2011年10月10日月曜日

日本人の根底にあるもの 3

縄文晩期 宮城県恵比須田遺跡

風土と地理的条件は国民性を作り出す重要なファクターであるが、われわれ日本人のルーツをたどれば、先史以前の縄文時代から周りを海に囲まれ、外敵からこれといった侵略を受けてこなかった幸運や、自然豊かな海や国土の多くを森林によって育まれた自然の幸に恵まれた環境の中で、心穏やかに暮らしてきたものと思われる。やがて縄文晩期になると大陸からの流民が徐々に入り込み、弥生時代を迎えるが,多少の抗争はあったものの、大陸型の過激な侵略や抗争にはならず、ゆっくりと混血が進み文化的なイノベーションが進行していったものとみられる。
縄文系弥生人も渡来系弥生人もそのルーツはユーラシア大陸から移住・渡来した人々にあり、それぞれが日本の民族集団を形成する一部となっていった。
考古学では日本の縄文時代が始まったのは、今から1万5千年前と見られている。
古代文明の発祥地のことごとくが森林を失い、砂漠化とともに滅亡した史実を、「文明の滅亡は森の喪失である」という歴史的検証を著したジョン・バーリンが『森と文明』の中で、すべての文明発祥の地が森を開くことで興き、森が失われることで滅んでいったことを述べている。そんな日本は、長い歴史の中で平成のこの世でも国土面積の66%を保持している世界有数の森林大国である。地球上の人口爆発で森林が消失していき砂漠化が進む中で稀有な国ともいえよう。

地球上では約1万年前に始まったといえる「農業革命」すなわち「狩猟・採取」から「農耕・牧畜」への進化による、人口増加を契機に、森林の伐採が始まっていった。ここには「文明」を獲得するために、森林を破壊消費するという必然性があり、やがて緑豊かな土地の砂漠化が進んでいく。そしてそうして得た文明が、森林の消滅によってやがて砂と共に消え去るという皮肉な結果をもたらした。そして民族間あるいは他民族との血で血を洗う略奪と侵略の歴史は世界史を飾っていく。
そして砂漠化した中東アジアの一角に、根を等しくする三つの宗教が誕生する。すなわち「キリスト教・ユダヤ教それにイスラム教」などの一神教。同根でありながら「導き人」の予言者を異にし、相互へだたりを深め、相克しあっている。 しかしいずれも「砂漠の思想」であり、排他的色彩が濃い。例えばキリスト教などはキリストの教え<汝人を殺すことなかれ!隣人を愛せよ!>などはどこ吹く風で、歴史上新旧キリスト教同士、あるいは他神教との戦争など殺戮の歴史を見れば一神教の欺瞞性と過激性を語るに事欠かない。

日本には、始めにそこに森と結び付いた文化・宗教観があってこそ森の保持が出来たということもあり。温暖な森林地帯は温和な多神教(八百万の神)を生み、過酷な砂漠地帯では、峻烈な一神教が生まれた。森羅万象に神を見、事に応じ時に際して神に祈り、他国の神との共生を果たしていく、この神という概念の柔軟さ、悪く言えば節操のなさが日本人の特性であろうか。
何事も和をもって尊しとなす、として全てを丸く収める指向性も、自然に恵まれた農耕民族の狩猟民族にはない特性であろうか。


日本人の起源より
古代日本を俯瞰してみると、日本古代史は隣国中国古代史と繋がっている。中国史は複数民族の存在による民族興亡史でもある。今の中国領土の大きさはEU(欧州連合)と大体同じ大きさであり、そこには複数民族がいたし、今も複数民族で構成されている。中国古代史もこの民族の戦いだった。この民族戦争で負けた方の民族が日本に逃れてきたことが、近年の考古学の調査で分かってきた。(参照)日本人の起源
余談ではあるが私は仕事上中国産の漆を扱っているので、アジアで発掘された遺跡から出土された最古の漆器あるいは日本で発掘された漆で彩色された縄文土器や漆器などを文献で見てきたが、中国産漆と日本産のとはDNAも違うことが分かっている。右は北海道で出土した縄文晩期の丹塗り(朱漆、ベンガラのようにも見える)で塗り上げた土器である。


