2011年6月7日火曜日

魑魅魍魎の政界

やっと国民の手で政権交代を実現したと思っていたら、内部の主導権争いの果てに菅・仙谷グループが、不毛な小沢切りに暴走した事から民主党はおかしくなった。今回の大震災後の無為無策と情報操作により、国民からも民主党内部と野党からも内閣不信任をたたきつけられた管内閣。いまや民主党は政権奪取からわずか2年で崩壊の憂き目にあっている。


すでに衆院議員16人が会派からの離脱を表明し、1人が正式に離党を宣言しており、統一地方選を控えた県議、市議は雪崩を打って公認を返上しはじめている事は周知の事実である。民主党は参院選、衆院補欠選に続いて地方選でも連戦連敗。地方首長選では候補者を擁立できず不戦敗が増えた。

誰もが菅内閣に見切りをつけ、民主党の崩壊を覚悟しはじめている状況である。小沢という柱を失ったら、民主党が機能不全に陥ることは最初から分かっていたことだが、結局、不毛な「小沢排除」は党内に亀裂を走らせ、弱体化させただけで、自民党や霞が関、財界といった旧勢力を喜ばせただけである。

民主党政権が短期間で危機に陥った背景は、鳩山の巨談症的錯雑の失政と金権腐敗の小沢の驕り、そして彼らの政治的・道義的責任を隠蔽する民主党の体質に対する国民の嫌悪感、外交音痴の無謀な政権運営によって国益が大きく毀損されたことや、「予算の裏づけがない美辞麗句を連ねただけのマニュフェスト詐欺」の化けの皮がはがれたことである。


今回の反主流派から出された内閣不信任案も、大勢は可決の方向に向いていたが、間際になって支持母体の連合の古賀会長からの要請で、民主党をつぶすなとの一声で、鳩山が管に猫の鈴をつける役に回ったことが知られている。
その結果、鳩山は「菅首相から辞任の約束を取り付けた」と言って、急遽不信任案に反対する側に回ったため、不信任案が否決されることになった。

その時小沢は鳩山に口約束だけで担保は取ったかと質したら、代議士会で確認をとると言い、その場で役者が一枚上の管の辞任表明を聞かされ気持ちが萎えてしまい、どんでん返しが起きてしまった。その約束は以下の通り

、(1)民主党を壊さない(2)自民党政権に逆戻りさせない(3)復興基本法案の成立と2次補正の早期編成のめどをつける。

菅と鳩山が取り交わした誓約書においては「原発事故と震災復興に目処が立ったとき」という抽象的表現であるから、解釈をめぐって言った言わないの押し問答の揚句に、希代のペテン師(オバマをしてトラストミーと大見栄を切ってペテン師と呟いたそうな)にペテン師と呼ばれている漫画の様な光景が広がり、我々は唖然として見ているだけだった。
菅直人と鳩山由紀夫が誓約書以外にいかなる口頭約束したのかは不明であるが、勝手読みと妄想癖が顕著な鳩山であるから、本人の陳述要旨が事実か否かは不明である。しかし、鳩山由紀夫が小沢軍団の謀反を抑えこみ、「菅総理が夏のはるか前に総辞職する」と公表したことは万人が知っている。

いっぽう奇妙なセレモニーも報道を通じて流れている。ここ3年ほど仇敵関係にあった小沢一郎と渡部恒三が「合同誕生会」で手を握り合って両者薄笑いを浮かべている。誕生会を企画したのは、これまで反小沢の筆頭で凌雲会会長前原誠司前外相と小沢組若頭山岡賢次民主党副代表である。誕生会に参加したのは鳩山由紀夫ら民主党国会議員160人。

誕生会に出席したのは小沢軍団や鳩山派・羽田派らの保守だけでなく中間派も多数いたという。今回、前原誠司は「渡部・小沢合同誕生会」を企画・立案し成功させた。反小沢の旗を投げ捨て「菅内閣打倒の軍旗」の下にはせ参じたのである

