2016年2月21日日曜日

病んでる朝鮮半島

暴れ坊ちゃま 金正恩

崩壊寸前の北朝鮮

2016年に入って1月には水爆実験と称する第4次核実験、そして2月には長距離弾道ミサイルの発射実験を行い、国連安保理決議違反で世界を敵に回した金正恩。
今北朝鮮では不穏な動きが報じられている。金正恩による党幹部や軍幹部に対する粛清は100人越えで、恐怖政治で権力を掌握している。直近で残忍な公開処刑を見た同僚たちは、次は俺の番かと疑心暗鬼に陥る。
窮鼠猫を食むではないが、軍部がクーデターを起こす可能性が高いと見た韓国は、開城工業団地にいる八百人もの韓国人を人質に取られないために韓国に退避させ、南北共同の企業活動を操業中断にした。

先軍政治に傾斜したこの精神分裂病の若きリーダーが自滅するのは暗殺かクーデターに絞られそうだ。アメリカも陸軍特殊部隊(過去にビンラーディンを暗殺した部隊)を北朝鮮に送り込んでいることも一部報じられているが、裏は取れていない。コケにされた中国も黙っちゃいないだろう。暗殺にせよクーデターにせよ、中国の軍事介入の可能性は残っており、北朝鮮が38度線を越えて韓国に越境した場合、第2次朝鮮戦争の悪夢が待っている。一触即発の朝鮮半島の緊張に日本も国の安全保障を万全なものにしなければならない。

ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像


救いようのない韓国

以前当ブログ(2014年9月14日  2014年3月1日 国際情勢)を参照の上、読んでいただきたいのだが、
報道によると、日本政府は16日、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した。それによると政府代表の外務省の杉山外務審議官は強制連行を裏付ける資料がなかったことを説明するとともに、強制連行説は「慰安婦狩り」に関わったとする吉田清治氏(故人)による「捏造(ねつぞう)」で、朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会にも大きな影響を与えた」と指摘した。また、「慰安婦20万人」についても朝日新聞が女子挺身隊を「混同した」と説明した。日本政府が国連の場でこうした事実関係を説明するのは初めてで、さらに昨年末の日韓外相会談で、慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決することで合意したことを説明した。
ウイキペディアによると、女子挺身隊(じょしていしんたい)は、大日本帝国が第二次世界大戦中に創設した勤労奉仕団体のひとつで、主に日本人の未婚女性によって構成されていた。戦時日本の労働力が逼迫する中で、強制的に職場を配置換えする国家総動員法下の国民総動員体制の補助として行われ、工場などでの勤労労働に従事した。

その上で、強制連行が流布された原因は吉田清治氏が執筆した本で「吉田氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという事実を捏造して、発表したため」と指摘した。そして稀代の詐欺師、吉田清治の「慰安婦狩り」という嘘について、「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」
「(吉田の著書の内容は)複数の研究者により完全に想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言した。
さらに、2014年に朝日新聞が吉田の証言を取り上げたこと等について、「事実関係の誤りを認め、正式に謝罪した」と説明。「慰安婦20万人」についても、一切のソース、証拠が存在しない数字であり、朝日新聞が大東亜戦争期の女子挺身隊(朝鮮半島出身者はゼロ)の人数と混同したことが始まりであると説明。
ようやく、初めて日本政府(外務省)が国連という公の場で、「いわゆる従軍慰安婦問題」の嘘について、証拠に基づき、明確に否定し世界に発信したことは、歴史的に意味のあることである。これに対し、韓国側は、「慰安婦動員の強制性は、国際社会が既に判定を下した歴史的事実だ」(2月17日、韓国外務省)と、反論した。相変わらず馬鹿の一つ覚えのように慰安婦慰安婦と連呼する発達障害のこの国は、どうにもつける薬がないようだ。

韓国側が言う「国際社会が既に判定を下した歴史的事実」は、日本や韓国の学者が懸命に探したにも関わらず、ついに一つの証拠も発見されなかった。実際、慰安婦はビジネスとして「募集」されたわけで、軍が朝鮮半島から強制連行した事実は「ない」以上、無理な話である。
「最初から最後まで全部嘘」の情報を、ひたすら国際社会に発信し、日本軍の強制連行という虚実を「既成事実化」し、「被害者」であることを強調することで立場を優位に保ち、日本側に口をつぐませようとする、姑息、卑劣、情けない手法をとることをやめないこの国は偏執狂の国家といえよう。
この北と南の異常に病んでいるいびつな国は、日本にとってアジアにおける戦争の火種として、常に注意を払わなければならない厄介な国である。

2016年2月11日木曜日

釣り道楽



1.7kgのアカメフグ

今年も早や69歳の誕生日を迎えることになった。前日家族で外食することになっていたのだが、今年初めてのフグ釣りで大物を含め4匹アカメをゲットしたので、予定を変更して家でフグちりとテッサを頂くことにした。長年通い詰めた金沢八景の船宿野毛屋であるが、20年前からの顔なじみの客もだんだん少なくなり。近頃では新顔の客が多く、年齢層も若くなってきた。先代の親父が死んでからは、長男とせがれの3人で船を切り盛りしている。

それというのも船頭がフグ調理師の免許を取ってからというもの、船上でさばいてくれてお持ち帰りのお手軽コースになっているため、年代層も老若男女とフグ人口が増えているためだ。昔は見よう見真似で自分でさばいた客も多かったが、粗忽な客で仏さんになった者もいたので、以後船宿も慎重になり今日に至っている。
当日も平日だというのに満席状態で、私の隣のオオドモに座った客人は、遠路はるばる長野松本より夜中の1時に出発して、八景に到着後車中で仮眠をとり、釣りが終わってから5時間かけて帰路に就くそうだが、ここまでの釣りバカは見たことがない。1月に行ったカワハギ釣りでは90の爺さんが竿を出していたのにも驚いたばかりだったのに。