さて1973年・1978年の発掘調査で発見された中国浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)は紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。またそこの稲はジャポニカ米であり、その原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。
中流域の屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化が移植されている。黄河流域の人々により征服された結果と考えられる。ここに住んでいた民族は苗族(ミャオ族)で、台湾の先住民でもあり、弥生時代に海を渡って日本に来ることになる。

長江の民・苗族の一方は、雲南省などの奥地に追いつめられ、その子孫は今では中国の少数民族となっているが、「その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたようだ。」と報告されている。この苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されている。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行われているという。
河姆渡遺跡が滅亡した時期に日本へ苗族が最初に渡り、日本の岡山県・朝寝鼻貝塚(紀元前4000年)に水田を作り、そこから米の化石が出たことに通じ、長江中流領の馬橋文化は約4千年前から2千7百年前であり、その後、苗族が日本に渡ってきた二陣目が、日本の菜畑遺跡、紀元前700年の水田跡に繋がる。その間の文化も侵略を受けて、徐々に日本に移民したように思われる。ここまでの文明は文字を持たないために記録がないが、縄文人と弥生人との見事な融和が作り出したハイブリットな文明は以後日本文明の礎を築いていくのである。

2011年10月8日土曜日

米国デモの意味

We are the 99%.(われわれ普通の人間こそ、この社会の99%の成員だ)

今世界金融の中心地、米ニューヨーク・マンハッタンのウォール街周辺で経済格差の拡大に抗議する若者らのデモは700人以上が逮捕された翌日の2日も続き、1500人以上が集会に参加した。行き過ぎた市場主義に異を唱える運動はボストンやシカゴ、西海岸ロサンゼルスなど全米各地に拡大中で、海外に飛び火する可能性も浮上している。
抗議運動はインターネットの会員制交流サイト・フェイスブックや簡易ブログ・ツイッターなどを通じて賛同者を増やしている。
ボストンでは、バンク・オブ・アメリカ前で約1000人が抗議、24人が逮捕された。共同通信によると、ロサンゼルスでは数百人が市庁舎近くに集まり、経済政策の恩恵を受けているのは人口の1%にすぎないとして「我々が99%だ」と書かれたポスターを手に大通りを練り歩いた。サンフランシスコ、シアトルなどでも抗議運動が行われたという。
デモを展開する抗議団体のウェブサイトによると、デモ計画は全米50州のうち44州の計115都市で進行中。抗議団体はフェイスブックなどを通じて、東京やロンドンなど海外でも同様の抗議行動を繰り広げるよう呼びかけている。

かつて日本に帰化したビル.トッテンが著した「アングロサクソンは人間を不幸にする」に言及していた資本主義の極みアメリカ。すなわちひとにぎりの金融やそれに関連した支配層の富めるものは益々富み、持たざる者はますます貧乏になる資本主義というシステムは、中間層さえ貧困に追いやった。
周知のように資本主義はイギリスから生まれ、産業革命を経て弱肉強食の色合いを深めて、やがてアメリカが世界に浸透させていったものであるが。その体制を作り出したルーツは、トッテンも言っているように北方のバイキングだったゲルマン人が、イギリスを征服したことに端を発している。いわゆるのちに世界を凌駕するアングロサクソンの始祖である。このゲルマン人が大移動をした後に、彼らの収奪の歴史がヨーロッパを形成していった。

デモの原動力は貧困の中にいる若者たちや没落した中間層である。今アメリカで起こっていることは、アメリカの体制に追随している明日の日本の姿かもしれない。今年になって多発している世界的な独裁国家転覆のデモとは様子が違うが、基本的には高い失業率と生活困窮を訴える構造は同じで、特に多いのが借金まみれの自己破産者である。
アメリカは産業の空洞化後金融立国を掲げて金融帝国の推進が戦略であったが、リーマンショックでそれは頓挫した。様々な金融商品の欠陥が明らかになり、政府がその尻拭いに追われた。その為に今度はドルや米国債の信用にも問題が起きてきた。
米国政府が国債発行などできる債務上限額は法律で14.3兆ドルと定めら、それを超える勢いからいよいよアメリカ経済は火の車となり、日本にTPPをせっついてきた。
ドル安が進行する限り円高は止められない。またアメリカ型の市場原理主義は日本にはそぐわない。ビル.トッテンの言葉を借りれば日本人を不幸にするシステムでもある。
オール・オア・ナッシングの資本主義の行動原理から、今やアメリカは金持ちと貧乏人の2極分化が深く進行している。貧乏人にも夢を持たせたサブプライムローンは所詮金融機関に踊らされた政府と米国民のあだ花に終わった。
今回の運動は、いわば金融界が米政界を支配する米国の「金融界独裁体制」をやめさせようとする真の意味での「民主化運動」である。米国は、金融界や軍産複合体による談合体制である2大政党制(2党独裁体制)で縛られ、真の民主化がかなり難しい国だ。
米国が標榜し、世界に広めようとする民主主義とは一部特権支配階級の利益を追求し、それを実現させるための方便であり、その欺瞞性が米国民の手で世界に明らかにされたのが今回のデモである。

