2009年8月20日木曜日

アートな話 「イメージの発露」


いい絵というものは、小説において豊かに情景を思い浮かべることができるものが評価されるように、目で見ながら目で見えないイメージをふんだんに含んでいるものだと思う。たとえば音、風、動き、温度、湿度、などの自然環境や時間、思い出、そこで暮らす人々の営み、精神、内面の葛藤などである。左の絵はアメリカの作家アンドリューワイエスの「クリスティーナの世界」で具象絵画の典型であり、右の絵はロシアの作家で抽象絵画の元祖カンジンスキーの「ゆるやかな変奏曲」である。

端的に言うと 具象表現は、おもに光と影でこれらのイメージを「もの-対象」を通して間接的に表現していく手法であり、抽象表現は、色や形でイメージや精神性を直接的に表現する手法である。
造形における創作の契機となるイメージにおいて、言葉に先立つものが純粋イメージで、それは能動的で突然やってくるひらめきにも似たオリジナルなものであり、アプリオリ(先験的)な要素をはらんでいる。それに対して経験イメージは、能動的に自らが発想する創造的なイメージである。イメージとは本来人間の思考経路に存在するものであるから、実態を有するものではない。湧き出たイメージを視覚化することによって、イメージの不確実性を補うものが我々がよく行うところのイメージのスケッチや覚書である。

造形表現の様相を大別すると、客観的な自然物認識を契機とする具象表現がある、一方,主観的イメージを契機とする抽象表現の二つの形式を上げることが出来る。

花一つとってみても花を支える茎や葉は生命力という動かしがたい自然の条理によって、構造的法則性を有していることを我々は知る。このような自然物から視覚的に吸収した経験的知識は、「具象的認識」としてイメージに蓄積されていく。つまり具象というのは、表現されたものが具体的に何かを表している表現形式である。

他方、抽象は事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。一方、抽象というのは、色や形で表されたものが具体的な「もの」を表していない表現形式である。そのため抽象は自然事物のエッセンスを抽出し、それに付随した余分で関係の希薄な部分を捨象し、一つの認識を再構築することに集約される。しかし具象と抽象の間をクロスオーバーする絵画も多い。いわば音楽でいう変調のようなもので、そこで具象か抽象かを論じても意味のないことだろう。一般的には半具象と呼ばれているものである。
そもそも具象という概念は、20世紀に自然の現実の形態を再現しない抽象芸術が現れた際に、対抗して従来の再現的な表現を総括するために使用されだした概念である。
造形作業の過程でしばしば体験するデフォルマシオン(変形、歪形)は、造形芸術において、一般的には自然界に与えられている標準的な規範を変更することを意味している。それは意図するしないにかかわらず、再現されたものとその原型との相違を表す言葉として使用される。あらゆる創造的な要求は、常に自然界の単なる写し取りではなく、何らかの解釈である以上、表現に付きまとうものである。デフォルマシオンはいわば具象から抽象への橋渡しのようなものである。

2009年8月17日月曜日

終戦記念日


8月15日は「終戦記念日」である。 1945(昭和20)年のこの日、日本のポツダム宣言受諾により、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終了した。   内務省の発表によれば、 戦死者約230万人、 空襲による死者約80万人であった。  


明治維新という近代化革命に奇跡的な成功を収めた日本は、日清、日露の両大戦の成果に奢り高ぶり、中国大陸への侵略の後、満州国設立を認めない国際連盟からの脱退、その後日独伊の三国同盟を経て第2次世界大戦に突き進み、1945年8月惨澹たる状況の中でこの日を迎えた。敗戦後、日本は、もう二度と戦争は嫌だという、生き残った人々の強烈な平和への共通意識が、あの焼け野原から多くの困難を乗りこえて、やがて高度経済成長を経て今日の繁栄を築いてきた。

戦争を知らない我々戦後世代は、残された映像でしかその悲惨さを垣間見ることしかできない。終戦記念日のたびに涙を流す親父世代の戦争体験者たちの心の叫びを感じることは、このような特別な日をもって知らされるのである。私の親父の所属していた南方方面部隊はトラック島、ポンペイ島を経てクサイ島で終戦を迎えたが、前線で戦う部隊ではなく情報通信部隊の将校として戦線に出たが、切迫した砲弾の脅威にはさらされることがあまりなかったらしい。米軍に補給路を断たれ、当時飢えには苦しんだもののたいていの生き物は食したと言っている。それでも周りでは餓死するものや自殺する者が大勢いたという。