仙石由人代表代行(官房副長官)は自民党副総裁と連携して「菅降ろし」を画策しているとみられている。彼らの一致した見解は「菅政権は持たない」ということであるが、目下、菅内閣総辞職後の主導権をどちらが握るかという点が最大の争点となっている。

主流派も反主流派も相互に雪崩打ってゴジャゴジャのちゃんこ鍋状態だ。さりとて管直人はしぶとくいつまでも鍋に残る灰汁のようにつまみだせない。

去り際を潔く幕を引くのが高潔な政治家の美学であろうに、品性は顔に出る。

2011年5月20日金曜日

国が乱れる兆候




「立てば国難、座れば人災、歩く姿は風評被害」 詠み人知らず。




評論家伊藤肇のベストセラー「現代の帝王学」の中に、中国漢代の学者荀悦の著述《申鑑》を引用している箇所がある。古代中国を知ることは日本を知ることと、私は思っているので、この部分を現在の政治状況と照らし合わせてご紹介してみよう。

説明を追加

後漢末の「申鑑」の中に「国に重い病気が4つある。」として、「四患」を論じている。

第一に「偽」。

 国家、国政に嘘が多くなる。

選挙などはその例であろう。小沢幹事長が政府に文句をいったように、公約が簡単に反故にされる事態。尖閣諸島問題、大震災後の原発事故後の正確な情報を国民に流さないことなど。嘘とわかるようなウソをつくところに管首相の器量が分かるというものだ。

今、福島原発の1号機が初期の段階でメルトダウン(炉心溶解)を起こしていることが判明したが、2号3号機もすでに同じ状態が続いていることが懸念されている。メルトダウンの事実を東電も首相も当初から知っていたのではないかと疑いをもたれている。みんなの党の渡辺代表は「今度の大震災の菅首相の危機管理の対応について危機を過小評価しすぎたため、それを正当化するため不都合な事実が起こるたびに情報を隠蔽し、国際的な風評被害を生んだのは万死に値する。」と述べている。
第二に「私」。

 国家、社会という公を忘れ、皆が私利私欲に走り出す。政治の悪性は政治家とその取り巻きが私利私欲に走ることである。

5月2日に成立した1次補正は4兆円規模にすぎず、本格的な復旧・復興費用は復興の根幹である2次補正に計上することになっていた。
だが、菅直人首相は16日の衆院予算委員会で「拙速にすぎるのは復興事業にとって気をつけないといけない」と答弁し、2次補正の提出は8月のお盆休み以降に臨時国会を開いて先送りする考えを示した。相変わらずの内閣延命作戦だ。この期に及んで被災者・被災地対応を放置することは断じて許されないだろう。それよりも内閣改造での政権浮揚を考えることで頭の中がいっぱいらしい。
西岡参議院議長

すべて大事な事案を先送りする管内閣に業を煮やした西岡参議院議長も立場も考えずに止むに止まれず首相の退陣を求めて19日付の読売新聞に寄稿している。
特に西岡氏は、震災発生以来の首相の対応について、首相としての責務を放棄し続けて来たと批判し、必死さも、決意も、術もなく、今おやめにならなければ原発事故がもたらす重大な課題も解決できないと強調している。


自民党の谷垣総裁は、東日本大震災復興に向けた 2011年度第2次補正予算案を提出せず、今国会を6月22日の会期末に閉じる場合には 内閣不信任案を提出する意向を表明した。与党内にも小沢をはじめとする反管グループもその動きを見せている。
自公民との復興の連携を図ったがそれも自らの人徳のなさで頓挫してしまった。すべて自己保身の目論見が透けて見え、大連立を延命の道具に使う意図を見抜かれてしまったからだ。


