2012年4月23日月曜日

政治一新

ダリ 内乱の予感 1936


鳩山,菅、野田と3代続いた民主党政権も黄昏が近づいてきたようだ。前田国土交通相と 田中防衛相に対するの問責決議案可決は民主党政権で3度目になり、小沢グループの造反や国民新党の内紛も加わり民主党政権の足元が揺らいでいる。
八方美人の野田首相は「党の利益よりも国益が優先される」を繰り返し言っているが、やっていることは真逆で、民主党政権の癒しがたい言行不一致にふりまわされ、、政治は混迷を極めている。そんな折も折、国の不甲斐なさに業を煮やした東京都石原知事が外交音痴で国益を毀損している野田内閣の領土問題に一石を投じた。

歴史の転換期には時の政府の統治能力が劣化し紛争を解決する能力を失った時、政治権力を分有してきた各党派間の権力闘争が激化する。まさに徳川幕藩体制末期から明治維新の時代の様相が重なる。我が国の近代史上、中央政府における権力闘争が全国的規模の内戦に発展したのは倒幕戦争であった。幕末、薩長同盟軍(地方政府軍)は幕府軍(中央政府軍)や佐幕派の欧州列藩同盟軍を撃破した。弱体化した中央政府は台頭する地方政府によって権力を侵奪される。

大阪維新の会、明治維新を彷彿とさせる命名は言えて妙だが(橋下・松井)は、坂本龍馬を意識してか船中八策なるものをぶちあげた。荒唐無稽な夢物語と思われていた「大阪都構想」もわずか数年で実現する見通しである。大阪維新の会は、民主・自民・公明・みんなの党などの既成政党の弱点をついて恫喝し、各党を競わせ、法案提出寸前にこぎつけている。原発再稼働についても民主党の手法を批判し徹底抗戦の構えを崩さない。
報道では13日、大阪維新の会橋下徹代表は「次の衆院選のときに民主党政権には代わってもらう。もう国の統治を民主党に任せることはできない。大阪維新の会松井一郎幹事長は緊急幹部会を招集し、「今のままでは(民主党政権と)全面対決となるであろうが仕方がない」と全員異議なしで橋下徹代表の倒閣宣言を追認する旨の機関決定を行った。いわば地方による中央への下剋上でもある。

一方で東京都石原知事は「尖閣諸島を所有する地権者との間で、尖閣諸島を買い取る合意ができた。売買契約の時期は国の賃貸借契約が切れる来年4月」という。石原都知事は 「尖閣諸島の実効支配を狙って漁船や巡視船を派遣して実効支配の実績を積み重ねている中国の侵略行為に対し、見て見ぬふりに終始する民主党政権(外務省)には任せておけない。東京都が国に代わって領土を保全する捨て石になる。地権者の意思を尊重して、まず東京都が買取り、然る後、国が国有化の意思を固め、実効支配に資する必要な施策をとったならば、所有権を国に移転してもよい」と語った。それに乗じて野田首相も国が買ってもいいと言い出した。だったら最初から言い出すぐらいの覚悟と根回しをしろよと言いたくもなる。

奇しくも二人のポピュリストが起爆剤となり、3代続いた民主党の自己崩壊が進んでいく。次回の衆院選は「民主党対自民・公明両党」という旧来の政権交代の図式にはならないだろう。民主党、自民党、みんなの党、立ち上がれ日本、国民新党等の既成政党の枠組みを超えて政界再編がなされ、現国会議員や元国会議員のみならず、雨後の筍の如く芽生えている全国各地の政治塾の動きも気になるところだ。次回衆院選と来年夏の参院選は我が国の政治を一新する転換点となる予感がするのだが、果たしてどうなることやら。

2012年4月12日木曜日

生き物三様

魚偏に春と書いて鰆(サワラ)が今は旬であるが、思わぬところから現物が届いた。御前崎港春日丸の船長からである。
全長85cmの大物で一本釣りで仕留めたもので、これでも中型で
4年物のオスで立派な白子がぎっしり入っていた。メスはオスよりも大きく体長は1mを超すらしい。寿命はオス6年、メス8年ほどで、人間と同じくメス(失礼)の方が長生きだそうだ。

