2012年12月28日金曜日

アートな話「モノづくりの鍵」


温故知新は、『論語(為政篇)』の出典によるもので古いものをたずね求めて新しい 事柄を知る意から、すなわち古を知る=意識化するというのは、実は今を知る=意識化することにほかならないことであり、我々創作現場でも古典から学ぶことは多い。工芸デザインにおいてもモノの形の進化は現状の欠陥に気づくことからはじまる。産業の技術革新も数多くの失敗(過去の経験)からイノベーションがはじまった。
「本当の意味でモノの形を決めるのは、ある働きを期待して使ったときに感知される現実の欠陥にほかならない。」とは、米国の工学者ヘンリー・ペトロスキーが『フォークの歯はなぜ四本になったか』でいった言葉である。


モノづくりにおいて、創造性に大いに関係するのが抽象化能力である。抽象とは事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。 (三省堂大辞林)

観察した自然を切り取る。体験した場のエッセンスを抜き出す。味わったアートの良さを引き出す。こうしたことを行うには、自分が観たもの、体験したものから特定の要素を抽象化する力が必要になってくる。つまり、自然を観て絵を描く。体験したことを元に文章を書く。作品の制作に当たる。こうした創造的活動には、抽象化の力が不可欠になってくる。
抽象化には、まず自分が実際に観たり触れたりする現実の文脈から要素を抜き出せないといけない。要素を抜き出し、必要な要素だけに単純化し、単純な要素だけで事象を組み立てる力が抽象化でもある。一般的には、ある「モノ」が空間上の位置を欠いているとき、またそのときだけにそれが抽象的であるといわれる。

 
カンジンスキー 連続
絵画の世界では、カンジンスキ-がある日部屋の片隅で、不思議に魅力あるものを見かけたが、良く見るとそれは自分の絵が横向きに置かれていただけのことであった。彼は、その時発見した。絵画は現実にあるものだけをを模写する必要はない。全く自由に描けばよいといい、これが抽象画の始まりと伝えられ、彼は抽象画の先駆者になった。
いわゆるアブストラクト(抽象美術)は、1910年ごろから興った芸術思想で、「外界の形象を借りて表現するよりも、外界から抽出した線や面を造形要素とし、あるいは色彩自体の表現力を追求してこれを造形的な作品に構成するもの」だという。ロシヤ生まれのカンジンスキ-は、物ではなく、音楽のような目に見えないものも描いている。これは色や形ばかりでなく、対象からも自由になったといえるだろう。


人は概ねイメ-ジで思考することが多い。言葉だけが浮かんで、イメ-ジが浮かばないときは思考が停止するが、イメ-ジが先に浮かぶと仕事は速い。
作ることと見ることは、車の両輪 のようなものだ。良い作品を見ることにより眼の力は鍛えられていく。眼で見ることのできないものは、かたちにできない。作る技術はあっても、あるべきかたちをイメージする力がなければ、そのかたちを作ることはできない。
手の暴走、過剰な加飾の誘惑を抑制するのが目の力でもある。作品を通じて何が人を気持ちよくさせるのか、何が人を幸せな気持ちにさせるのか。
そういう意味での作品(もの)の良さを知らなければ、ちゃんとしたものづくりにはならないのではないか。それには多くのものを見て、さらにそのさまざまなものが人の感情をどう動かし、暮らしのなかの行動にどう影響するのかということを想像するための眼の力を鍛えておく必要があると思う。それが個々の感性につながることでもある。

デザインを考える場合、色や形をそのほか物に求められる機能や使い勝手や耐久性や安全性など、それぞれの属性を切り離すことなく包括的に捉えなければ良いデザインは生まれてこない。人の心に愛着やぬくもりやときめきや懐かしさや楽しさなどを感じさせる色々な要素が、デザインの裏には潜んでいて、それらの要素がデザインを豊かにする。
柳宗悦が『工藝の道』で、「用」をもたない物は生命を持たない物といっているが、その場合の「用」は単に物的用という意味では決してなく、心の「用」に適うものではなくてはいけないのである。つまり「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である」と言及している。

今年も忙しさにかまけて、当ブログもあまり頻繁には書けませんが、ご高覧の皆様には良いお年を。 (わいは猫じゃー Y CAT)

2012年12月20日木曜日

あとの祭り(選挙)


国政を決める総選挙で、自民党は解散時の118議席から2.5倍の単独で過半数以上の292議席を得た。連立を組む公明(30)と合わせれば、322議席。三分の2は320であるから、参議院が過半数でなく、反対があっても全部の法案が通ることになる。一方の民主党は57議席の惨敗に終わった。