第三に「放」。


法律を無視した「放埓」が幅を利かす。

鳩山に続き普天間の解決策を潰し、問題を先送りにしていることはこのことに当るだろう。理解もしないで解決策を否定することは、それまでの努力を無に帰することになる。重大緊急事態に対処する重要事項を審議する安全保障会議も開かずに、10万人の自衛隊員の出動を命じたり、浜岡原発の緊急記者会見や、その他重要案件を法制化せずに思いつきで発令したり、これといった災害対策法案も出せないまま独断先行の采配をふるっている。誰が言ったか知らないが、鳩山は最低の首相、管は最悪の首相とは言い得て妙である.これほどやめろコールが鳴りやまない人望の無い首相も珍しい。先に外国人の献金で辞任した前原外相に続いて同じ案件が発覚し、辞任に追い込まれるところを運よく大震災の発生で難を逃れた管はこれで2年は続けられるとつぶやいたとも言われている。



第四に「奢」。


実力もないのに贅沢だけを覚える。

日本人はいったん走り出すと不幸なことが起こるまで彼らは止まらない。国策とはいえ原発推進の御旗のもと政官民一体となり、脆弱な地震列島の上に54基の原発を作り、全電力の35%の供給を原子力に委ね、利便性を享受している我々国民。電力コストを考えれば原子力だが、コストは安全性に変えられない。浜岡の2次堤防が出来るまでの2年間の停止要請など気休めに過ぎない。直下型の活断層の激震が来れば施設はズタズタになることは専門家の間で多く言われていることだ。

以上この4つの病気で国は衰退していく。


被災地の産業の復旧では、農業なら耕作時期、漁業なら漁期などに間に合うよう地域ごとに迅速に対応する必要があり、中央での多くの会議の結論待ちでは復興の機会を失ってしまうだろう。ひたすら、復旧・復興のスピードアップを図るべき時にお盆休みを過ぎて2次補正を出すとは被災者をないがしろにするものだ。

ポスト管が見当たらない今、裸の王様は益々権勢を振る。まことに民主党政権の責任は重い。いつの間にか我々は問題を先送りする内閣は、政権能力がないことに気づかされた。

2011年5月12日木曜日

アートな話「平塚美術館」



■画家たちの20歳の原点


池田満寿夫「橋のある風景」

先日平塚市にある平塚美術館に行った。明治・大正・昭和から現代まで様々な新旧の54人の画家たちの約120点の20歳
前後の絵を集めている「画家たちの二十歳の原点」という企画展で、併設で北大路魯山人展もやっていた。

全国の美術館から集めた作品の中には、今回の震災で持ち込めなかった東北の美術館所蔵の作品が写真で展示していた。「二十歳の原点」の企画展は、青木繁、坂本繁二郎、など明治の大御所から始まり、大正から昭和へと、それぞれの時代の空気を投影しながら、どれも「若々しい」真摯な姿勢が感じられる作品が出品されていた。それぞれの思いを込め20歳前後の多感な時期に漠然とした未来に対する不安と希望の入り混じった青春時代がそこに繰り広がっていた。後に明るい色調になる何人かの作家たちは、一様にその色調は暗く重かった。中には池田満寿夫の作品とともに両親にあてた、切々とした手紙が印象に残った。

草間弥生「flower」 靉嘔「クレーンと人」

草間弥生の「Flower」(1953)は、初期のころからもうすでに水玉模様。粘着質の作風が際立つ。対称的なのはレインボウカラーの夭折作家靉嘔 の無機的な作品「クレーンと人」が彼の作品とはだれも想像できない過去のモニュメントだ。




石田徹也「燃料補給のような食事」
そして、石田徹也の「燃料補給のような食事」。31歳の若さで交通事故で亡くなった石井徹也の絵はシュールリアリズムに通じるインパクトをはらんでいる。現代社会が生み出す精神的な抑圧感や日常の中に潜んでいる怖さ危うさなどの負のイメージを鏡のように鮮やかに浮き上がらせる。この作家の作品には石田自身の自画像と思わせる人物が必ず登場するのが特徴だ。石田徹也のような典型的な夭折の画家はもとより、長い活動に生きた芸術家たちもまた、この時期の作品に創作の核となる初々しくも痛切な感性のほとばしりに満ちていた展覧会であった