先月娘が制作したTV番組に出演していただいた春日丸さんからの御好意にに甘えて、早速刺身で頂いたが、味はトロと遜色ない脂ののりで美味かった。、焼いて良しの魚であるが足が速い魚なので、刺身は釣ってから3日以内が食べ時で、日にちが立つと身が柔らかくなる。量が多かったのでご近所や、いつもの居酒屋に配り、食してもらったがいずれも好評だった。私もサワラの刺身は初めてで、焼き魚や加工品しか知らなかったので、今回この魚を再認識した次第である。白子も焼いて見たがこってりコクと脂がのって美味だった。
。鮨ネタとしても最高の部類らしいが、大変身割れしやすいので扱いに技術が必要で ネタとしては歩留まりが悪いので「サワラぬ神に祟り無し」と言われて鮨屋から恐れられているとか・・

魚の旬はいろいろあるが、御前崎と言えば過去に3回ぐらい釣りに行った場所でもあるが、8月にここで釣ったイサキは、ハリス5号で鯛狙いで釣れたもので、旬が終わった産卵後の荒食いで型揃いを70匹ぐらい釣ったが、味は脂の抜けたパサパサの味で旨くなかった。鯛やヒラメの高級魚でも産卵後の魚体は脂が抜け、身が痩せて旨くないので魚の旬は侮れない。

自家製の補助椅子に座るラキー
 飼い主に似て我が家の愛犬ラッキーは、食欲が旺盛で満腹中枢が壊れているのか、ゲップをしても餌のおねだりが多く、かみさんと食事をする際は必ず抱っこをせがみ、食後にもかかわらずおやつを要求してくる。そんなわけでいつもゆっくり食事ができないと、とうとうカミさんがこぼしたので、元はといえば抱っこをするくせをつけたのがいけないのだが、カミさんの手が離れるように犬用の補助椅子を作ってみた。
思ったほかおとなしく座ってくれているので助かっている。過食にならないように気をつけていても、月に1回のシャンプーで預かってくれている業者が体重が増えているといつも注意してくれている。そんなこの犬もはや7才になった。犬の寿命も15~6年なのでちょうど人生?の折り返し点だ。
長生きしてくれよ。

桜も見頃になり、動物園の切符を2枚もらっていたので、花見を兼ねて横浜ズーラシアにでかけた。犬を連れていこうと思ったが、園内犬の同伴は禁止なのでやめて2人だけで行ったが、園内は想像以上に広く世界の地域ごとに仕分けられて、多種多様な動物が見られ、えさやりの実演も行われて子供連れ客には人気のまとだった。園内を一回りするのに我々の足で途中休憩を入れると2時間はかかった。
そんな中、印象に残ったのはチンパンジーが自分の肛門から排泄物を手に取りしみじみと味わいながら食っているシーンが目に飛び込んできて、嫌なものを見てしまった。まさに自家消費だ。人間に近い頭脳動物のチンパンジーと最近見た猿の惑星に出てきたスーパーチンパンジーとが重なり、生命の不思議を感じた。

2012年4月5日木曜日

アートな話 仏像彫刻

鎌倉大仏

鎌倉彫協同組合が運営する鎌倉彫の店<>の名付け親は、今は亡き後藤俊太郎先生である。第28代後藤家当主でもあり、鎌倉仏師の末裔である。後藤家も代々慶派との関わりを持ち今日に至っている。
名前の由来は慶派の慶である。慶派をたどると運慶の父で慶派の創始者の康慶(奈良時代の仏師)に遡る。慶派の中でも運慶,快慶はよく知られた仏師である。

ここで数多くの資料をもとに仏像についてまとめてみる。(出典は多岐に渡るので割愛させていただく。)

元々仏像彫刻は、釈迦亡き後、釈迦を偲んで作られたものが始まりで、仏教伝来と共に我が国に到来し、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した造仏であり、仏(仏陀、如来) の原義は「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意である。それに付随してさまざまな菩薩像,神・明王・羅漢・祖師像などに展開していく。

平等院阿弥陀如来像(定朝作)
仏像彫刻の開祖 定朝(じょうちょう) 

仏像彫刻において寄木作りという手法がある。これは仏像の体の部分部分をそれぞれパーツ別に作り、後に組み合わせ、完成させる技法である。この技法を確立し1000体以上の造仏を手がけた定朝(じょうちょう)は大仏師20人、小仏師105人を率いる造仏工房の棟梁でもあった。藤原貴族の加護の下、数多くの仏像制作に携わった。平安京遷都によって造東大寺司が廃止されるなど官営造仏所の廃止によって奈良時代の造仏職人たちは貴族お抱えの造仏職人となる。この定朝から分派したのが、円派、院派、慶派の三大仏師の系譜になる。