前回は民主党に投票した無党派層が、多少は自民党に流れたものの、維新、みんな、未来に、分散したことがうかがえる。前回の選挙で掲げたマニフェストの内容をことごとく反古にし、全くなかった消費税増税法案を成立させたことや、外交上のさまざまな失態など、初めての与党経験者が多かったとはいえ、お粗末な内部統制の取れない政権運営を続けた民主党に対し、有権者がNOを突きつけた結果の自民党勝利だと思う。
実際多くの選挙区で、第3極同士の政党が競合し票が割れたため、共食いの結果として自民党が勝ったという選挙区も少なくなかったようで、複数の第3極の候補者の得票数を合計すると、勝利した自民候補者の得票数を上回る例も相当数あったようだ。野田首相の思惑の一つでもあった第3極間の連携の準備が整わないうちに仕掛けた解散総選挙が、民主党の壊滅と自民党の快勝につながった。

世代別投票率の推移


報道によると今回の総選挙の投票率は59.32%。衆院選では戦後最低だという。低投票率の場合、有力な支持母体を持つ政党が有利となるため、自民・公明の勝利へとつながったのだろう。
それまで投票率の最低は1996年で、ちょうど小選挙区制がスタートした最初だった。一つの選挙区に当選者は一人だから死に票が多くなり、投票にいってもしょうがないやと思う人が多く、それ以前に、小選挙区だから立候補しても3番手4番手の党だから、当選する見込みがないとあきらめて立候補しなくなった。それで投票する人も少なくなって投票率が下がったと考えられる。
かつて自民党の森総理が無党派は寝ていて欲しいとの賜ったこともあり、国難のこの時期に国民の投票率が戦後最低とはどうなっているのかこの国は?選挙制度にも問題有りと言わざるを得ない。
早くからマスコミによる自公優勢との報道がなされ、しかも、多党乱立状態での選挙突入となったため、「どうせ今回は自公政権なんだろう」とか、「党が多すぎて、どこに入れたらいいか分からない」という有権者の思いが、結果として低投票率になったことも考えられるだろう。


また問題になっている「1票の格差」が最大2・3倍だった前回衆院選について、最高裁は昨年3月、小選挙区の定数を各都道府県にまず1議席ずつ配分して、残りを人口比で割り振る「1人別枠方式」が格差を生む原因だと指摘し、同方式の廃止を求めた。これを受け、同方式の廃止と格差を是正する「0増5減」を盛り込んだ選挙制度改革法が、衆院解散した11月16日に成立した。
しかし、区割りを見直す時間はなく、衆院選は違憲状態のまま行われ、最大格差も2・43倍に拡大した。また読売新聞によると「1票の格差」違憲状態で衆院選無効…一斉提訴. 最高裁が「違憲状態」とした選挙 区割りのまま行われた今回の衆院選は違憲だとして、二つの弁護士グループが17日、 27選挙区の選挙無効(やり直し)を求めて全国の8高裁・6支部に一斉提訴したが後の祭りだった。



  

  

2012年12月12日水曜日

日本のインフラ


最近読んだ本に「日本文明世界最強の秘密」増田悦佐著がある。「日本はもうダメだ」という悲観論のマインドコントロールから日本人を救い出す画期的論考!閉塞感漂う現代日本に一筋の光明が差すような本でもある。                                                 
「その国の経済発展を支えるものは強固で効率的な交通網(車より鉄道社会を守り抜いた日本の大首都圏のインフラ)であり、我が国が21世紀を通じて先進国の中では一番経済的パフォーマンスを繰り広げている。戦後の荒廃から脱却し1970年代までの日本経済の高度成長を支えたものは、世界一のエネルギー変換効率で、車よりもネットワーク性が高く、大量に人を運ぶインフラである鉄道網が東京、大阪といった二大都市圏に張り巡らされて、世界一急速に都市化が進んだにもかかわらず、交通渋滞による大都市圏の経済効率が下がることもなかった。」

競争力は何によってきまるのか、との命題から考え始め、原材料、技術、労働力、エネルギーの要素は移転可能だから、決め手にはならず、一番大事なのはインフラだとする。ここでインフラというのは、人間を大量に集積する都市が有利であることであり、特に人口を集められるのは鉄道中心の都市であるとする。結果、東京や大阪など鉄道中心の都市がある日本は他の国に対して競争の上で優位に立っているという、増田理論の結論が出てくる。