2011年10月3日月曜日

歴史の皮肉

アメリカの対日戦略
32代米国大統領F.ルーズベルト

1929年に起きた世界大恐慌後、かのニューディール政策でアメリカ経済をどん底から立て直した第32代アメリカ大統領のフランクリン.ルーズベルトは、第二次世界大戦中日系人の強制収容を行うなど日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたことでも知られ、大戦中は常に強硬な対日姿勢を取った一方でソ連に対して友好的な立場をとった大統領であった。
彼は日本の降伏を早めるために駐ソ大使を介してスターリンに対日参戦を提案した。そしてスターリンは武器の提供と南樺太と千島列島の領有を要求したのだが、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を促した。また、この時の武器提供合意はマイルポスト合意といい、翌45年に米国は、中立国だったソ連の船を使って日本海を抜け、ウラジオストクに80万トンの武器弾薬を陸揚げした。

その後ヤルタ会談においてルーズベルトは、ドイツ降伏後も当分の継続が予想された対日戦を早期に終結させるため、スターリンに対し、千島列島、南樺太のソ連への割譲を条件にドイツ降伏後3ヶ月以内の対日参戦を要求した。その一方でスターリンの日本領土分譲要求をほぼ丸呑みする形となり、戦後の東西冷戦を招く要因を作ったとも言われる。(ウィクリークスより抜粋)

そしてアメリカの統合戦争計画委員会は図のような日本列島分割占領案(公文書公開)を示していたが、ルーズベルトはこれを承認する直前、心臓発作で急死した。この時この案が承認されていたら、わが国もドイツや朝鮮のような分断国家が誕生していたが、ここで日本の命運が後を引き継いだ副大統領のトルーマンの出現で、運命の糸が紡ぎ直されることになった。トルーマンはソ連に対してはルーズベルトとは正反対の反ソ連派であり、ソ連が日本統治に加わることには反対であった。

33代米国大統領 H.Sトルーマン

その後ドイツが降伏、8月には日本が降伏して第二次世界大戦が終結する目前の死であったが、戦争に勝てないと判断した日本政府は、7月12日、ソ連にいる日本大使宛に、ソ連に和平の仲介を頼むよう打電した。その暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされた。ポツダム会談前の合同会議で、日本はすでに壊滅状態で、原爆を使う必要はなく、警告すれば十分。との結論を出したが、しかしトルーマンはそれを無視した。トルーマンは、7月17日にソ連のスターリンと事前打ち合わせをした際、かねてより頼んでいた通り、ソ連が8月15日に対日参戦することを確認した。ところがトルーマンは、7月21日に原爆実験成功の詳しい報告を受け取り、その威力のすさまじさを知ると態度を一変させた。東欧問題などで、ソ連に対し断固とした態度を示すようになった。

1945年4月の時点で原子爆弾の完成予定を知っていたトルーマンは、核の力でソ連を抑止できるという考えがあった。日本への原子爆弾投下命令はポツダム宣言発表の一日前の7月25日に行われ、日本の返事を待つどころか降伏勧告を出す前に投下命令を出した事になる。共和党の大物の面々が日本への原爆使用に反対していたこともあって、トルーマンは投下決定を共和党側には伏せたまま、先にスターリンに知らせた。共和党や共和党系と見なされていた将軍たちに原爆投下決定が伝えられたのは投下の2日前であり、これは「反対を怖れるあまり自国の議員よりも先にソ連に知らせた」と共和党側をさらに激怒させた。
この原爆の日本への使用については、後に共和党大統領となるアイゼンハワーなどが猛反対しており、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)は全員が反対意見を具申している。アイゼンハワーに至ってはスティムソン陸軍長官に対し「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(1963年の回想録)と何度も激しく抗議していた。日本がソ連への仲介を依頼していた事を無視し、異議を認めず強引に原爆投下を命令したトルーマンはアメリカ国内でも対日和平派・共和党側に強硬な批判を受けた。しかし原爆の圧倒的な威力を漁夫の利を得ようとしていたソ連にまざまざと見せつけたトルーマンのとった戦略は、ソ連の関与を排除し分割案をホゴにした。
そして天皇を通して統治した方が簡易であるという重光葵外相の主張を受け入れ、最終案では日本政府を通じた間接統治の方針に変更した。日本は国家が消滅したわけではなく、主権を制限された傀儡国家の状態であった。
日本が戦後目覚しい復興を遂げられ、経済大国になったのも、分断なき国家が、たとえ傀儡とはいえ幸か不幸か存在していたから出来たことであり、今更ながらそこに歴史の皮肉を見るのである。

