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2015年11月17日火曜日

変化する住宅事情

産経新聞

近頃横浜のマンションのくい打ち施工データ改ざんに端を発し、同じ施工会社の担当者のみならず、次から次と改ざんなどの不正行為が見つかっており、業界全体のデータ改ざんが常態化していることが問題になっている。住んでいるマンションが傾いていることが明らかになったのだから、住人にとって穏やかな話ではない。おそらく東日本大震災の揺れで欠陥が現れたのだろう。




問題のマンション

確かにマンションは居住性に優れ、利便性と経済性の点で私の場合、30代初めころに、県の住宅供給公社の4LDKの分譲マンションを購入し、20年ローンが残りわずかになったとき、あの阪神大震災が起きた。
ニュース映像で見た倒壊マンションの復旧が容易でないことや、数多くの居住者の考えの相違などで、合意形成が難しく、修理、建て替えがスムーズにいかないことを知ることになり、自分たちのマンションは世帯数が大きく管理組合がしっかり機能しているにもかかわらず、その後の耐震性の問題などを鑑みて、ここは終の棲家にはならないと判断し、売却して一戸建てを購入したものの、そこも6年足らずで手放し、親と同居するために2世帯住宅を新たに建て、現在に至っている。


国交省の資料によると、全国の分譲マンションは今や500万戸を越え、うち築30年以上は73万戸で今後毎年10万戸のペースで増えている。日本全体の人口が減少傾向にあるにも関わらず、どんどんマンションが建設されている状況である。
特に築30年を超えるような物件では、住民の高齢化や建物の老朽化、それに伴う空室率上昇や資産価値下落など、問題が山積しているようだ。
集合住宅の場合、個人が所有するのは住戸の内部だけ、建物の外壁や柱、エレベーター、廊下などは共用部分であり、全員の所有となる。それを全員で管理修繕しなければならないため、このマンションの区分所有権が建物の維持を難しくしている。また管理費滞納者の増加や、高齢者の増加によるマンションのスラム化が危惧されている。
 日本で建て替えを実現したマンションは、特例を認めた阪神大震災の被災地を除いて全国で40例ほどしかないそうだ。マンションのスラム化は、建物が古くなったから起こるのではなく、人間が住まなくなった時に始まり進んでいく傾向にある。


NPO法人空家空地管理センター

総務省が5年に1度調査する「住宅・土地統計調査」によれば、日本全国の空き家数は2013年時点で820万戸。国内住宅総数6063万戸に対する比率、空き家率は13.5%に及んでいる。
野村総合研究所の調査によれば、地方の高齢化と人口減少により、空き家が急増。2018年には日本の空き家は1000万戸を超え、2023年には空き家数は1396万戸、空き家率は21.0%となり、日本の住宅の5軒に1軒が空き家になりかねないとしている。地方にみられる限界集落という言葉は、今後少子高齢化が進むにつれ、都市部にも広がっていくだろう。

2015年9月5日土曜日

ネット社会の裏側

アマゾンの配送センター


ここ3~4年でアマゾンで日用品から書籍並び食品、家電、など多岐にわたり利用することが多くなった。家電品でもヤマダ電機より安いものが手に入ることもあり、配達の速さと日用品などの定期購入の便利さから利用頻度がますます広がり,無くてはならないものになってきた。本家アメリカでは、アマゾンにとっぷり浸かった消費者を称してアマゾン中毒といっているようだ。私もそのカテゴリーに入るかもしれない。

実際アマゾンのマーケット上で売り手としても店を持っているが、登録までには手続きなどで手間取った。PRさせていただくが、 鎌倉彫工房<創>を参照されたし。ネットショップがひしめく中、ランディングコストは、楽天などに比べかなり安く営業しやすい。周知のとおりアマゾンは、米国の最大手通販業者であり、日本でも楽天やヤフー、その他通販業者をおさえて売上高トップの座を占めている。
アマゾンは、市場の拡大、成熟、縮小の状況に関係なく、顧客を自社の通販サイトに誘導するための、新規投資や改革を常に行っているので、大手小売業者にとっても、その存在は脅威である。インターネットの普及により情報の垣根が崩れ、場所の垣根も崩れ、どこにいようと好きなものが手に入る今の時代、アマゾンの強みは、Webサイトの見やすさ・使いやすさ、扱い製品群の多さと、高効率且つ廉価若しくは、一部業者を除いて無料の宅配サービスが売りになっている。今後ネット通販は、アマゾンに限らずスマホの高速普及や高齢者のネット活用比率の向上などから、更に成長が見込まれるだろう。


さてそのアマゾンであるが、秘密のベールに閉ざされたアマゾンの内側をえぐった潜入ルポ「アマゾン、ドットコムの光と影」横田増生著を読むと、アマゾンの心臓部分の巨大な配送センターの正確無比なシステムと、多くのアルバイトと非正規社員に支えられた実体が浮かび上がる。著者自身がアルバイトとして配送センターで実際に働いた体験が生々しく語られている。そこにあるのは働く希望も喜びもない時給ノルマに縛られた、無機的な職場環境の格差社会で働く大量の労働者の縮図があぶりだされていた。それはあのチャップリンのモダンタイムスのシーンを彷彿させるものだ。

アマゾンに限らず、どの産業も企業の草創期から成長期そして成熟期を経て、低迷衰退期に至るサイクルが約30年というのが定説となっている。そして最後を迎えるも迎えないも企業努力にかかっているのだが。経済環境の激変期(戦後高度成長時代から成熟期に至り、そして衰退期を迎える現在) に日本経済を支えてきた年功序列と定年までの身分保障をされたあの時代は通り過ぎ、各企業は正規社員を多数抱え込む余力はなくなり、企業存続のためには、正社員さえもリストラの憂き目にあう。そして賃金の安い非正規社員、派遣、アルバイトと労働形態はシフトして行き、労働環境は年を追うごとに厳しくなっている。今話題のブラック企業や過労死、ワーキングプアーなどおなじみのフレーズが巷にあふれている。

グローバル経済の下、単純労働は途上国に流れ、国内では労働の2極化、すなわち特別なスキルのある専門職と誰でもできる一般職に分化してゆく。この一般職の分野も、多くの職種が近未来にはコンピュータや機械にとって代わっていくことが予測されている昨今。そしてそれらの経済環境の中で未来を絶たれた者たちは、希望を持てない労働者として社会の底辺をさまよい、少子高齢化に拍車をかける。このトレンドは止められない。日経新聞によると、2014年のニート総数は56万人、雇用者のうち非正規社員やアルバイトは全体で2000万人を突破した。今や正社員だった人が転職の時に非正規になる流れも強まっている。



この情報化時代に起きた事件が、オリンピックエンブレム使用中止の佐野騒動である。とざされた世界の審査につきものの、なれ合い、お手盛りもさることながら、大量情報消費の中には、便所の落とし紙のごとくコピーされては捨てられていくものも多い。特にデザインの世界では珍しくないようだ。似たようなデザインがネットでは氾濫している。またそれに対して多くのギャラリーが匿名性を武器にして誹謗中傷や、安っぽい正義感を振りかざして、個人のプライバシーを暴き、特定の個人を攻撃する。身から出た錆とはいえ、国民のつるし上げにあったあのデザイナーの末路は気の毒としか言いようがない。

ご承知のように情報の中には虚偽、だまし、誇大、偏見も多く混在し、利用者に取捨選択や読解力と言う見識とレベルも必要であることは言うまでもないことだが、不特定多数、匿名、非対面と言うメリットは、同時に無責任、虚偽、ナリスマシや憑依や荒らしやフィシングのリスクを含んでいることは忘れてはならない。そういう時代に我々は生きているのだから。

2015年8月15日土曜日

オリンピック 3つの懸念

ごたごた続きの東京オリンピックであるが、最近の情勢をみてみると、3つの懸念が頭をよぎるので以下に列記してしてみた。

1.メインスタジアム
没になった新国立競技場デザイン

2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会のメインスタジアムである新国立競技場の建設計画は、当初から担当組織のいい加減な予算の立て方や、その利権に群がる政治家の思惑で空転が続き、挙句の果てに安部首相の一声で白紙見直しが決まった。
当初の試算1300億円から二転三転したあげく、多目的の運用を想定し、2520億円に膨れ上がった新国立競技場の整備計画。世論の逆風に押されて、その費用の積算根拠や責任の所在などを明らかにするための第1回検証委員会が8月7日、文科省で行われた。
文科省傘下の独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)は、早い時期からゼネコンの共同企業体(設計JV)より予算が3000億円は超えると報告されていたにもかかわらず、文科省に過少申告をして事態を混迷させていた。そこには情報操作の疑惑まで浮かび上がる様相が見えかくれする。

JSCの試算では、新国立競技場の年間維持運営費は40億円余。これは、旧国立競技場の維持運営費の約8倍になり、回収不能と言われている。かつて日本中の町に多目的ホールが建設され、「無目的ホール」と揶揄された箱ものがあふれている昨今。そしてその多くが、今や維持困難になっている。「無目的競技場」の将来世代への負担はあまりにも大きい。いうまでもなく身の丈に合った施設を作るべきで、政治家の利権に振り回される国民はたまったものではない。

2.コピーワールド
ベルギーのデザイナーのデザインとスペインのデザイン

国立競技場に続いて、オリンピックに関連したデザイン盗用問題が起きた。 2015年7月24日に発表された東京オリンピックのエンブレムだ。
事の発端は、ベルギーのリエージュ・シアターのロゴマークに似ているとして、このロゴをデザインしたベルギーのデザイナー、がTwitterやFacebookなどのSNSで両デザインを比較した画像を発表したこと。この画像がインターネットを通じて一気に広がり、日本国内でも「模倣ではないか」と多くのメディアが取り上げる事態になった。その後ドビ氏はオリンピックエンブレムの使用停止を求めてIOCとJOCに、書簡を送付している。またスペインのデザイン事務所のロゴとも似ていて、足して2で割ったデザインとも指適されている。
 
こうした事態に対して8月5日、オリンピック組織委員会と、デザイナーの佐野研二郎氏が都内で会見。佐野氏は「全く似ていない」とベルギーのデザイナーの主張に真っ向から反論した。なるほど色といい形といいよく似ている、これでは
パクリと言われても仕方がないだろう。創造においては素材(要素)を抽出する模倣の段階から、それを消化して新たな構造(再構成)を作る過程を経て、機能を探り新たな機能を創り出し完成度を高める手順というものがある。このエンブレムは未消化のままだ。さらに悪いことに、最近になって他に出回っているパッケージデザインも2~3コピーしたことを本人が認めたことから、問題がこじれ、これが国際問題に発展しないことを望むばかりだ。我々は日々の経験則から一度ケチの付いたものは最後までケチがつくことを知っている。老婆心ながら最後にもう一つオリンピックについての懸念がある。