また本書ではこう続ける、鉄道を発明したのはイギリス人だが、鉄道網を発明したのは日本人だと。実際欧米諸国の鉄道はターミナル駅はそこから乗り換えするのに非常に不便な位置に有り、日本のようにターミナル駅が通過駅としての機能を併せ持ち、そのため同じ駅内で乗り換えがスムーズに行われて、時間のロスがなく、時刻の正確さはこの上ない。しかも駅の中ではショッピングモールを組み込んだ多機能な空間が存在する。この利便性は他国の追随を許さない。

世界最大の乗降客数を誇る新宿駅でも、山手線、中央線、京王線、小田急線、地下鉄各線が同じ構内に集中している。そのため欧米では貧乏人以外は不便な鉄道をさけ、通勤は圧倒的に車に頼る車社会で、一度に大量輸送が可能な鉄道に比べエネルギー効率が非常に悪いのである。日本では旅客は鉄道、足のない貨物は車と概ね棲み分けられている。そのため日本では旅客では世界一鉄道依存度が高く、貨物では世界一鉄道依存度が低い。よって道路を走行する自動車に占める業務用車両の比率が高くなっている日本では交通量の増加はほぼストレートに経済活動の拡大を意味する。

中央道笹子トンネル事故
ただ我々も荷物が多い遠出には車を使い、少ない遠出には鉄道または飛行機を使ったり、旅行先で荷物が増えたら宅急便を使ったりと、選択肢は多い。田舎を走ってみて気づくことであるが、大都市圏の利便性がない地方の移動手段は圧倒的に車である。それも一家に一人1台の軽自動車の多いことか。とにかく軽自動車が多いのが目に付く。ただ今回報道を賑わした中央道の笹子トンネル事故は、時々利用する者として穏やかでない話である。

笹子トンネルは、今から約37年前の1975年に完成し、77年から使用されており、まだわが国が高成長の真っただ中にある時期に使われ始めた。笹子トンネルがある中央自動車道は、わが国の中心である東京と山梨や長野、さらには兵庫県西宮を結ぶ幹線道路の1つとして、わが国経済の動脈としての役割を果たしてきた。
そして老朽化していた笹子トンネルの事故は、9人の尊い命を奪った。現在、同様の問題を引き起こす可能性のある危険度の高いトンネルは全国で49カ所あるとも言われ、その点検が急がれている。直近では首都高羽田トンネルもボルトの脱落を指摘されている。
そしてこの事故を受けて,各党代表は,インフラのメンテナンスの重要性を訴えるに至っている。言うまでもなく高度成長期につくられた道路、トンネル、橋梁などのインフラの多くがこれから大量に寿命を向かえる。時代錯誤の無駄な新規大型公共事業復活の前に、過去のインフラのメンテナンスが最優先されるべきだろう。
そのためにはデフレ不況の今,増税をしたところで不況が深刻化する以上,なんとしてでも「経済成長」をはたして財源を確保して,抜本的な「インフラのメンテナンス事業」に政府として取り組んでいく事が不可欠だと思う。

2012年12月1日土曜日

日本海クルマ紀行

Hacoaの工場

昨日かみさんと日本海の旅から帰ってきた。93才の親父の世話に明け暮れるかみさんの日頃の労をねぎらって、たまたま一人暮らしの息子が親父のお守りをしてくれて、かみさんの還暦祝いに旅費まで出してくれた勢いで、福井と京都城崎の2泊3日の旅に出かけた。
初日は京都から福知山線に乗り換え、西舞鶴からレンタカーを借り鯖江市にある越前漆器の漆の里を見学し、紹介された木地師の山口さんの工場を見学した。Hacoaという業界では大手の工場の社長でもある山口さんは、伝統工芸士でもあり、ご多分に漏れず越前漆器の現状は厳しい状況で、大きい品物があまり動かないと話しておられた。それを裏付けるように近代的な設備の大きな工場も機械音が止まっており閑散としていた。しかし業界の若手を中心に時代のニーズにあった小物の商品開発に取り組んでいるのがショールームから伺えた。
もう一件紹介されたところは留守だったので、時間も限られていたので4時半頃鯖江を後にした。
原発銀座 福井

北陸道を通り敦賀インターから原発銀座の若狭湾の海岸線を走り、初日の三方五湖から突き出た常神半島の先端近くの旅館についたのは7時の夕食時間だった。カニ三昧とアオリイカの活き造りや寒ブリの刺身などとても二人では食べきれず、残った越前カニは道中の酒の肴に土産にもらった。