昨年10月からアカメフグが始まったのであるが今期はだいぶ釣れている。一昨年は不調であったが、東京湾のフグは好不調を繰り返す。特にアカメフグは野毛屋が東京湾では専門にやりだしてから6年目で歴史は浅い。東京湾にはアカメがいるいうことで、ほかの船宿も追随してきた状況が続いている。フグ釣りのパイオニアとして野毛屋は道具と仕掛けにはこだわりを持つている。アカメの釣期としては10月から始まり産卵の始まる前2月いっぱいまでだが、ほかの時期は従来通りのショウサイフグをやっている。トラフグも放流しているせいかたまに釣れることがあるが、食通に言わせるとアカメのほうが味が濃いという。船中たくさん釣れた時は、船頭にさばいてもらうのも順番待ちなので、時間がかかる。私は昔ながら無免許であるが自分で、船上でさばいでさっさと持ち帰ることにしている。
写真のフグは今季最大の1.7kgメスのアカメで卵と肝がたっぷり入っていたがこいつは猛毒で、頭はエラ、目玉、延髄,皮すべて取り去り、骨と肉に切り分け鍋のだしに使った。子供たちが喜んで食べてくれたのが何よりの誕生祝いだった。残り2匹は4~5日寝かせてから刺身で頂くことにする。

2016年2月8日月曜日

政局探訪「政治とカネ」



昨今の“政治とカネ”をめぐる問題は、与党の閣僚から安倍首相、民主党の岡田代表にまで飛び火し、政界全体のモラルが問われる事態にまで発展した。
つい最近の甘利経済再生相の辞任など100万単位で職を辞する日本のシビアーさと100億単位の賄賂で身を亡ぼす中国の多くの公務員とを比較するわけではないが、国民性の落差を感じる。ましてや日本経済のかじ取りを任された重要閣僚である。証拠を握られ出口なしの政治劇場に落ち込んで野垂れ死にだ。第二次阿部内閣以降死屍累々と散った閣僚は以下の通り。

【第2次内閣】
  14年 小渕優子経産相 自らの政治団体による不明朗な政治資金問題
      松島みどり法相 自らの選挙区内でうちわ配布
【第3次内閣】
  15年 西川公也農水相 国の補助金を受けた企業からの献金問題
  16年 甘利明経済再生担当相 建設会社からの金銭授受

このように政治という臭いにおいのする世界では、時によって臭いものに蓋をして手仕舞いをしていく。

この結果、「政治とカネ」問題の追及のため、本来、国会で議論すべき問題の議論が進まない。「政治とカネ」をめぐる問題は日本政治の「弱点」と言われ、単に国民の政治不信を助長するだけでなく、過去にあったロッキード事件やリクルート事件のように政治を混乱に陥れてきた。昨今の一連の政治とカネをめぐるスキャンダルへの対応を誤れば、やがて政権転覆の可能性も出てくる話だ。だが多くの場合、政治家が法的責任を問われ、罰せられるケースは意外なほど少ない。「道義的責任」という名の下で当該の政治家が大臣などの役職を辞することで事態を収拾するケースがほとんどである。




政治にカネがかかるのは言うまでもないが、議員になるための選挙活動費から始まり、所属派閥の運営など献金という名のお金の出入りがこれを支えている。ちなみに議員一人にかかる歳費は図の通り。

議員1人の歳費諸々
これらの政治資金は、過去に何度も改正されてきた政治資金規正法によってカネの出入りを透明化する方向に向かって改善されてきた。 しかし現在の制度では、政治家は政治団体を多数設立することが可能なため、政治資金の全体像が把握しにくい仕組みとなっていて、玉虫色の好きな日本人が作ったこの法律はザル法となっている。政治家は抜け道を作るのが上手であるが、その手で自分の首を絞めていることに気が付いているのかいないのか摩訶不思議である。?

(注) 政治資金規正法
政治資金の流れを透明化するために1948年に制定された法律。数々の金脈問題をへて、1994年、選挙制度改革・政党助成制度の導入と併せて大幅な改正が行われ、企業・団体からの寄付の対象は政党(政党支部)、政治資金団体、資金管理団体に限定された。1999年政治家個人への企業団体献金禁止。

総務省の資料によると、政治資金には、大きく分けて①寄付(献金)、②政治資金パーティー、③政党交付金の3種類からなっている。
3の政党交付金は、税金で政党の活動を支援し、政党の独立性を保とうという仕組みである。この政党交付金は、国民一人あたり250円のお金を選挙の結果によって政党に分配される。
現在、総務省のサイトでは、総務大臣届出分の政治団体の政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書が掲載されており、誰でもインターネットで閲覧することができる。

2016年2月5日金曜日

2016 テーブルウエアショー



東京ドーム会場風景

昨日は東京に2か月に1回の通院の日だったので、その帰りに東京ドームで開催中のテーブルウェアショーを見てきた。
平日とあって中高年の女性が多く会場は混雑していた。会場をくまなく見ると2~3時間はかかりそうなので、目に留まったもの、お気に入りの製品などを見て回った。
テーブルウエアというカテゴリーは、食文化と密接な関係があるが、大まかに言えば和、洋あるいは和洋折衷またその他に分かれ、どうしても和食器に目が向いてしまうものであるが、我々日本人が身近に接している食器も圧倒的に陶磁器が多く、食生活空間の中で占める漆器の割合は低い、特にその取扱いにおいては細心の注意が必要なため、各漆器産地の生産者も漆器の売れ行きが悪く苦心しているようだ。時遅く2013年の暮れに、我が国の和食がユネスコで無形文化遺産に決定したが、世界は今や和食ブームであふれていることもあって、日本の食文化が見直されてきた。同時に日本の漆器文化も、ライフスタイルに合わせたモノづくりで、世界のグローバルスタンダードになってもらいたいものである。
和のテーブルセッティング