定朝の弟子覚助(かくじょ)から派生した院派

覚助の弟子、院助をもって院派の創始者とする。代々「院」の字を用いたため、院派と総称される。院派は当初、円派におされていたが、院覚、院朝といった優秀な仏師を輩出し、藤原時代最末期、院尊の頃にいたって最盛期を迎えるが、慶派仏師の台頭によって、その時期は長く続かなかった。

定朝の弟子 長勢から派生した円派  
これは一門に「円」の字がつく仏師が多かったため円派と呼ばれた。工房は京都三条にあり、三条仏所と呼ばれ、後述の院派とともに京仏師ともいわれていた。
円派は自らを「定朝の正統な後継者」と位置付けて、常に、定朝様の踏襲を続けていたがこれも長くは続かなかった。


奈良仏師の作風と傾向

奈良仏師は、定朝以降、はやくに奈良に下ってしまい、興福寺関係の造仏に従事していたが、中央から離れたことにより、独自の作風を追求せざるを得ず、円派、院派といった京仏師達とはかなり違った作風を示すことになる。さらに、既に都ではなくなっていた奈良では仏像の注文は少なくなっていたため、古仏の修理などが主な仕事となる。しかし、この古仏の修理が奈良仏師たちに天平以来の仏像の本質を知らしめることになった。
こうして独自の作風に天平以来の古来の様式を組み合わせた鎌倉新写実が奈良仏師一門であった慶派によって生み出されることになる。天平時代の造形を蘇らせたいわば仏像彫刻のルネサンスである。

定朝の孫頼助(らいじょ)、覚助(かくじょ)をもって創始者とする。主に南都興福寺大仏師職に歴代が補任されていた為、奈良仏師と呼ばれる。後に一門から覚助のひ孫康朝の弟子の康慶(運慶の父)が慶派の創始者になり、以後運慶の6人の子を含め仏師の本流となる。
慶派が始めた手法に「玉眼嵌入」(ぎょくがんかんにゅう)がある。従来の眼を通常のように彫りだす「彫眼」にたいして、「玉眼」の手法は康慶、運慶など慶派の独壇場である。材料の水晶を加工し、裏から彩色するいわば義眼を取り入れたものである。
慶派は京都では相手にされないので、平家滅亡後頼朝の下鎌倉に赴き、その地で造像の仕事をやり武家階級に評価された。武家の文化は、前代の貴族好尚の優美な像より逞しい像が好まれたことと、スポンサーである頼朝が旧勢力の貴族と係わりのあった院派、円派を敬遠したことにより、奈良仏師の慶派が浮かび上がることが出来た。さらには、興福寺仏師として興福寺で造仏、補修をやっていたので、頼朝と運慶 <平家vs源氏>と<院派・円派vs慶派>という構図が浮かび上がる。
、権力の移行は、明確に、<平家→源氏>、<院派・円派→慶派>であり、そして、源氏の棟梁は頼朝であり、慶派の棟梁は運慶であった。

東大寺南大門 阿吽の仁王像  阿形は、運慶+快慶、小仏師13名で作られた世界最大の木彫で全長は8mある。
多くの仏像は、一人の彫刻家の作品として考えられず、仏像は純粋芸術ではなく信仰の対象物として作られるものであるため、工房制作の度合いが強い。あの仁王像の縮尺したひな形原形は、運慶の手によるものかもしれないが、それを基に作った像本体は、たくさんの工人の手によるものである。大きな像なら余計に多くの仏師の手にかかるもので、運慶は全体を統括するプロデューサーのような存在だったのだろう。



左は運慶の14億円で日本に買い戻された作品重文「大日如来坐像。右は最晩年の作品 重文「厨子入大日如来坐像」

 鎌倉仏師

「仏像彫刻」は鎌倉時代で終わったと言われるとおり、現在、仏像の国宝指定は鎌倉彫刻が最後である。時の幕府が禅宗を重んじ、信仰の対象が「仏像崇拝」から「人間崇拝」に変わったことが仏像彫刻の衰退を招くことになる。それは、仏像の代わりに祖師の、肖像、肖像画、揮毫書を礼拝するようになり、しかも、祖師の肖像彫刻を安置した「御影堂(みえどう)」が、「本堂」よりも大きく建築されるようになった。 「禅宗」では師が仏であるから、仏像を必要としない。開祖、高僧の像を頂相(ちんそう)と言って、仏像より重んじられ信仰の対象とされた。とはいえ、禅宗には仏像は全然無いのではなく、祀られる場合は主に釈迦如来像である。