大戦後の中国
蒋介石と毛沢東
 トルーマンはルーズベルトが大きな支持を与え親密な関係を保っていた中華民国の蒋介石との折り合いが悪く、後に蒋介石率いる中国国民党への支援を事実上断ち切った。その結果、ソ連の支持を受けていた毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し、1949年に中華人民共和国が設立され、蒋介石は台湾に遷都することとなった。
この台湾国民党政府を、アメリカ並びに日本は一貫して支持し、蒋介石は日本との連合、友好を深め保とうとしたため、台湾政府は、日本に賠償請求権を放棄すると表明した。
これに対して毛沢東政府も追随して賠償請求権を放棄した。
このことは中国人に最も顕著である行動原理すなわち<面子>である。台湾が既に放棄しているのに、巨大な大陸政府がセコセコと小国日本に賠償を求めることがみっともないといったプライドが起因していることと、毛沢東自身の言葉「日本人がつくり残してくれた経済、今日で言うインフラが整備された満洲という巨大なものがある、これがあるから蒋介石と戦うのに何の困難もない。」と満洲を賠償として残したとの認識があった。終戦後の日本はゼロからの出発をしなければならない時に、膨大な賠償の足かせをまぬがれたことは、戦後のドイツなどを見れば不幸中の幸いでもあり、中国が二つに分裂したことによる日本の幸運。これもまた歴史の皮肉であろう。

2011年9月28日水曜日

アートな話「横浜トリエンナーレ2011」



横浜美術館で開催中の 横浜トリエンナーレ2011に足を運んだ。この美術展の名称はイタリア語で3年に1度開かれる美術展のことで世界中で開かれているものである。日本のナショナルプロジェクトとして、世界の優れたアートを国内外に発信することを目的に、2001年から始まった。
今年で10年目、第4回目の開催であるが、内外60人以上の現代アーチストの作品を日本で、あるいは日本から発信するこの美術展は、映像メディアを駆使した作品から近代絵画やコブト織りのような歴史的作品や、あるいは展示の多くを占めるインスタレーションアートまで制作年代も素材も異なる多種多様な作品群で構成されている。

(注)インスタレーション
インスタレーション (Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成することもあれば(ビデオ・インスタレーション)、音響などを用いて空間を構成する(サウンド・インスタレーション)こともある。
 空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。最初はおもに彫刻作品の展示方法の工夫や、ランドアート・環境芸術の制作、パフォーマンスアートの演出に対する試行錯誤から誕生したが、次第に彫刻などの枠組みから離れ、独自の傾向を見せるようになったため独立した表現手法として扱われるようになった。  (ウィキペディア)

コンセプチュアルアートあり、シュールあり、古今東西の名画ありで美術館自体がアート曼荼羅のルツボの様相を呈している。もっともこの展覧会のタイトルは「OUR MAGIC HOURー世界はどこまで知ることができるのか?」ということで世界や日常の不思議(非日常)魔法のような力、神話、伝説、アニミズムなどを基調とした作品が目に付く。人類を進化させてきた科学や理性では解き明かせない領域に目を向けること、すなわちアートのイリュージョンの前に立たされた入場者は、個々の感性、解釈に身を委ねることになる。作品の前では鑑賞者は自由であることを自覚する。