ここで会場で2~3、眼についた製品をピックアップしてみると。


(陶器)周りを漆塗りで根来塗仕上げ



(ガラス)菊のデザイン
(磁器) アールデコ風デザイン

●漆器に関しては、あまり目新しいものは無かった。


最後に気に入ったぐい呑みを4つほど買って帰路に就いた。

●テーブルウェア・フェスティバル2016は、1/31~2/8まで
JR水道橋駅前 東京ドーム 

2016年1月28日木曜日

生と死のパラドックス

「死と生」 クリムト 1916

昨年暮れに親父が体調を崩し入院した後、年が明けて今月半ばに退院自宅療養に至ったのであるが、年齢も年齢だけに体調は芳しくない。足腰が弱いところに身体の衰えが目立ち介護支援をお願いした。
地域の介護センター経由で定期的にヘルパーや看護師のお世話になっていたのであるが、自宅療養は思った以上に負荷がかかり、時間に縛られがちである。女房と2人で昼夜を問わず身の回りの世話で明け暮れ、歩行困難もあり、食事もとれなくなったので、いよいよ緩和病棟に入院の運びとなった。


人間の死に様は人それぞれで、若くして急逝する人もあれば、じわじわ逝く人もある。死を悟って逝く人あれば悟らずに逝く人もある。その生き様が死に様となって現れるのであろう。私は親父のように96まで生きれるとは思わないがピンシャンころりと逝きたいものである。人生は長短で図れるものではなく密度が重要であろう。
思えば人間は誰しも無に向かって生きているものである。死(無)を意識した時から充実した人生を送ろうともがき苦しむ。目標を達成して逝った人、絶望の中で自ら逝った人、他者の過失あるいは意図によって逝った人、自然災害で逝った人、いずれも死は生のパラドックスとして蓋然的にやってくる。


病院は自宅から近いところにあるので、毎日親父の顔を見に行くのだが日に日にやせ衰えていく姿を見るのは辛いものがある。話す言葉も弱々しい。
いずれ訪れる時に向かって、日々を懸命に生きることの大事さを「死」という表層が語り掛けている。病室に行くたびに眠りこけている親父を見ると、眠りは痛みの緩和剤なのだろうと思う。介護なしで生きられる健康寿命を96年間全うしたのだから、あとは安らかに旅立ってもらいたい。


人間をかたち作る細胞はある一定の時間を経るとアポトーシス(死の指令)によって死を迎え、やがて新しい細胞に生まれ変わり、新陳代謝を繰り返し、生命を維持していくのであるが、まさに生と死が拮抗している中で、ガン細胞はアポトーシスを拒否して生き続けようとしている細胞である。この存在は生き続けるためにかえって生体そのものの死につながるというパラドックスの極みを我々に提示する。
8月には娘に子供が生まれる予定であるが、ひ孫の顔も見ることもなく生を終えるのであろう。大正、昭和、平成と生きてきた親父が死を迎え、やがて新しい命が生まれようとしてしている。そして
変わらぬようにリフレインが流れていく。

2016年1月16日土曜日

悪夢

サーキットブレーカーでオバさん真っ青(上海)

年明け早々、中国株の暴落による株の乱高下が止まらない。東京市場では4日連続の株価下落である。日本株の65%を持つ外人投資家が動くのであるから我々個人投資家はその現況を知る由もない。かたや米国に次いで世界第2位の規模を誇る株式市場中国市場(上海)の国家介入の株価操作や取引停止(サーキットブレーカー)などで右往左往する市場で、売買の90%近くを占める個人投資家の映像など、世界経済の動きはめまぐるしい。
就任当時,習近平が連呼していた「中国の夢」は,いまや「中国の悪夢」に変わった。中国国内の不動産と株のバブル崩壊が進行しているのである。


一方我が国では、公的年金運用(厚生年金・共済年金)での株式投資割合の拡大し、140兆円を超える公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の 2015年7-9月期の年金運用損失が、約7兆9000億円に膨れ上がったことが報道されている。ただでさえ切迫した年金基金を、ギャンブル漬けにしたアベノミクスの成れの果てである。今後、株価の暴落次第では何10兆円規模に膨らむ可能性もあるから空恐ろしい。


想像以上に悪い中国経済による世界同時株安が進行する中で、原油安が止まらない。日本にとっては有り難いことであるが、産油国、特にロシアなど過去に原油安が引き金になって崩壊した国は心穏やかではない。原油頼みのサウジの国家破産につながる弱体化によるイランとの不穏ないざこざ、はたまた採算割れの米国シェールガス会社の倒産増加などなど、今や中東、アメリカ、ロシアなどが増産で潰しあった結果、原油価格は3分の1以下になってしまいバタバタ倒産し始めた。ちなみに昨日国道沿いのガソリンスタンドではレギュラーガソリンが102円の看板が出ていた。

特にシェール企業の債権はリスクは高いが高利回りの『ジャンク債』と呼ばれ、昨年来暴落が始まりウォール街では第二のリーマンショックが懸念される状態になっている。
大元の供給先の粉飾経済国家である中国経済の悪化によって、世界全体がデフレギャップに陥っている状態が今の世界である。あの悪夢(デフレギャップ解消の極めつけである戦争)が来なければいいのだが。

2016年1月7日木曜日

アートな話「アートの眼」

「眼」エッシャー  1946


 
脳科学者の話では、人間の大脳皮質の3分の1の領域が「見る」機能に充てられているのだそうだ。勉学や仕事や趣味や人との付き合いなどで日々、頭をひねり、心を砕き、一喜一憂することが山のようにある中で、物を見るだけのために脳の半分近くを使っていることになり、このことは、見るということは決して単純でも簡単でもなく、とてつもなく膨大な情報処理を必要としていることを裏付けしている。見ること,すなわち我々を取り巻く世界の認知の大半が視覚に依存している。自然環境としての外部世界はもとより、人間社会における情報のすべてが文字・図形・静止画 像・動画像という形式で視覚に訴え、働きかける。また人間特有のイメージ喚起能力も眼前にないものを頭の中にイメージ(視覚化)することであり、過去に蓄積された視覚像を喚起して頭の中の「視覚像」が世界の認知に果たす役割は非常に大きい。
また見たいもの見たくないものによって、視線の集中度合いが異なり、視線はモノの特徴点を随時移動しながら形をとらえていく。いみじくもかつてサルトルが「想像力の問題」のなかで、事物を見ることの眼差しに対する考察において、見る行為を対象物を所有する概念に置き換えたことに少なからず衝撃を覚えたことを思い出す。

