房を入れるほどでもなかったので、あすは晴天と油断をして、パソコンの周辺機器を置いてある出窓の窓を少し開けて寝たところ、夜中の3時前から降った土砂降りの雨で目が覚めたのが4時頃で、あわてて窓を閉めたが、接続機器ルーター、無線LAN用のエアーステーションなどが大水をかぶり故障を起こし、機器の交換を余儀なくされた。ここにきて家中のパソコンがようやく繋がったのでブログを更新することにした。今年の梅雨は降水量が少ない予想だったのが、梅雨の末期のゲリラ豪雨に見舞われ、1時間以上気づかないで眠り込み痛い目にあった。

さて翌日梅雨が明けた途端に、日本列島は太平洋高気圧に広く覆われて厳しい暑さになった。日本における猛暑は、ここ数年の間に常態化している感がある。世間には、「地球温暖化のせいで、日本の気候が熱帯に近づいているのでは」といった声もあるが、俗説の信憑性はいまいちよくわからない。そして、原因がよくわからないまま、我々は次の年の夏も、そのまた次の年の夏も猛暑に苦しめられることを覚悟しながら生きている。
ちなみに35度以上の猛暑日となった所は140地点で今年最多。全国で猛暑日が観測されたのは5日から1週間連続となった。30度以上の真夏日は全国観測点の6割の544地点で観測され、7月上旬の北日本(北海道と東北)の平均気温は平年を3.4度上回り、1961年の統計開始以来最高となった。熱中症の患者数はうなぎのぼりになっている。特にお年寄りは要注意だ。

旧軽井沢銀座通り

さて、梅雨明け早々、不通のPCを家に置いたまま、日曜日に親父を連れて軽井沢に行った。環八を通り練馬あたりを走っているとさすがに外気温は38度を超えてきた。そして関越道の埼玉県熊谷近くや群馬県の館林近くでは39度になっていた。パーキングエリアの外気は蒸し暑くカンカン照りの外には、体も慣れてないせいか長くは居れなかった。クルマが軽井沢付近に差し掛かると、ようやく外気温が28度になったが、夏の軽井沢は結構混んでいて、特にアウトレットにつづく道は車の渋滞が続いていた。今回は年寄りを連れていたのであまりウロウロ出来なかったが、カミさんは軽井沢の本通りで、お目当ての店でショッピングが出来きご機嫌だった。
軽井沢はそれでも朝晩の気温は涼しく快適にすごせた。犬も泊まれるコンドミニアムだったが、今回は犬の肝臓の具合が悪いので愛犬は連れて行かず病院に預けた。特に犬は夏場は毛皮を着ているので冷房の効いた部屋でないと体調を崩すので気を遣う。翌朝はカミさんの実家のある長野に立ち寄り母親に会い、94歳どうしで親父と話が弾んでいた。人間も犬もだんだん年老いていくが、お互い健康でいたいものである。

2013年5月20日月曜日

因果な話

   
鎌倉文学館
 
毎年連休の混雑を避け連休中は程ほどに仕事をして、5月の後半に出かけるのであるが、昨日は、鎌倉は長谷にある近代文学館に行った。カミさんがバラを見たいということでお供したのだが、バラ園自体は、広大な敷地の一角にこじんまりと収まっており、狭い敷地にこれでもかと植え込んであったので、個々のバラ同士が喧嘩をしているようで、もう少しスペースを考えて造園すればいいのにと思った。日曜とあって結構人で賑わっており、目的地までの海岸線は相変わらずの車の渋滞が続いていた。

本館は旧前田侯爵家別邸とし明治期に建てられ、、旧加賀百万石・前田家の第16代当主・前田利為(まえだ・としなり 1885-1942)を経て、戦後は佐藤栄作元総理の別荘使用後に鎌倉市に寄贈された経緯を持つ。建物と周りを取り囲む広い敷地と静寂な環境と、三階建ての豪奢な住空間は古き良き時代の雰囲気を醸し出している。


