2009年1月22日木曜日

魚と日本文化



釣り師にとって年の終わりと年の初めは,納竿、初釣りと毎年慣例になっていて、納竿はアマダイを4匹。初釣りはカワハギ18匹とまずまずのスタートであった。我々が普段お世話になっているサカナは、古来日本人と深い関係にあり、神話に出てくる魚は神々の供物として珍重された。海とともに歴史を歩んできた日本文化の中に、サカナと人間とのかかわりを見出すことが出来る。

◎画像は国芳の「てっぽふづ」 現在の築地卸売市場の北側付近で、今では墨田川に面しているこの   場所は当時江戸湾奥の有名な釣り場であった。画面では馬鹿が3人描かれている。左には佃島が浮かんでいるが画面では見えない。

魚と言う字は古代はウヲ、イヲと読んだが、サカナの語源は「酒菜」で,もともと飯の副食物類をナと言い、その代表が食物の菜であった。酒を飲むのに、添えて食べる酒の肴の中で魚類が最も美味で酒によく合うので次第に肴は魚になり、サカナと言えば魚類のこととなったわけである。

かいつまんで言えば、生きて泳いでいるものをウオと呼び、食用にした場合にサカナと呼んだ。日本人が魚に強い関心を持っていたことは、魚についての漢字が多いことでもわかる。私の行きつけの寿司屋でもらった湯飲み茶碗には魚の名前がぎっしり書いてあるが、読めない字も多い。



日本人の魚介類の消費量は世界のダントツ1位であり、ヨーロッパの魚好きのフランスの2倍である。アメリカに至っては5倍にもなるそうだ。まさに日本人は魚食民族である。はるか縄文時代から我々の祖先は、現代人が想像する以上に、海へ出て漁をしただろうと想う。そのころから培った漁労文化は、今日まで連綿と続いている。万葉集にはカツオ釣りや鯛釣りの歌がある。「水之江の浦島の子が堅魚釣り、鯛釣り矜り7日まで家にも来ずて海界を過ぎて漕ぎゆくに、、、」



近頃世界中で海洋資源保護の動きが活発になり、マグロの漁獲高の制限が厳しくなった。その背景には中国人の巨大胃袋がマグロに目覚め、世界中が日本食に傾倒しだしたことにある。マグロが寿司屋から消えていくなどと騒ぎたてているが、養殖技術も進歩して、値段は高騰しても無くなることはあり得ない。もっとも全身トロの養殖マグロはあまり食いたいと思わないが。



魚と言うものは箸を使わないと食べにくいことから西洋人は魚との付き合いが薄い。
5世紀ごろに中国から渡ってきた箸は平安時代ごろに日本に定着して、同時期に渡来した匙(さじ)よりも多用してきた。また「箸(はし)」の形は中国と日本ではちょいと違い、日本人が一般的に使っている先端に向って細くなっている箸は片口箸(かたぐちばし)と言って、つまり片方(細くなっている方)のみを使う箸である。それに対して中国・韓国などの箸は両口箸(りょうぐちばし)と言って、両方とも使える箸(はし)である。ちなみにどうして日本人が片口箸を使う必要があったのかと言うと、肉食中心の中国などと違い、魚肉が中心の食事だったために、細かく骨を取り除いたりするのに必要だったのだと思われる。日本人が魚食民族と言われる所以である。





食文化の違いは恐ろしいもので同じ東アジア圏の韓国では、茶碗は持って食べてはダメで置いて食べる。汁類とご飯はスプーンで食べ、おかずは箸で食べることになっている。左右の手を使って軽々食事をする我々から見ると誠に不自由な様式である 。


いずれにせよ島国日本に住んでいる我々日本人にとって、海は我々に命をくれ、死後の我々を迎える魂の故郷でもある。

2009年1月10日土曜日

アートな話 色について



色とはいったい何なのか?この素朴な疑問は長年漆を塗っていると、たびたび湧き上がってくる。今回開催した喜彫会30周年展では、多くの色漆や技法を駆使したが、朱から始まっていろいろな顔料を混ぜた色漆、その調合しだいで変わっていく色調の多彩さは我々塗師屋を悩ませる。


