2012年9月22日土曜日

衰退する世界の工場

日系企業への放火と略奪

中国には「星星(せいせい)の火 以(もっ)て野を焼くべし」という諺がある。
 意味は小さな火であっても、それはやがて野一面を焼き尽くす炎となす。ということであるが、何か今の中国の世相を表しているようではないか。

日本政府が11日に沖縄県・尖閣諸島の国有化を決定してから初の週末となった15日、領有権を主張する中国の反日デモが50都市以上に拡大し、計8万人以上が参加した。 一部では暴動化。日本企業に対する破壊、放火、略奪と民度の低いおぞましい光景があらゆるメディアで世界中に報じられた。
17日付けの大紀元日本では、今回のデモが現役の警察官や軍人たちが加わった計画的なデモである可能性が大ききことを伝えている。 現役の私服警察官が各地のデモの先頭に立ってスローガンを叫んだり、群衆を扇動し暴徒化させているのが写真に映り出されているのだから語るに落ちたとはこのことである。後日当局から金をもらってデモに参加した若者の証言もあり、国家権力の仕掛け人に操られる不満分子の群衆の姿がそこにあった。
今回の反日デモは決して領土の主権など表層的な問題だけではなく、党内闘争や国民の独裁政権への不満などさまざまな要因が混じっており、きわめて複雑で混沌たる情勢である事が伺える。

<大紀元>によると中国当局は反日行動を野放しにし、お墨付きまで与えている。中国外務省の洪磊副報道局長は13日の記者会見で、「中国全土が日本の誤った行動に憤りをたぎらせ、政府による正義の要求や対抗措置を支持している」と発言。商務省の姜増偉次官も日本製品ボイコットについて「中国の消費者の権利」と容認した。中国政府の動きは経済格差や深刻化する失業問題や就職難などによる民衆の不満が爆発して政府にその鬱憤が向くのを恐れ、反日運動を扇動することで民衆のガス抜き(ベント)をしている」と分析している。


この二十数年来、中国の経済成長をひっぱってきたのは外資と安価な労働力である。大量の外資を導入し、安価な労働力で安価な製品を生産し、それを海外に輸出する。日本の高度成長期と、中国の経済の高度経済成長は性格が大きく異なっている。日本の経済成長の原動力であった製造業は、質の高い製品を生産し、海外に輸出することによって日本経済を支えてきた。中国の場合、高度な技術など存在せず、ただひたすら豊富な労働力によって安い製品を大量生産し続けてきただけである。

ここ1~2年で「世界の工場」とされた中国から企業の撤退や事業縮小が加速化している。背景にあるのは人件費の高騰が大きいが、中国独自のさまざまな規制や参入障壁、参入後の競争の激化に知的財産権の問題なども背景にある。
特に欧米のグローバル企業の撤退も目立ち、とくに米国が生産基地としての中国に見切りをつけ始めた。統計によると昨年、米国からの対中直接投資は、前年比21.5%減である。理由は、いわずと知れた中国の大幅賃上げである。人件費コストの安さだけが中国の魅力でそれが一挙に消え失せ始め、ドライな米国製造業は米国へ回帰していく。

中国は今後、所得倍増計画?どこかで聞いたような言葉(笑い)で年間13%以上も最低賃金を引き上げてきた。所得格差の拡大を是正すべく、膨大な数の底辺層の賃金引上げをはかる目的である。このため中国労働者の賃金は5年前の2倍になった。 人件費の底上げによる上昇で企業の輸出競争力は落ち、インフレが激しくなった。 賃金を大きく上げたのは、社会的な不満を眠らせるためだ。これは、予想通り裏目に出てきた。人件費アップがコスト増を招くからである。中国は大幅賃上げがもたらすマイナス面について、楽観視していたようだ。少々の人件費が上がったところで、中国は他の周辺国に比べて、製造業に不可欠な部品製造などのインフラが整っていることや人民元の為替操作などでタカをくくっていたが、米国企業が「本国帰還」の動きを強めていることには心中穏やかではないだろう。