2012年3月24日土曜日

あの世とこの世


今月、母の13回忌の法要があった。寺で行われたわけであるが、日本では宗徒の多い宗派の寺である。この儀式は日本独特のもので、死んだら葬式を行い、死者を弔い、一定の期間が来れば法要を行い死者の供養をするのが宗派を超えて日本の常識になっている。

ところが仏教発祥の地インドでは、古代より死んだら無になるのだから本来の仏教は葬式なぞはしない。もっと言えば霊魂の存在すら認めていない。故に死後の世界も認めていない。だいたい仏教発祥の地インドでは、釈迦の墓が存在しない。(釈迦の死んだ場所は言い伝えられているが)
このことからも、原始仏教が葬式を重視していないことが言われている。行なったとしてもささやかで慎ましく行われたのだろう。つまり、仏教と葬式は、本来関係がないのである。それどころか、本来の仏教では「死ねば空に帰す」と考えられている。この「空」というのは、般若心経で有名な「色即是空空即是色」の空である。「空」というと何だか神秘的に聞こえるが、結局のところ「空」とは「ゼロ」のことである。ゼロという概念は古代インド人が発見した。


我が国の仏教では、死者は、生前の行為により、地獄に落ちるか極楽に行けるかが決まるとされており。死亡してから四十九日間は、どちらに行くかが決まらずにさまよっており、この期間を中陰あるいは中有といい、49日の法要は重要視されている。

死後の世界が存在することを古来信じてきた民族も多い。古代エジプトやイスラム圏、キリスト圏など、死後の世界を信じる人々は圧倒的に多く、天国に行くため善行を尽くし、ある者は自爆テロを企てる。生前の行為を死後の天国(極楽)行きの片道切符を手に入れるための取引に使う人間の多いことか。死んだらゼロ(無)と思う人間が少ない。これも人間のもつロマンチシズムの延長か、はたまた現世に絶望した人間の叡智か?信じる信じないは個人の自由であろう。死後の世界から帰還した者はいないのだから。
絶対無というものがあるのなら存在と無は反対概念でつながるが、絶対無はないので存在と無は矛盾概念でもある。

2012年3月17日土曜日

消費税国会


政府・民主党は6日の社会保障改革本部で、消費税率(現行5%)を2014年4月から8%、15年10月から10%に段階的に引き上げることを柱とする社会保障・税一体改革素案を正式決定。3月に関連法案を国会提出する計画だが、野党側は法案提出前の事前協議を拒否しているほか、民主党内にも多数の反対派を抱え、法案成立のめどは立っていない。
その多数派の代表 小沢一郎は、元々、消費税増税論者であるけれど、「増税する前に、やるべきことはいっぱいある」と公務員制度改革、福祉政策充実、景気政策を先行して行い、そのうえで消費税増税に入るべきであるという持論を述べてきた。
民主党の最後のショートリリーフで登場してきた野田首相は、9月には民主党代表の任期切れが来て代表選を迎えることが念頭にあり、在任中の目立った足跡を残そうと消費税引き上げに躍起になっており、なりふり構わず増税論者の自民党の谷垣総裁と密談をしたり、はたまた小沢の党員資格を停止した岡田副総理も自民党への抱きつき(大連立)を画策して自民党に足蹴にされた挙句、宿敵の小沢に擦り寄る気配も見せている。

首相が衆院解散・総選挙に踏み切る可能性が高まるのは、野党提出の内閣不信任案に民主党内から造反議員が出て賛成し可決された時と、消費増税法案が衆院ないし参院で否決され、今国会での成立が見込めなくなった時の局面だ。

消費税の2段階引き上げについては当初、8%への引き上げを13年10月から、10%への引き上げを15年4月からとする案が検討されたが、民主党内に反対の声が根強いことから、半年ずつ遅らせ、最初の引き上げが衆院議員の任期満了(13年8月)から7カ月後となるようにした。これにより消費増税実施の閣議決定は事実上、次の総選挙後となる。