3.3.11から5年後以降の東京の環境
福一から250kmの位置に横浜がある

原発問題を発信し続けているノンフィクション作家の広瀬隆氏は、緊急出版した著書〔東京が壊滅する日〕が話題になっている。
すでに事故から4年をすぎた現在、日本に住むほとんどの人は「事故と被害は終った」と勘違いしているが、「福島第一原発」の事故現場では、大量の放射能放出が続いており、東京電力が発表する放出量は変動が大きすぎて信頼できないのだ。毎日6000~7000人の作業者が、汚染地帯で身を削って働いている。そしてここから漏れ出している放射能汚染水は、地下水脈を流れ、ハンパな量ではない。東京電力は必死になってそれを回収しているが、この4年間で貯蔵量が75万立方メートルというトテツモナイ量に達しているのだ。

著書では、トリチウムの危険性を言及しており、これが放射性セシウムと放射性ストロンチウムと共に、汚染水に大量に流れこんでいるのだ。
トリチウムという放射性物質は、元素としては水素である。しかし通常の水素は原子核が陽子1個でできているが、トリチウムの原子核は、そこに中性子が2個くっついている。DNAを構成する究極の原子は水素H、炭素C、酸素O、窒素N、リンPである。その水素が、放射線を出す水素になってしまえば、体内で、どれほどおそろしいことが起こるかは、誰でも想像できるだろうとしている。

しかしほとんどの人が持っている簡易式の放射線測定器は、放射性のセシウムやヨウ素が出す「ガンマ線」しか測定できない。

Air counter-S
ストロンチウム90やトリチウムが出す「ベータ線」を測定していないのである。私もネットで買った線量計を持っているが、役に立たない、国もストロンチュウムとトリチウムの線量は正式に発表していないのが不気味だ。不都合な事実が潜んでいる気配がする。

最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?
チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増、それが2016年からだ。2020年はどうなっているのだろう?

2014年10月10日金曜日

技術立国日本

2014 ノーベル物理学賞受賞者

今年も日本からノーベル物理学賞が3名選ばれた。いずれも製作が困難とされていた青色発光ダイオード(LED)の発明に貢献した研究者たちである。青色ダイオードは色の三原色赤、緑が1960年代に開発され、続いて1989年に受賞者の中の名城大学の赤﨑教授が最後の色である青色を世界で初めて開発したことで白色化やフルカラーが可能となった。そして結果が出るまで、絶対にあきらめない研究者天野浩教授は、3000回実験に失敗した後成功。さらに大量に長時間発光させる技術や量産化技術が成功するまで、絶対にあきらめない製品開発者中村修二教授は、会社の評価の低さから訴訟を起こした当事者でもあり、三者三様の個性を持っていてすばらしいチームワークで今回の受賞となった。基礎科学に比重が高かったノーベル賞が、実用科学にも光を当て始めたことは、今後ともこの分野で日本人が活躍する舞台が開かれたことになるだろう。


LED 青色の光は他の色と混ざることで白色の光になれる特性があり、我が家でも使っているLED電球は交換時期が長く、割高ではあるが明るく効率的な製品としてすでに市場に出回っている。身近なところでは車のヘッドライト、携帯やPCのバックライト、TVディスプレイ、信号機や提示版、イルミネーション等々、我々が日常見慣れたものが多くある。LEDは長寿命、省エネ、小型、衝撃に強い、低温での発光に優れている特性からあらゆるものへ応用範囲が広く日本の先端技術のバックグラウンドを担っている。

技術立国日本を下支えしている人々は、こうした研究者のみならず、技術者、あるいは世界シェアーNO1を誇る精密部品を作る多くの町工場の職人達、はたまた伝統産業を絶え間ない革新によって伝承していく多くの職人達である。これら日本の技は時代を経て培われ、蓄積されてきたノウハウをよりどころにして、磨かれてきた技と閃きに裏打ちされた創意工夫と試行錯誤がなければ、世界を凌ぐ今日の技術レベルの高さは維持できなかった筈である。

発光ダイオードの父 ニック・ホロニアック
ただ日本の場合は、原初的な基礎科学の発明よりも、オリジナルの改良改善から進んで新しい発明に道筋をつけることが得意で、もともと発光ダイオード自体の発明はアメリカGEのエンジニアーであるニック・ホロニアックが1962年に発明したものである。

歴史をたどれば、ソニーのトランジスタラジオやウオークマン、さらに半導体主要生産国でもある我が国は、お家芸でもある縮小文化(盆栽や生け花、箱庭など)と同根の精密精緻な工作機械技術など、技術レベルの高さを支えている日本の風土や国民性も大事な要素であろう。こうした背景には外国企業がよく発する言葉「日本の消費者は世界で一番品質に厳しい」といったハイグレードな品質を好む日本人の性向があるようだ。
今回のノーベル賞受賞ニュースは、資源も少なく、国土も狭い日本が唯一世界に誇れる技術力で世界を牽引していく限り、日本の国力、経済力は盤石であることを国民に知らしめ、勇気づけられた。

2014年8月25日月曜日

狂気と正気のはざま

少女Aが描いた自画像

人間は偶然に生まれ落ち,周りの環境に影響されながら生きていくが、死は必然的にだれにでも訪れる。それはすべての人間に課せられた不条理である。日本人に生まれようが、西洋人に生まれようが、金持ちの環境に生まれようが、貧乏人の環境に生まれようが、本人はたまたまそこに存在していただけで、本人からはなぜ自分はここにいるのかの説明はつかない。そのため自己のレゾンデートル「存在理由」「存在意義」「生き甲斐」を求め人は、自らの人生を歩んでいく。

最近起こった佐世保の特異な事件は、昔、学生の頃に読んだフランスの不条理の作家アルベール.カミュの「異邦人」とは対照的な事件だ。主人公ムルソーが友人のいざこざに巻き込まれて偶然アラブ人を撃ち殺し、殺人の動機を問われると「太陽がまぶしかったからだ。」と言い放ち、無感情な人間性とかさなって、法廷は騒然となった。結局ムルソーは一般社会通念から逸脱した人間として処刑されることになる。

長崎・佐世保事件では、高校1年の女子生徒が同級生を殺害した動機について問われると、女子生徒は、「人を殺して解体してみたかった」などと供述していた。警察は、女子生徒の精神鑑定も視野に慎重に捜査を進めている。
女子生徒を診察した精神科医が、相談窓口がある佐世保こども・女性・障害者支援センターに連絡。精神状態の不安定さを懸念し「小学生の時に薬物混入事件を起こした。中学生になって父を殴打した。このまま行けば人を殺しかねない」と相談。小動物を解剖した例も挙げ対策を求めたが、守秘義務に触れる恐れがあるため匿名にしたため対応は困難とされたようだ。
この場合少女Aには殺意の必然性が明確に見て取れる。実際人間1人を何の迷いもなく明晰に解体してしまった。自己の感情の趣くまま卒直に、他者への感情も想像力もが欠落したまま。


一般的に狂気の概念は複雑で曖昧で、一見普通に見える様相を呈しているが、その基準は平均値から逸脱した量的なものと、多数正常の原則の社会的規範から外れた異質の質的なものに分けることが出来る。

ウイキペディアによると狂気の根源である精神病質(せいしんびょうしつ、英: psychopathy、サイコパシー)とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。その精神病質者を英語でサイコパス (psychopath) と呼ぶ。
サイコパスは、極端な冷酷さ、無慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義が主な特徴で、良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは統計的に見積っている。

先天的な原因があるとされ殆どが男性に多いとされているこの病、脳の働きを計測すると、共感性を司る部分の働きが弱い場合が多いという。これが前述した量的な基準に基づく狂気の指針であろう。加害者が女子であるにもかかわらず僕と言っている点では符合する。日本の法律「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の第5条では精神障害者と定義している。

私の近所には一見して狂っているが、人に危害を与えそうもない人間が3人ほどいる。彼らからしてみれば我々一般人が異常で自分が正常と思っているかもしれない。

上の絵を見ていただきたい。以前にもアートな話で述べたが、デッサンは、絵画や彫刻における対象物の把握、認識にいたる手段であるが、それは描いた人の技量だけでなく、ものの見方や考え方がむき出しになるもので、ある意味で怖い絵でもある。

2014年7月28日月曜日

煙 考


私は30後半まで喫煙していたが、医者の勧めもあって以後今日まで禁煙している。その間たまにそのアロマ(芳香)を思い出し時々忘れたころに吸ったこともあった。そのアロマと瞑想の誘惑に駆られる煙草も、タバコのみにとっては至福の嗜好なのであろう。健康問題が取りざたされている昨今では、嫌煙権も拡大して禁煙ゾーンが増え喫煙人口も減少している。煙の出すアロマはなぜか精神性を醸しだし、人々はその魅力に取りつかれる。これものカテゴリーに入るのだろう。

古今東西、にまつわる歴史は多くあり、 日本では香をたく習慣は飛鳥時代の仏教伝来と共に始まり、をたくことで、身の穢れを取り除き、仏の功徳を受けられるという思想から盛んに行われた。そして宗教儀式に用いられた香は、平安時代になると、 仏教行事以外でも、貴族達が生活を楽しむために愛用されるようになり、香を衣服・頭髪・部屋などにたきこめる「空薫物」(そらたきもの)の風習が生まれ、やがて、衣服に独特の香りをたきこめることで、自分の存在を示すようになる。 貴族は日常的に自分の着物に香をたきしめ、また香合わせという遊びもあった。
  

鎌倉彫香合 吉川喜久次
室町時代には、仏教上の行事であった香を茶道にも取り入れ、書院の床の正面に香炉を飾って香をたくようになった。この頃は周囲の環境をよくする為の香炉の脇役として香を入れる容器として香合は存在した。香合は鎌倉彫でもよく作られるもので、仏具のほか茶道具としても利用されている。左は私の親父の作品である。
 草庵の茶道が流行するにつれて、香合は侘び茶を盛り立て、茶道と香の関係は深い。炭点前の際に香をたき、部屋と精神を清める役割を持つお香は。点前に欠かせない重要なものとなっていった。