いつまでも中国の「独り勝ち」という構図が続くわけがない。。12年に入ってから中国政府は最低賃金を平均10%以上、内陸部では20%以上上げた。これは労働者の権利意識の高揚で、ついに最後のよりどころである低賃金を改善せざるを得なくなったからだ。すでに低付加価値製品の工場はベトナム、カンボジア、インドネシア、バングラデシュなどに流れているが、
中国に進出している企業の大半が「中国の人件費は上昇し続ける」とみており、さらに日本や欧州といった先進国と比べても米国の人件費は安くなりつつあることも見越して、ゼネラル・エレクトリック(GE)はこれまでメキシコと中国にあった家電の製造拠点をケンタッキー州に戻した。競争力のある製造拠点を米国に置くことで、向こう10年間で最大300万人の雇用創出が見込めるとしている。
 日本でも人件費高騰による中国からの撤退・事業縮小の動きは、すでに各企業で起こっている。こうした世界の脱中国の動きは、中国の雇用の喪失と大量の失業問題を顕在化させ、おりからのバブル崩壊と経済の失速とともに社会不安から内乱につながる危険性を孕んでいる。

 近年、目覚しい経済発展を遂げた中国は、家電など多くの分野で世界最大の生産拠点として台頭してきたが、その急速な発展が独自に進行したのではなく、海外からの製造機能と技術の移転に依存して進められてきたのである。そして、対中直接投資の展開を通じて、外資系企業の優れた生産技術と経営管理技術が幅広く現地企業と関連産業に移転・波及するという形態を採ってきた。
日中間の経済関係はこの二十数年間にわたって年々深まっており、中国を抜きに日本経済を考えることは不可能になっている。中国の経済発展にとっても、日本が蓄積してきた技術力や発展経験などは重要なものであり、日本からの経済協力と技術移転が依然として期待されている。しかし両国の経済関係には多くの不確実性があり、また競合する面も少なくないが依然として相互依存関係にある。また、中国が日本企業の主たる投資先となる時代はいつまで続くかわからないが、今回の暴動のように中国での事業展開には様々な「チャイナリスク」が考えられるが、「政冷経熱」といわれる日中関係の現状も潜在的な進出リスクとして想定される。例えば有事における日系企業の工場の差し押さえや乗っ取りなど、他人のふんどしで相撲を取るのが得意なこの国のモラルハザードが一番警戒を要するところだろう。とにかく何があっても不思議でないのが中国である。

旧ソ連が崩壊する直前、GDPの70%は軍事産業だった。軍事産業は戦争をしない限りまったく利益を稼げないことから、アメリカとの軍拡競争で旧ソ連は崩壊した。一方、中国の2010年のGDPの60%はコンクリートだ。
リーマンショック以後54兆円に上る経済拡大策をとり、空港、高速鉄道、高速道路、数多くの建物など、各地政府は気が狂ったかのようにGDPの60%の建設土木投資を進めている。それらは全て製造業の税金収入と製造業による外貨の収入で賄われているのだが、そしてその結果日本を上回るバブル経済の崩壊がひたひたと近づいている。

旧ソ連の軍事産業経済を支えたのは石油輸出による石油収入で、原油暴落後これが絶たれた途端に一発でこの国は崩壊した。一方中国のGDPの7割はコンクリートで、同様な収益は稼げない。支えているのは製造業で製造業が倒れたら中国経済はご臨終である。近年軍備拡張に血道を上げている中国は軍事費は年々増加しているが公表されているGDP費2.5%も操作された数字で、実態はすごい数字が隠れているのだろう。アメリカを意識しての軍拡はかつて旧ソ連がたどった崩壊の道を進んでいることになる。驕るな中国!頭を冷やせ!

2012年9月15日土曜日

領有権問題

戦後すぐマッカーサーの招きでやってきたイギリスの歴史家トインビー(1889-1975)は「この国(日本)の経済は20年もすれば回復するが、国民精神の回復には100年を要するだろう」と指摘したそうだ。戦後67年を経てきた今の日本を見ているとその指摘通りになっている。冷戦後の日本を取り巻く国際環境は激動の中に有り、2極に躍り出た中国とそれに連動してロシア、韓国と各々が領土問題で我が国に対峙してきた。
日本政府は竹島にせよ尖閣諸島にせよ、国内外に我が国固有の領土であることを知らしめる発信力が弱いのが気にかかる。各メディアで論じられてる領有権問題を整理してみると、