頭部を固定し、1点を凝視した状態で見える範囲を視野といわれているが、視野計による調査では、「人」の視野は左右約200度・上下約140度といわれ、 この場合左右については大差ありまりないが、上下に関しては上60度・下80度と下の方が 広く、日常生活ではさらに下の方が優位になるようだ。このことは、我々の身の回りの物は大部分が眼の高さより下にあって、とりあえず注意を払うのは目の高さから足元ということになる。

一方で厳しい自然界で生き残っている動物たちは、人間とは違った視界を持つことで有利に生存競争を戦っている。大半の動物は眼が顔面の両側にあって、各々の視野が独立するかたちでほぼ360度の視野をもつのに対 し、人間の場合は両眼とも前方を向いていて、左右の眼の視野の共通領域が広くなっている。つまり両眼での全体の視野は狭いが、両眼視による奥行き知覚 が有利になるという特徴をもっている。
このことは、「人」以外の動物が障害物や外敵といった自然環境に関する情報を重視するのに対し、「人」はそうした情報よりも相手の表情やしぐさ、あるいは 文字や画像情報といった同種のもの同士でのコミュニケーションに関わる情報を重視することを物語っている。

さてこの奥行き知覚であるが、目の構造上本来2次元である網膜像をもとに、我々は奥行きを含む3次元の世界を認知している。
この奥行きを知る手がかりには絵画的要因がある。 絵画的要因とは、大きさ・上下・重なり・きめの勾配・色調・コントラスト・明暗・影のできかたなどで、配置や描きかたによって奥行きを知る手がかりが得ら れるというものだ。 そのほかに視点が移動中の車窓などで見られる風景で、近くの風景と遠くの風景とでは移動のスピードに差があり、この運動視差による奥行き知覚もある。いずれも視覚に潜むアートな話で今年も始まりそうだ。

2015年12月26日土曜日

マイナンバー制


今年も早1年が過ぎようとしているが、遅ればせながら我が家にも12月初旬に、マイナンバーの書かれた通知カードが届いたが、そのまま手続きは保留にしてある。いわゆる日本に住民票を有する全ての人を対象に、1人に対し1つのマイナンバー(個人番号)が割り振られる制度で、同じ番号が別の人に割り振られることのない国民総背番号制とも呼ばれるものである。

懇意にしている証券会社の営業マンとの世間話のなかでこの話がでて、登録ナンバーを控えていればカード申請は、する必要もないとのことであった。
色々資料を集めてみると、国は事務処理の簡素化と縦割り行政を是正し、各官庁との横の情報の共有化が図れること、すなわち個人情報の共有化が可能になるので行政の効率化を促進する流れが見て取れる。

今回導入されるマイナンバー制は国や地方公共団体が税や社会保障、災害対策などの為のみに使用し、一人一人の番号を管理することによって、国や地方公共団体が個人情報を迅速かつ正確に共有することができ、年金の不正受給や税負担を不等に免れることを阻止することができる。
さらに公平な社会を円滑に構築することが可能であると同時に、マイナンバー制度の導入により、本人照合や確認作業、入力作業が軽減され、取り間違えなどのヒューマンエラーも減少することが期待でき、行政の効率化が図れ、国民の側も書類提出が楽になるという寸法である。

ところが、これにはデメリットもある。個人情報の漏えいなどの問題、たとえば今後「マイナポータル」というウェブサイトで、マイナンバーと紐付けられた「自分自身の情報」の閲覧が可能になり、 閲覧にあたってはマイナンバーカード(ICカード)とパスワードが必要で、その二つさえあれば誰でも閲覧可能になることや、今後の動きとして、改正マイナンバー法によりマイナンバーと銀行口座の紐付けがスタートすることにより銀行口座を政府が把握することが可能になり、貯蓄額も漏えいの危険性が高くなる。すなわち国民のフトコロ具合を国がつかむことになる。我々貧乏人には関係ないが、大金持ちは簡単に脱税できなくなることもあって戦々恐々だ。現在日本で法人の七割以上が赤字に陥り、税金を納めていなことなども、この制度導入の動機にありそうだ。

また個人のみならず事業者も対象に入っているので導入費用が膨大になり、民間企業の事務処理増加、特に中小零細企業は負担がのしかかるため、全国中小業者団体連絡会(全中連)が10月に行った省庁交渉ではマイナンバー(共通番号)制度実施の延期・中止を求めるとともに 「共通番号の記載がなくても提出書類を受け取り、不利益を与えないこと」などを政府に要望したようだ。
全商連の資料によると、その回答は次の通りになる。

【内閣府】
  「個人番号カード」の取得は申請によるもので強制ではない。カードを取得しないことで不利益はない。「扶養控除等申告書」「源泉徴収票」などの法定資料や雇用保険、健康保険、厚生年金保険など書類に番号が記載されていなくても書類は受け取る。記載されていないことで従業員、事業者にも不利益はない。従業員から番号の提出を拒否されたときは、その経過を記録する。しかし、記録がないことによる罰則はない。
【国税庁】
  確定申告書などに番号未記載でも受理し、罰則・不利益はない。事業者が従業員などの番号を扱わないことに対して国税上の罰則や不利益はない。窓口で番号通知・本人確認ができなくても申告書は受理する。これらのことは個人でも法人でも同じ。
【厚生労働省】
  労働保険に関して共通番号の提示が拒否され、雇用保険取得の届け出で番号の記載がない場合でも、事務組合の過度な負担が生じないよう、ハローワークは届け出を従来通り受理する。罰則や不利益はない。労働保険事務組合が番号を扱わないことによる罰則や不利益な扱いはない。番号を記載した書類を提出するとき、提出者本人の番号が確認できない場合でも書類は受理する。