●会期は6月12日まで


北大路魯山人展

食に対するたぐいまれな美意識と料理を盛りつける器までを自ら手がけた北大路魯山人。展示された作品はほとんど食器であり、それ以外の器は好んで作ろうとしない。食通でもある彼は最後に肝臓ジストマという寄生虫による肝硬変でこの世を去った。食通らしい最期である。
芸術家は短命か長生きかの2様が多いが、彼の場合77歳で死去したのであるから長命の方で味道を追求した揚句の最期で、魯山人らしい生き様死に様であろうか。

魯山人は京都府生まれ。16歳から書や篆刻(てんこく)で名を知られた。美術骨董(こっとう)店「大雅堂美術店」を経営し、38歳で同店2階に高級料理店「美食倶楽部」を開設した。自作の器で料理を振る舞いたいと考えた魯山人は、40歳を過ぎて本格的な作陶活動を始め、古陶磁の研究を基にした織部焼や志野焼の新たな創造など独自のセンスで世に作品を発表してきた。いずれもそのルーツは桃山時代に端を発した瀬戸と美濃窯である。個人的には織部のグリーンの色調はあまり好きではないが、しっとりとした志野焼きの絵付けの作品がしっくりくるし、料理の邪魔をしないと感じた。
  ●会期は6月19日まで

2011年5月9日月曜日

見えない敵




人類の歴史は未知の脅威に怯え続けてきた歴史でもある。そしてそれら脅威に対する戦いは今もやむことはない。善と悪があるように、見えない敵は無くなることは無い。細菌、ウィルス、テロリスト、そして放射能.... ゆえに共存していくしかないのが定めである。

病原体

細菌もウイルスも病原体で人間に悪さをするものだが、細菌は分類上は植物に属する単細胞生物で、人間や他に生物に入り込み細胞分裂で増殖する。つい最近起きた焼き肉チェーン店の大腸菌O111で4人の死者が出たのもこれで、おまけに交配を重ねた雑配種の福島産の和牛である。
病原菌の場合は抗生物質などを使う必要があり、大きさは1~5ミクロン程度と極小、それ以下もあり、今までに確認されている細菌はコレラ菌などを含めてナント1000種類を超え、実は、「バクテリア」と呼ばれているものもはギリシア語からきた日本で言う「細菌」のことである。 これとは別に我々がお世話になっている細菌もある。日本酒、そしてパンを造るのに働いてくれる酵母は真菌(しんきん、カビとも言っている)



さらにそれより怖いのが超極小のウイルスで、大きく違う点は自らが細胞体


ではないこと、DNAと、それを包む殻だけからなる超極小の微粒子で電子顕微鏡でしか目視できない代物だ。こいつはおなじみのインフルエンザや、昨今増加が著しいエイズなど、生物の細胞に寄生し生きた細胞内でのみ増殖するというから恐ろしい。誰もがこいつにお世話になりたいとは思っていない。 (写真はインフルエンザウイルス)

テロリスト
つい最近9.11の同時多発テロの首謀者、オサマビンラディンが米軍の特殊部隊によって殺害され、アメリカ人の多くは浮かれているが、彼らテロリストは航空機の次は列車転覆を計画していたことが分かった。アルカイーダの分子は世界中に拡散しており、アメリカと関係の深い日本も例外ではないだろう。
いやアメリカの原子力発電所を標的にされたらえらいことになるという関係者もいる。アメリカのテロとの戦いは終わるどころか、果てしなく続くだろう。 別の情報では、9.11の首謀者がアメリカの陰謀で、彼を殺したのはアメリカにとって都合の悪いことを喋られなように、口封じをしたとも言っているが、事実は依然闇の中である。分からぬように水葬にしたのも解せないが、なぜかネットでは彼の死に顔が流出している。