三方五湖
翌日三方五湖を眺望できる展望台に登り、自然豊かな福井のリアス式海岸の雄大な景色を楽しんだが、一方でこの素晴らしい自然が原発銀座に囲まれたど真ん中にあることを思うと福島が頭をよぎり、複雑な思いがこみ上げてきた。まさに日本の核エネルギーは綱渡りである。
地図上の赤マルが我々のいた三方五湖の位置で、黒丸はもんじゅ、敦賀、美浜,大飯、高浜の各原発の位置。そして今、敦賀原発は地下を通る活断層の調査結果次第ではその存続が危ぶまれている。

福井を通って近隣の町や農村風景を見たところ、過疎化に残されたこれらの土地は、京阪神地域からの工場誘致もままならないまま、これといった産業も育たない中で、原発誘致で町おこし村おこしをやってきたのだろうが、ここに来て地域の大きな雇用の受け皿としての他府県にはない多くの原発も、岐路に立たされている。実際問題、多くの原発が止まっている状況下で、従来の火力発電はコストの面で多少は高くはなっているものの、電力側が誇大宣伝しているほど電力の供給は逼迫していないのである。枝野経済産業相は30日の閣議後記者会見で、関西電力や九州電力の電気料金値上げ申請に関連し、「元々、(電気料金は)おかしなくらい安すぎた」との見解を示したが、世界一高い電気料金を棚に上げよく言えたものである。まるで原子力でないとどんどん値上げをするぞとばかりに。

このようにたとえ多くの既得権益側の原子力村や、官僚、政治家などの抵抗が強く働いたとしても、国民の総意としてこの豊かな自然の日本を守るためにも、日本人の知恵で代替えエネルギーの開発に、総力を挙げてもらいたいものである。

城崎温泉

福井を後に次の目的地城崎温泉は、かみさんが独身の頃読んだ志賀直哉の小説の城崎温泉に憧れていて、是非とも行ってみたいと言われていたのでお供した。天橋立を通り、京丹後を抜け、城崎のホテルに着いたのは3時を過ぎた頃で、それから温泉街に繰り出し、外湯を5軒ほど廻り、湯あたり寸前で終わりにした。その後は温泉街の酒処を2軒まわり、その日はホテルで昨日のカニで一杯やって朝までぐっすり寝こんでしまった。
川のある街は風情があっていいものだ。城崎温泉も大小の川に挟まれてたたずんでいて、温泉街を流れる川は水がきれいで、川に沿って一面柳の木が生い茂っている。
9時にホテルを後にし福知山のトヨタに車を返したのは11時頃で、走行距離は交代で運転しても511km走っていたことになる。そろそろ旅の疲れが出てきたので筆を置くことにする。

2012年11月25日日曜日

釣りも時の運

江ノ島沖 雄のカワハギ

10月から11月にかけて例年だとフグ釣りに興じるところであるが、今年はフグがあまり釣れていない。去年は特にアカメはよく釣れ良すぎたぐらいで、今年はまだ行っていない。一方で今年の東京湾は夏場にかけてマゴチがよく釣れ、何回かいい思いをした。今年に入り穴子やフグなどがさっぱりで、震災以来東京湾の地形も変わったのかいつもと違うような気がする。

そんなわけで今年は相模湾でカワハギ釣りを2回ほどやった。。
カワハギは内向的な釣りで、青物と違って餌を蒔いてドカっと釣る陽気な釣りではなく、普通に釣っていても釣れる魚ではない。常に魚との駆け引きが要求される釣りで、釣り方に工夫がないと餌ばかり掠め取られ、餌泥棒に悩ませられる。
その点フグはも餌取りがうまいが引っ掛けて釣るカットウ釣りが主流となるのでカワハギほどストレスはたまらないものだ。しかしカワハギは小さな針に付けた餌に食わせて釣るので一筋縄ではいかない。学習能力も高く、釣り船の多い海域ではすれっからしのカワハギとの知恵比べに神経をすり減らし気の抜けない釣りである。これが普通の魚やまずい魚であれば、これほど夢中になれず竿を置くところであるが、ひたすら極上の白身と海のフォアグラたる絶品の肝を求めて釣り人は懲りずにやって来るのだ。言うまでもなく釣り立て新鮮なカワハギが食えるのは釣り人の特権である。