以上のように役所に出す書類に個人番号が記載されていなくても受け付けるし、罰則がないのはもちろん、何の不利益も受けない。公式の席で、各省庁が確認したのだ。
当面、事の成り行きを静観することになりそうだ。


2015年12月18日金曜日

中国の宿命



2007年に日本に帰化して以来評論活動をしているお馴染みの石平氏が、今年書き下ろした著書「死に体」 中国の宿命 歴史が示す習政権の末路 を読んだ。題名からしてえぐいタイトルであるが、今の中国の国の成り立ちと、中国の本質が見て取れる一冊である。

本書によると、中国4000年の歴史と言われているが、その歴史は秦の始皇帝から始まる崩壊と再建の歴史に刻まれている。その始皇帝が戦国時代に並立した6カ国をことごとく滅ぼして中国初の統一王朝、秦を作ったのは紀元前221年のことである。
建国後自身が初めての皇帝と名付けて、国を統治したが、死後わずか15年足らずで崩壊の憂き目にあう。以後歴史は繰り返し、近代清に至るまで一番栄えた唐の時代も含め、崩壊と再建を十数回繰り返し、どの時代も皇帝独裁支配体制のもと、時の権力者はもとより、そこに群がる官僚達の私利私欲に走った構造は、現代の中国の一党独裁政権の腐敗ぶりに連綿とつながっていく。

その構造は、民衆(農民)から絞りとるだけ搾り取り、最後は搾取され収奪されたた農民達が立ち上がり、膨大な数の不満分子の力によって政権が崩壊していく過程が繰り返されていくのである。
通常国家というものは、時代が進むにつれ民主化が進み、政治経済が進展しそれに付随した文化も発展していき、近代国家が形成されていくものであるが、中国は国として体を成した秦からこの方約2200年たった現代でも、王朝が崩壊するたびに国の体制、文化などがリセットされ、前時代の遺物も文化も破壊されるラジカルな国である。それは歴史の進化継続と蓄積とは無縁の断絶の国でもある。

過去において、土地や生活基盤を失った農民がやがて多くの流民(難民)となって時の政権に反乱をおこし、その反乱が大規模に膨れ上がった時に、王朝は崩壊を繰り返す。
近代に入ると、中国初の民主主義革命(辛亥革命)によって中国最後の王朝清朝が崩壊した後、中国初の近代的共和国として中華民国が出来たが、その後、日中戦争のどさくさに旧ソ連の共産党から支援を受けた中国共産党が勢力の拡大を図り、時の政府に反乱をおこし毛沢東のもと中華人民共和国が誕生した。ここでも伝統の独裁専制政治は続き、権力闘争の末、文化大革命なる蛮行を行い自滅の道を歩むことになる。当然そこに展開するのは大規模な粛清と政敵の暗殺である。その犠牲者は1000万人以上とも言われている。




中国元
毛沢東の死後反毛沢東派の鄧小平が復活し、改革開放路線を打ち出し、資本主義を取り入れた結果、今日の繁栄につながったのだが、しかし市場経済の成長が進むにつれ、市場の自立的に働く法則は政治的権力によっては変えられない内部矛盾が露呈し、今日の習政権の株価操作の失敗による経済的苦境を現出させている。また昨今のIMFによる中国元の国際通貨格上げによって、いよいよ国際経済の縛りから逃れなくなり、常態化していた共産党の中国元の為替操作は困難になるだろう。


さて共産党政権存立の基盤となる国家経済が今危機に瀕している背景には、政府による過剰な公共事業や民間の異常な不動産投資によるバブル崩壊と、そのために土地を取り上げられた農民や、賃金上昇のため世界の工場としての地位が揺らいだ結果、景気後退で製造業に従事していた農民工たちの失業者が潜在化している。そして本書では、これら流民が2012年の時点で実に2億6千万人の数で表記されている。これら寄る辺ない民衆が、各地で年間20万件以上という暴動を起こしており、今後もその数は増加の一途たどることになる。また都市と農村、富裕層と貧困層の格差が拡大し都市部の潜在的な失業者も1000万人を超え共産党に対する不満は臨界点に達している。

その公安(治安維持費)のための予算があの膨張する軍事予算を上回っている事実は、いかに政権が過去の政権転覆の起爆剤としての民衆を恐れているかが解るというものだ、そしてその導火線となる知識人の弾圧も体制維持のため激しさを増す。また共産党は、国民の不満の目をそらすために対外的な拡張主義に傾き、東シナ海や南シナ海に象徴されるように、世界と摩擦を起こしている。そして国内では、欲の皮の突っ張った拝金主義の民衆が群がった高金利理財商品への出資からなる膨大なシャドーバンクの崩壊も始まっており、これらの不安定要素が増幅され中国の粉飾経済が失速した時、その世界経済に与える影響は多きい。

そのような情勢の中、特権階級の共産党幹部は相変わらず賄賂によって私腹を肥やし、取り締まる側も賄賂にまみれ、腐臭を放ち腐敗が進む死に体になり、収拾がつかない状態が今の中国であり、政権末期を予感している共産党幹部は、我先に海外に莫大な資産を移し、安住の地を求めその視線は、はるか遠くをさまよっている。
政敵をターゲットにした汚職取り締まりも拡大する中、天津で起きた巨大な爆発事件は習近平暗殺を企てた一件と取り沙汰されていることも明らかになっている。人心は離れ、国家への不満が臨界点に達した今、崩壊へのカウントダウンはすでに始まっている!
著者は現在の習近平体制を赤い王朝と呼んでいるがこの王朝も崩壊する宿命を負っており、それはそう遠くない時期にやってくると結論付けている。運命は変えられるが宿命は変えられないものである。