国内では広島や長崎の原爆はもとより、各地におきた空襲による被害は甚大で、神戸にいた私の母親などは焼夷弾の雨を潜り抜け、戦後舞鶴に復員してきた親父と近所のよしみで一緒になったわけだが、母親の父親が米穀商で親父の父親が宮大工で父親同士が釣り仲間だった縁で結婚したとのちに母親に聞かされた。
戦後60年を過ぎ、平和を謳歌してきた日本であるが、今一度平和の意味をかみしめ、国が誤った方向に進まぬように国民一人一人が国の方向を注意深く見る必要がある。

2009年8月11日火曜日

マニフェストのメニュー


民主党のマニフェストを吟味し様子をうかがって最後に出した自民党のマニフェストも出揃い、いよいよ選挙戦が始まった。投票する国民サイドから見れば、判断基準が明確に示されるわけであるから、寄る辺ない選挙公約(マニフェスト)が明文化されることは政党の主張を明確に理解できて望ましいことであるが、選挙を意識して両者とも美味しいことを書いている。




まず自民党のマニフェストは安心,活力、責任の3つがキーワードとなっており、これらキーワードの元に、多くの政策メニューが並べられている。個々の項目の良し悪しを論じられているが、政党として日本が直面する構造問題解決のための改革の指針は伺えるが、改革のスピードが鈍いため、それら公約が迅速に実現するようなメカニズムが自民党の中で働いているのか疑問視される。現在の政治と経済の閉塞感から国民に政権交代の機運が高まったことは否めない。まさに改革は待ったなしである。860兆円の負債残高を野放しにしてきた、自民党のあと始末を次世代、孫世代に託すことは許されないことである。その自民党は経済政策については先ず経済成長のための戦略を示し、経済全体のパイを増やしてからそれを分配することを想定しているが、示している経済政策の多くは、今までの政策の延長線上にあるものが多く、従来とあまり変わらない。





民主党のマニフェストの経済政策については、今後も世界経済の低迷が続く経済状況を想定し、直接給付によって家計部門の可処分所得を増やし、個人消費を盛り上げることで国内の経済活動を活性化する財源を一般会計や特別会計から捻出することが言われているが容易ではないだろう。助成の対象者に直接支給する形になっているのが自民党と違うところで、自民党政権だと、中間団体に助成金を流すことにより、官僚の天下り先と自民の集票組織がセットされた形での予算の組み方をしており、民主党はその流れを断ち切ろうとしているようだ。

民主党のマニフェストでは政府の無駄を省いて、その分を子育て、教育、年金、医療に振り向ける、また行政権限をできるものは中央から地方へ移し、地方主権を確立するなど、国民には耳障りのいい資源配分の組み換えを目指しており、自民党政権下ではなかなか実現しなかった政策を掲げて業界団体、族議員、霞ヶ関の三角形を壊すことで実現しようとするものである。民主党は政権を取ればマニフェスト実現のために、予算の大幅な組み換えに取り組むことになるが、財源をどう確保するのかという根源的な問いには、無駄を省くという回答しかないので、やってみないと分からないというクエッションマークがつくが、まずはお手並み拝見と言ったところだろう。




自民党と民主党のマニフェストで示された経済政策は、どちらも小泉構造改革の否定を出発点に成り立っており、小泉内閣の行った改革が、行き過ぎであって、地方、中小企業、個人の間に経済格差が拡大し、経済的、社会的に大きなひずみが生まれてしまったとの認識が両党ともあり、その上で、小泉改革から脱却し、その是正を図ることを目指す経済政策を打ち出してきたと言える。いみじくも小泉首相がマニフェストに関して、「この程度の約束を守らないことは大した事じゃない。」と答弁したような項目の羅列は払い下げ願いたいものである。
緊急避難的な両党のマニフェストから明確な日本の未来像が見えてこないと感じるのは、私だけではないだろう。近い将来の日本をどうするかは概ねわかるが、日本という国の未来をどうするのか、戦略的な視点に立って政権を取った政党は国民に示す責任があると思う。