太宰治の晩年の原稿
館内では、文字通り鎌倉にゆかりのある文士たち(この言葉も死語になったが)が300人以上はいるという。その中で際立った鎌倉文士村住人の著書や古い年代を感じさせる手書きの原稿用紙、または故人の愛用品などが展示されていた。今回は太宰治の特別展をやっていたが、芥川龍之介、川端康成などいずれも自殺した作家たちの原稿用紙も拝見した。我々には計り知れない作家たちの心の闇との葛藤が、原稿用紙(、そこにあるシミのついたものや、おそらくは数多くの丸めて葬り去られたもの)に思いを馳せると浮かび上がってくるような気がした。
自分で追い詰めたのか、あるいは創作上の行き詰まりから追い詰められたのかは推し量れないところだが、精神の繊細さや自我の脆弱さも少なからず関係しているのであろう。あのヘミングウエーでさえ自らの命を絶ったのだから、心の闇は他人(ひと)にはわからない。文学(小説)はその深淵な闇を照らす因果で孤独な作業ともいえるだろう。

2013年1月6日日曜日

日々雑感

エアロバイク
年明け早々、正月太りが気になるところであるが、4~5年ほど前までやっていたテニスを昨年の春頃から再び始めた。きっかけは近所のご夫妻が近くの運動公園で日曜日に2時間ほどやっているのを聞いて参加させてもらった。メンバーは6~7人いるが家から歩いて3分程のところで、コートが2面あって近いのと気軽に楽しめるところが気に入ったので続けていて、今日が今年の初打ちだった。
30代から始めたテニスであるが、昔のように1対1のスパーリングのような打ち方はすっかりなりを潜め、もっぱら力を抜いた打ち方を心がけている。

座り仕事と車生活のため運動不足になりがちなので、テニスを始めたのと同じ時期に近くにある横浜市のスポーツセンターで運動器具を使ったトレーニングを週一回のペースで2時間ほどやっている。しかし人間同じことを反復して続けるということはなかなかできるものではなく、忍耐と強い意志がなければ続けられない。スポーツセンターにも時折年寄りが腹筋を20回くらいやっているのを見ると気分が萎えてくる。
散歩も同じところを歩くのが億劫になり、あっち行ったりこっち行ったりと40分ぐらい徘徊しているが、寒さもあってここのところやっていない。根が横着なのだろうか、進んで体を動かしてやる気力が弱いこととエンジンがかかるのが遅いことが、怠惰な生活に拍車をかけている。

我が家でも93を過ぎたオヤジが、杖をつかないとほとんど歩けない状態にもかかわらず、電動自転車で毎日近くの整形外科までこいで通っている。それでも本人は運動不足を気にしているため、食事の量も減らし、足を鍛えるためにトレーニングマシーンを購入し、サンルームに置いて短時間やっているようだ。自転車は危ないからやめるよう忠告しているが、本人は意に介さない。暴走老人にならなければいいが?

人間年をとると体のパーツも衰え、耳は遠くなり、足はしびれ言う事を聞かない。毎日大きな音でテレビを朝から晩まで見ている生活である。挙げ句の果てにはコマーシャルが多くて退屈だとくる。長時間テレビを見る習慣は認知症リスク度を高めることが、最近の研究で明らかとなっているらしい。一日、6時間以上テレビを見ると、ボケの危険度はなんと1.5倍になるというデータもあるほどで、幸い今のところ頭の方はまだだいじょうぶだが、私もオヤジがボケないように、毎月自分が読んだ本を何冊かオヤジに読めと渡している。オヤジを見ていると、ここまで生きると人生は暇つぶしなんだなーとつくづく思うようになった。

運動に明け暮れてるスポーツ選手は一般人に比べると、肉体の故障が多く平均寿命も短いという。体を鍛えることも大事だが、脳も鍛えなければいけない。脳内ネットワーク(思考、認識、記憶、会話)が、能動的に働かないテレビや健康のための運動も程々がよろしいようで。