<竹島>
日本では明治政府が1905年に竹島を島根県に編入し、竹島の領有を宣言したことから日本の領土になった。 これは国際法的にも認められている。
 ところが敗戦後の1952年、、サンフランシスコ講和条約によって確定する日本の領土に竹島が含まれていることを知った韓国が、1952年、条約締結直前に当時の韓国大統領李承晩が発した「海洋主権宣言」により、韓国周辺の公海上に勝手に設定した海域線内に含ませたこと(李承晩ライン)により竹島を占拠し,以後実行支配が続いている。また韓国はこの行動を起こす前の講和条約締結にあたって対馬を韓国領とするよう米国に働きかけたが、米国は取り合わなかったため、次に竹島を要求した。
しかし、当時のラスク米国国務次官はその要求も「古来日本が領土としており、韓国が竹島領有を主張していた事実はない」と受け付けなかったため、「海洋主権宣言」すなわち「李承晩ライン」なるものをサンフランシスコ講和条約締結前に「火事場泥棒のごとく」設定したのである。

そして 1965年に日韓基本条約が締結されるまでに「李承晩ライン」を 日本の漁船が越えて侵入したという理由で、328隻が拿捕、3929人が抑留され44人が負傷、うち5人が亡くなっているにもかかわらず、日本は韓国に対して何も言えなかった歴史がある。


<尖閣諸島>
一方中国は尖閣諸島を正式に支配したことがない。 しかし、尖閣諸島の歴史は曖昧で最古の記録では、尖閣諸島は琉球王国のすぐ隣、中国の領土内にある島として、その名前がひっそりと現れる。その琉球王国は1870年代に日本に吸収されて沖縄と改称された。
 1895年、日本は尖閣諸島を無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上沖縄に編入した。1945年、日本が第2次世界大戦に敗北すると、米国が尖閣諸島を含む沖縄の統治権を取得した。
1951年に締結された日米間の講和条約、さらには1972年に沖縄を日本に返還するとの合意文書においても、尖閣諸島の主権は曖昧なまま放置された(台湾もこの島の領有権を主張している)。米国は当事者間で友好的に解決すべきとの立場を取っている。

 政府は尖閣諸島について「日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現にわが国はこれを有効に支配している。解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との立場だ。各メディアの論調を整理してみると、

 その第1の根拠は「1885(明治18)年から日本政府が現地調査を行い、尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、95(同28)年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した」(政府見解)ことだ。
 政府はこれは国際法上の「先占」にあたるとしている。先占とは「いずれの国家にも属していない地域を領有の意思をもって実効的に占有すること」で、国際法では国家が領有権を取得する方式として割譲や併合などとともに認められている。
その後、政府は明治29年9月、尖閣で事業を展開していた実業家の古賀辰四郎氏に魚釣島など4島の30年間無償貸与を決定。辰四郎氏は尖閣諸島に移民を送り、鳥毛の採集やかつお節の製造などを行った。大正7年に辰四郎氏が死去した後は息子の善次氏が事業を継続、昭和7年には4島が有償で払い下げられた。昭和15年に善次氏が事業継続を断念し、無人島となったが、政府はこの間の事実をもって「日本の有効な支配を示すもの」としている。

第2の根拠としているのが第2次大戦後、1951(昭和26)年に締結、翌年発効したサンフランシスコ講和条約だ。同条約第2条には、日本が日清戦争で清から割譲を受けた台湾と澎湖諸島を放棄すること、第3条には北緯29度以南の南西諸島などは日本の主権を残して米国の施政下に置くことが明記された。
 政府はこれに関し、尖閣諸島は「日清戦争で割譲を受けた台湾と澎湖諸島には含まれていない」とし、「歴史的に一貫して南西諸島の一部を構成している」との見解だ。米国の施政下でも琉球列島米国民政府や琉球政府によって、標杭や領域表示板の建設など実効支配が継続された。
 その後、尖閣諸島は1971(同46)年に署名、翌年発効した日米両国の沖縄返還協定に伴い、日本に返還されたが、政府は同協定第2条から「返還された地域に尖閣諸島が含まれている」としている。その後、現在に至るまで政府は「尖閣諸島は日本が有効に支配しており、日本固有の領土」との立場だ。

■中国の主張
1)明代の歴史文献に釣魚島(魚釣島)が登場しており、琉球国には属しておらず、中国の領土だった。
(反論)明から1561年に琉球へ派遣された使節が皇帝に提出した上奏文に、尖閣諸島の大正島が「琉球」と明記されていた