2009年8月6日木曜日

横浜たそがれ


人口367万人 3位の大阪市に90万人の差をつけ日本第2位の都市横浜。横浜市の財政状況は一般会計:1兆4千億円前後と特別会計:1兆8千億円前後合計3兆3千億円程度であるが現在借入金が5兆円ほどある。前の保守系市長3期十二年のつけを引き継ぎ、中田氏が市長になって1兆円の負債が減った。この点については彼の業績を認める人も多い。


中田市長の辞表を受けて横浜市長選は、次期衆院選と同じ8月30日投開票になる見通しとなった。中田市長は、首長連携で政治パワーを市政の課題だった財政の健全化に目途がたったことや、今秋に東京都杉並区の山田宏区長らと設立を目指す新たな政治団体「『よい国つくろう!』日本国民会議の活動に専念していくことなどが辞任を決意した理由となっているが、大阪府の橋下徹知事らと連携して進める「首長連合」を中心に、新党結成も視野に入れている。
記者会見で中田氏は、「市営バスや水道事業の黒字化などを達成し、1兆円の負債を減らすことができた」と実績を強調し、「それらが一段落した」と述べた。また、「市長選挙を総選挙と同じ日に行なうことで10億円の経費節減ができる」とも言っている。今後については、市長の後継指名はしないことや、8月の衆院選には出馬しないなどと、公言している。


一方、市議会からは、裏切られたとの声も出ている。中田市長は、現在開催中の横浜開港150周年記念行事が一段落したことも理由に挙げているが、その柱となる「開国博Y150」の有料入場者数は、目標の500万人に対して現在63万人となっており達成は難しく、失敗とささやかれている。また、中田氏は女性問題で訴訟を2件かかえており、「市職員の心が市長から離れている」と語る幹部もいるほどだ。
しかし、衆議院選挙と同時の市長選挙をどうするのか。候補擁立にも時間がない。中田市長は「いつかは国政復帰」と考えたのかもしれないが、この時期に任期途中で放り出す理由としては説得力がない。上記の理由は自分の都合で辞めたとしか思えない。

2009年7月31日金曜日

自然の脅威


毎年梅雨末期におきる九州、中国地方の土砂災害は多くの被害を出しているが、最近起きた集中豪雨による被害は甚大であった。いわば日本列島の気候の亜熱帯化による、高温多雨の傾向が年々顕著になってきて、エルニーニョ現象が追い打ちをかけいまだ梅雨前線が日本列島がら離れずに停滞していて、まだ予断を許さない状況が続いている。

災害の多くは大雨の土砂災害による家屋倒壊や浸水である。地山の地盤のもろさや樹木伐採などの複合的な原因が考えられるが、改めて水の恐ろしさを感じた。最近起きた北海道大雪山系トムラウシ山での登山者たちの大量遭難事故も記憶に新しい。気象条件の悪化も遠因に考えられているが、夏山特有の気軽さもあって、ツアー気分で多少の登山経験者たちが装備も不十分なまま山に入る無防備さに警鐘を鳴らしている。10人の中高年の犠牲者たちのほとんどが冬山並みの気候の変化に耐え切れず、雨による低体温症での凍死や脳梗塞で犠牲になったことが報じられている。
今回の事故で筆者の頭をよぎるのは、生れてはじめて登山と言うものを体験した大学2年の9月の槍ヶ岳登山であった。当初上高地のお花畑あたりを散策するつもりで、軽装で(着替え下着と雨具)と友人から借りた登山靴をはいて、上高地をうろうろしていたら京都から来た2~3人の学生グループと仲良くなり、目の前にそびえる槍ヶ岳を指差しこれから登るので一緒に行こうと誘われ、最初は躊躇して断ったのだが、だいじょうぶ、だいじょうぶと声をかけられ、怖いもの知らずで後をついていった。一般的には3000m級の登山は十分な訓練と体力の蓄積に立って臨むものであるらしいが、若気の至りで思いつきで無謀なことをやったものである。