画像は喜彫会30周年展(鎌倉芸術館)1月8日~12日



我々が何気なく塗っている漆黒と言われる漆の深い黒を出すのが非常に難しいと、以前ある大手の塗料メーカーの工場見学に行った時に、技術者が言っていた言葉が印象に残っている。
自動車などの工業用の塗装に使われるものだが、一般的に高級車は黒が多く使われており、これが何種類も見本を見せてもらったが、同じ黒でも何色もの違いがあるのに驚いた。彼らの言っていた理想の黒は漆黒であり、なかなか出せないとも言っていた。
漆においては、この色ほどほかの色を引き立てる色はないかもしれないが、その対極にある白色をきれいに出すのが難しい。漆のあめ色が邪魔をして純白は出せないので、卵殻などを使用することが多い。それは鎌倉彫とは一線を隔した蒔絵の世界であるが、女房は蒔絵がたいそう気に入っているようで、今回の展覧会で自分で塗り技法として多用している。
漆は同じ朱でも顔料の配合の割合、塗る時の温度湿度、漆と顔料を合わせて寝かせる期間においても色合いが違ってくる。我々は自分の色を出すのに日々苦戦している。色気違いになりそうな世界でもある。

さてこの色については、科学的な研究は意外と歴史が浅く、りんごが落ちるのを見て「万有引力」を説いた、かのニュートンが太陽光をプリズムで分光して、スペクトルを得たところからはじまっている。「光」そのものには色がなく電磁波の一種で人間の目では、その極めて狭い部分しか捕らえることができない。その狭い中に紫(波長が一番短い)から赤(波長が一番長い)など様々な、波長の違いを「色」と、感じているわけで、その波長の屈折角度の違いで黄色、緑、青などの諧調があらわれる。



これらの可視光線の波長を越えたところに赤外線 紫外線 があり、これらは見ることができない。
色の世界はまず、大きく、二つにわけられる。それは 『有彩色』と『無彩色』からなり無彩色とは白、黒、灰の彩りのない色。有彩色とは・・・その他、赤、青などの 彩りのある色である。色と言うのは心理的かつ情緒的なものであるが、桃山時代に象徴されるように、有彩色の極めつけは金である。それは色と言うより光そのものであり、蒔絵はもとより鎌倉彫の漆塗りにも多用される昨今である。

さて原始時代の色は、赤 から始まった。日本の原始時代、縄文から弥生へと、殆どの土器は土の色をしているが、縄文の後期くらいになると中には赤く塗られたものがあり、これは原始信仰に関係するといわれ、だいたい世界のどの地域でも共通している。赤色は火や血や太陽の色であり、魔を払う呪術に盛んに用いられたという。赤の強い色がひきおこす感覚的、精神的興奮が強い力と霊的、神秘的ものを感じさせたのであろう。






古来我が国において色に関わる呼称は日本独特の名前がある。
江戸時代は『四十八茶百鼠』(48種類の茶色、100種類の鼠色)といわれ茶色は当時の歌舞伎役者から流行った色で、梅幸茶、団十郎茶などの役者名がついており、江戸文化、美意識の粋の世界である。この町の色と対照的なのが田舎の藍染めの藍色であった。また鼠色、銀鼠、深川鼠、灰汁色、鈍色、素鼠、鉛色、利休鼠、鳩羽鼠、等々庶民は上手に微妙な色の違いを楽しんでいたようある。



 最近はやりの色のグラデーションも歴史をたどれば繧繝(うんげん)彩色と呼ばれ、インドに起こり中国で発達し奈良時代に日本へわたってきた。この手法は仏像ばかりでなく、器物の装飾や絵画の立体感を出すために使われた仏教美術の文様の彩色法で分かりやすく言うと、同系色の色彩の濃淡を暈(ぼか)しを入れず段階的に彩色することによって立体的効果を生み出す工夫で、時代と共に色の階調の明快さが、薄れいわゆる透明感のあるグラデーションが多くなっていく。

2009年1月2日金曜日

八百万の神々





今年も初詣は地元の御霊神社から鶴岡八幡宮へハシゴした。どうも正月は神社仏閣に参拝しないと落ち着かない。日本人の特性だろうか?欧米人から見るとどうやら日本人は無宗教の人種に映るらしい。我々は欧米人とは違う神との関わり方を持っており、欧米の宗教であるキリスト教は(God)は唯一の存在である。日本の神はどれもが等しく人々の信仰の対象になりうる。だが日本における信仰の存在は、神社や神棚に祭られている「神」だけではない。仏教の「仏」も同じ次元で信仰されて、土着の信仰が外来の仏教に組み込まる習合もあり、この特異性は明治の神仏分離以後も継承されている。
                                             (鶴岡八幡宮)