2)日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪った
日清戦争で日本は、台湾とその付属島嶼(とうしょ)澎湖(ほうこ)列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の一歩をすすめた。
(反論)日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった
 3)中国はサンフランシスコ平和条約に関与していないため、そこで決定されたことをを認めないとの立場。
(反論)第二次世界大戦の戦後処理は妥当なものであり、尖閣諸島は1895年1月14日の編入以来一貫して日本が統治し続けてきた固有の領土であって、このことは国際社会からも認められている
出典尖閣諸島問題 - Wikipedia

竹島や尖閣をアメリカが「日米安保の対象地域」と発言しても、国益にならない領土問題にアメリカが介入する事はない。つまり領土問題は日本が独力で解決する以外に方法はないのである。国も個人も利によって動くのが慣いであるならば、今一度日本の自立とは何か、安全保障とは何かを考える時期が来ているように思う。

2012年9月6日木曜日

アートな話「指物」

2段重「渓流」吉川創雲 右は一杯に広げたところ


今月10日まで開かれている鎌倉彫喜彫会展で出品している私の最新作は2段重「渓流」。指物で木地制作を行い彫りを入れ漆を塗って仕上げた作品であるが、上下2段の料理箱が蝶番によって交差して広がる仕掛けになっている。
指物とはその歴史は古く平安時代から貴族から需要のあった家具、調度品、などを専門の職人によって作られたものであるが、室町時代に入って本格的に普及し、京都では京指物、江戸時代の江戸では江戸指物として盛んに作られた技法や製品の総称である。
厳選された材料と、それを仕上げる数々の道具と職人の腕に支えられて今日までその伝統は受け継がれている。

指物作品
私の場合正式に師匠に師事した事もなく独学で覚えたものであるが、指物で最低限必要な道具は下の写真のように作業台に乗っているものである。これらの道具をざっと列記してみると、上から鋸2種、ハタガネ2種、仕上げ砥石、溝鉋、際鉋,荒シコ、中シコ、上シコ、削り台、金槌、ノミ2種、留定規 ノギス、直角定規、指金、定規、万力である。
指物の難しいところは箱物の45度の合わせ目がコンマ何ミリの誤差で、ぴたりと合わなくなるので面作りが一番神経を使うところで、作品の出来具合を左右する。
仕事場の作業台

2012年8月26日日曜日

日本が試されている

クリス.ヘッジズ 著

世界における国の基盤の3本柱は、経済 外交 軍事であり、これらを統治するのが政治であることは言うまでもない。
戦争から目をそむけてはならない、それを怖れなければならない。2002年度ピューリッツァ賞を受賞した『ニューヨーク・タイムズ』の記者が書いた本「本当の戦争」は、15年間戦場特派員として体験した、戦場のすさまじい姿を伝えるQ&A集。 「人類の歴史は、おおよそ3400年余であるが、その間、世界が平和であったのは300年足らずだと言われている、世界のどこかで戦争が繰り広げられ、わずかな期間が平和であったことになる。」いわば人類の宿命のような戦争の話が淡々と書かれている。

第二次世界大戦で死んだ、世界の軍人、民間人の総数は概算で5000万人とも言われており、実数は不明である。大東亜戦争では、日本軍は将兵だけで150万7000名が殺されたそうだ。オランダの法学者で、「国際法の父」、と呼ばれるグロティウスも、その主著『戦争と平和の法』において「平和とは単に戦争の前ないし後を意味するに過ぎない」と述べている。世界の歴史が勝者によって作られてきたことも事実であり、日本は戦争に負けたことも厳然たる事実である。



国後島訪問のメド、尖閣上陸の中国活動家、政権末期の李 明博の最後っ屁
最近の我が国を取り巻く中、韓、露の申し合わせたような領土主張も、国力、政治力の落ちた我が国を見透かしての行動と見て取れるだろう。韓国大統領の言動も日本を完全に舐めきっているとしか思えない。また中国による南シナ海南沙諸島を例に取ると、(1)自国領であるとの領有宣言を行い、(2)海洋調査船や漁業監視船などによる既成事実化の行動を積み重ね、(3)漁民等を上陸させた後、(4)軍事力を直接行使して、(5)実効支配を確立するという手順で、段階的に占領支配を拡大するパターンを採っている。

我が国の尖閣諸島に対する中国の行動は、既成事実化の行動を積み重ねる第2段階に入っており、まもなく漁民などによる上陸の第3段階にエスカレートするだろうが、かろうじてアメリカのリップサービスで「尖閣諸島問題は日米安全保障条約第5条が適用される」と改めてキャンベル米国務次官補が言明したことから、中国は過激な行動には出ていないが、日米同盟の隙を見て虎視眈々と狙っていることには変わりがない。