脱法ハーブと原材料
さて、がらみの話になるが、報道によると最近問題になっている脱法ドラッグを販売している店舗が、今年3月現在少なくとも全国252カ所に上っていることが厚生労働省の調べで分かった。背景には「脱法ドラッグ」を使ったことがある人が全国で約40万人に上ると、厚生労働省研究班が初の全国調査で推計した。 またこれらの供給元である店頭やインターネットで脱法ドラッグを販売している業者は、全国で240件(平成25年9月現在都道府県報告)あるそうだ。
脱法ドラッグを使用した後に体調不良を訴え、全国60カ所の医療施設に救急搬送された患者が平成24年に469人となり、前年の48人から約10倍増した.脱法ドラッグは、安く簡単に入手できることや、「合法ハーブ」「合法アロマ」などと呼んで抵抗感をなくしていることなどから、軽い気持ちで手を出す人が少なくない。

脱法ドラッグは、覚醒剤などの規制薬物と似た作用をもつ化学物質が含まれていて、法律による規制の網の目をかいくぐる新たな物質が次々と登場しているようだ。覚醒剤などの規制薬物はこれまでの研究から、心身に及ぼす悪影響などが分かっているが、脱法ドラッグは原料に何が含まれているのか、また、身体にどのような悪影響を及ぼすかよく分からないため、より危険な薬物であるとして危険ドラッグと改名された。

ウイキペディアによると、2004年には、ドイツ、イギリス、スイスで「スパイス」という製品が流通し、合法の大麻(偽大麻とも呼ばれている)とされ以来ヨーロッパで流通した。2008年末までにハーブ製品に配合されていた合成カンナビノイドが、法的管理下に置かれると、こういった化合物のファミリーである似たような化合物が配合された製品が流通した。最初ヨーロッパで発見された「スパイス」は、生産者が迅速に法律の変化に対応し、先進国における問題とされている。ドイツではじめてスパイス製品が違法化される以前は、好奇心で試す人が多かったが、以降は、大麻の代用品とする層が増え、軍人や患者、以前に薬物による運転事故によって受刑した人といった薬物検査が定期的に行われる人に需要がある。使用がドーピングテストでは検出できないので、カナダではアスリートと軍人に需要があるという。
現在のところ、脱法ハーブとは、危険ドラッグの一種で、合成カンナビノイドを含有する化合品であるとされている。毒性に関するデータは不明で、大麻よりも中毒性が高い可能性や、深刻な毒性がある可能性がある。合成カンナビノイドは、大麻よりも過剰摂取しやすい可能性がある。成分は一定せず、厳密なルールによる臨床治験を通していないので購入者が人体実験をしているようなものである。症状として多い順からあげると、頻脈  興奮 嘔吐 精神錯乱 悪心 幻覚・妄想 めまい などで事故を起こす前に救急搬送されるケースをが多い。


脱法ハーブ絡みの交通事故
脱法ハーブは、乾燥させたお茶などの食物の葉っぱに、幻覚作用を引き起こす人工的に合成された薬物を混ぜたもので、繁華街で、だれでも買える手軽さから専門店としてその数は増えている。またそこには、我が国では若者を中心にここ2~3年で使用者が増えている背景がある。ハーブとかお香と表示し、違法ではないと称して売られており、インターネットでも手に入れることが出来るようだ。その多くは煙草のように喫煙から始まり、やがてもっと刺激の強いものに走る薬の罠にかかっていくのだ。
現在全国的にこのハーブが元で悲惨な交通事故が多発しており、警察も脱法ドラッグから危険ドラッグに名称を変え、取り締まりを強化しているが,取り締まりの網からこぼれていく危険ドラッグの数は化学式の形を変えては増え続けているので、煙草好きな人はご用心。!

製造業者が海外(主に中国)からネットで原料を購入する際、薬物規制にかからないものを発注するので規制がかかるとまた少し違った化学式のものが製造されその数は数千となり、法の規制といたちごっこが止まらない
中には覚せい剤と非常によく似た化学式の成分や混合されたものも販売されており、毒性の強い非常に危険なものも出回って憂慮すべき状況になっている。
首都圏にある多くの販売店は、お香として売っており、吸引使用は禁止の注意書きは店内に見受けられるものの、使用方法はお香としてでなく大半は紙巻きタバコのように火をつけ吸引するので、買い手が後を絶たない。このため以前は指定薬物を製造したり販売をしたりすることだけが禁止されていたが、この4月から購入したり持つたり使ったりすることも禁止された。政策で国民を煙に巻いてきた政府も、ここにきて国が有害な煙に巻き込まれないよう動き出した。

2014年5月23日金曜日

サイバーテロ

PC遠隔操作実行犯

2012年(平成24年)に、犯人がインターネットの電子掲示板を介して、他人のパソコン(PC)を遠隔操作し、これを踏み台として襲撃や殺人などの犯罪予告を行ったサイバー犯罪がおこり、各地で4人の被害者が、書き込み時のIPアドレスを手掛かりに誤認逮捕された。その後真犯人から犯行声明があり、翌13年に被疑者として逮捕されたIT企業の社員の片山被告は犯行の否認と冤罪を訴えていたが、保釈中に自作自演の真犯人メールで墓穴を掘り、再逮捕された。

遠隔操作ウイルスに感染したPCによって引き起こされたこの事件は、サイバー犯罪の脅威を浮き彫りにしたが、ウイルス感染の危険性、そして、原因究明の難しさと、一般人の誰もがサイバー犯罪の被害者になる可能性があることも、この事件は示唆している。
自分のIPアドレスを隠ぺいするソフトを使って犯行に及んだ片山被告は、われわれがよく耳にするトロイの木馬というプログラムを使って仕掛けられたサイトのリンクを遠隔操作被害者に踏ませる形で実行されたのが今回の事件である。

(注) IPアドレス
インターネットやイントラネットなどのIPネットワークに接続されたコンピュータや通信機器1台1台に割り振られた識別番号。インターネット上ではこの数値に重複があってはならないため、IPアドレスの割り当てなどの管理は各国のNIC(ネットワークインフォメーションセンター)が行っている。

(注)トロイの木馬
正体を偽ってコンピュータへ侵入し、データ消去やファイルの外部流出、他のコンピュータ攻撃などの破壊活動を行うプログラム。ウイルスのように他のファイルに寄生したりはせず、自分自身での増殖活動も行わない。
トロイの木馬は自らを有益なソフトウェアだとユーザに信じ込ませ、実行するよう仕向ける。これにひっかかって実行してしまうとコンピュータに侵入し、破壊活動を行う。実行したとたん破壊活動を始めるものもあるが、システムの一部として潜伏し、時間が経ってから「発症」するものや、他のユーザがそのコンピュータを乗っ取るための「窓口」として機能するものなどもある。

PC WEB ZINEでは、以下のように注意を促しているので参考までに。

「遠隔操作を可能にするウイルス自体は、決して珍しいものではなく、1990年代から現在のようなリモートで感染PCをコントロールできるバックドア型のウイルスは存在している。バックドア型とは、その名の通り、他人のPCに出入りできる裏口を作って、そのPCを遠隔操作する手法で、乗っ取られたPCを使って不正な行為を行う“なりすまし”によく使われている。
 シマンテックの分析では、2011年には約4億300万個のウイルスが生み出されている。1秒間に11〜12個という驚異的なペースだ。そして、その約7割にバックドアの機能が付いていると考えられている。よって大体2〜3億個のウイルスにバックドアの機能が付いている。これは、バックドア自体がかなり枯れた技術となっており、新しくウイルスを作ろうとした場合、既存のコードが存在するために簡単に作成しやすいという実情がある。

 

バックドア型のウイルスでは、実際には複数の機能が利用できるようになっていることが多く、ファイルのダウンロードやキーストロークとマウスのクリックの記録、指定サーバーとの交信などが行われる。今回の事件のように、掲示板への書き込みやメールの送信を行うだけでなく、PC上の情報を抜き取ったり、PCの利用履歴を記録したりと、様々な情報が窃取されることになる。
 こうしたバックドア型ウイルスの仕組みは、近年注目されている標的型攻撃で利用される仕組みと同じである。標的型攻撃でもメールの添付ファイルなどからウイルスをダウンロードさせて感染させる。そして感染PC内でバックドアを開き、情報を搾取するためのプログラムをダウンロードしたり、そこから情報を攻撃者に送信する。どちらもウイルスの入口は、不正なプログラムのダウンロードとなる。不正なプログラムをダウンロードすることは、簡単に防げそうだが、そうはいかない。攻撃者はソーシャルエンジニアリングと呼ばれる狡猾な手法を採用しているからだ。

 ソーシャルエンジニアリングとは、人間の心理を悪用する心理的手法である。例えば、不正なプログラムをダウンロードさせるために、一般ユーザーに対して魅力的な文言を付加して、どうしてもダンロードしたくなるような状況に導いたり、メールの添付ファイルを開かせるために、攻撃対象が気を許しそうな人間の名前を騙ったりする。ユーザーの心理的な隙を突いて、不正なプログラムが配置されたURLや添付ファイルを怪しいと思わせないのが特長である。そのため、不正なプログラムをダンロードしてウイルスに侵入された後も、遠隔操作をされていたり、情報が窃取されていることに気づかないままPCを利用し続けるケースが多い。標的型攻撃などでは、大半が金銭目的の情報収集が行われるのに対し、今回の遠隔操作ウイルス事件では、事件を起こすことそのものが目的であったため、PCの遠隔操作の実態がすぐに明るみになったことが特徴的な部分でもある。実際には、遠隔操作などの痕跡を消すことも可能で、そうなると、事後解析がさらに難しくなる。こうした被害に遭わないためにも、企業や個人では、サイバー犯罪の実態を正確に把握することと、そうした状況に応じた適切な対策や対応が求められることになる。」     以上

メールに限っても、日々やってくる着信を覗くと、数多くの迷惑メールの中には怪しげなもの、あるいは妙に気をそそられるもの、明らかにこいつはヤバいと思われるものが入り混じっているが、不審なものは絶対開かないことだ。
米国発のコンピュータ及びインターネットは、もともと軍事目的で開発されたもので大型であった。今日のような小型化されたPCは、アメリカ・カリフォルニアにあるゼロックス社・パロアルト研究所の研究員だったアラン・ケイが、コンピューターを人々が創造的思考を生み出すための道具として位置づけ、コンピューターの小型化、高機能化を進めようとした。そして、その構想を記した論文の中に出てくる理想のコンピューターを、彼は「ダイナブック」と名付け、現在私が使っている東芝ノートパソコンのdynabookの名前の由来でもある。
2000年以来東芝を愛用しているが、サポート体制も充実していて、PC初心者のころはよくお世話になった。特に分からないときは相談窓口のIPアドレスを打ち込み遠隔操作で自分のPCを見られている実感があったので、今回の遠隔操作事件は気味が悪い。