2015年12月5日土曜日

日本の深い闇

 

戦後70年が経った今、日本を揺るがす大震災による福島第一原子力発電所の崩壊が始まった2011年から今日に至るまで、国のエネルギー政策や国の防衛問題など、釈然としない日本の闇が、1冊の本で霞が晴れてきた。タイトルは「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」矢部 宏治著。
国民も薄々感じているアメリカの影は、戦後GHQから続いている巧みな日本統治による仕組みを明らかにすることで全貌が明らかになってきた。著者はアメリカの公文書の調査をもとに執筆していて、アメリカの機密文書は、国立公文書記録管理局(NARA)で管理されており、25年たてばすべて公文書として発表されされるため、これを引用している。人類の英知と進歩のため、世界の潮流は30年で封印された機密文書は公開されることになっている。

著者によると、憲法を法体系の上位とした「オモテの世界」ではない、「密約法体系」や「安保法体系」といった、「アメリカ」を最上位とした異なる法体系を上位として権力が動いている「ウラの世界」があるようだ。そしてこの日本の権力というのは、結局はそうした「ウラの世界」の権力により、現実には動かされていることが分かってきた。

絶対的な存在「アメリカ」と、その「アメリカ」の作ったシステムの中軸たる法体系、「密約法体系」、「安保法体系」に忠誠を誓う「官僚」という一大権力機構システム。それが「原子力村」ならぬ、それすら含むここ日本という「安保村」の駆動源であると。
「政治」とは、即ち近代憲法に基づく、近代民主主義国家としての議院内閣制による政治形態のことであり、本書で呼んでいる「オモテの世界」のことである。そしてそうした「政治」ではない統治権力が、確かにこの国には根強くはびこっている。「日米地位協定」などアメリカとの条約は、日本国憲法よりも上位にあること、明文化された条約のほかに数多くの「アメリカとの密約」があり、それも憲法より優先されることなどなど。


日米合同委員会
 
ここで決められたことが、日本国憲法を超えてしまう。在日米軍との委員会なので、外務省や防衛省の官僚が入っているが、特筆するのは、法務省、財務省、農林水産省などの官僚も入っており、米側の代表は、基本的に軍人である。現在でも月に2回、米国担当者と官僚との会合がおこなわれ、密接な意思疎通がはかられていること、そしてそのような状況を形作るにあたり昭和天皇およびその側近が、大きな役割を果たしていることなどなど、驚くべき事実が明らかになっている。

つまりはまともな主権を持った独立国としての体を成してないこと、敗戦後に作られたこの国のあらゆる法体系や社会システムが、所詮はアメリカの意向に従うために設計されていることを知らされる。米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながっていることを。
さらに著者曰く、日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのだが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。
なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということだ。

日本の歴代政権を見てみると、親米派と反米派に分かれる。ここで親方アメリカの意に沿った政権と、意に反した気概のある政治家を擁する政権の末路を見てみよう。
対米従属派である清和会の政治家と違い、国益を重視して米国と一線を画して、近隣アジア諸国などと独自の繋がりを模索しようとした経世会の政治家は、失脚もしくは殺害の末路を迎えている。途中で政権交代した小沢鳩山政権は、年次改革要望書を撤廃させたが、1年たらずで、鳩山首相に至ってはアホ呼ばわれされた末にアメリカにつぶされ、その結果後の菅政権はアメリカ寄りになったが続く野田政権も短命に終わった。驚いたことに、当時の首相だった鳩山由紀夫は、この組織の存在さえ知らなかったと2014年の著者とのインタビューで述べている。


  自民党2大派閥『清和会と経世会』
  
 (田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件(東京地検特捜部)脳梗塞
 (経世会)竹下登 失脚 リクルート事件(東京地検特捜部)雲隠れ病死
   金丸信  失脚逮捕佐川急便献金・脱税(東京地検特捜部&国税) 
   中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (東京地検特捜部)
   小渕恵三 (急死)脳梗塞と報道されているが自殺とも言われている。
   鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (東京地検特捜部)
   橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件 (東京地検特捜部)
   小沢一郎  西松不正献金事件 (東京地検特捜部)
   二階俊博  西松不正献金事件 (東京地検特捜部)
   
 ●その他政治家の不審死の裏にアメリカの影あり。
   梶山静六 橋本龍太郎 松岡利勝 中川一郎 中川昭一
 いずれも経世会政治家と反米的政治家の場合、不慮の突然死・事故死・自殺 が偏って多いのが特徴で、いまだ真相は解明されておらず、深い闇のままで ある。

一方(清和会)では 岸信介 福田赳夫 安倍晋太郎  森 喜朗 三塚 博    塩川正十郎  小泉純一郎  尾身幸次 安部晋三  福田康夫    麻生太郎    中川秀直    町村 信孝 などなどで これらはいずれも御 安泰である。

、自民党とCIA(ユダヤ権力)には、癒着の歴史が関係している。清和会は米国に有利な政策を遂行し、その報酬としてCIAからカネをもらい、勢力を伸ばしてきた。大手マスコミは一切報道しないが、岸信介がCIAに雇われたエージェントだったことは、後年になって情報公開された米国務省、米国立公文書記録管理局(NARA)の資料から明らかになっている。

原子力の問題

英米金融資本の頂点に立つロスチャイルドが一元支配しているのが原子力事業の根源ウラン燃料であり、原子力発電を稼働させるために我が国はアメリカからウランを輸入している。だから分かっちゃいるけどやめられない。日米原子力協定があるからだ。