日本人は現在でもさまざまな儀式儀礼において各宗教施設に詣でる。まず生まれた時や七五三などは神社に、そして死を迎えた時の葬式は仏式がほとんどである。そして結婚式をキリスト教教会で行うこともある。この無節操な壁のない宗教観こそ日本人の特質ではなかろうか?
我々の身の回りで日本人はあらゆるものに神を見出してきた。住んでいる土地屋敷、先祖、身の回りの物ならなんでも。もちろん商売繁盛の神様[稲荷神社]や七福神、果てや悪さをするカルト宗教など数え上げたらきりがない、まさに八百万の神である。


いずれも自分たちの生活に密着してご利益のあるものが信仰の対象になりうるのである。そこにあるのは深遠な宗教体系に基づくものではない。このことはキリスト教徒やイスラム教徒のように厳格な決めごとに従って生活している人々とは違った位置にいる。 困った時の神頼み、鰯の頭も信心から,家内安全、無病息災、福徳開運、五穀豊穣、大漁祈願等々、日本人の神様に対する祈願は多い。




西洋諸国では中世の500年ほどの間、宗教戦争を繰り返していたが、いわゆる国民国家が形成される過程において、「国は個人の宗教に干渉せず、宗教は政治に介入しない」と言う政教分離が確立された。日本では織田信長によって政治と宗教が結びつくことを禁じた。それは一向一揆との対決や比叡山焼き討ちと言った過激な手段で実現した歴史がある。


オウムの事件があってから、国は宗教に対する警戒心は深まってはいるが、創価学会を有する公明党には、連立政権党でもあることからその目も濁りがちである。また過去にたびたび政教一致が取り沙汰され、世の批判を受けてきたこの公明党と自民党の関係も、昨今の政治事情から隙間風が吹いていることは否めない。




現在くすぶっている中東戦争の序曲であるイスラエルとハマスの紛争は、もともとエルサレムにいたユダヤ人と入植者のパレスチナ人との領土争いである。その根底には迫害と受難の歴史を持つユダヤとアラブとの長い闘争がある。


いわゆるユダヤ民族の起源は、紀元前二十世紀にさかのぼる。当時彼らは、カナン(後のパレスチナの地にあったが、その後、飢饉に襲われたことから、エジプトに移住し、奴隷、賎民として徹底した差別を受けやがてエジプトを脱出する。これが、かのモーゼ率いる「出エジプト」である。


 再び、カナンに集った彼らは、ユダヤ教の教えに基づいた統一国家を樹立したが、やがてアッシリアやバビロンに征服され各地に雲散してしまった。こうして流浪と離散の民族がイスラエルを建国するまでの歴史が続く。1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ人国家というものは一度も成立することはなかったのである。

いずれにせよ今問題の世界の弾薬庫である中東は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教が混在している所で、今後とも紛争は収まりそうにない。

2008年12月23日火曜日

詐欺列島花盛り


最近、私の生徒の一人が今流行りの振り込め詐欺に会い、危うく騙されそうになったらしいが、手口は初期のオレオレ詐欺で、息子さんの所在の矛盾から難を逃れたそうである。
従来「オレオレ詐欺」別名「なりすまし詐欺」や「架空請求詐欺」「融資保証金詐欺」など詐欺の手口は数多くあるが、私の工房にも時々融資の電話がかかってくる。詐欺の手口の多様化で、警視庁で総称を「振り込め詐欺」と呼ぶことになった。



現在では初期の単独犯や数人での犯行であったものが、徐々に大規模な組織を構成するようになり、組織内でマニュアルを作成したり訓練を行っているとの事例も伝えられる。また、暴力団との繋がりを指摘したり、詐取した金が暴力団の資金源にもなっている。被害者は女性が約7割、60歳以上が全体の約8割。被害世帯の半数以上は、家族構成が65歳以上だけの『高齢者世帯』が多く、地域では関東(特に東京都)が最も多く、逆に京阪神(特に大阪府)では非常に少ない。警視庁の対策ページの分析では「大阪のおばちゃんは金銭感覚が鋭敏であるため、お金に絡む話ではハッキリ物を言い、日ごろから相手に“ツッコミ”を入れることに慣れている」といった気質に基づく要因が指摘されていて、今は亡き私の母親を思い出す。(笑)