2012年12月1日土曜日

日本海クルマ紀行

Hacoaの工場

昨日かみさんと日本海の旅から帰ってきた。93才の親父の世話に明け暮れるかみさんの日頃の労をねぎらって、たまたま一人暮らしの息子が親父のお守りをしてくれて、かみさんの還暦祝いに旅費まで出してくれた勢いで、福井と京都城崎の2泊3日の旅に出かけた。
初日は京都から福知山線に乗り換え、西舞鶴からレンタカーを借り鯖江市にある越前漆器の漆の里を見学し、紹介された木地師の山口さんの工場を見学した。Hacoaという業界では大手の工場の社長でもある山口さんは、伝統工芸士でもあり、ご多分に漏れず越前漆器の現状は厳しい状況で、大きい品物があまり動かないと話しておられた。それを裏付けるように近代的な設備の大きな工場も機械音が止まっており閑散としていた。しかし業界の若手を中心に時代のニーズにあった小物の商品開発に取り組んでいるのがショールームから伺えた。
もう一件紹介されたところは留守だったので、時間も限られていたので4時半頃鯖江を後にした。
原発銀座 福井

北陸道を通り敦賀インターから原発銀座の若狭湾の海岸線を走り、初日の三方五湖から突き出た常神半島の先端近くの旅館についたのは7時の夕食時間だった。カニ三昧とアオリイカの活き造りや寒ブリの刺身などとても二人では食べきれず、残った越前カニは道中の酒の肴に土産にもらった。


三方五湖
翌日三方五湖を眺望できる展望台に登り、自然豊かな福井のリアス式海岸の雄大な景色を楽しんだが、一方でこの素晴らしい自然が原発銀座に囲まれたど真ん中にあることを思うと福島が頭をよぎり、複雑な思いがこみ上げてきた。まさに日本の核エネルギーは綱渡りである。
地図上の赤マルが我々のいた三方五湖の位置で、黒丸はもんじゅ、敦賀、美浜,大飯、高浜の各原発の位置。そして今、敦賀原発は地下を通る活断層の調査結果次第ではその存続が危ぶまれている。

福井を通って近隣の町や農村風景を見たところ、過疎化に残されたこれらの土地は、京阪神地域からの工場誘致もままならないまま、これといった産業も育たない中で、原発誘致で町おこし村おこしをやってきたのだろうが、ここに来て地域の大きな雇用の受け皿としての他府県にはない多くの原発も、岐路に立たされている。実際問題、多くの原発が止まっている状況下で、従来の火力発電はコストの面で多少は高くはなっているものの、電力側が誇大宣伝しているほど電力の供給は逼迫していないのである。枝野経済産業相は30日の閣議後記者会見で、関西電力や九州電力の電気料金値上げ申請に関連し、「元々、(電気料金は)おかしなくらい安すぎた」との見解を示したが、世界一高い電気料金を棚に上げよく言えたものである。まるで原子力でないとどんどん値上げをするぞとばかりに。

このようにたとえ多くの既得権益側の原子力村や、官僚、政治家などの抵抗が強く働いたとしても、国民の総意としてこの豊かな自然の日本を守るためにも、日本人の知恵で代替えエネルギーの開発に、総力を挙げてもらいたいものである。

城崎温泉

福井を後に次の目的地城崎温泉は、かみさんが独身の頃読んだ志賀直哉の小説の城崎温泉に憧れていて、是非とも行ってみたいと言われていたのでお供した。天橋立を通り、京丹後を抜け、城崎のホテルに着いたのは3時を過ぎた頃で、それから温泉街に繰り出し、外湯を5軒ほど廻り、湯あたり寸前で終わりにした。その後は温泉街の酒処を2軒まわり、その日はホテルで昨日のカニで一杯やって朝までぐっすり寝こんでしまった。
川のある街は風情があっていいものだ。城崎温泉も大小の川に挟まれてたたずんでいて、温泉街を流れる川は水がきれいで、川に沿って一面柳の木が生い茂っている。
9時にホテルを後にし福知山のトヨタに車を返したのは11時頃で、走行距離は交代で運転しても511km走っていたことになる。そろそろ旅の疲れが出てきたので筆を置くことにする。