4月の終わり頃から、Microsoft 社の Internet Explorer に、悪意のある細工がされたコンテンツを開くことで任意のコードが実行される脆弱性が存在しており、この脆弱性が悪用された場合、アプリケーションプログラムが異常終了したり、攻撃者によってパソコンを制御され、様々な被害が発生する可能性があるとして、世界中にセキュリティー対策プログラムの更新する旨の発表があった。
しかしコンピューターの情報管理という大前提の軍事目的から出発したPCの歴史を考えると,先のスノーデンではないが、すべて世界はアメリカのお見通しMicrosoftにせよGoogleにせよ米政府に加担してしていることが指摘されている以上、泥棒にちゃんと戸締りをしろと言われているようなものではあるまいか?
一方で今月15日の米紙ニューヨーク・タイムズでは、米国家安全保障局(National Security Agency、NSA)が、無線信号を通じてコンピューターを遠隔監視する秘密技術を開発し、標的のコンピューターがインターネットに接続されていないときにも情報を収集していた、と報じた。サイバーテロを誹謗している国が、サイバーテロの新兵器を駆使してるこの世界、何やら別の軍拡競争が始まっているようだ。

2014年4月29日火曜日

カルトの災い

沈没船セウォル号とオーナーの兪炳彦(ユ・ビョンオン)

連日報道をにぎわしている沈没船セウォル号だが、時の首相が辞めたり、韓国人の喧々諤々の怒号や、我が国は三流国家などの自嘲めいたメディア報道を見ていると、集団ヒステリーの韓国の異様さが目に付く。
日本の都都逸に「恋に憧(こ)がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす」というのがあるが、近頃は、鳴く蝉ばかりが増えて喧しい。10日以上も現地で子供を待ち憧がれる親たちは船会社や政府をののしり続ける。韓国・朝鮮日報など複数のメディアは、沈没した「セウォル号」を保有する清海鎮海運が、キリスト系の宗教団体と関連があることが明らかになったと指摘し、実質オーナーの兪炳彦(ユ・ビョンオン)がこのカルト教団の代表であることと、イ・ジュンソク船長を含む、清海鎮海運の社員の9割がキリスト教福音浸礼会(別名:救援派=クウォンパ)の中心信徒だと報じた。
このカルト教団には「人を殺しても罪にはあたらない」という教義や「現金を私たちに捧げなさい」「現金を払えば、罪を犯しても罪にならない。」などふざけた教義が表沙汰になっている。そして
基準の3倍以上の過積載と安全を無視した利益優先の教団船は暴走沈没した。

韓国政府は慌てて実質オーナーの兪炳彦(ユ・ビョンオン)氏の関連企業など関係先約10カ所の家宅捜索に着手。系列会社13カ所の役員約30人を出国禁止処分とした。捜索先には兪氏が関与する宗教団体も含まれている。この宗教団体について韓国の中央日報(電子版)は、団体幹部が清海鎮海運をはじめ兪氏が出資する複数の企業の幹部を兼任していると報じている。しかし在日のこのオーナーは逃げ足が速いのか、政府を巻き込む弱みを握っているので逃がされたのかはわからないが、出獄禁止命令が出る前に高跳びしたようだ。
悪知恵の働くこのオーナーは、今回の事故にかかわるパソコン内の関連データを差し押さえの前に初期化されていたことや、過去の航海158回のうち157回で貨物の過積載が記録されていることも分かった。


特定の指導者への帰依を過度に強調することは、あらゆる宗教が陥りやすい誤りであり、そこに金が絡むとなおさらである。同じ韓国の統一教会しかり、日本のオウム真理教しかりである。日本ではあまり危機感を持たれていないが、創価学会の池田会長も在日朝鮮人成太作(ソンテチャク)であり、現在、創価学会は、フランス、ドイツ、オーストリア、ベルギー、チリの5カ国で「カルト(セクト)指定」されている(その他米議会下院でも指定)。
朝鮮人の成太作(ソン・テチャク、池田大作)率いる創価学会は、公明党を活用して、日本の政治に大きな影響力を及ぼしている。在日の多い公明党は、在日朝鮮人に選挙権をあたえるための  外国人参政権法案 に執着しており、 過去に29回も国会に提示し、すべて廃案させられている。 政教分離の日本の立場からは要注意の政党と言える。中国や韓国といった厄介な隣人が、これを手に入れた時を考えると背筋の寒さを覚えるのは日本人の多くであろう。



2014年3月13日木曜日

虚と実三様


ビットコイン

古来、虚と実の世界は至る所にある。言い換えれば、実とは存在であり虚とは無のようなものだ。また虚は無の予兆でもある。目で見える世界や現実にあるから実の世界だと我々は思っているが、最近の社会事象を見ていると虚と実の距離感が短くなった感がする。それはデジタルメディアによる現実を構成する核となる「仮想」空間が蔓延している現代の風潮に現れている。

PCを手に入れた者達はバーチャルな世界を作り出す。デジタルネットワークは今や単なるコミュニケーション手段ではなく、生活の場そのものである。彼らは1日のかなりの時間をネットワークでの生活に費やし、ショッピングもエンターティメントも学習も、社会活動もデジタルネットワークの上で行う。まさに情報世界という本来虚の世界が実に転換していることは、皮肉にも虚のもたらす虚構性こそが実世界を豊かにする糧にもなっている。虚という概念は人間のメンタルな活動を中心にしたイマジネーション(想像)に通じるものがある。


マウントゴックスの記者会見

その虚構性が大きく取りざたされた事件が起きた。インターネット上の仮想通貨ビットコインの取引所「マウントゴックス」を運営するMTGOX(東京・渋谷)が28日、東京地裁に民事再生法の適用を申請し、同日受理されたと発表した。債務が資産を上回る債務超過に陥っていた。顧客が保有する75万ビットコインのほか、購入用の預かり金も最大28億円程度消失していたことが判明した。
消失したのは顧客分75万ビットコインと自社保有分10万ビットコイン。金額にして「114億円程度」としているが、他の取引所の直近の取引価格(1ビットコイン=550ドル前後)で計算すると、470億円前後になるらしい。

ウイッキペディアによるとインターネット上で流通している電子マネー。通貨の単位はBTC。紙幣・硬貨は発行されていないため、「仮想通貨」「デジタル通貨」などとも呼ばれる。流通を管理する事業主体や国家もなく、中央銀行のようなものも存在しない。米ドルや円など現実通貨との交換は、ウェブ上の「取引所」を通して行われるが、決済は金融機関を通さないため、諸経費や手数料などが発生しない。そのため、小口の売買やP2P(個人同士)の取り引き、とりわけ国境を越えた送金・決済に利用されている。
現実通貨との交換レートは、需給関係や経済状況に左右され、投機の影響も受けやすいため、乱高下を繰り返している。こうした為替リスクに加え、資金洗浄など不正な取り引きや、薬物取引などのやばいカネの移動手段の温床になっているという批判もある。しかし、手軽さや海外との取引の利便性の高さが人気で、開発からわずか4年の2013年4月には流通量10億ドルを超えるまでに成長した。
日本においては、ビットコインは電磁的記録として扱われ、通貨として認められておらず、電子マネーとは異なり資金決済に関する法律の対象とはならない。また、有体物でも知的財産でもないデジタルデータは、「物」や「財物」や民法上の「動産」の範囲外と見なされる可能性があり、物権や窃盗罪などの法律の対象とならない可能性がある。現在マウントゴックスMTGの登録者数は現在、世界で57万人。米国人が36%を占め、次いで英国人7%、中国人5%、日本人は約1650人と1%にも満たない。価値を裏付けるものがないため、もともと本質的に不安定な仮想通貨ビットコイン、それを取り巻くこのバーチャル空間の整合性について今検証が始まっている。


STAP細胞

新しい万能細胞として注目されていた理化学研究所のSTAP細胞の論文に疑念が強まり、共同執筆者の山梨大学・若山照彦教授が「研究の根幹に関わるところで信じ続ける事が難しい状況になってきた」と、論文の共同執筆者(2本の論文で計14人)にメールで論文の撤回を呼びかけた。
若山教授は1月29日(2014年)に小保方晴子ユニットリーダーと一緒にSTAP細胞の成果を発表したキーマンの一人だ。その若山教授は「信じられないほどいろいろなデータの間違いが見つかっている。信じ続けるのが難しい状況になっている。いったん論文を取り下げて、間違いのない正しいデータを使って誰からも非難されない論文として発表したほうがこの論文の成果を高めるには大事だろう」と語っている。
浮上した疑惑はいずれも他者の研究からの画像の転用で、要するに研究成果が出なかったのででっちあげたのではないかと各専門家から指摘されている。実験で出た結果ではなく、PC上で作り上げたデータならばこれは大問題。現在、海外のサイトでも大いに議論になっている。

また小保方研究員の早稲田大学在学中の博士論文は、他からの盗用も指摘され、英文で約900字、10行ほどの論文が、ドイツの研究者J・Guoらが05年に国際的な科学誌に発表した 「マウス胎児性幹細胞のマルチカラー核型分析」の論文の一部の「丸写しではないか」と指摘された。一連の疑惑が解明されるまでは時間がかかりそうだが、一度多方面から疑惑をかけられたら、これを晴らすには第三者の実験成功と、使いまわし画像のない精緻な論文を再提出することが求められるだろう、この世紀の発見が虚にならないことを願うが、ご本人の対応も鈍くどういった説明がなされるのか世界が注目している。日本の学会の信用問題にもかかわるので責任は重大である。


ベートーベンのなれの果て

全聾の作曲家にして“現代のベートーベン”と謳われた佐村河内守氏と新垣隆氏のゴースト問題が世間を騒がしている。 2011年に発売された佐村河内氏の作品『交響組曲第一番HIROSHIMA』はクラシック界では異例の18万枚を売り上げ、昨年発売の『鎮魂のソナタ』も10万枚のセールスを記録した。また、佐村河内氏は、ソチ五輪で、高橋大輔選手が男子フィギュアのショートプログラムで滑る『ヴァイオリンのためのソナチネ』の作曲者でもある。
という触れこみだったのだが、それが全部嘘だった。被爆二世として佐村河内氏は広島市に生まれる。4歳のときから母親にピアノを習い、10歳のときにはバッハもモーツァルトも弾きこなし、将来は交響曲をつくる作曲家になることを意識した、と2007年発売の自伝『交響曲第一番』にある。が、その経歴は新垣氏のものだった。
二人の腐れ縁は、佐村河内氏が33歳。新垣氏は25歳で、母校の桐朋学園大学作曲専攻の非常勤講師になったばかりのころから続いていたらしい。
新垣氏は、佐村河内氏が楽譜を全く書けないこと、正式なクラシックの勉強をした形跡もなく、ピアノの腕前も新垣氏の常識では“弾けない”レベルにあること等に気づくが、なあなあの関係が18年も続き、最近の自責の念に駆られての記者会見となった。