過去の局面で明らかなように威圧的経済報復は中国の常套手段である。例えばレアーアースの対日輸出停止、南沙諸島がらみのフィリピンバナナの輸入削減、、はたまたノーベル平和賞に絡んでのノルウエー鮭の輸入削減など。直近ではASEAN会議の共同声明破棄に至る経済圧力をカンボジアにかけたことなどの政治的制裁を、経済環境を利用して行っている中国に対して、我が国は、60年余にわたる戦後体制の継続とその拘束によって、21世紀の激動・激変する内外情勢にまともに適応できない閉塞状況に陥っている。

アメリカに押し付けられた現行憲法がある以上、平和主義も、経済至上主義も、「自分の国は自分の力で守る」最低限の防衛努力を怠避する日米安保中心主義も、元を正せば、現行憲法を中心とする我が国の戦後体制によって歪められてきた日本人の精神性に係わる問題にたどり着く。
その根本的解決には、何よりも、時代にそぐわない、とっくに消費期限切れになった現行憲法を一から見直す必要があり、国防力の増強は最大の課題で、時の政府は憲法改定のための環境作りを持続させる努力が必要であるだろう。

2012年8月18日土曜日

アートな話「蒔絵と鎌倉彫」

小箱(水辺)2010 花器(秋)2012 吉川洛芳  

わが家では、カミさんも私も鎌倉彫の制作を始めて約30年になるが、カミさんは漆芸作家山口和子氏に師事して7年ほどになる。鎌倉彫をやる傍ら蒔絵の技術を磨いているところだ。上の写真は2点とも鎌倉彫と蒔絵のコラボレーションを意図した作品である。
左は平蒔絵と螺鈿を施した小箱、右は螺鈿と金箔を施した花器で、両作品とも非常に繊細緻密で根を詰めた作業が要求され、私などはこのような繊細さは持ち合わせておらず、傍らで息を詰めた作業を見ていると、鎌倉彫のおおらかさが自分には体質的にも合っていると思う。
(右の作品は来る9月1日から10日まで鎌倉彫会館で催される<喜彫会展>で出品予定の新作)

漆芸の世界では蒔絵という大きな領域があり、私が携わっている鎌倉彫は全国漆器産地のなかでは異端で、彫刻を主体にした数少ない漆芸分野でもある。
その歴史を比べると蒔絵は、古代中国で漆で模様を描き金粉等を撒いて表現する「平文(ひょうもん)・螺鈿(らでん)」等が考案され、奈良時代付近に日本に伝わり中国とは違う日本独自の『蒔絵』と呼ばれる技術が発達し、現在に伝わる漆塗りで、漆器産地の大勢を占める伝統工芸となった。
一方鎌倉彫は蒔絵に遅れること約500年後の鎌倉時代に中国から伝わった堆朱から木彫彩漆という日本独特の手法に変容し今日に至っている。

マリーアントワネットの蒔絵コレクション 17C
奈良時代に始まり日本で独自の発展を遂げて来た蒔絵芸術は、江戸時代に完成され頂点を 迎えた。当時のパトロンであった大名たちは、名工を抱えることが一つのステータスであり、金と時間に糸目をつけず、調度品ははもとより建築装飾に至るまで蒔絵が普及し、貴族趣味に支えられて職人たちは腕を競い合い多くの名工が誕生して行った。 現在残る多くの名品や国宝は、庶民とかけ離れた贅の下で作られて行ったものが殆んどである。
一方鎌倉彫は寺社などをパトロンに持ち、主に仏師の技として寺社の造仏や修復さらに調度品に至るのだが、やがて明治維新後の廃仏毀釈の時流からパトロンを失い、大衆受けする一般的な生活調度品として普及していった。

戦後の高度経済成長期が終わり、生活様式の変化から漆工品の需要も各生産地同様に減少し、今後の伝統産業の新たな道の開拓が求められている。日本の”もの作り”技術は世界でもトップクラスで大きな信頼を得ている。 精密機器や繊細な工芸分野での進出は、海外でも大いに期待できると思うが、高価な日本の漆製品は言うほど海外に浸透しておらず、富裕層をターゲットにしたところで、漆器全体の需要量の2~3%ぐらいしか輸出統計には乗っていないのが現状だ。
桃山時代以降多くのヨーロッパ人(とりわけ王侯貴族)を魅了した「蒔絵」を海外に渡った過去の輸出品として我々は知るところである。写真はかのマリーアントワネットが所蔵していたコレクションの一つで17世紀に作られた<蒔絵水差し1対>である。
メガネと蒔絵 吉川洛芳