放射能



巷では何ミリシーベルトうんぬんと騒いでいるが、これは外部被曝のことで、放射線を1時間あるいは1日当たりいくら浴びているかの話で、実際の脅威は放射性物質を体内にどのくらい取り込んだかという問題になる。

肥田俊太郎/鎌仲ひとみ、共著『内部被曝の脅威』(ちくま新書)で詳細が書かれているので、一部を抜粋するとすると以下の通りである。
細胞の約6兆分の1の気の遠くなるような微粒子(α(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマ)線)を人体に浴びた場合、極度にミクロの世界のことでそれらが細胞を破壊するメカニズムは十分解明されていない。(写真は浜岡原発、放射性廃棄物)

人間の新陳代謝活動は、酸素や水素、窒素などの分子が行う化学反応によって維持される。その時のエネルギーの単位は「電子ボルト」である。これに対して放射線分子の持つエネルギーは、なんとその100万倍にあたる「メガ電子ボルト」という単位で表される。体内・細胞内に侵入した異端分子である放射線分子は、体に必要な分子の100万倍のエネルギーで暴れまわる。この暴れん坊将軍が新陳代謝の中に割り込んで掻きまわすことで、体に重大な障害をもたらすのだ。体内で放出される放射線量がどんなに微量であっても、この膨大なエネルギーの力で細胞は傷つき、破壊されることになる。大本営が「“ただちに”健康への影響はない」と発表しているが、「絶対に健康への影響はない」と断言しないのはこのためである。

しかし内部被曝のメカニズムでもっと恐ろしいことは、長時間に渡って低線量放射線を浴びる方が、高線量放射線を瞬間的に浴びるよりも、たやすく細胞膜が破壊される、ということである。つまり、少量の内部被曝は、外部被曝や中量の内部被曝よりも危険な場合があるということだ。
体内に取り込まれた放射性物質は放射線を放ち続け、細胞を破壊し傷つける。

話題に上るヨウ素131は甲状腺へ濃縮され、許容範囲の数百倍、数千倍に膨れ上がる。セシウム137は骨、肝臓、腎臓、肺、筋肉に濃縮される。ストロンチウム90は主に骨に濃縮される。こうして生みの親である人類に容赦なく襲い掛かる。

 核兵器の開発、原発の建設、劣化ウラン弾の拡散は、人類を確実にヒバクシャへと誘う。そのほとんどが内部被曝によるものである。すでに、全世界において、内部被曝による被曝者の数は1000万人に達するといわれている。それは、チェルノブイリの被曝者であり、湾岸戦争、イラク戦争において劣化ウラン弾で被曝したイラクやアフガニスタンの人々であり、そこへ参戦した帰還米兵であり、世界に広がる原発から漏洩する微小線量で被曝した地域住民であり、ウランを採掘し処理する人々であり、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、における被曝者たちである。福島原発の事故によって首都圏で観察された“微量”の放射線量を考えるならば、被爆者の数は増えることはあっても減ることはない。

2011年4月20日水曜日

原発の不条理

ギリシャ神話に登場するシジフォスは神々に尖った山の頂に岩をころがして上げるよう刑罰に課せられ、上げても上げても岩は下に転げ落ちる。ひとたび山頂にまで達すると、 岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。 無益で希望のない労働ほど怖しい懲罰はないと神々が考えたのは、 もっともなことであった。
これが人間が置かれた現実でもある。理性的に考えれば無意味なことを、シジフォスと同じように人間は生きるために必死でやらなければならないのだ。人間が生きているこの世界は実は、こうした不条理なものに満ちている.フランスの作家アルベールカミュの著書「シジフォスの神話」のくだりである。現在の福島原発で起きている事態、放水しては溜まった汚染水を安全な場所に運ばなければならない作業が果てしなく続く不条理。