ある精神科医によると、佐村河内の人格について『演技性人格障害』の可能性があることを指摘されている。佐村河内氏には、2002年に両耳全聾で2級の障害者手帳が交付されている。これにより、公共料金の割引や、市・県民税の非課税、所得税の控除といったサービスを受けることができる。また、もし受給要件を満たしていれば、障害年金が給付された可能性もある。
だが、全聾が嘘だった場合(詐聴と言うらしい)、佐村河内氏はそれらの手当を不正受給したことになる。その額はおよそ940万相当と計算されているが、これは、詐欺罪にあたるようだ。
新垣隆は全ろうは18年間嘘であると『週刊文春』に掲載された独占手記でも主張した。横浜市による再検査では中度の感音性難聴と診断され、聴覚障害者ではあるが、障害者手帳の交付の対象となるレベルではなかったとし、身体障害者福祉法での「聴覚障害者」には該当しない)との結論に至った。謝罪会見に現れた姿は髪をバッサリ切り髭もサングラスも取っ払ったただのおっさんに戻ったベートーベンの姿であり、そこには謝罪というより自己弁明に終始した姿があった。

2013年8月18日日曜日

売買雑感


今年の暑さで繁盛しているネットスーパーの売り上げがここに来て昨年の2倍ほど伸びているらしい。この暑さで重い買い物袋を下げウロウロしたくない主婦層の志向性が出たようだ。ネットを利用して大手スーパーの買い物が、居ながらにして出来るというわけだ。もともと高齢者や来店困難者を対象に伸びていたシステムではあるが、人間だんだん横着になってきて、暑さも手伝ってその利便性に利用客が増えたのだろう。うちのカミさんはまだ利用していないが、さすがに連日の暑さで台所に立つのが嫌になり、外食にお伴することが増えてきた。「風が吹くと桶屋が儲かる。」といったものだが、気候と経済は切っても切れない関係にあるようだ。ビールの出荷量も増え、我が家でも暑気払いにこの夏の酒の量も増えている。



世界には71億以上の人々が存在するが、インターネットを利用している人は僅か20億にすぎない。全世界で最も利用者の多いFacebookであったとしても、それを利用していない60億の人々が存在する。毎日数億の呟きが生成されるTwitterだが、呟く人々以上に「物言わぬ人々」が存在する。
物が売れない低成長の時代だからこそ「消費者の望む物を知る」、そんな必要性が現れ、どの企業も客のニーズに答えようと日々企業努力を怠らないように努めている。

思えば私がPCをやりだしたのが2000年にかかる頃だった。1990年代から一般利用が始まったインターネットは、当初電話回線を利用したダイアルアップと呼ばれる接続方式が主流で、通信料金も接続時間によって課金される従量課金であった。そのため、使う必要性のある時に接続する利用が殆どであり、有料範囲でのPC操作が煩わしかった覚えがある。コンテンツも通信回線が細かったためテキスト主体のサイトが殆どで、今のようなリッチなサイトは殆ど無かった。それでも、今まで触れたことの無い情報に触れる喜びと、圧倒的な情報量が人々を虜にした。

2000年代になると、ADSLが導入されブロードバンドの時代に進む。通信速度が劇的に向上し、常時接続となり、今までのインターネットの利用方法を一変する事態が起きた。
従量課金の時代には多くの人々にとって、インターネットとは必要な時に情報にアクセスするものだった。幾ら接続していても通信料金が変わらないという状況になり、人々は自らが発信者になることを望みだした。Web2.0の誕生である。ブログやSNSが誕生し、特別な知識が無くても、誰でも簡単に情報を発信し、距離を越えた人々と繋がる喜びを手に入れた。そして現在、スマートフォン、タブレットといったパソコンに変わる新たなデバイス。この新たなデバイスは何時でも何処でもインターネットにアクセスする事を可能にし、人々を場所の制約から解放する。ワークスタイルやライフスタイルを激変させている。日々電車の中では老若男女携帯を眺めている光景が目につく。

最近成長著しいeコマースの業界では、楽天、アマゾン、ヤフーなど私もよく利用させてもらっているが、全国の産地から希少なものから人気商品まで、あらゆるものが手に入る。特にアマゾンは書籍から始まってあらゆる商品が新旧取り混ぜ、しかも不用品まで中古として売買できる。またヤフーの場合はオークション売買を利用しているが、売り手は競争が激しいので高く売れるが、買い手の方は値が上がりすぎて買えない場合もよくあることだ。安くて良い掘り出し物を探す場合、競争の少ない楽天オークションの方がヤフーより安く手に入るので、私は両方のオークションを利用している。

2013年6月2日日曜日

格差社会

大前研一 「ロウアーミドルの衝撃」より

私がサラリーマンをやっていた頃は、高度経済成長期の良き時代で、学校を出て就職をすれば、終身雇用、年功序列といった今では考えられないある意味豊かな時代であった。
1985年から始まった円高により、多くの企業が行った省力化・コスト削減が進み、日本企業は中国の安い労働力を追い求めて大挙して中国に進出した。円高が進み、国内需要も低迷する中で、多くの日本企業は中国に工場を移転し、中国で生産した製品を欧米諸国へ輸出する新たな戦略を展開した。日本企業は中国に進出することによってコスト競争力を維持することができた。
そうした経済のグローバル化の潮流の中で、世界の工場としての中国の台頭に続く国内生産業の空洞化や産業構造の変容に対して、国際競争力の消失を防ぐために始まった雇用調整があらゆる業種に及び、非正規雇用の増大による派遣労働者の急増や、年収200万円以下のワーキングプアーの広がりが社会現象となっている。

また一方ではリストラの嵐が吹き荒れ、会社が安住の地ではなくなった。己の自由を会社に捧げ、一生を保証されていたあの頃は戻らない。今はそのささやかな自由も経営の合理化の前では消え失せ、過酷な労働条件に打ちひしがれる勤め人が巷に溢れていく。もはや日本は昔のような包摂性のある時代ではなくなった。その憂き目にあっているのが我々の子供の世代を含む前後の年代層である。最近では狭い日本列島で弁護士が過剰になりすぎ、年収100万円近辺の食えない弁護士が増えていると報道で見たこともあるが、これも時代の趨勢か?格差社会は否応なしに進んできている感がする。

● 格差に拍車をかけるTPP

時代の流れとしてTPP(環太平洋連携協定)参加に大きく舵を切った日本では、弱肉強食の市場原理主義に誘導されたアメリカの経済植民地化が今後ますます広がっていくだろう。そもそも、いままでにない例外なき関税撤廃、規制緩和の徹底をめざすTPPでは、「すべての関税は撤廃するが、7~10年程度の猶予期間は認める」との方針が合意されている。しかし、米国は乳製品と砂糖について、オーストラリア、ニュージーランドに対してだけ難癖をつけて例外扱いにしようとごり押ししていたが、両国の反発にあい、そんな例外を認めるのであればTPPに署名しないといっているくらいで、圧倒的な交渉力を持つ米国でさえ例外が認められそうにないのに、日本がどうやって例外を確保できるのだろうか?「国民皆保険制度を守る」「食の安全基準を守る」「国の主権を損なうようなISD(投資家対国家紛争)条項は合意しない」という公約も守られる保証は何もないまま、課題山積のまま安倍政権は見切り発車した。
徹底的な規制緩和を断行し、市場に委ねれば、ルールなき競争の結果、ひと握りの人々が巨額の富を得て、大多数が食料も医療も十分に受けられないような生活に陥る格差社会がひろがる。それでも、世界全体の富が増えているならいいではないかと、ゴリ押しを続けるアメリカ主導のグローバルスタンダード。逆に平等を強調しすぎると、人々の意欲(インセンティブ)が削がれ、社会が活力を失うといったジレンマも背中合わせにある。世界の覇権国家アメリカは中国のように露骨ではないにしろ、巧妙に属国をコントロールしている。


中国には透支という言葉がある。原語は金融用語で借越という意味であるが、一党専制という恐怖統治下に生きる中国人の心理状態、生態、行動パターンなど様々におこる現象を指している。例えば毛沢東時代に「貧乏になれ!それが栄誉」だと号令されると,10億の国民全体がそれに従い貧乏のどん底に陥り、時代が変わりトウ小平時代になり、「先に金持ちになった者が勝ちだ!」と号令されると、13億の国民が拝金主義者に変貌を遂げ、金のためならなんでもありの統制の取れない銭ゲバ国家に成り下がる。人心の汚染から始まった食品汚染、やあらゆる地域での領有権を主張し、人の迷惑も顧みず、その場しのぎの嘘と金儲けで世界中から顰蹙を買っている。
日本のように少しでも包摂性のある国家とは違い,強権がもたらす不安と恐怖から、国も社会も個人さえも信じない相互不信による倫理観の欠落からとんでもないモンスター国家が誕生した。当ブログでも紹介しているように中国の格差社会は日本の比ではないほど凄まじい。

日本には、他人が汗水たらして働いている横で、のうのうと美味い汁を吸って暮らしているような階級階層は基本的には存在しない。労働者は言うに及ばず、農家だろうが、管理職や経営者だろうが、金利生活者や地主だろうが、それぞれの分野で同じような経済規模の外国の同類に比べると,つつましい生活を送っている、この中庸の生活姿勢が戦後の経済発展の原動力となって我が国の経済を支えてきたのだ。
中庸の社会日本、バランスのとれた国民性は、格差社会が肥大化する世界のトレンドのなかで異彩を放つ。かつてのように中産階級が息を吹き返さないと、本当の経済再生はやってこない。

2013年5月25日土曜日

諸刃の剣

マイナンバー法成立

今月国民一人ひとりに番号を振るマイナンバー法が衆議院を通過し,5月24日、参議院で可決、成立した。2016年から、国民一人ひとりに住民基本台帳に基づく番号を割り振って、年金、医療、介護保険、福祉、労働保険、税務の6分野での活用によって、番号制度が始まる。このマイナンバー制度が導入されると、全国民にマイナンバーは付き、中長期在留の外国人や法人にも番号が付けられることになる。そして、この番号をキーにして、おもに納税額や年金・介護の保険料納付状況などの個人データを引き出し照合するのが共通番号制の仕組みで、政府はこのマイナンバー制度について、各個人の所得水準や年金、医療などの受給実態を正確に把握し、効率的な社会保障給付を実現することを目的とするとしており、行政事務の簡素化、効率化や、生活保護の不正受給や脱税の防止効果が期待されるとしている。