昨年は、1万7930件もの認知件数で、約251億円もの被害総額を出した振り込め詐欺ではあるが、近頃は、新しい手口として"還付金詐欺"なども登場し、今年は1~8月の間で約214億円の被害がでるなど過去最悪の状況だ。
詐欺犯罪の背景にはターゲットとなる人の名簿、他人名義の携帯電話、他人名義の預貯金口座などが犯罪の道具として使われている。 名簿、携帯電話、預貯金口座は、振り込め詐欺グループやヤミ金グループの中では「三種の神器」と呼ばれており犯罪を遂行する上でなくてはならない道具となっている。これらの道具は闇で売買されている。


警視庁によると2003年頃からヤミ金業者の一部が振り込め詐欺に移行し始めているが、犯罪者グループは振り込め詐欺の方が検挙摘発されにくく、ヤミ金より「割のいい商売」だと思っているフシがある。ヤミ金も詐欺もいずれもヤクザな商売であるが。



そんな中、現職の京都家裁書記官が振り込め詐欺にあった被害者の凍結口座から、手の込んだ公文書偽造に手を染めて被害金をかすめ取った事件が起きた。ヤクザの上前をはねたハゲタカのような人間が、法の関係者にいたことは驚きである。もっとも警察にもマル暴と言ってヤクザを取り締まる専門の部署があり、どっちが暴力団だか分からないような警官も居ることは居るが。


2008年6月に「振り込め詐欺被害者救済法」が施行され、凍結口座から被害者に金がスムーズに返還できるような仕組みがつくられた。詐欺に悪用された疑いの強い全国約10万件の凍結口座に残されている被害金の残高は実に約50億円。2年かけて被害者に返還するのが目標だ。その流れは次の通りになる。
(1)振り込め詐欺に使われた口座は凍結され、その全体情報が預金保険機構に集約される。
(2)預保はホームページ(HP)で凍結口座の一覧を60日間公表する(公告)。法律上は、口座に金が     振り込まれた時点で、その債権者は口座名  義人となる。預保は60日間の公告の間に債権を主 張する口座名義人が現れないかを確認する(振り込め詐欺犯が訴え出ることはまずない)。訴えがなければ口座名義人の債権は消滅。これによって被害者への返還が法的に可能となる。
 
(3)預保はHP上で口座名義人の債権が消滅したことを告げ、被害者に各金融機関に名乗り出るよう勧める。
 
(4)金融機関での被害確認が済めば、返還される。

今回の事件発覚の端緒は、振り込め詐欺の被害者からの問い合わせだった。「凍結された口座にあるはずの、私のお金がない-」振り込め詐欺にだまされ、金を振り込んでしまった宮城県内の60代男性が、振込先の口座から被害金を取り戻そうとした際、口座に金がないことを不審に思い、その銀行に確認してきてから事件が発覚した。不正を正す側にいる人間がこれをやっちゃーお終いよ!
と言うわけで今年も食品偽装を含め詐欺に始まり詐欺に終わることになった。皆さん詐欺にはくれぐれも気をつけましょう。来年もよろしくどうぞ。
   

2008年12月14日日曜日

イメージの誤算 


 左図 「全体を見れば間違っている」 安野光雅 1977
 右図 「バベルの塔」 ピーテル ブリューゲル  16C




人類を繁栄させてきた想像力[イマジネーション]は時として人類を裏切っていく。21世紀を生きている我々は、100年に一度の体験をすることになる。経済社会を取り巻く世界の環境は日々厳しさを増している。すでにわが国でも主要産業の人員整理や派遣切り、あるいは倒産に至る企業も増えている。まさに2009年は嵐の年になるだろう。

1990年代以降、米国の金融資本は実体経済や作為的に作られた戦争経済で稼ぐだけでなく、[金融工学]と言う名の詐欺的な商いに手を染めるようになった。いわゆるユダヤの金貸し業が古来得意とするカネがカネを増殖する仕組みを、複雑なシステムに置き換え作り上げた。その結果実体経済の何百倍ものカネが動くモンスターが世界経済を凌駕した。