榎本聡明顧問

東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発について、東電の榎本聡明(としあき)顧問が毎日新聞のインタビューに答え、「原子炉を冷却し、廃炉に不可欠な核燃料の取り出しに着手するまでに約10年かかるとの見通しを明らかにする一方、放射性物質を残したまま埋めてしまうことはない。チェルノブイリ原発のように燃料ごとコンクリートで埋める「石棺方式」は取らないことを強調した。」

一方で東電の勝俣恒久会長は1~4号機を廃炉にする方針を明らかにしているが、通常の廃炉までの必要年数は20~30年かかるとされている。

 また榎本顧問は1~3号機で続いている原子炉への注水作業について「水を注入するほかない。燃料がこれ以上溶解するのを食い止めたい」と説明。本来の冷却システム「残留熱除去系」の復旧には少なくとも1カ月かかるとの見通しを示した。予備の冷却システム増設も併せて進め、原子炉内が「冷温停止」と呼ばれる安定な状態になるまでには数カ月かかると述べた。

放射能漏れにつながっている汚染水の問題については、放射線量を放流できるレベルまで落とす浄化設備を今月中に着工。数カ月後をめどに、放射性物質を原子炉建屋内に閉じ込める対策も並行して進めると述べた。周辺自治体に対する避難・屋内退避指示の解除などは、この段階が検討開始の目安になるとみられる。

廃炉への課題として榎本顧問は(1)原子炉建屋が損傷しており、まず放射性物質の拡散を防ぐ対策が必要(2)1~3号機の燃料棒が推定で25~70%損傷しているため、従来の方法では取り出せない、と指摘。燃料の回収装置を新たに開発し、燃料回収を始めるまでに10年はかかると述べた。

 そんな折、政府からの要請で東電から福島原発事故の収束工程表が示されたが、6~9カ月かかって2ステップの工程を完了させるというものだ。具体的には原子炉を安全な「冷温停止状態」とし、原子炉建屋をカバーなどで遮蔽することを当面の目標と位置付けた。
しかし当面「数カ月をめど」とする見通しは最も楽観的なもので、格納容器が壊れていない1、3号機は爆発などが無いかぎりそれもありうるかもしれないが、格納容器の下部が水素爆発で損傷している2号機は格納容器内に水がある限り高放射能汚染水の垂れ流しは終わらない。3つの原子炉に合わせて1日500トンの水を注入し続けているので、数カ月で現在以上の汚染水を抱え込むことは間違いない。2号機の破損部を修復するために格納容器の水を抜くには、内側にある原子炉圧力容器が健全であって冷却系を回復する必要があるが、2号機で原子炉圧力容器の底抜けの可能性が高い場合、それも難しい。

英紙ガーディアン(電子版)によると「福島原発の原子炉を開発した米ゼネラル・エレクトリック(GE)社で福島原発建設時に同型炉の安全性の研究責任者を務めた専門家は、少なくとも溶融した燃料が圧力容器から『溶岩のように』漏れ、格納容器の底にたまっているようだと説明」したと言っている。この認識は当事者の東電より事態を深刻に受け止めている様子がうかがえる。

2号機の状態は毎日、真水を注ぎ込んで溶融した核燃料から高放射性物質を洗い出しているのと同じで、その漏出箇所には人間は近寄れない。、なお原子炉内の高放射性物質の漏出は1割以下でまだ放出量は数%に止まるが、2号機からは最悪の場合、何割もの放射能が環境に出ることも考えなければならない。東電・技術系の考えている「楽観的見通し」が外れる可能性がある現在、何が起きてどう対処するか最悪の場合の対応策も考えておかなければ国民への責任が果たせないし、日本の技術力への失望はさらに世界に広がるであろう。

現在、この福島原発事故の影響で、日本経済において食品の輸入制限から工業製品のすべての放射能検査の強制などを含め、日本製品は世界から疑心暗鬼の風評被害にあっている。
このような状況下で、一国の首相がなぜ世界に向かって日本製品の安全性を声を大にして発信しないのか出来ないのか、国民ははがゆく感じているところだ。