東洋経済
個人個人に生涯変わらない番号が交付され、それを活用することにより、本人の申請を前提にしたこれまでの行政サービスの在り方をかえ、国民に利便性の高いサービスを構築することができるようになると、表のような結構尽くめの説明をしているが、国による個人情報全般のコントロールと運用するIT世界のセキュリティーの問題による個人情報の流出漏洩や詐欺などに悪用される懸念も払拭できない。情報の利用範囲を見極めるのが、情報の垂れ流しを防ぐひとつの方法であるならば、国も厳格な指針を示さなければならないだろうし、国民の大多数はその仔細な中身は理解していない。

まず基本的人権であるプライバシー権の核心は、情報主体の「事前の同意」による自己情報の確認と、個人個人が自己情報の利用について認識し、それを受け入れていることが前提にある。
 確かに番号制が導入されれば、税や社会保障分野での行政手続きが簡便になり、業務も正確になる。縦割りの行政組織に横の連携がつながり、事務効率が格段にあがるだろう、その一方、本人確認のしやすさとか、行政の効率性向上とか、管理する側の理屈ばかりが先走り、肝心の国民の受益がはっきりしないとの懸念の声もある。
日本では、現在、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民基本台帳カード、雇用保険被保険者番号など各行政機関が個別に番号をつけているため、国民の個人情報管理に関して縦割り行政で非効率で、あらゆる行政サービスを包括する身分証明書は現在のところ存在せず、これは先進国としては珍しいようだ。 世界ではIDの名称は変わるものの、多くの国が導入している。

すでに早くからソーシャルセキュリティーナンバー(社会保障番号)制度を導入している「マイナンバー先進国」のアメリカでは、不法移民が職を得るために盗んだり、死んだ家族に成り済ましてナンバーを使い続け、年金を受け取るなど、いわゆるID詐欺も多く起きていて、全米で年間1,000万人が被害に遭い、過去5年間、全米で最も多い犯罪はID詐欺となっているようで、利便性の影に失うものも多くある。
わが国政府は番号の当初の利用範囲は社会保障と税、災害対策に限定するとしながらも、施行から3年後をめどに範囲拡大を検討しているようだ。そうなれば情報流出などのリスクもさらに高まり、広い意味での国家安全保障のためにも、リスクとしての個人情報は分散しておくべきで、行政への情報一元化は、情報漏洩や制度悪用に行政側が万全を期さないかぎり諸刃の剣になる。

2013年2月23日土曜日

金が仇のこの世



厚労省は日本人に多い胃癌がピロリ菌の感染によって引き起こされる割合が高いので、今まで保険対象外だった除菌治療を健康保険の適用範囲に入れることになったそうだ。ただし慢性胃炎の症状がなければ検査は実費のようだ。
最近かかりつけの医者にピロリ菌の検査を聞いてみたたら保険がきかず、数万円かかると言われ、症状もないのに検査の必要はないと言われたことを思い出した。というのも年1回の胃カメラ検査がどうにも嫌で、ピロリ菌の検査をして、いないことが分かれば胃がんのリスクはかなり低いので、胃カメラも飲まなくて済むだろうと安易に思っただけである。
最近はがん治療に関して、日本の多くの医者はすぐに患部を切除したがるが、欧米では放射線治療が主流で、最先端の陽子線治療では、放射線よりも安全に患部のがん細胞だけを照射でき、周りの正常な細胞組織を傷つけたりしないようだ。ただしこの陽子線治療は保険適用外で、完治するのに約280万円以上かかるらしい。

交通事故にせよ、重篤な病にせよ、巷では体中に輸血ルート、気道チューブ、動脈ライン、などのチューブやセンサーを取り付けられた重症患者のことをスパゲティー症候群と呼ぶそうだが、本人は意識がなく死を待っている末期治療にも、一日あたり数十万円もの医療費がかかるそうな。
また自力で食事もできず寝たきりの床ずれ患者も、硬直した体に、直接胃にパイプラインを引いて液状の流動食を流してもらっている、いわゆる胃籠(いろう)患者も介護の世界では増えているようだ。このようなお世話にはなりたくないが、私も介護保険料はきっちり取られている。

国も加速化する高齢者の医療費増大にあの手この手を考えているようだ。まして例外無き関税撤廃と医療分野への進出を図るアメリカ主導のTPPに加盟すれば、国民皆保険制度の崩壊につながる可能性を医療関係者は危惧している。
TPPで公的または民間の保険による混合診療が解禁になると、高度な医療は自由診療となり民間の保険でカバーされるようになる。公的保険制度はなくならないまでも、民間保険が進出して自由診療が広がると、財政破たんしている公的保険はその適用範囲をどんどん狭めていく懸念がでてくる。
混合診療となると公的保険でカバーしなくてもよい言い訳ができ、国民は民間の保険料も支払うこととなるので負担が高くなる。民間の保険料が払えない人は高度医療を受けることができないという事態になる可能性が出てくる。(交通事故を例に取れば任意保険に入っていて自賠責保険はほとんど使われないケースなど)
 現在の公的保険での診療報酬は保険の財政が破たんしているから、世界の中でも極端に低く抑えられている。特に命にかかわる高度医療は極端に低額であるため、多くの基幹病院は赤字のようだ。そのために民間の保険会社が参入した場合は医療費は世界基準に跳ね上がり、治療を受ける側は金持ちは命が助かり、貧乏人は命が持たないことになる。


TPPに反対しているのは医師会(開業医の団体)で、医療費が高くなると、薬局で買うよりも安いからといって、風邪薬や湿布をもらいに来るような軽症者は医療機関に来なくなるから軽症者をみる開業医は死活問題であるが、しかし勤務医は診療報酬が世界基準になるので、正当な報酬を得ることから医師はこぞって自由診療に走ることで賛成しているようだ。
公的保険しかない人たちはアメリカの医療のように後回しにされたり診療を受けられなくなる。救急の受け入れも保険次第となるから、民間保険がないと現在よりもたらいまわしが増えるので、したがって無理してでも民間の保険に入らざるを得なくなるという具合になる。日本にはびこっている米国の保険会社にとっては、目の前にぶら下がっている人参のようなものだ。営利事業が相容れない医療の世界が外圧で様変わりする日は近い。

現在 厚労省は皆保険を守りたい意向はあっても、財務省は財政赤字を減らすために混合診療にして公的保険の範囲を狭くしたいと考えている。
世界に誇る国民皆保険制度は内部からも外部(外圧)からも崩壊の兆しが見えてくる。それは、全ての国民に健康な生活を保障した輝かしい憲法25条も風前の灯になることを意味している。一番割を食うのは医療難民となっていく国民で、米国にTPPの交渉に行っている安倍首相の舵取りやいかに。
 

2012年12月12日水曜日

日本のインフラ


最近読んだ本に「日本文明世界最強の秘密」増田悦佐著がある。「日本はもうダメだ」という悲観論のマインドコントロールから日本人を救い出す画期的論考!閉塞感漂う現代日本に一筋の光明が差すような本でもある。                                                 
「その国の経済発展を支えるものは強固で効率的な交通網(車より鉄道社会を守り抜いた日本の大首都圏のインフラ)であり、我が国が21世紀を通じて先進国の中では一番経済的パフォーマンスを繰り広げている。戦後の荒廃から脱却し1970年代までの日本経済の高度成長を支えたものは、世界一のエネルギー変換効率で、車よりもネットワーク性が高く、大量に人を運ぶインフラである鉄道網が東京、大阪といった二大都市圏に張り巡らされて、世界一急速に都市化が進んだにもかかわらず、交通渋滞による大都市圏の経済効率が下がることもなかった。」

競争力は何によってきまるのか、との命題から考え始め、原材料、技術、労働力、エネルギーの要素は移転可能だから、決め手にはならず、一番大事なのはインフラだとする。ここでインフラというのは、人間を大量に集積する都市が有利であることであり、特に人口を集められるのは鉄道中心の都市であるとする。結果、東京や大阪など鉄道中心の都市がある日本は他の国に対して競争の上で優位に立っているという、増田理論の結論が出てくる。

また本書ではこう続ける、鉄道を発明したのはイギリス人だが、鉄道網を発明したのは日本人だと。実際欧米諸国の鉄道はターミナル駅はそこから乗り換えするのに非常に不便な位置に有り、日本のようにターミナル駅が通過駅としての機能を併せ持ち、そのため同じ駅内で乗り換えがスムーズに行われて、時間のロスがなく、時刻の正確さはこの上ない。しかも駅の中ではショッピングモールを組み込んだ多機能な空間が存在する。この利便性は他国の追随を許さない。

世界最大の乗降客数を誇る新宿駅でも、山手線、中央線、京王線、小田急線、地下鉄各線が同じ構内に集中している。そのため欧米では貧乏人以外は不便な鉄道をさけ、通勤は圧倒的に車に頼る車社会で、一度に大量輸送が可能な鉄道に比べエネルギー効率が非常に悪いのである。日本では旅客は鉄道、足のない貨物は車と概ね棲み分けられている。そのため日本では旅客では世界一鉄道依存度が高く、貨物では世界一鉄道依存度が低い。よって道路を走行する自動車に占める業務用車両の比率が高くなっている日本では交通量の増加はほぼストレートに経済活動の拡大を意味する。

中央道笹子トンネル事故
ただ我々も荷物が多い遠出には車を使い、少ない遠出には鉄道または飛行機を使ったり、旅行先で荷物が増えたら宅急便を使ったりと、選択肢は多い。田舎を走ってみて気づくことであるが、大都市圏の利便性がない地方の移動手段は圧倒的に車である。それも一家に一人1台の軽自動車の多いことか。とにかく軽自動車が多いのが目に付く。ただ今回報道を賑わした中央道の笹子トンネル事故は、時々利用する者として穏やかでない話である。