さて釣りにも時の運(釣りの神の微笑み)が左右することが過去に時々あった。釣りの神様といえば恵比寿様である。
縁起のよい福の神様を7人集めて絵にしたのが、ご存じ「七福神」。その中で竿と鯛を持って笑っている恰幅のよい神様が、七人の中では唯一国産とされている神様、恵比寿(ゑびす)様である。。福々しい笑い顔をえびす顔というぐらいで、打ち出の小槌を持った大黒様と並んで人気があるようだ。他の6名の神様は中国やインドからの拝借であり、日本人の外来文化の吸収力の貪欲さと、宗教心の懐の深さはすべて古来からの八百万の神々を敬ってきた国民性に由来する。

すなわち大黒様は古代インドのシヴァ神、弁財天も同じくサラスバティーという河の神様、毘沙門天はヒンドゥーのヤシャ王クヴェーラ、寿老人は中国の思想家老子、布袋尊は後梁時代の禅僧契此(かいし)、福禄寿は中国伝説上の道士とされている。恵比寿様は、上方ではもっと気軽に「えべっさん」と呼ばれており、庶民には一番もてる神様である。 さて、庶民に人気のある恵比寿様のルーツを探ってみると、恵比寿さまは右手に釣竿、左手に鯛を抱えているように、元々は海の神様、豊漁の神さまだった。

ところが恵比寿様のルーツには諸説があり、神道では、恵比寿さまはイザナギノミコトとイザナミノミコト(日本国を作ったカップルの神様)の第三子蛭子尊(ひるこのみこと)といわれている。古事記日本書紀に出てくる蛭子という漢字にエビスが当てられているのが、その根拠だそうだ。恵比寿様はなんと3歳まで足が立たず、それを理由に船に乗せて捨てられ、漂着先が神戸の西宮浜)、おまけに福耳のくせに難聴という苦労人で、顔で笑って心で泣く釣り師には本当によき模範となる神様である。
もう一つの説は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の第一皇子事代主命(ことしろぬしのみこと)と云う説である。神話に出てくる出雲の国譲りをした神様で有名で、この大事なときに美保ヶ関に釣りに行ったという釣り馬鹿で、それが後生釣竿を持ち鯛を抱えるイメージにつながったという話もある。

最後の説は、日本人だったらよく知っている海彦山彦だ。弟の山幸彦は、兄である海幸彦の釣り鈎をうっかり鯛にとられて竜宮に行く。そこで海神のべっぴん娘、豊玉媛命とラブラブになりマジックパワーを得て、そして最後に、兄の海幸彦を服従させるという話だ。
三説とも、いわゆる出雲の国譲りが神話という形を取っていても、実際は大和朝廷と出雲政権との権力闘争を暗示した記述であるということは、大方の学者が認めているところである。大臣であるにもかかわらず、政務を放り出し、釣り三昧に明け暮れた事代主命(ことしろぬしのみこと)が、実在のモデルなら釣りバカ日誌を地で行っている話で、歴史を遡る逸話は想像力を掻き立てられるものがある。

2012年11月18日日曜日

福の神と貧乏神

福の神 仙台四郎

仙台四郎という人物をご存知だろうか?この人物は、明治時代に、仙台市に実在した人物である。取りたてて、何か大きな仕事をした訳でもなんでもない。しかし今、その人の肖像画が、家運上昇、商売繁盛に御利益があるとして、飛ぶように売れ、その人形さえ作られているというから不思議である。そもそも仙台四郎は子供の頃は聡明で有名な子供だったが、 川で溺れ意識不明になったのをきっかけに、知的障害になった人物だったようである。

 四郎さんは、いつもニコニコと街中を歩き子供たちと遊び、よく店先に立ち寄った。そして、彼を歓迎した店は商売が繁盛して、毛嫌いした店は落ちぶれたそうな…
最初は、何となく、人のうちに来ては、愛想の良い笑顔を振り撒いて、何となく帰っていく、ただそれだけの人物と思われていた。ところが、不思議なことに四郎さんがやって来た家は、運が次第に向いてきて、良いことばかり起こる。やがてそのことが町中の評判となった。
ある時などは、事業がうまく行かず、死ぬことさえ覚悟した人物の家の前に、ふらっと現れると、四郎さんはこう言い放ったという。「そんな恐い顔しないで、俺みたいに笑ってけさいん」(仙台弁で笑ってください)四郎さんに、そう言われて、ふと鏡で自分の顔を覗いて見ると、そこには鬼のような形相の男がいたのである。
  これでは他人相手の商売はできるはずもないと、はっとして目が覚めたというのだ。玄関に戻るとそこには四郎さんがいなかったが、自分がこんなに落ち込んでいるにも関わらず、自分を支えるためにがんばってくれている妻と、若い長男が立っていたのである。そこから一転事業は盛り返したそうな。