その一方、静岡県御前崎にある中部電力浜岡原発は、来るべき東海地震では活断層の真上に立っている最も危険な原発で、直下型地震によって今後30年以内に福島以上の悪夢が取りざたされているところである。ここも北米プレート、ユーラシアプレート、フィリッピン海プレートが重なった境界線上にある。西風が多い御前崎近辺からは一極集中の首都圏が災害の射程距離に入る。
原発震災」なる言葉を生み出し、当ブログでもご紹介した地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。


 「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)

今後行政機関の地方分散化も視野に入れた政策を考えないと、日本という国の存亡にかかってくる。今後の国の取り組みを注視していきたい。
●原発技術者菊池洋一氏が訴える浜岡の危険性(動画

2011年4月9日土曜日

2011年

日産自動車 いわき市
東日本大震災によってその地域に生産拠点を置く企業体の生産設備や社会資本などが破壊され損傷し、多くの企業の生産力が予想以上に落ち込んでいる。他方では放射線物質による汚染
を懸念しての風評被害が、生き残った農業や漁業にも甚大な影を落としている。


東北地方の生産の停滞で深刻と考えられているのは、電子部品や情報関連、自動車などの中間財の生産である。電子部品や情報関連については、東北地方は近年、工場を積極的に誘致することで、生産シェアを高めてきた。

電子機器の統計によると電子部品・デバイス・電子回路の東北6県の出荷額のシェアは12.3%、情報通信機械の東北6県の出荷額のシェアは14.4%を占めている(2009年)。東北6県のうち、岩手、宮城、福島の被害は甚大で生産がストップし、これらの県の工場からの部品供給によって生産している他地域の工場の生産も止めざるを得ない状態となっている。自動車部品に関しては、供給が途絶えたことによりアメリカや多くの海外メーカーも減産を余儀なくされている。

鹿島コンビナート

当面、こうした状態が続くと考えられるが、メーカーの間では、復旧を急ぐとともに東北の工場で生産していた部品の生産を他地域に移管するなど、着実に対応を進めており、おそらく数か月以内にはかなり態勢が整っていくと思われる。半導体や電子部品のメーカーが過去に九州地区に偏在したために東北地方に工場を分散させた経緯があったものの、今回の被害が鹿島コンビナートまで及んでいる状況下では、石油化学製品や紙、インキの供給不足も続いている。
計画停電の打撃なども重なってモノの供給不足は幅広い業種に広がっているのが現状で、電力制約が長期にわたって続く事も考えればこの状況は少なくとも震災後1年程度は続くだろう。

我々個人の生活においても今回の計画停電には辟易としたが、利便性の上に成り立っている電力依存型社会のもろさと危うさを再認識した次第である。


一方で震災後の復興のための投資は、企業の設備投資、住宅投資、社会資本に対する投資やインフラ整備で生じる需要の増加は、低迷する経済にとってプラスの材料になるが、これも余震や原発問題が収束すれば、復興に取り組むことができる環境が徐々に整って可能になる話であるが、復興までの道のりは険しく長い。それだけ今回の地震の被害はおおきかった。

阪神大震災時は復興資金は10年間で総額16兆円が投入されたが、今回の復興資金は最低その2倍は必要とされている。

政治のリーダー無き多様性の時代2011年は、わが国にとって試練の年であり、また社会の価値観が変わる分岐点でもあるだろう。

2011年4月5日火曜日

アートな話「色について」

◆ 無彩色の世界
                     

                               雪舟の水墨画「秋景山水図 」

前回まで色の3原色(赤、青、黄色)にまつわる話の続きとして、今回は色相や彩度とは異なる明度という属性を持った黒の話である。

その黒の対極にあるのが白で、明度の階層によって白からグレーそして黒へと、目に感じる波長帯の光の大半を反射してしまう白から、ほとんどの光を吸収する黒へと無段階に変化するグレーゾーンが中間にある。