笹子トンネルは、今から約37年前の1975年に完成し、77年から使用されており、まだわが国が高成長の真っただ中にある時期に使われ始めた。笹子トンネルがある中央自動車道は、わが国の中心である東京と山梨や長野、さらには兵庫県西宮を結ぶ幹線道路の1つとして、わが国経済の動脈としての役割を果たしてきた。
そして老朽化していた笹子トンネルの事故は、9人の尊い命を奪った。現在、同様の問題を引き起こす可能性のある危険度の高いトンネルは全国で49カ所あるとも言われ、その点検が急がれている。直近では首都高羽田トンネルもボルトの脱落を指摘されている。
そしてこの事故を受けて,各党代表は,インフラのメンテナンスの重要性を訴えるに至っている。言うまでもなく高度成長期につくられた道路、トンネル、橋梁などのインフラの多くがこれから大量に寿命を向かえる。時代錯誤の無駄な新規大型公共事業復活の前に、過去のインフラのメンテナンスが最優先されるべきだろう。
そのためにはデフレ不況の今,増税をしたところで不況が深刻化する以上,なんとしてでも「経済成長」をはたして財源を確保して,抜本的な「インフラのメンテナンス事業」に政府として取り組んでいく事が不可欠だと思う。

2012年7月26日木曜日

ネット社会のうらおもて

7月16日 代々木公園
3月11日の東日本大震災からすでに1年4か月が経過した。震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日本国内のみならず、海外でも「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所~表参道デモとつづき、6月11日には、全国で大規模なデモが行なわれた。作家や評論家など知識人の参加者も目立つ。ようやくデモの少ない日本でも大規模なデモが盛り上がってきた。

脱原発運動では、日本でこれまで最大の17万人が参加して「さようなら原発集会」が7月16日、東京・代々木公園で開かれた。猛暑にも関わらず、会場には家族連れや団体、グループ、個人で、北海道から九州、沖縄、そして海外からの参加者が、朝早くから続々と集まった。そして7月20日の首相官邸デモではあのルーピー鳩山が参加するといったギャグのようなサプライズもおこった。


そんな折に東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故で、日本の国会の事故調査委員会は5日、事故原因に関する報告書をまとめ、緊急事態への適切な対応などを欠いた「明らかな人災」との見方を示した。
 人災をもたらした責任は、東電や原子力行政当局、日本政府にあると結論付け、対応の遅れは「日本の特質」にもあると指摘。
「日本製」の災害と形容し、上部機関当局に疑問をぶつけることをためらい、プログラムの手順に固守する風土などが災害拡大を招いたと主張した。今や福島の問題が解明解決しないまま、原発再稼働に踏み切る国に対して多くの国民がNOを突きつけている。
このように反原発脱原発運動は、ネットを通じて拡散、拡大化していき、あらゆる反対運動は内外を問わずネットという武器を得て民衆に浸透していく。まさにアラブの春が広がったように、21世紀のネット社会は独裁国家をも揺るがしていく。


その一方でネットはその匿名性により無責任な発言や誹謗中傷に至るまで、ありとあらゆるものが垂れ流されている。匿名という鎧を付けて人は非日常的な発言や傲慢な行動を目論む。私は非人称である匿名の物言いは信用しない。なぜなら匿名という仮面に隠れた相手には名指しで批判されることもなく、言ったことに対する責任も及ばないからである。そのため有害無害を問わず無責任な便所の落書きのような書き込みが多いのもネットの別の一面である。

2012年7月21日土曜日

近頃思うこと


最近些細なことでカッとして人を刺したり、駅のホームで人を突き飛ばしたり、大声で怒鳴り合う風景などを通して、現代の日本のストレス社会が生み出す社会現象が論じられている。その短絡的で理不尽な事件の多いことで受け取る側も、またかと日常的な事象としてやり過ごす。その背景には最近の国内経済の悪化と共に若年層や30代40代に至るまで、その生活環境は厳しさを増していることが伺える。鬱積していた不満や怒りが臨界点に達したときに,他者に対する攻撃がはじまる。事件を起こした連中の決まり文句は、「誰でもよかった。」である。犠牲者は各地で増えているが、この通り魔的な犯罪と対極にあるのが、全国的に非常に多い公立学校のいじめ問題である。最近報道された大津中学校いじめ事件は衝撃的だ。

荒廃していく教育現場

いじめには「誰でもよかった」ではなく、自分より弱い者に攻撃の矛先が向かう。その根底には人間のもつ潜在的な支配欲が働き、自分の手中で弱者をもてあそび自由に操作するメンタリティが、類が友を呼んで、狭い学級空間の中でいじめはさらにエスカレートしていく。そしてそれが恐喝および金品の強奪まで発展し、最悪は被害者を自殺に追い込む、まさに加害者は学校社会から逸脱した一般社会の犯罪予備軍である。同時に学級教師の学級統治能力のないことや、校長ー教育委員会ー文科省と続くシステム(一般社会と隔絶した風通しの悪いムラ社会)の欠陥が招いた悲劇でもある。その構造は原子力村が身内で保安院や安全委員会を運営しているのと同じである。

文科省が掲げたいじめの半減目標を定めた成果主義によって、各学校や教師の査定をすることにより、実際はいじめが増えているのにいじめが存在しないように取り繕うため、臭い物に蓋をするだけで臭いのもとを根絶する気概が学校も教育委員会もない。そこには自分たちの点数を下げないためにいじめを隠蔽する体質が肥大化した姿しかない。事が取り返しのつかない事態になり公表されると自己弁護に走る姿は報道を見てのとおり。この間警察に3度の被害届を出した親も警察に却下され、事態が訴訟問題にまで及んだため警察も重い腰を上げた。ストーカー事件で懲りない警察の姿が再び浮かび上がる。市民の命を守れない警察も、子供たちの命を守れない教師も情けないかぎりだ。


上の画像は学校が取ったいじめアンケート内容の概要と、これを口外しないことをアンケート提示の条件にした学校側の親への確約書である。いずれもひどい内容でとても容認できない人権侵害の結果である。もはや学校も教育委員会も知らぬ存ぜぬでは済まされない事態になった。

大津市の越市長はこれまでの市教委の対応のまずさを改めて認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない」と述べ、国に制度改革を求める意向を示したことは一歩前進である。
背景にある小中学校の教職員の実態は、都道府県がその給与を負担しているために都道府県の職員である。極論すれば公立の小中学校は市町村の管理を受けない治外法権の場と化している。これに市長はメスを入れたのだ。 

 文部科学省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校という中央集権的教育行政の人達では、いじめ問題を解決することは不可能で、そろそろ国も予算を組んで外部の監査機関を設置し市町村に小中学校の教育統治を委託したらどうだろう。明日を担う子供たちの心の荒廃を広げないためにも。




2011年12月1日木曜日

談志逝く

落語界の異端児立川談志が逝った。他者の目もはばからず、言いたいことを言い、古典落語に新風を吹き込んだ毒舌の噺家が、最後は口は災いの元の咽頭がんで声が出ずに亡くなったことは談志らしい死に様である。師匠の話は何回か聞いたが、落語のマクラが破天荒でおもしろい。

古典落語の命題でもある人間の業の肯定についてこう述べている。
談志曰く、まず〈業〉とは、生きなければならないあいだの退屈を紛らわせるために余計な事をしようとすることであると。
人間が生きていくための「常識」という名の「無理」が人間社会には山ほどあり、あるときは世事一般のルールの中に、また体制、親子の関係、ありとあらゆる場所、場面、心の中にしのびこんでいる。
 で、文化が生じ、文明が走りだすと、「常識」に押さえつけられて潜んでいたものが片っ端から表に出てくる。当然、それらは裏の存在であり、公言をはばかられるが、そのうち“ナーニ、それがどうした”と、大っぴらになってくる。それらを背景に、「常識」という重石を撥ね除けて落語というものが生まれてきたのだ。

古典落語の背景にある江戸っ子=下町=人情のわかりやすい図式に反論するのが談志落語。現代では古典となった「現代落語論」で、師匠はこういう。「落語は業の肯定である」。つまり、人間の本性を善にみるのではなく、悪に見るというと解り易い。さらに師匠は人間の悪を肯定するのである。
人間の業を肯定し続けていけばイリュージョンとなり、ついには「意味」そのものを破壊せざるをえない。談志はよくこのイリュージョンを自分の落語の拠り所としている。。
これは一種の幻覚、幻影を舞台の上で表現しているとも言え、自分の落語は出来不出来が激しい、このイリュージョン状態になるかならないか、やってみないとわからないそうだ。

 イリュージョンには判りやすい演目とそうでないものがある。『猫と金魚』は、判りやすい。「番頭さん、金魚、どうしたい」「私、食べませんよ」
 これなどは、イリュージョン以外の何物でもないえぐいギャグだ。

ある商家の旦那、金魚を飼っているが、隣家の猫がやってきてたびたび金魚を襲うので困っている。番頭を呼んで対策を講じようとするが、この番頭が頼りない。猫の手が届かないところへ金魚鉢を置けと命じれば、銭湯の煙突の上に乗せようとする。「そんなところに置いたら金魚が見えないじゃないか」「望遠鏡で見ればいい」。次に、湯殿の上に金魚鉢を移動させるが、番頭がやってきて「金魚鉢は移動しましたが、金魚はどうしましょうか?」。そうこうしているうちに、隣家の猫が金魚をねらいにやってくる。旦那は町内の頭(かしら)を呼びにやり、金魚を守ろうとするが・・・。
この噺の作者は「のらくろ」で知られる漫画家の田川水泡。そのせいか、随所に漫画的ユーモアがある。
他方「粗忽長屋」に見られるイリュージョンはシュールな笑いが込められており、安部公房の短編<赤い繭>を彷彿とさせる要素をはらんでいる。

朝、浅草観音詣でにきたが、人だかりに出くわす。行き倒れ(身元不明の死人)があったのだ。遺骸を見れば(八の見たところではまぎれもなく)親友の熊公
「おい熊、起きろぉ!」と遺骸を抱き起こす八に、居合わせた人たちが「知り合いかい?」と尋ねると、落胆しきった八いわく「ええ、今朝も長屋の井戸端で会いやした。あんなに元気だったのに……こりゃ本人に引き取りに来させないと」
話を聞いた群衆が「ちょっと待て、あんたそれは間違いじゃ……」と制止するのも聞かず、八は長屋の熊の所へすっ飛んでいく。
当の熊は相変わらず長屋で元気に生存している。八から「浅草寺の通りでおまえが死んでいた」と告げられた熊、最初は笑い飛ばしていたのだが、八の真剣な説明を聞いているうち、やがて自分が死亡していたのだと考えるに至る。落胆のあまりあまり乗り気ではない熊を連れて、八は死体を引き取りに浅草寺の通りに戻る。
「死人」の熊を連れて戻ってきた八に、周囲の人達はすっかり呆れてしまう。どの様に説明しても2人の誤解は解消できないので、世話役はじめ一同頭を抱える。
熊はその死人の顔を見て、悩んだ挙句、「間違い無く自分である」と確認するのだった。「自分の死体」を腕で抱いてほろほろと涙を流す熊と見守る八。2人とも本気の愁嘆場、周囲の人々は全く制止できない。
と、そこで熊、八に問う。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」