日米原子力協定で決められたことは、原子力発電で出た使用済み燃料(プルトニューム)の再利用を促進するといったプログラム(プルサーマル計画)推進のための協定であるが、使用済み燃料を再処理すれば燃えかすウラン(96%)、高レベル放射性廃棄物(3%)となり、残る、プルトニウムは1%にしかならない。問題は、燃え残りウランは本来高速増殖炉で使われ、プルトニウムに転換して利用されるはずのものであるが、未だ高速増殖炉は実用化されず破綻している。

日本以外の先進国はすべて核燃料サイクルから撤退している。積極的であったフランスもコスト高、各国もトラブル続きで止めている。よって、プルサーマルをやらない国は、使用済み燃料については貯蔵して廃棄物処分している。人類史上稀有の大事故が起きた後も原発の安全性が確保されないまま稼働に踏み切る日本。いつまで日本はウランを買わされるのであろうか?
未だ戦後を引きずっている国、それが日本である。


参考文献 「図解」 世界闇の支配者 ベンジャミン.フルフォード

追記
昭和館


地下鉄九段下駅前にある昭和館(厚労省所管の博物館)を訪ねてみた。 昭和館は、九段下の地下鉄の駅からすぐ、武道館に向かう途中にある。戦中戦後の日本人の暮らしぶりが垣間見れるところである。私の生まれた昭和22年前後は、実際どうなっていたのだろうと思って常設展を見に行ってきた。6階7階は常設展示室で戦前戦中戦後と別れており、当時の日本人の暮らしぶりや、社会の動向が数多くの展示品からうかがえる。まるで骨董品の世界である。



戦中戦後の暮らしに関する展示品
当館では、死を推測させ、直接戦争にかかわるものは陳列してはならないマニュアルがあり、 陳列していいものは、防空ずきん、慰問袋、衣・食・住にかかわるもの、そして悪いものとしては、武器、軍用品、赤紙、戦死公報、原爆投下・爆撃行為にかかわるものなどがあるようだ。
戦争を知らない私は、母から当時神戸で空襲にあって、逃げまどい多くの死者たちを無感動のまま見てきたことや、戦後の食糧事情が悪い時、赤ん坊の私に、ミルクがないので小麦粉を溶いて飲ませた話などを聞いたことを思い出す。
そして5階の映像音響室では20台以上あるPC映像機器を閲覧者が、それぞれ戦中戦後の人々の暮らしぶりを主とした画像や映像音声などが膨大に流れていく機器を操作することができる。戦争を境にした昭和という時間の流れと、戦後日本の焼け野原から立ち上がった日本人の逞しさと、戦後GHQによって、国の体制がリセットされ、やがて我が国の復興が始まり経済発展へとつながる経緯が、走馬灯のように短い時間の中で体感できた。

2015年11月29日日曜日

京都ぶらり旅

東福寺


入院後はや1年が経ち、無事でいられる有り難さをかみしめ、全快祝いを兼ねて、多忙の中、カミさんと秋の京都を訪れた。過去に娘が京都で大学生活を送っていた関係で、京都には何度か足を運んだが、今回は初めての京都の秋である。今回は京都の北(洛北)にある鷹峯(たかがみね)が旅の出発点となり、まだ行っていない寺巡りをしてみた。

今年は全般的に気温が高かったせいで、紅葉の色合いが例年になく芳しくなく、それでも紅葉で有名な社寺は大勢の人々でむせ返っていた。それでも春、夏、冬とそれぞれの季節が醸し出す京都各地の風情のなかでも、秋ならではの格別なものがあった。

東福寺境内

当日は10時ごろ京都駅を降り、JR奈良線で一つ目の東福寺を散策。東福寺は京都五山の一つ、境内の通天橋は紅葉の名所でもあり、人気のスポットのため、海外からの観光客も多く、境内は人でごった返していた。紅葉を浴びるほど見て歩き、昼前に京都駅に戻って、12時半の送迎バスで鷹峯のホテルについてからは、チェックインの時間まで近隣の3寺を散策した。


光悦寺山門

光悦寺、源光庵、常照寺、と拝観するが、各寺とも京の北の外れもあって人出は緩慢で、境内をゆっくり散策できたことは何よりだった。
光悦寺 京の北、鷹峯三山を見渡すふもとにあるこの寺は、江戸時代に工芸美術で名を馳せた琳派の祖、本阿弥光悦の一族の集落(光悦村)のあった場所に位置し、光悦ゆかりのこの日蓮宗の寺は、あらゆる工芸、書画に影響を与えた当時の芸術家たちの面影を残した佇まいである。

源光庵 悟りの窓と迷いの窓

源光庵  こじんまりした庭園を望む本堂には迷いの窓と悟りの窓があり、迷いの窓は矩形をなしており、角形には人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表す。また悟りの窓は円形をしており,禅と円通の心を表し、円は大宇宙を表現しているそうだ。すべてを丸く収めるといったところか。完全な円というものは仏教では悟りを示すことになるようだ。


常照寺山門

常照寺 
井原西鶴の「好色一代男」の人情話や歌舞伎に出てきた吉野大夫ゆかりのこの寺には吉野の墓がある。芸妓である吉野大夫における太夫の称号は、江戸時代初期に誕生し、当時は女歌舞伎が盛んで芸 達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれる。写真の山門は吉野大夫が寄進したものである。



二日目

銀閣寺
銀閣寺 ホテルから徒歩25分くらいのところに金閣寺があるが,そこは以前訪れたことがあるので、ここはパスして近くのバス停から銀閣寺行のバスに乗り40分くらいで銀閣寺についた。
銀閣寺は、金閣寺ほどの派手やかさはないが、日本人好みのさびのきいた佇まいは世界遺産にもなっている。起伏に富んだ庭園からは、室町時代の金閣に代表される3代義満時代の華やかな北山文化に対し、8代義政の銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」の発祥の地としての趣がうかがえる。足利幕府の栄華の跡が忍ばれるとともに、当時、正室の日野富子と管領が政治を行う傀儡政権で政治を妻任せにして、隠居の身に身をやつし、文芸に耽る風流将軍の姿が、歴史に思いを馳せると、もの悲しくもある。