絵画上この黒を無限に駆使したものに水墨画がある。水墨画は、中国の唐 で始まり宋代に完成され、日本にはそれが伝えられて、鎌倉時代から室町時代にかけて発達し,雪舟が日本的な水墨画を完成したと言われている。

水墨画は、主に禅宗の僧によって描かれるのは墨一色の無彩色の世界が禅の境地に通じるからだと言われているが、しかし、墨はたんなる黒一色ではなく、そこにはさまざまな世界が表現されている。 ハツボク(破墨)」は淡墨で描いた上に、さらに濃墨で手を入れて立体感や全体の趣などを表す技法で、雪舟の「山水図」が「破墨山水」ともいわれている。

 
中国の「墨に五彩あり」という言葉は、墨がかもし出す豊かな表情を端的に表現している。墨は薄められると無限の階調を生み、そこに「にじみ」や「かすれ」の技巧によって、無限の表情が現れてくる。室町時代の人々が好んだのは、その墨の表情であり、単色の黒そのものではなかった。そして中国で水墨画を学んだ雪舟によって日本の水墨画が完成された。

水墨画を最も特徴づけているのは,いうまでもなく筆一本で表現する墨の色に尽きる。その表わす明暗濃淡が深く人の心に働きかけ,幽玄の世界に誘う。
滲み(にじみ)は,東洋絵画の主材料である水絵の具と,染み込みやすい紙(又は絹布)の特性から生まれてくる。滲みは元々,粗壁に生じた染みシミ(むらむら)を見た古人が,その偶然がもたらした装飾性や象徴性に感じ入り,芸術心を刺激されたといわれている。そこに,人の作為の及ばない人工を超えた幽玄・神秘を感じる発想がみられ、滲みと技術的に近い関係のある「暈しボカシ」の濃色が淡色へと変化させていく技法も,古く奈良や平安の仏画や大和絵にみられる。

滲みが普通,水で濡らした画面に濃い墨を加え,その墨が次第に淡くなって広がっていくのを言うのに,その逆にまず濃い墨で描いて,それが乾かないうちに水分をたらす。そうすると,水分は濃い墨の周囲を押し広げて,中央は淡く周囲が次第に濃くなっていくという複雑な効果が得られるのがにじみの逆のたらし込みの技法となる。


さて現代絵画において、黒を鮮やかに表現した作家に吉原治良がいる。前衛美術集団「具体美術協会」のリーダーで戦後抽象絵画を引っ張ってきた吉原は、抽象絵画の草創期に活躍した作家であるが、写真は1970年に発表された白い円のシリーズの1つである。2つの対角位置にある色の違い、すなわち白と黒の極限のコントラストが、その明快で微妙なバランスで表現されている。ある意味で色相間の補色のコントラストよりも、白と黒の様な無彩色のコントラストの方が私の眼には強烈に映る。




桃皿 風の落とし物 吉川創雲


◆ 漆黒 

もう一つ忘れてはならない黒がある。私が日常塗っている漆の黒である。いわゆる漆黒(しっこく)
と呼ばれるものである。漆の黒は精製の過程で、中塗用(黒中)、上塗り用(呂色漆)と大きく分けられるが。通常の塗料、絵の具などと違い顔料を混ぜて作るのではなく、漆の原液に微細な鉄粉を1%混入し、4~5日寝かせると鉄に反応した漆は黒くなっていく。その後ナヤシという工程を2時間程経て均一の黒漆が出来上がるわけだが、黒は色漆の下地となるベーシックな色でもあるが、上塗りに使用する呂色漆は、塗りあがってから研いで上質の漆で摺りを重ね、仕上がった黒は非常に奥行きのある深い黒色を発するまさに漆黒と呼ばれる所以である。
漆の黒はどんな塗料にも出せない味わいがあり、日本の伝統的な漆文化の基軸である。