今後とも続くデフレ経済下での増税は弱体化した国内経済に鞭打つ施策であり、経済は更に下降していく。生活必需品も贅沢品も一律課税方式の我が国の消費税は弱者高負担の増税であるため国民の多くが反対をしている。

それにしても権力闘争にうつつを抜かしている民主党も、内実は水と油の寄合所帯で、自衛隊を「暴力装置」呼ばわりして更迭された前官房長官の仙谷由人代表代行も、反日・自虐史観教育を続ける日教組のドンとして参院に君臨している輿石東参院議員会長も左翼崩れの旧社会党だ。菅元首相や江田法相なども社民連出身で社会党の分派で同根同類である。保守本流育ちの小沢と合う訳がない。菅と江田のご両人は、ともに拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙元死刑囚の釈放嘆願書に署名したという共通項もある。この他にも民主党のメーン・プレーヤーは上述した面々以外にも旧社会党の左翼崩れが多いのが特徴である。2年前民主党に変われば政治は良くなると幻影を抱かせ、民主党を選んだ多くの国民は今何を思うのだろうか?


進まぬ復興と地方分権

震災後1年を過ぎ未だガレキの処理が6%程度しか進まない現状がある。今、政府は地方が分担して処理協力をするよう、各自治体に要請をしているところだが、住民の核アレルギーによって一向に進んでいない。一方で霞が関の縦割り行政の弊害も指摘されている。被災地が独自にガレキ処理を民間の業者に復興資源の再利用として計画しても、環境省はなかなか動かない。

被災現場に立たず、被災した地域の声も映像を通して見ているだけで、この国難を肌で感じていないようだ。霞が関のデスクの上で机上の論議をやっている官僚の硬直的な采配は、様々な過程で地方をコントロールしている。その力の源泉は、地方交付税、地方譲与税、国庫支出金、各種補助金などでがんじがらめにしている。それこそが日本で非常に強い権力を隠然と持っていた官僚機構である。

地方が勝手に権益を持って事を勧めることは、規制緩和を意味し、地方分権を阻止しようとする官僚の力を削ぐことになる。戦後の日本の官僚機構は、対米従属の国是を維持する機関として機能し「おみこし」的に自民党を担ぎつつ政府の事務局として位置することで、国家権力を握っていた。
しかし今、官僚にとって真の「お上」である米英の覇権が崩壊過程にあり、官僚機構はあちこちで機能不全に陥っている。在日米軍はグアムに移転する気になっており、何とか米軍を金でつって駐留してもらっている。戦後GHQのお墨付きをもらった官僚は政治家の強力な黒子である。

マスコミのプロパガンダ機能を握っている官僚機構は、自分たちを無力化しようとする政治勢力には強く抵抗し、つぶしに係る。政治主導と叫び続ける政治家の声が虚しく響く。しかし、日本はこのままではダメだと思う政治家は、官僚機構を大規模に解体再編しない限り日本は立ち直れないと、気づくようになったのだが。、、、、今日の状況で、そう思っていない政治家は、無能か官僚の傀儡か、はたまた私利私欲に固まった政治屋にすぎない。

2012年3月8日木曜日

アートな話「唐草文」


今年は私の所属している鎌倉彫教授会50周年にあたり、鎌倉から始まり広島~札幌と地方巡回展が3月から5月にかけて行われる。
案内状に描かれた文様は宝相華文(中尊寺円乗院に伝わる木彫光背残闕)で鎌倉彫の教材として模刻されているのが上の写真である。
鎌倉彫の基礎教材として数多くの古典作品に技術と感性を学び、現代につなげていく一貫したカリキュラムは今日まで続いており、鎌倉彫教授会の基本理念でもある。

鎌倉彫の意匠は花や花鳥文、自然風物、動物、屈輪など多種多彩であるが、中でも唐草紋は馴みのある文様である。
エジプトのロータス(水蓮)つなぎ文
唐草は古代エジプト時代つなぎ文に端を発し、多種多様に展開していった数千年もの歴史を持つ人類の普遍的なイメージである。植物の花や葉の形を蔓 (つる) 状のリズミカルな曲線でつないだ文様の総称で、<唐草>の語はすでに平安時代の文献にみえ, 〈中国唐代伝来の蔓草文様〉という意味でこの名が使われたようだ。

唐草は草花文様の一種と考えられるが、重要なのは文様そのものというより 縦横無尽に空間を埋め尽くしてゆくかのようなその潜在的なエネルギーである。やがてそれはギリシャのパルメット(忍冬唐草)を経て、ペルシャ、インド、中国を通って日本に伝播されてゆく。