ルートは上高地からの槍沢コースで,天候も申し分なかったので槍ヶ岳山荘に晩飯までには着くというので追随した。前半は比較的なだらかな槍沢を歩き途中、雪渓の残るところでウイスキーのポケット瓶を手渡され、雪渓の雪でオンザロックをすすめられ飲んだ味が未だに忘れられない思い出であるが、やがて傾斜がきつくなるにしたがい、歩調も鈍くなり休む回数も増えた。山荘が見えたところから山荘に着くまでが非常にきつく、みんなに励まされながらやっと着いたのは6時頃で、8時間以上登ってきたわけである。山荘での一夜は朝まで眠れず、高山病の1種であることが後日分かった。翌朝頂上まで100m位しかないところの登坂が、急勾配で10m進んでは休むの繰り返しで非常に苦しく、今思えば若かったこともあり、無理が効いたのだと思うが、あの苦しさを味わったため、もう登山はやめようと心に誓った。頂上に立った時は達成感と感動でそんな思いも吹っ飛んでしまったが、筆者にとって以後登山は槍が初めてで槍が最後の山となった。


山の天候は変わりやすいのはよく言われているが、海の天候も侮れない。特に低気圧の動向には職漁船、遊漁船とも神経を使っている。特に釣船は船長の判断で船が出ないことも多いし、場合によっては釣り場から早々と引き返すこともよくある。特に小型のプレジャーボートは危ない。板子一枚下は地獄の世界である。数年前の今頃の季節に、筆者が魚の彫刻を教えていた弟子が所有している4人乗りのモーターボートで、何回か東京湾で釣りをしたことがあるが、身の危険を感じたことが1度あってから、小型船舶には乗らないことにしている。仲間がいると気が大きくなり多少の波はもろともせず内房に向けて出たのはいいが、東京湾の中の瀬あたりで風が強くなり波が船にかぶってびしょびしょになり戦意喪失のまま、波の比較的穏やかな根岸湾にもどった。それもヨットハーバーのぎりぎり出船O.Kの指示で出港したわけであるが。海難事故の死亡の多くは季節を問わず、救命道具をつけていても今回の事故と同じように溺死より低体温症による死因が多い。
遠征釣りなどの船の場合サンダル履きの乗船は保険が適用されないので、マリンブーツが義務付けられている。今回の山の遭難事故も海における船長の役目と同じような登山ガイドに負うところが多い。荒天の山を経験の浅いガイドの判断ミスで起こった今回の事故は、夏山を甘く見た事例であるが、あの時自分もたまたま運が良かっただけと思わずにはいられない。自然を甘く見るととんでもないことになるものである。

2009年7月24日金曜日

魚の旬


7月も後半になりいつもの寿司屋(鮨好)の親父から「新子が入ったよ。」と連絡が入った。もちろん九州ものである。今年はいつもの年より電話が入るのが遅いと思ったら,走りの新子は高くて手が出ないので少し日にちがたったところで仕入れたらしい。ちなみに今年の新子の初値はキロ7万円したそうだ。

新子とはコハダの稚魚でこの極小の魚体を3枚におろし酢でしめてシャリの上にまとめて載せたものである。こいつを食べると日本人に生まれてよかったとつくづく思う。写真の新子は柳刃でうろこを引き、各ヒレを取り去り5cmほどに3枚下ろししたもので、ほんのりと甘く切ない味がゆずの香りに乗って口の中にふわっとした歯ごたえで広がっていく。まさに職人技と親父の心意気を感じる一品である。


江戸前すしの元祖と言われるコハダは、出世魚としてシンコ・コハダ・ナカズミ・コノシロと4回も名前を替えて成長して行く。江戸前すしの世界では今でも最も大切な魚として扱われている。通常は1尾で2貫に付けるくらいの大きさのコハダを美味とし、ナカズミ・コノシロの大きさに成長したものは高級店では使用されないことになる。皮目が硬くなり、見た目の美しさも悪くなり、旨さも大味になるために敬遠されるのだ。

シンコはコハダの幼魚で、生後3ヶ月から4ヶ月ほどの大きさのものを言う。晩秋から冬場にかけての“旨さの旬”としての旨さとは全く一線を画した世界を持っている。私は江戸っ子ではないが、江戸っ子特有の初ものに対する好奇心と憬れは、季節の先取りである“走りの旬”としてのシンコを異常な程、殊更に愛でることになる。まだ数キロにしか満たない極少の漁獲量の初ものは、高級すし店と、熟達の腕を持つ一流の職人達と、お客さん達との見栄と意地と誇りの心意気を賭けての争奪戦となり、異常な相場の狂騰となる。江戸時代の、初鰹の世界で語られた“女房を質に入れても…”と言うほどの江戸っ子の熱い思い入れが、このシンコの世界には今でもまだしっかりと伝えられて来ている。
コノシロになると東京湾八景沖でも釣った記憶があるが、味は旨くなかった。コノシロは古来、武士階級は食べることを禁じられていた。「この城を食べる」事に通ずるとして、下克上すなわち謀反の思惑を抱いていると考えられたからで。しかし、このコノシロに自分の転機を見て取った武士が居た。それが江戸城を最初に開いた大田道灌である。道灌は、江ノ島の弁財天に御参りに行った帰り道で乗っていた船にコノシロが飛び込んでくるのを見て、これを道灌は「この城が手に入るという吉兆である」と捉え、江戸城を開いたそうだ。