21世紀になって、高度な科学技術の進歩により、インターネットなどのメディアは広がりを見せ、世界の隅々まで文字通りエクスプローラー(探究者)によって明らかにされてきたものの、我々を取り囲む世界は不思議が一杯である。
さて今回、トリエンナーレの会場は横浜美術館と日本郵船海岸通倉庫の2箇所だが、時間がないので倉庫の方は日を改めて観ることにした。迷宮の扉を開くと、インスタレーションの数々が展開を始める。特に目を引いたものを順次紹介すると、最初は私の好きなシュールなご両人、片や石田徹也とルネマグリットの作品が肩を並べ、新旧のシュールリアリズムを見た。

続いて横尾忠則の部屋<黒のY字路>もともと通俗的な作風の作家であるが、画家に変更後、持ち前の明彩色でY字路シリーズが際立っていたが、ここにきて一変どんよりとした陰鬱で冥府の入口のような作品が10数点、右を見ても、左を見ても暗くて混沌とした現代を暗示しているような作品群に圧倒された.Y字路は横尾が少年時代に脳裏に焼き付いた原風景を執拗に描いたものであるが、
前作は左右に分かれた道に選択の余地はあったはずだが、今回の作品は、右も左も闇の中に消え失せどちらも行き着くところは同じという絶望感さえ漂ってくる。
次の横尾の言葉はこの作品を物語っているのではないだろうか、、、?「見えないものを見えるように顕在化するのは美術の力であるが、ぼくは見えないものをわざと見えるようにする必要はない、見えないものは描く必要がないという考えに変ってきた。」




最後に目を引いた作品は、ライアン・ガンダー/Ryan GANDER「何かを描こうとしていていたまさにその時に私のテーブルからすべり床に落ちた一枚の紙」長ったらしいタイトルであるが、この部屋では床一面にガラス玉が散らばって置かれていて、背後に別の作家のシャボン玉の飛んでいる映像が、クローズアップされた状態で映し出されていた。
外見が同じように見えても、質量の違いは歴然としているのに、あたかも画面からシャボン玉がこぼれ落ちたかのようなイリュージョンを体験する。

現代アートが現代の状況を反映する鏡であるのなら、今の日本で起きた大震災を、何らかの形で表現する作家がいても良かったのではないかという思いがした。もっと日本からのメッセージを世界に発信してもらいたいものである。

会期:2011年8月6日(土)- 11月6日(日)
 会場:横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域

2011年9月16日金曜日

日本経済への警鐘


属国として米国債を買い支え、ドル防衛役を担い続けてきた日本の「マネー敗戦」構造を明らかにした吉川元忠元神奈川大学教授の遺作 国富消尽 (対米隷従のはてに)を読んでみた。「国富防衛」「対米自尊」の思想を説き続け,日本人に警鐘を鳴らした孤高の碩学・吉川元忠氏の遺作。


本編は7章からなっている。

1.着々と進む日本企業買収の環境整備
日本企業を傘下に支配し、利益を本国に吸い上げることしか眼中にない米国によるM&Aの危うさ。

2.外資によるM&Aの新時代
ヘッジファンド(乗っ取り屋)も格付会社も野放し状態。
金融面で米国が必ず勝てる制度を設計し、グローバルスタンダードと称して世界に押し付け、日本における市場開放と規制緩和や構造改革を迫る。

3.郵政民営化の真実
狙われる日本の個人金融資産
民営化ビジネスはウオール街の金のなる木、
全て外資に買収された破綻生保会社

4.深く静かに進む米国の日本改造
司法、医療、教育まで米国化されるのか

5.アメリカの対日圧力を振り返る
それは日米構造協議から始まった。
中曽根政権の対米協調制作がバブルの原因
富を創造出来なくなった米国の疫病神投資ファンド(ハゲタカファンド)

6.21世紀の日米金融バトル
日本はマネー敗戦の構造から抜け出せるのか、為替差損に構わずドルを支え続ける日本
日本の財政赤字を増やして円売りドル買いによる米国の赤字を埋める異常な構造
各国のドル離れが進行し、金融市場にドル暴落並びに米国債のデフォルトが囁かれているなかで日本だけがババを引かされる可能性が高い。

7.日本のポスト.グローバリズム戦略
日米基軸、対米協調以外の選択肢はないのか
対米依存度を低減すべき

最後に「集団主義的価値観が日本の強みとしてあったものが、精神構造までアメリカナイズ され、集団への一体感と忠誠心の喪失と帰属意識の希薄化が進む現状から立ち直るには、 米国的価値観への迎合から決別し、我々の父祖たちが築き上げてきた歴史と伝統の価値を再発見し、日本人が自信と誇りを取り戻す以外にない。」と締めくくっている。