私がこの肖像画にお目にかかったのは、以前当ブログで紹介した行きつけの寿司屋に飾ってあったものであったが、カウンターに座るといつも店主と、仙台太郎がこっちを向いていた。その寿司屋も今はない。私の地区ではもう一軒、2番目に行きつけの寿司屋があったが、その店も最近になって看板を降ろしてしまった。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、福の神もデフレ経済下の昨今では勝てず、経済縮小のあおりを食らって客足も伸びずバンザイしたようだ。特に生ものを扱う商売は一度客離れを起こしたら最後あとは廃れていくのを待つしかない。近所の大きなガソリンスタンドもなくなった。5円10円の薄利にハイブリット車の登場によるガソリン需要の低迷などが重なり店を畳んだのだろう。とにかく景気の悪さが目につくこのごろである。





貧乏神

世間では家電の大手ビックカメラがユニクロと異業種のコラボをしてビックロになったり、消費の掘り起こしに小売業界も動きが激しくなっている。業界最大手のヤマダ電機に大きく水をあけられた末に選んだ策であろうが、いろんな業種で業界再編が起きている。
そんななか政界も再編の動きが激しくなっている。突然の野田首相の衆議院解散で政局は慌ただしく年末選挙に向けて動き出した。少数政党が集合離散を繰り返し、2大政党も再編の動きがあり政局も予断を許さない。破れかぶれ解散の民主党も貧乏神のような輿石幹事長が選挙戦を取り仕切るようだが、やめたほうがいい。

2012年11月10日土曜日

迷走国家

衆議院本会議


現在、日本の政治は、国家をどう守り、国民をいかに幸せにするかという国民政治ではなく国民不在のなかで、どこの党が権力を握るかという政局政治に陥っている。この澱んだ国民不在の政治がこれ以上つづくと、国家の運営に支障をきたし、国民の政治不信と無党派層の拡大につながる傾向が続くだろう。
 もっぱら政界の焦点は解散時期についての駆け引きに終始し、野田首相にダマしたダマされたと、自民、民主は相変わらずの舌戦を繰り広げ,お互いの腹の探り合いをやっている。近頃気のせいか野田首相の顔が上目遣いのタヌキそっくりに見えてきた。そんな折、東京都都知事の石原慎太郎がご老体にムチ打って、第三極勢力を結集し国政に復帰することを表明した。


ここに来て維新の会の底の浅さが見え始めた橋下維新は、石原新党やみんなの党などと連携を画策しているようだが、政治姿勢や政治理念が違う集団がどこまで歩み寄るかは不透明で、石原新党と維新の会、みんなの党、減税日本ら第3極勢力のどこに、共通の政治姿勢があるのだろうか。石原の官僚制度のシャッフルという小異を捨て大同に着くという大言壮語に吸着されて、たとえ第3極勢力が政権をとったところで、1993年の細川内閣が、7割を超える支持率を得ながら、あっというまに崩壊したように、今から不協和音が聞こえてくるのは私だけではないだろう。

石原慎太郎は4期目の都知事選を出ないと言って出てみたり、新党結成を全く考えてないと言って結成の画策をしたり、その行動の裏には常に2人の政治家でもある我が息子絡みの思惑があることが周知のことになっている、今になってみて中古派閥の老害長老達に担がれた小物が、自民党の総裁になれなかったのは不幸中の幸いであった。慎太郎を担いだ亀井静香も、石原のご都合主義に愛想を尽かし袂を分かった状態で関係は冷えてしまった。

政策の4つの柱、すなわち憲法、原発、TPP、消費税の各々の基本理念が違う連合、石原・維新」連合が、志や政治姿勢を共有する結束ではないかぎり、日本の政治に、新しいうねりは生じないだろうし、民主党の悲劇が繰り返されないことを望みたい。最近の報道2001の石原慎太郎を見た限り、<統治機構の改革>といっても中身は漠然とした官僚批判に終始し、具体的な制度改革の形も示していない。思いつきで始まった尖閣諸島購買の話からはじまった政治の混迷など
我々国民が聞きたいのは経済と政治が停滞し、世界から孤立しつつある日本を、どのように建て直すかである。