一般的に、魚は寒い時期の方が脂が乗っていて美味いものが多いが、この時期うまい魚に東京湾のアナゴ、タコ、シャコ、マゴチ、黄アジがある。特にシャコは抱卵していて美味い。親父曰く「魚と女は子持ちが美味い」と. 近年水揚げが落ちているシャコも同じ網で捕れるシリヤケが漁を支えているらしい。シリヤケとはスミイカの仲間でスミイカよりも体色が薄く、少し味は落ちる。アナゴに関しては専門の仲買と契約しており、店で海水で4~5日泥はかせたアナゴの中から型のいいものを仕入れてくる。意外なことに冬場のアナゴの方が脂が乗っていて美味いと言う。いずれも羽田沖のモノが最高と親父は言う。
東京湾のタコは文句なしに美味い、甘みと切れのいい歯ごたえと風味は一級品である。昨年はタコの当たり年で、私も8杯釣った年でこれから8月が釣りの盛期を迎える。また東京湾走水のアジもサバも格別で、味を比べてみたが関アジ関サバより味は上と確信している。最近は昔のように大型は少なくなったが、30cm前後のものは味もよく1年を通してよく釣れており人気の釣りの一つでもある。

2009年7月14日火曜日

中国問題




中国問題 その1



 中国で治療を受けるには「前金を収めることが日常茶飯事になっている」という。地獄の沙汰も金次第で、貧乏人は治療を受けられない。今年5月に重慶で起きた兵士の死亡は、数時間で1万人超の市民の抗議運動に発展した。彼ら市民は元兵士の運命が「明日は我が身」と感じ自分達の問題として立ち上がった。人民解放軍兵士として四川大地震の救援活動に従事した元兵士(23歳)は、5月13日、建物の5階で清掃作業中、誤って転落した。重傷を負った元兵士は、重慶市内の解放軍324病院に搬送されたが病院側は前金の30万円を要求し、放置されたまま親族が金の工面に走りまわているうちにその兵士が死亡した事件である。

中国は92%の漢民族と残りの少数民族[チベット族、ウイグル族]で成り立っており、今回イタリアサミット直前にドタキャンした胡錦涛国家主席の行動は、中国の抱えている民族問題の根深さを現している。今回のウイグル族の暴動とは別に、中国の民衆による暴動は小さいものを含めると年間8万件を下らないと言われている。農民の暴動は「地方政府が耕作地を二束三文で強制収用し、収用した農地を宅地等に造成して民間企業等に転売、莫大な差益をふところに入れている」ことが原因であるという。共産党官僚の悪政に対する農民の「生きるか死ぬか」の切羽詰まった抵抗運動である。都市住民の大規模な抗議行動は、地方政府、公安警察など共産党官僚(公務員)の問題行動で被害を被った個人の抗議で始まる。これに同情し、共鳴する群衆が短時間のうちに結集し、数千人から数万人規模の抗議行動に発展する。大規模な抗議行動を鎮圧すべく出動した武装・公安警察の暴力的対応が「火に油をそそぎ」地方政府や公安庁舎を焼き打ちにしたこともあるほど民衆の怒りは過激だ。品性正しく節度のある日本人とは対照的である。逆にいえばそれほど民衆の怒りが沸点に達していないのか、切迫感が無いのか、ぬるい日本の政治状況がうかがえる。
  



中国問題その2
 



 中国のGDP(国民総生産)は世界2位の日本を追い抜く勢いである。しかし国民1人当たりのGDPは日本の343万円に対して、中国のそれは30万円と低い。 対米輸出や加工貿易による経済成長で潤った中国共産党北京政府は、過去十数年、年率2桁の軍事費増額を行ってきた。さらに空母建造を計画している。軍事費は増え、国民生活を支えるべき教育費や福祉予算は増えないか又は削減される。輸出と為替操作で稼いだ2兆ドルの外貨は、米国債の購入や金融商品への投資並びに、豪州・ロシア・ブラジル・アフリカ諸国等の資源を確保するための企業買収・投融資に充てている。医療や教育など国民の福祉には金が回ってこない。稼いだ金は軍事費と海外への資金流出で消える。