米国国債
わが国の米国債保有状況

日米関係評論家・副島隆彦氏の試算では日本の対米ドル債権累積は官民にて総額700兆円から1000兆円規模(米国債およびドル建て金融商品含む)に達するようであるが、正確な実態は公表されないので不明である。
日本と並び、中国も大量の外貨準備金(3兆ドル規模)を保有しているが、対米輸出で得たこの豊富な米ドルで、世界中の油田利権や鉱山利権獲得に多額投資している。すなわち、第二次世界大戦戦勝国・中国は、手持ち米ドルを有効に活用している。
ところが、第二次世界大戦敗戦国・日本は今なお、米国の属国であり、日米間の暗黙の取り決めによって、手持ちドルを米国政府の了解なしに勝手に使えないよう縛られている。
その証拠に、日本のもつ米ドル資産(外貨準備金)は、財務省の公表している分だけで、1兆ドル強(1ドル80円で80兆円)もあるが、これほどのドル安でもこの米ドルが売られていない。それどころか、逆にドル買いオペをやって、米ドル相場の暴落を阻止しているほどである。

したがって、日本の場合、実質的に、国富が一方的に日本から米国に垂れ流され続けるわけである。皮肉なことに、日本の対米ドル債権が膨らめば膨らむほど、日本は米ドル相場を維持するために、米ドルの買い支えを永遠に続けざるを得ないわけだ。一方、米国は膨大な対日負債を返済しないよう、日本を永久に属国化し続ける。

円高が止まらない

今、足もとで急速に進む円高が、わが国企業の収益状況に大きな影響を与えている。
8月下旬に行なわれた経済産業省の調査結果では、現在の1ドル=76円近辺の円高水準によって、大手製造業の15%が前年対比20%以上の減益になり、それ以外の61%の企業が20%未満の減益になるという。それに対して、多くの企業はコスト削減で対応するとの方針を立てているものの、コストの切り詰めには限界があり、今後、海外からの部品調達や、海外の生産拠点拡大を行なわざるを得ない構図が浮き彫りになる。

産業の空洞化・雇用機会の海外流出の懸念を抱えているのは、わが国ばかりではない。ある意味では、人件費が相対的に高い主要先進国が共通に持つ課題と言えるだろう。
2009年度の内閣府の統計ではGDPに占める第1次産業(農業、漁業など)のシェアは1.4%で横ばい。第2次産業は、建設業のシェアが上昇したものの、製造業のシェアが低下したことから、23.8%となり5年連続の低下。第3次産業は、、卸売・小売業などのシェアが低下したものの、サービス業などのシェアが上昇したことから、74.9%となり5年連続の上昇。

この製造業に関わる問題点をあげてみると、以下の理由から工場の海外移転が進んでいる。

1. 人件費は世界一高い。コストダウンも限界を超えつつある
2. 法人税率も40%で世界一
3. 改正労働者派遣法などで人材・雇用の柔軟性が失われた
4. 為替は史上最高レベルの円高
5. 土地の使用や工場の建設などの規制がきつい
6. 国内市場は衰退の一途、人口構成から見ても回復の見込みがない
7. 電力供給に赤信号、使用制限令が発動されている

中規模以上の企業は海外展開が今一番の課題になっている。特に製造業は、その傾向が顕著である。現在、日本の製造業の生産は約30%が海外に進出している。10年前には20%程度だったものが、ここ10年で海外進出がどんどん進んでいることが分かる。このままでは今後、ますます産業の空洞化が広がっていくだろう。
技術大国として世界を引っ張って行かなければならない我が国、またその使命を担った製造業にとって上述したことは由々しき問題であると同時に、日本経済の牽引力でもある工業力を弱めてはならない。

2011年9月11日日曜日

賞味期限、消費期限

Windows7

最近使用しているノートパソコンの調子が悪くなり、新しいものに取り変えた。2000年から始めたPCであるが、window98、XP、VISTA、7と足掛け4台乗り換えたわけであるが、その都度の設定もめんどくさいものである。互換性のないソフトの入れ直し、バックアップデータの引越しやその他諸々の作業等々やることは多い。なにやらwindows8なるものも来年出るようだが、いい加減にしてもらいたい気分だ。タッチパネル方式はアップルに任せればいいと思うのだが。