他者に先んじ、利益を独り占めにする貪欲なユダヤの商法は、シェークスピアの「ベニスの商人」でもおなじみである。今後この経済危機を契機に激増する貧困層を抱えていくアメリカ資本主義は、カネが全ての価値観の収縮が加わり、少しは変わっていくかもしれない。限りある金融資本、地球上のあらゆる限りある資源を身の丈で考える叡智を駆使しないと、人類の明日は無いだろう。

経済の基本は数学であり、数学は形あるモノを量の概念として抽象化したもので、それによって複雑な構造をもった関係性を把握しようというツールであるが、これがイメージと言う質の概念に膨らんでいく過程で、金融工学が数字を抽象化しすぎて量の概念を見失い、「実体数字」という「量の概念」が全く見えなくなっていった所に、イメージの錯誤が引き起こしたアメリカの金融危機が始まった原点があった。


16世紀ルネサンス時代の画家ブリューゲルが描いたバベルの塔は余りにも高い建造物を造ったがゆえに、自らの重さを支え切れずに崩壊したという。私には今日のアメリカが築き上げた資本主義経済は、バブルの塔ではなかったかと思うことがあるが、洒落では済まされない時代である。アメリカを代表とする人類の傲慢に神の鉄鎚が下ったのだろうか?

2008年12月7日日曜日

夢追い酒



年末になると落語の芝浜が頭をよぎる。あの拾った財布の大金は夢なのか!?
腕は良いが酒に溺れ、まったく仕事をしない魚屋の亭主。そんな亭主に業を煮やした女房が早朝、無理やり亭主の勝五郎を叩き起こし、20日ぶりに芝の魚河岸に魚の仕入れに向かわせる。


渋々、出かけてみたが、時間が早すぎたので魚市場はまだ開いていない。「女房のやろう、時間を間違えやがったな」と文句を言いながらも、久々に早起きして見る明け方の浜の美しさに感銘する。
魚市場が開くまでと、勝五郎が浜辺で一服していると、浜辺に流れ着いた汚い革財布を見つける。その財布を拾い上げ中身を確かめると、中には大量の小粒金が。慌てて長屋に帰り、女房に財布を見せつけ、「もう、これで当分遊んで暮らせる」と仲間を呼び出し、浴びるほど酒を飲み、またまた寝入ってしまう。
翌日、二日酔いで起きた亭主に女房が「昨晩の酒代の支払いはどうすんだい!?」とカンカンに怒っている。亭主は拾った財布の金で賄えと言うが、女房はそんなものは知らないし、見たこともないと呆れ顔。「そんなことはない!」と女房を問いただし、家中を探すが財布は出てこない。
茫然自失で「あれは夢だったのか」と財布の金を諦めて、今までの行いを悔い改め、女房に酒を断ち、仕事に精を出すことを誓った。
もともと腕の確かな魚屋だったので、懸命に働き出せば、得意先も戻り、以前にも増して客も増えていく。無心に働いた結果、3年後には棒手振り(天秤棒を担ぎながら町内を売り歩くスタイル)から一軒の魚屋を構えることができるようになった。
3年後の大晦日の晩今年の仕事をすべて終え、風呂から帰ってきた後、女房と二人でしみじみと今までの苦労を語り合う。
その際、女房はやおら汚い革の財布を出し、中身を広げる。小粒金で50両近くある。最初はこの大金に皆目検討もつかなかった亭主だが、3年前のことを思いだし、芝の浜で拾った財布が夢でなく本当だったことに気づき、今まで白を切っていた女房に怒りが湧き上がる。ここで女房は嘘のわけを涙ながらに説明した。大家に相談の結果役所に届け、その後月日がたち、落とし主が現れなかったので役所から拾った財布がそのまま戻ってきたのだと。
しかし、財布が戻ってきたとはいえ、せっかく酒を断ち仕事に打ち込んでいる亭主に、戻ってきた大金を見せると、また仕事をしなくなり酒に浸ってしまうんではないかと心配で、怖くて言い出せなかったと、涙ながらに詫びる。この事実を知り、亭主は怒りを納め、嘘をついていたとはいえ、自分を立ち直らせてくれた妻に感謝の意を述べる。