「国は栄え、民は滅びる」という王朝末期の症状が現れている。特に最近のアフリカへの投資はすさまじい勢いで増えている。中国は、外貨準備の約3割を国内資金需要に当てているが、ドル・元為替レートの維持のためドル買いは避けられない宿命になっており、アメリカに求められるまでもなく中国のドル買いは慢性化している。いわば働き虫の中国が溜め込んだ外貨はことごとくアメリカに吸い上げられ、ドル資産を増やし続けざるを得ず、そこにはまったく中国の選択の余地は無いのだ。中国もまたアメリカの経済奴隷でもある。
  






 中国問題その3




 「中国の知的財産権の侵害は際立っている。中国は関連法を改正し、外国企業の権利の剥奪と、中国企業の保護を一層強め、昨年の特許法改正などを成立させた。世界の知的財産権の侵害の8割は中国による。中国は他人の技術やアイデアの盗みやパクリは日常茶飯事。音楽も映画も、文学も小説も、その価値を認めたにも拘らず、それを生み出した元々の個人、組織、国家に著作権料などを支払う考えはない。知的財産権の侵害は、過去何十年にもわたる中国の常套手段である。その侵害の凄まじさは、個々の企業体の存続の危機を越えて国家の運命をも脅やかす。中国人の狡猾さを物語るエピソードがある。上海のレストランで食事をしていた日本人が数人いたところで、客の多くは中国人であったが、店内が急に停電になったところ、多くの中国人が停電になった暗闇にまぎれて雲散霧消してしまい、店の従業員が追っかけていったが、2~3分後電気がついたら、後に残っていたのは日本人のグループだけだったと言う笑い話もある。

また中国政府による強制認証制度と言うものがある。これはIT製品について、中国政府が審査、認証したものに限って、国内への輸入・出荷・販売を認める制度である。07年8月に導入方針を明らかにしたときは、日米欧が強く反対し、中国政府は一旦、導入を延期したがいま、再び同じ要求を突きつけている。これに対し、日米欧の産業界は、中国側への技術情報の流出を懸念して 「中国以外では例がない制度だ」と強く反発、再考を求めていたため中国政府は 実施を来年5月1日に1年延期し、適用範囲を政府調達に絞ると発表した。
中国のこの強気の姿勢は、今やアメリカに代わって台頭してきた巨大市場を有する国の傲慢さでもある。現段階では全容は明らかではないが、従来の主張から中国政府がICカードやコンピューターウイルスの侵入を防ぐソフトなどの設計図「ソースコード」の強制開示を狙っているのは容易に想像出来る。「ソースコード」とは、プログラミング言語で書いたソフトウエアの設計図のことで、知的財産の最も重要な部分だ。これを中国側に握られることは、知的財産の素である頭脳を乗っとられるようなものだ。中国はいとも簡単に、日本商品のコピーを作り始めるだろう。
厚顔無恥のこの種の要求を、しかし、日本が拒否した場合、家電製品をはじめとするさまざまな製品の対中出荷停止も予想される。影響は1兆円規模に及ぶとも見られている。金融危機以降の不況下、日本企業のみならず世界の企業は、中国市場への輸出に頼らざるを得ない状況がある。その点を見越しての狡猾な要求に対して、企業が個別に対処出来ることは少ない。中国の国家戦略に対抗するには、こちらも国家の総力をあげて臨まなくてはならない。だが、果たして、日本政府はまともにしたたかな中国政府とわたり合えるのか?東シナ海ガス田開発の問題も適当に、連中のペースに乗せられ、我が国もなめられたものだ。胡錦涛国家主席は、中国の軍事力は「平和」のためであると述べたが、それは、中国の意向を世界に受け入れさせる圧力としての軍事力に他ならないことを、アメリカから学んでいる。
戦後、軍事力を蔑ろにし、経済だけを考えてきた結果、すべての面で衰退しつつある日本。明らかにわが国には根本的な方向転換が求められているのではないだろうか?