PCの消費期限(寿命)もそんなに長くはないが、今回のVISTAは4年でパンクしてしまった。PCの修理も3~4万かかるので、値下がりの著しいPCを購入したほうがより良いスペックの機種が選べるので、この際私とカミさんのPCも各々別に2台買い換えても15万でお釣りが来た。いずれも愛用の東芝ダイナブックであるが、XPの時は18万で購入した記憶があるが、現在のPC市場は飽和気味で上級クラスでもかなり安くなっている。日本の場合PCの普及率が60%台と以外と低い。この際カミさんにVISTAを修理してもらって使ってもらうつもりだったが5万そこそこで買えた。

 さて我が家にも消費期限の迫っている92才の親父が約1名いる。(笑い)
日頃から健康に留意し、健啖家であるから我々と同じものを食べている。自分のことは棚に上げ、口癖はカンズメに至るまで賞味期限、賞味期限とうるさい。人間は死に向かって自身の肉体を含めあらゆるものを消費していく。ここでいう賞味期限とは食品が美味しく食べられる期間のことで、食べてどうのこうのというものではなく、安全性が云々されるのは消費期限である。足腰が不自由になっている以外は至って健康で、定期健診のデータは私よりいいので、まだまだ長生きしそうである。

民主党の消費期限
野田内閣
複数政党の寄り合い所帯が明白になった民主党代表選、民主党の代表選は、結局のところ親小沢か、反小沢を軸に決まったようなもので、野田内閣の顔ぶれを見るとライト級ではあるが、両陣営ほどよく配分された感がある。政権交代以後、党の綱領亡き民主党の迷走がはじまり、鳩山,菅、野田と安倍内閣以降1年の消費期限内閣が連綿と続く。極左グループから、旧社会党、中道、自民からの離脱組を抱え、野合の衆の民主党は政治公約の全面見直し、4年間は上げないといった消費税増税、その他を反古にした。新しい代表を選んで挙党一致を叫んでも、重要課題に望む原則が曖昧では、また迷走がはじまりかねない。果たして野田内閣の消費期限は?
参議院の権力が大きいことも禍して衆参の「ねじれ」が付きまとうこの国の政治構造の中で、今後民主党が政権を続けても自民党に政権交代をしても両党とも「ねじれ」を解消するのは容易ではない。国民が選挙で作る権力は常に非力で、これは官僚権力にとって望ましい状況である。
各省庁の官僚はその道のエキスパートで1~2年の大臣とはキャリアが違う、彼らを使いこなすことが菅内閣では出来なかったし、信頼関係もなかった。
日本には律令制以来官僚機構の運営については千年以上の歴史と蓄積があるが、それが今日の日本を築いてきたことも否定できない。

戦後の日本は政治も経済もアメリカの指示通り動かされてきた、いわばアメリカの隷国である。特に日本の歴代首相は親米以外生き残れない、田中角栄はアメリカを無視して中国と国交を回復したリ、アメリカメジャー抜きの中東原油輸入を企てたりして、虎の尾を踏んだためにCIAの仕組んだロッキード事件で失脚させられた。自民党の保守本流の中枢を歩んできた小沢一郎も親分田中の辛酸を見てきた。そのためアメリカの恐ろしさを知ってか、1989年のバブル期に経済で日本に足元をすくわれたアメリカが日米構造協議なるものを開き、我が国に露骨な要求をしてきた、それを容認したのが小沢一郎で、それ以降年次改革要望書なるものが毎年アメリカから突きつけらる道筋を作ってしまった。
周知のように米国の要求は日本型システムそのものを構造問題として糾弾し、自国のシステムをグローバルスタンダードと称して日本に押し付ける内政干渉であって、政府は唯々諾々と受け入れてきたが、それが年次改革要望書を介して、以後日本を米国型に構造改革するための要求が際限なく突きつけられてきた。
そんな小沢もそろそろ消費期限が近づいている。民主党内の左翼に毒されたのか中国に議員団を引き連れたり、選挙に勝つためには地域労働組合の自冶労や日教祖と手を組んだりして不可解な動きが目に付く。混迷する今の政治を見渡すとため息の出ることばかりだ。