● 宝相華文

正倉院 五絃琵琶      仁和寺宝珠箱


数千年の時代を経てロータス(蓮華)・パルメット・ザクロ・牡丹などを組み合わせた空想上の花文として登場してきたのが宝相華で、ペルシャで芽生え中国唐代に豊麗な文様として完成され、奈良時代日本に渡ってきて唐草的に様式化されたものが正倉院御物に見られ、仁和寺宝珠箱を経て平等院鳳凰堂  中尊寺の木彫光背の残闕にたどり着いた。まさにシルクロードを経て平安時代末期に栄えた奥州藤原3代で宝相華唐草は花開いたのだった。

◎  展覧会日程

創立50周年記念展 3月29日(木)~4月2日(月)鎌倉生涯学習センター
50年のあゆみ展  3月29日(木)~4月1日(日)鎌倉彫会館
地方巡回展 4月17日(火)~22日(日)札幌大丸藤井セントラルスカイホール                     
5月15日(火)~20日(日)広島県立美術館県民ギャラリー

2012年2月28日火曜日

日々雑感

建国記念日

2月に入り横浜市から寿(濱ともカード)が送られて来た。これを協賛店に提示するとサービスが受けられるらしい。高齢者という表示には抵抗があるが、改めて65年という年月を考えると「俺も若くはねーんだ」と妙に納得をする。
そういう自分は建国記念日に生まれたわけだが。そもそもこの記念日、古事記や日本書紀に記された初代日本の天皇である神武天皇が即位した皇紀元年(西暦紀元前660年2月11日)を表す。この時代は日本が弥生時代前期であって、神話として解釈する場合も多い。
これによって、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。そして紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたが、昭和42年(1967年)来建国記念の日として祝日とされている。


皇室写真
日本国は世界でも類を見ないほど歴史が長く、平成の元号の今日までこんなに続いている国家は日本以外に存在していない。よく中国(中華人民共和国)が引き合いに出されるが、中国は建国されたのが1949年、まだ63年しか国家としての歴史はない。日本は歴史のある国家で、万世一系で続いている天皇家は2位のデンマークや、かのイギリス王朝よりずっと古く日本の宝でもある。
皇位継承問題も今後の課題としてあるが。
皇室典範は、男系男子が皇位を継承するとしており、このままでは皇統が途絶えるのではないかという、深刻な憂慮がある。国民の間には女性天皇容認論が広まっているが、しかし、わが国は男系継承で一貫してきた伝統があり、神武天皇から125代にわたって、皇族は一つの家系に連綿と受け継がれてきたと我が国では信じられてきた。異論はあるだろうが、いずれその答えは出るだろう。


近頃の世相

半年前に注文していたトヨタのハイブリット車がようやく納車になったが、引渡しの際、妙な念書を書かされたが文面を見ると、今後暴力団との付き合いや、関わりを持ったことが明らかになった時点で、車検を含むサービスや日常の取引が出来ない旨の内容だ。どう見ても堅気の私には腑に落ちないので確認したところ、昨年来の暴力団排除条例が全都道府県で施行されたことを踏まえ、一般市民を含め暴力団壊滅に向け、社会全体で排除活動を推進するよう警察が進めているその流れだという。そのせいか各地で暴力団排除運動が起きている記事を思い出した。

表社会に寄生している裏社会の実情を想像すれば、さぞやヤクザの世界も一般社会以上に厳しい経済状況に追い込まれていることは想像がつく。子分の些細な犯罪で親分がしょっぴかれる時代になり、総会屋も減り、みかじめ料(用心棒代)も減り、賭場の上がりも減り、暴力団の関連した企業も締め付けが厳しくなっており経済ヤクザも大変らしい。、一番のシノギ(生計)の上がりは覚せい剤という調査もある。今後取締が強化されていくと、彼らはアンダーグラウンドのマフィアに変貌していくという評論家もいるほどだ。どうやら昔のように肩で風をきっていた羽振りのいい時代は終わったようだ。暴力団予備軍の血の気の多い若い連中もしょぼくれたヤクザを見て暴力団に入る物好きも少なくなり、オレオレ詐欺のようなケチな稼業に手を染めているヤクザ風の連中が増えていると、ノンフィクション作家の溝口敦氏が著書「暴力団」で述べている。