蒔絵は漆工芸の加飾の一技法。 漆で文様を描き、乾かぬうちに金属粉(金、銀、錫など)や顔料の粉(色粉)を蒔き、固着 させて造形する技法。
基本的には平(ひら)蒔絵、研出(とぎだし)蒔絵、高(たか)蒔絵の3種類に分けられるが、 これの応用技法も多い。 普通は漆面に施すが、時には木地(じ)に直接施すこともあり、また螺鈿(らでん)や切金 きりかね)を組み合わせることもある。 蒔絵は日本の歴史とともに技術の発展を遂げた最も日本的芸術であり、漆(japan)と呼 ばれるように世界で唯一の工芸技法である。 「蒔絵」は”世界のブランド”に最も近い位置にいる。 また蒔絵は日本の工芸技法”東洋の美”として世界から注目され、 腕時計や万年筆のブランドメーカーとのコラボレーションなども盛んになってきている。 写真は最近カミさんが兄弟のために制作したもので、既製のメガネフレームに蒔絵を施した。

漆は天然の最高の接着剤と言われ、陶器等の破損・修理などにも広く使用されている。 粘着性が強いため蒔絵筆には細くて腰の強いネズミの脇毛が良いとされ、中でも船 ネズミが最高と言われてきた。余り動き回らないので毛の傷みが少なく、海上生活なので空気中に塩分が含まれて いるのが良いらしい。
 近年、船も清潔になりネズミが少なくなった事が、良質の筆を作れなくなった原因 になっている。一般の漆刷毛には女性の髪が使用されるが、現代のほとんどの女性は髪を染めたり、 パーマやドライヤーを使用する為良質の黒髪の調達も難しくなっているのが現状らしい。

かけがえのない日本の伝統の美を後世に伝えるため、コスト削減の価格競争に翻弄されることなく、独自の完成された技術に裏打ちされた高級品を目指すのが王道であろう。



2012年8月11日土曜日

海の歳時記

鬼カサゴ(10年で30cmと成長が遅い)
8月に入ると必ずやる釣り物に鬼カサゴがある。顔を見るとお世辞にも良い顔とは言えない。どこかの幹事長よりも悪相で醜悪な面構えである。人間にはある年代になったら自分の顔に責任を持てという言葉があるが、こいつは小さくてもえぐい顔をしていて1年生きようが10年生きようがその面構えは変わらない。さらに悪いことにそのヒレは猛毒を持っている。
スコーピオンフィッシュ(サソリ魚)と英語では呼ばれているように背ビレ、腹ビレ、尻ビレなどに猛毒を持っているが、この魚は普通の魚屋では見られない超高級魚で味は折り紙つきの極上の味なので釣り人を夢中にさせる。100M~200M位の深海に生息し1年にたった100グラムほどしか成長できず猛毒を持つ数本の背鰭で外敵から身を守り20年以上も生き延びる、そして釣り上げられても、水圧の変化にもビクともせず、まな板の上でも動きを見せる強靭な生命力の持ち主だ。臆病は野生の知恵と言われるように、この魚も神経質で警戒心が強いのでばらすことも多い。成長が極端に遅いので21cm以下はどの船宿も放流を求めてくる。


さて釣友3人と腰越から出船したのだが、そのうちの一人は鬼カサゴ釣りは初めてで、背びれには触らぬよう注意したのだったが、3匹目を釣った時に針を外している最中に魚が跳ねて運悪く手の甲にとげが刺さってしまった。
刺された右手 パンパンに腫れている
刺されるとこれまでに体験したことのない激痛が走るそうで。船長は傷口から血を吸い出せと激励し、けして冷やすなと言っていた。本人も血だらけの手に向かって懸命に血を吸っては吐き出していた。普段は饒舌な彼もひたすら無口に激痛に耐え忍んでいた。一説ではオニカサゴ毒の強さはハブ毒のなんと18倍もの強さもあり、毒量は極めて微量のために致命率は極めて低く、タンパク毒(ハチの強力なもの)のため50度ほどの温度で無毒化し拡散しないようだ。ただ魚は死んでも毒は健在で調理も慎重にヒレをとってからでないと痛い目にあう。
その後納竿までの3時間ひたすら激痛に耐え、本人は釣りどころではなかったようである。後日調べたところ、塩野義製薬から出ている「リンデロンVG軟膏」が患部に塗って早くて10分、遅くて1時間で痛みがなくなるようである。
オコゼ (こいつはひでえー顔だ!)