2011年8月17日水曜日

原爆の日

広島       長崎

  原発事故の収束の目処が立たないまま、日本は66回目の広島・長崎の原爆の日を迎えた。被爆国の日本が、なぜここまで原発依存症におちいったかについて、われわれはよく理解できていない。低コストでCO2を出さない安全なエネルギーとして国内に55基ほどの原発を作り続け、産業界もそれなしには生産が成り立たないとして政官一体となって原発を推進してきた。
しかし、原子爆弾が後にもたらす放射能被曝の恐ろしさを身をもって知る国として、今回の原発事故への対応には疑問符が残る。
後から次々に出てくる汚染地域の拡大や、汚染の広がった牛や農作物、海産物への対応に追われている政府を見ていると、広島長崎の教訓が生かされていないようだ。

広島や長崎で原子爆弾が爆発した際、その爆風と熱、そして爆発の際に飛び散った放射線によって、多くの人命が失われた。しかし、その後、キノコ雲から広い地域に降り注いだ放射性物質によって、何キロ、あるいは何十キロにもわたって多くの人が低線量被曝や内部被曝をしている。今の福島の状況も同じでそれ以上といわれている。
現在でも原爆被爆症の認定を困難にさせているのは原爆を投下したアメリカが、原爆の爆風や放射能を直接浴びた近距離初期放射線による外部被曝者のみを原爆の影響の及ぶ範囲と定義し、遠距離の低線量被曝や内部被曝の影響は無視していることに由来する。
広範囲に広がる低線量被曝や内部被曝も考慮に入れなければならなくなると、原爆の一般市民への影響はあまりにも大きくなり、その使用が国際法上も人道上も正当化できなくなるアメリカのスタンスに我が国が追随しているからだ。
結果的に原爆の爆発後、キノコ雲から広範囲に降り注いだ放射性物質によって爆心から遠く離れた場所で被曝した人や、原爆が投下された後、救助などのために広島や長崎に入り被曝した人たちは、調査の対象ともなっていないため、実態も把握できていない。
これと似たことが今、原発を推進してきた国の原発に対する正当性維持のため、国は被爆の詳細実態を民間がやるほど熱心に調査をしていないことにも現れている。

たとえ原発が効率的に電力を供給する手段であったとしても、一旦事故が起きれば、これだけ広範囲に深刻な被害をもたらす原発は、やはり非人道的なものと断じざるをえないだろう。 様々な戦略上の判断から日本に原爆を投下した米国において、ルーズベルト大統領に原爆開発を進言する書簡を出したアインシュタインは、のちにそのことを後世にわたり我が身の恥としたという。
  
元々原爆の副産物だった原子力発電についても、1950から60年代にかけて、科学はこれを無限の可能性を秘めた夢のエネルギーと位置づけ、世界中で熱心に研究・開発が進められた。しかし、度重なる事故で原発が当初考えられていたほどいいものではないことがわかったあとも、日本を含む一部の政府はこれを推進し続けた。
そして、そこには利権構造に裏打ちされた政治に利用された御用学者の後押しがあった。そして原子力という魔物は今日まで息づいてきた.おそらくこれからも地球上から無くならないだろう。この魔物に魅せられた支配者がいる限り。

 今回の福島の原発事故は社会にとって重要な情報を提供する科学者と政治家の責任は大きい。問題になっている政府の被害の過少評価と徹底した汚染調査をやらないことは、民間の調査機関の活発な調査とは裏腹に、政府負担の膨大な補償を恐れての意図が読み取れる。
エネルギーは国を動かす血液であり、国の存続がかかったキーワードである。脱原発が叫ばれている中、それは急には唐突に変更できないだろう。時間をかけて廃炉にしていくことと次世代エネルギーの早急な開発が望まれる。

今年も終戦記念日の8月がやってきた。開戦当時、国の重要物資(石油の輸入量の78%,鉄鋼類の輸入量の70%,工作機械類の輸入量の66%)をアメリカに頼っていた我が国がアメリカによってその輸出を止められたことに端を発し、列強の経済ブロックにも阻まれ、身動きが取れないままアメリカによって仕掛けられた戦争に開戦を決意せざるを得なくなった歴史を振り返ると、開戦を決定づけたエネルギーは今も国の根幹にかかわるものであり、海洋国家である日本が現在大半の石油を輸入している中東からのシーレーンや日本近海のシーレーンも、中国に脅かされつつある現況では、この生命線を守ることが国の命題であろう。このことは国家の運命と国民の命に関わってくるということでもある。