いずれにせよ落語界の異端児は落語を一つの革新に導いたことは、時代が要求した必然なのだろう。弟子から上納金を取っていた立川流家元亡き後、志の輔をはじめ薫陶を受けた弟子たちはどのように落語を発展させていくのだろうか?     合掌。

2011年8月17日水曜日

原爆の日

広島       長崎

  原発事故の収束の目処が立たないまま、日本は66回目の広島・長崎の原爆の日を迎えた。被爆国の日本が、なぜここまで原発依存症におちいったかについて、われわれはよく理解できていない。低コストでCO2を出さない安全なエネルギーとして国内に55基ほどの原発を作り続け、産業界もそれなしには生産が成り立たないとして政官一体となって原発を推進してきた。
しかし、原子爆弾が後にもたらす放射能被曝の恐ろしさを身をもって知る国として、今回の原発事故への対応には疑問符が残る。
後から次々に出てくる汚染地域の拡大や、汚染の広がった牛や農作物、海産物への対応に追われている政府を見ていると、広島長崎の教訓が生かされていないようだ。

広島や長崎で原子爆弾が爆発した際、その爆風と熱、そして爆発の際に飛び散った放射線によって、多くの人命が失われた。しかし、その後、キノコ雲から広い地域に降り注いだ放射性物質によって、何キロ、あるいは何十キロにもわたって多くの人が低線量被曝や内部被曝をしている。今の福島の状況も同じでそれ以上といわれている。
現在でも原爆被爆症の認定を困難にさせているのは原爆を投下したアメリカが、原爆の爆風や放射能を直接浴びた近距離初期放射線による外部被曝者のみを原爆の影響の及ぶ範囲と定義し、遠距離の低線量被曝や内部被曝の影響は無視していることに由来する。
広範囲に広がる低線量被曝や内部被曝も考慮に入れなければならなくなると、原爆の一般市民への影響はあまりにも大きくなり、その使用が国際法上も人道上も正当化できなくなるアメリカのスタンスに我が国が追随しているからだ。
結果的に原爆の爆発後、キノコ雲から広範囲に降り注いだ放射性物質によって爆心から遠く離れた場所で被曝した人や、原爆が投下された後、救助などのために広島や長崎に入り被曝した人たちは、調査の対象ともなっていないため、実態も把握できていない。
これと似たことが今、原発を推進してきた国の原発に対する正当性維持のため、国は被爆の詳細実態を民間がやるほど熱心に調査をしていないことにも現れている。

たとえ原発が効率的に電力を供給する手段であったとしても、一旦事故が起きれば、これだけ広範囲に深刻な被害をもたらす原発は、やはり非人道的なものと断じざるをえないだろう。 様々な戦略上の判断から日本に原爆を投下した米国において、ルーズベルト大統領に原爆開発を進言する書簡を出したアインシュタインは、のちにそのことを後世にわたり我が身の恥としたという。
  
元々原爆の副産物だった原子力発電についても、1950から60年代にかけて、科学はこれを無限の可能性を秘めた夢のエネルギーと位置づけ、世界中で熱心に研究・開発が進められた。しかし、度重なる事故で原発が当初考えられていたほどいいものではないことがわかったあとも、日本を含む一部の政府はこれを推進し続けた。
そして、そこには利権構造に裏打ちされた政治に利用された御用学者の後押しがあった。そして原子力という魔物は今日まで息づいてきた.おそらくこれからも地球上から無くならないだろう。この魔物に魅せられた支配者がいる限り。

 今回の福島の原発事故は社会にとって重要な情報を提供する科学者と政治家の責任は大きい。問題になっている政府の被害の過少評価と徹底した汚染調査をやらないことは、民間の調査機関の活発な調査とは裏腹に、政府負担の膨大な補償を恐れての意図が読み取れる。
エネルギーは国を動かす血液であり、国の存続がかかったキーワードである。脱原発が叫ばれている中、それは急には唐突に変更できないだろう。時間をかけて廃炉にしていくことと次世代エネルギーの早急な開発が望まれる。

今年も終戦記念日の8月がやってきた。開戦当時、国の重要物資(石油の輸入量の78%,鉄鋼類の輸入量の70%,工作機械類の輸入量の66%)をアメリカに頼っていた我が国がアメリカによってその輸出を止められたことに端を発し、列強の経済ブロックにも阻まれ、身動きが取れないままアメリカによって仕掛けられた戦争に開戦を決意せざるを得なくなった歴史を振り返ると、開戦を決定づけたエネルギーは今も国の根幹にかかわるものであり、海洋国家である日本が現在大半の石油を輸入している中東からのシーレーンや日本近海のシーレーンも、中国に脅かされつつある現況では、この生命線を守ることが国の命題であろう。このことは国家の運命と国民の命に関わってくるということでもある。


2011年2月21日月曜日

八百長

世の中、相撲八百長で揺れ動いているが、大相撲に限らず官民挙げて日本社会によくある構造がここから見てとれる。


根底にあるのはこの種の「貸し借り」であり日本社会に広く見られる慣習である。会社の中の人間関係でも商慣習でも、「貸しをつくった」とか「借りを返す」といった行動が実に多い。

人間関係でも商売でも、こうした「貸し借り」でお互いに困ったとき、助けあうのが日本の伝統かもしれないから、長年くすぶっている八百長疑惑は、観客にとっても織り込み済みであると言えよう。現に毎日新聞の世論調査では、相撲の八百長は以前からあったと思うと答えた人が、調査中93%を超えていたことから根の深いことが分かる。



八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。

しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。(ウイキペディア)


大相撲の隠語では八百長は「注射」真剣勝負は「ガチンコ」という。対戦者の一方のみ敗退行為をおこなう場合は「片八百長」と呼ばれることがある。星の貸し借りがカネで換算されるという分かりやすい八百長ではあるが。八百長の肝心なことは第三者にばれないことである。しかし従来から取りざたされてきた大相撲の八百長疑惑は物証がないから協会側もしらを切り通せたが、今回は携帯電話の解析による物証を突き付けられた。国技という名のもとであらゆる面で優遇されていたこの公益法人は今や存亡の危機にさらされている。もはや公益法人と言う権益の上に胡坐をかいている時代ではなくなった。


写真の放駒理事長の現役時代(魁傑)は大関は負け越すと休場するのが慣例だったが大関で負け越しても「休場は試合放棄と同じだから私は休場しない」と千秋楽まで相撲を取り続けたのも大関陥落後に再び大関に返り咲いたのも放駒理事長であり、典型的なガチンコ力士でもあった。



いわば興行の世界で 八勝七敗は、勝ち越しであり、地位が安泰。 七勝八敗は、負け越しであり、地位が陥落というきわどい世界で、ましてや十両とそれ以下では報酬の差が、たとえ親方から小遣いをもらているにしても、100万と〇と報酬の差があるのは、異常な世界であり、そこに八百長の余地が無いという方が不自然である。もちろん1勝に心血を注いでしのぎを削っている力士が数多くいることは当たり前の話であるが。興業、賭博と言ったキーワードに絡んでくるのが暴力団の影と臭いである。協会は膿を出し切ると言っているが、膿は留まるところを知らないどころか後から臭いにおいがついてくる。


たった1勝の差で、大差が付く。七勝七敗で千秋楽を迎えた力士にとって、次の1勝の価値は、1場所全体の星にも匹敵する。 これは、特定の1勝の価値が大きく変動するという意味で、きわめて非合理なシステムでシステムの改革をしない限り、今後も同じ問題が出てくるだろう。
野球賭博に端を発して、自らの星をよりどころに相撲賭博にまで手を染めている力士が広がっているという事態は、何をか言わんやである。

2011年1月2日日曜日

笑いの滴


             「笑いのしずく」 鳥獣戯画のウサギだけ編集

2011年 卯年の始まりである。裏日本に比べ関東の太平洋岸は穏やかな晴れの正月だが、なにやら今年も政局は一波乱もふた波乱もありそうな気配である。

卯年と言えば、鳥獣戯画のうさぎの絵を思い浮かべる方々も多いだろう。またこれより古くは古事記に出てくる神話「因幡の白ウサギ」で擬人化されたウサギがたびたび出てくる。

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物の国宝で鳥獣戯画とも呼ばれる。現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなる。内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描いたもので、特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名である。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称される。1巻の巻物の長さは11mにも及び、原本は東京国立博物館で所蔵されている。


成立については、各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風も違うため、12世紀 - 13世紀(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)の幅のある年代に複数の作者によって別個の作品として制作背景も異にして描かれたが、高山寺に伝来した結果、鳥獣人物戯画として集成したものとされる。全体を通して見えてくるのは、動物を通じて俗世の人間模様を卓越した筆致(線描)で描いている風刺画の様な仕上がりもみせている。そこには鋭い観察眼に裏打ちされた笑いも、時折のぞかせる。いわば当時のサブカルチャーとでも言うべき絵巻物である。

鳥獣戯画には、擬人化された様々な動物が登場してくるが、中でも兎と蛙は多く登場する。兎はお調子者でおっちょこちょい、反対に蛙は真面目な熱血漢として描かれており、その他にも馬や牛、犬、鶏など身近な動物に始まり麒麟〔きりん〕や竜、獏などの空想的な動物を含めて70匹近い鳥獣が描かれている。主に擬人化された動物達が人まねをして遊ぶ様子などを描いている。この笑いの滴と対照的なものが現代の笑いの洪水である。

                          「笑いの洪水」 吉本の芸人たち
正月になると相変わらず吉本の芸人が娯楽番組を独占している。TVに顔を出している連中はまだいい方で、800人相当の芸人を抱えている吉本興行では、そのうちの1割弱の連中がしのぎを削っている。あとの連中は先輩のアホな芸を研究し、自分のお笑い芸の肥やしにしているらしい。これらの芸人と吉本の間には雇用契約が無く、上から下まですべて歩合制で、過酷な生き残りをかけて、本人にとっては笑えない、そして食えないサバイバル競争を繰り広げているようだ。
このお笑いの総合商社から発信されたお笑いは、日本国中を駆け巡り均質化されたお笑いのスタンダードを国民に提供している。