妻は3年間一心不乱に仕事に打ち込んできた亭主を労い「久し振りに一杯どう?」と酒を勧める。はじめは拒んでいたが「もう、あんたは大丈夫」としきりに勧められると、嬉しそうに杯を受け取り「一杯、頂くとするか」と口先にまで酒が注がれた杯を運ぶ。亭主は急に思い立ったように、杯を置く。妻「おまいさん、どうしたの? 」亭主「よそう。また夢になるといけねぇ。」

ここまで来ると女房の鑑と言う噺であるが、うちの奴はどうだろうとふと考えてみると、投機性のあるものに対しては、私が自制の効く人間と認識しているらしく、女房があまりうるさく言わないことをいいことに、過去のゴルフ会員権、金の先物相場、株と大穴をあけて頭が上がらない状況であるが、今じゃしっかり手綱を締められている。男は浪漫、女は我慢は古き良き時代のことか。
この年末は庶民のささやかな楽しみである年末ジャンボでよい年を迎えたいものである。

2008年12月1日月曜日

独立国家の条件





アメリカ政府が毎年10月に日本政府に突きつけてくる『日本政府への米国政府の年次改革要望書』は、日本の産業の分野ごとに、アメリカ政府の日本政府に対する規制緩和や構造改革などの要求事項が書き並べられた文書で、これを読めば数年後の日本を予測できると言われている代物である。
米国政府が日本の各産業分野に対して規制緩和などの要求事項を「通達」する文書で、文中の米国からの要求事項は、日本の各省庁の担当部門に割り振られて実行に移されていく。
こうした外圧の成果は通商代表部の「外国貿易障壁報告書」によって毎年3月に米国議会で報告され、そのうえ日米の担当官が定期的に会合を持って「通達」が実行されたかどうかをチェックまでしているということ。これはまるで「制度化された内政干渉」であり、アメリカの日本改造プログラムの一環である。
ちなみにこの要望書によって実現したおもな法改正には、あの郵政民営化をはじめ、外国企業の活動を助ける商法改正に会社法の制定、人材派遣の自由化。また会計基準の国際統一、司法改革制度など、小泉政権時の構造改革とかなりの部分がダブるわけで、さらには耐震強度偽装事件の一因となった98年の建築基準法改正も、じつは米国の要望だった。


1994年以降毎年出されてきた『要望書』の中で、アメリカ側が日本に要求してきたもののうち、既に法改正や制度改正が行われた主なものは、「持ち株会社解禁」「NTT分離・分割」、「金融監督庁設置」、「時価会計」、「大規模小売店舗法の廃止」、「確定拠出年金制度」、「法科大学院」などで、いずれもアメリカ企業の日本市場への参入条件を有利にするためのもので、アメリカの都合のいい様に我が国の防衛、行政、産業に至る構造改革を押し付けられ、従属国家としてノーと言えないわが国に対する要求は年々エスカレートしてきている。


さて、今起きている世界金融恐慌は、アメリカの覇権の衰退と世界の多極化を早めることを示唆している。アメリカの強大な軍事力は破たんしたカジノ経済と多国の米国債引き受けに支えられた経済力に裏打ちされたもので、米国の現状を鑑みれば、この世界一の債務国が2009年にはディフォルト(債務不履行)になるか為替操作で債務の半分をチャラにするかの荒療治(オバマショック)も想定されている。


戦後我が国がアメリカと結んだ安保条約の第10条には条約の効力が10年間としてあり、期限が来た時に終了意見の通告を行えばその1年後に自動終了となる。歴史を振り返ってみると軍事同盟は両国の利害が一致しなくなった時には破棄の運命にある。
アメリカの覇権が終わった時に我が国は、真の独立国家として、アジアの大国として世界に対峙していくためにも、防衛力[核抑止力]を強め従属国家から脱却の準備をしていく必要があるだろう。今の時代、核は金で買える時代でもある。


戦後60年経った今、アメリカから押し付けられた日本国憲法も軋みが出ている。時代はどんどん変容していく中で、硬直した社会制度や法律、また食糧自給率低下を招いている農業政策などの改革や資源問題の技術開発など、モノづくり日本の下支えをする政策が円滑に遂行されなければ、アメリカに去勢された日本の明日は無い。政治的閉塞感の充満した日本で,口先だけの漫画親父を我々国民は望んでいない。真に強い大和魂と先見性を持った実行力のあるリーダーを望むだけである。
今回囁かれている大連立政権も死に体の自民党にとっては活路になるのではないだろうか?