<オコゼの毒>
オコゼもすこぶる旨い魚で、顔はもとよりその風貌は海のホームレス(一昔前の)とでも言おうか、薄汚い体表に無数のボロ布を着けているようだ。一度日本海から取り寄せたことがあったが、背びれは処理済みで送られた風体をを見たときはこいつが食えるのかと一瞬たじろいだが、刺身、唐揚げは絶品だった。
 

オニオコゼ類の毒腺はカサゴ類のそれよりも遥かに発達しており、毒性も強いのでより要注意である。毒はハブ毒の81倍の強さを持つことが報告されていて。西インド洋でかなりの死亡例があったと言われている。医療事情が悪いことも原因だと考えられるが。刺傷事故が多く危険で有るためオーストラリアでは抗毒素が作られているほどである。
岩のような鬼ダルマオコゼ、魚類最強の毒を持つ

以前沖縄・名護市の海岸でスクーバダイビングの講習中、「オコゼ」に刺されて死亡したという記事もあった。これは背ビレのトゲに猛毒があるオニダルマオコゼでどうやら素足で踏んだらしい。


ゴンズイ

<ゴンズイ>
ナマズの仲間で背鰭と胸鰭には、刺があり、刺されると猛烈に痛いので漁師はあまり相手にはしないようだが、一度東伊豆で食べたゴンズイの蒲焼はうなぎとまではいかないが、脂がのって美味かった記憶がある。堤防などで釣れる魚で、小学生の頃
周りの大人がこいつはヤバイから触るなと聞かされたものだった。毒の強さは猛毒で、大人でもあまりの痛さに真っ青になって病院に駆け込んでくるケースも多いが、冬場の味の良さは意外と知られていないようだ。

悪相、猛毒、美味。なぜか三拍子揃った魚を求めて、今日も釣り場をさまよう馬鹿がいる。

2012年8月7日火曜日

食物連鎖の果て



ブリューゲルの「大きな魚は小さな魚を食う」と題したこの版画は、、当時のフランドル地方でよく知られていたことわざををテーマにした大作で、人間社会の弱肉強食を投影したものだ。
この絵の中心には、巨大な魚が大きな口をあけて、小さな魚を吐き出している。また鎧兜をまとった人物がナイフで大魚の腹を裂くと、中からやはりたくさんの小魚が踊りだしてくる。これは、驕れるものはいつかは自分が迫害される立場に立つということを、図像学的にアピールしているもので
、同じオランダの大画家ヒエロニムス.ボスなどが好んで描いているモチーフの一部でもある。
ところで食物連鎖の頂点に立っている人間が今や、魚にしっぺ返しを食らう状況になっているのが今の日本でもあり、この絵とは真逆のイメージが浮かんでくる。

この6月には神奈川県川崎市川崎区殿町先の多摩川河川敷の土壌から1キログラム当たり約2万7000~2万1000ベクレルの高濃度の放射性セシウムが検出されていたことが分かった。
また京都大学防災研究所のグループは、福島第一原発の事故で関東に降った放射性物質などの調査データを使い、東京湾に流れ込んで海底にたまる放射性セシウムを、事故の10年後まで予測するシミュレーションを行った。
その結果、放射性セシウムの濃度は再来年(2014年)の3月に最も高くなり、荒川の河口付近では、局地的に泥1キログラム当たり4000ベクレルに達すると推定されるようだ。これは、ことし1月に福島第一原発から南に16キロの海底で検出された値とほぼ同じで。再来年の4月以降は、周囲の河川から流れ込む放射性物質が減る一方で、拡散が進むため、濃度は徐々に下がるとしている。

比較的濃度が高くなるとみられる東京湾の北部では、平均すると海底の泥1キログラム当たり300ベクレルから500ベクレル程度と計算されたということだが、根魚はもとより小魚を食すヒラメや川を登るスズキや大型の回遊魚なども影響は出るだろう。江戸前の魚が安心して食えるように、今後2年間は偽りのない検体検査の結果を国や漁業組合に頼ることなく、中立公正なな検査機関が公表してもらいたいものである。