哲学の道
さて銀閣を拝観した後は紅葉で有名な禅林寺永観堂に続く哲学の道を散策した。琵琶湖水路の小川沿いに石畳が2kmほど続き、哲学者西田幾多郎が思索をしながら歩いた道ということでこの名がついたようで、この細い一本道が、雑念を払い思索に専念できるのかと、歩きながら思ってみたが一回歩いただけでは周りの紅葉に目を取られ焦点は定まりそうもない。





禅林寺永観堂
禅林寺永観堂につくと、境内の大きな池を中心に紅葉が取り囲み、やはり観光客があふれていた。永観堂を出ると、タクシーで寺町通りの俗称美術通りの一角に向かい、書画骨董や漆器の店などを見て歩き、二時ごろに昼食を済ませ、最後の寺高台寺まで市内バスで20分ほど移動した。





高台寺の夜景

高台寺 秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺で、桃山時代の蒔絵の寺として有名であるが重要文化財の霊屋の中の蒔絵は見られなかった。日が暮れライトアップを待って、夜景に浮かび上がった紅葉を見た後、近くの祇園から先斗町まで足を運び、軽く一杯やってから、地下鉄に乗り、京都駅を発ったのは7時過ぎであった。本日の総歩数は23000歩。荷物を背負っての起伏のある遊歩行は、さすがに疲れて、車内でもう一杯やりながら眠ってしまった。

2015年11月17日火曜日

変化する住宅事情

産経新聞

近頃横浜のマンションのくい打ち施工データ改ざんに端を発し、同じ施工会社の担当者のみならず、次から次と改ざんなどの不正行為が見つかっており、業界全体のデータ改ざんが常態化していることが問題になっている。住んでいるマンションが傾いていることが明らかになったのだから、住人にとって穏やかな話ではない。おそらく東日本大震災の揺れで欠陥が現れたのだろう。




問題のマンション

確かにマンションは居住性に優れ、利便性と経済性の点で私の場合、30代初めころに、県の住宅供給公社の4LDKの分譲マンションを購入し、20年ローンが残りわずかになったとき、あの阪神大震災が起きた。
ニュース映像で見た倒壊マンションの復旧が容易でないことや、数多くの居住者の考えの相違などで、合意形成が難しく、修理、建て替えがスムーズにいかないことを知ることになり、自分たちのマンションは世帯数が大きく管理組合がしっかり機能しているにもかかわらず、その後の耐震性の問題などを鑑みて、ここは終の棲家にはならないと判断し、売却して一戸建てを購入したものの、そこも6年足らずで手放し、親と同居するために2世帯住宅を新たに建て、現在に至っている。


国交省の資料によると、全国の分譲マンションは今や500万戸を越え、うち築30年以上は73万戸で今後毎年10万戸のペースで増えている。日本全体の人口が減少傾向にあるにも関わらず、どんどんマンションが建設されている状況である。
特に築30年を超えるような物件では、住民の高齢化や建物の老朽化、それに伴う空室率上昇や資産価値下落など、問題が山積しているようだ。
集合住宅の場合、個人が所有するのは住戸の内部だけ、建物の外壁や柱、エレベーター、廊下などは共用部分であり、全員の所有となる。それを全員で管理修繕しなければならないため、このマンションの区分所有権が建物の維持を難しくしている。また管理費滞納者の増加や、高齢者の増加によるマンションのスラム化が危惧されている。
 日本で建て替えを実現したマンションは、特例を認めた阪神大震災の被災地を除いて全国で40例ほどしかないそうだ。マンションのスラム化は、建物が古くなったから起こるのではなく、人間が住まなくなった時に始まり進んでいく傾向にある。


NPO法人空家空地管理センター

総務省が5年に1度調査する「住宅・土地統計調査」によれば、日本全国の空き家数は2013年時点で820万戸。国内住宅総数6063万戸に対する比率、空き家率は13.5%に及んでいる。
野村総合研究所の調査によれば、地方の高齢化と人口減少により、空き家が急増。2018年には日本の空き家は1000万戸を超え、2023年には空き家数は1396万戸、空き家率は21.0%となり、日本の住宅の5軒に1軒が空き家になりかねないとしている。地方にみられる限界集落という言葉は、今後少子高齢化が進むにつれ、都市部にも広がっていくだろう。

2015年11月9日月曜日

アートな話「芸術と経済」


私の好きな日本の画家に田中一村(本名、田中孝)がいる。生前は、まったくの無名の画家で、明治41年(1908年)仏像彫刻家の父の長男として栃木県に生れ、69歳の1977年に、日本の最南端の奄美大島で画家として認められないまま、孤独の生涯を閉じている。南の島奄美の自然を描いた画風は昭和の若冲とも称され、飽くことなき動植物の写実に徹し、どこか平坦で装飾的な画面から漂う躍動感と静けさは、アンリルソーにも似ていて、また日本のゴーギャンともいわれている。



神童と呼ばれ、若くして水墨画にその才能を発揮した彼は4、7歳の時には児童画展で天皇賞もしくは文部大臣賞を受賞し、10代では、蕪村、木米らを模した水墨画を自由に描いたという。
1926年、18歳にて東京美術学校(現東京芸大)の日本画科に学ぶが、父の病のため中退。同期には東山魁夷がいた。その後、家族を養うため水墨画を描いていたが、従来の水墨画を捨て、日本画にもどってみたものの、画壇からは不評であった。

日本美術展覧会(日展)、日本美術院展(院展)に何度も応募するが落選を繰り返す。名の売れた画家になりたいという夢が強かったと言うが、中央画壇で認められることはなかった。
 50歳の時に出品した作品は、自分の絶対的自信作であったが、これも落選。東京美術学校の同期生は、すでに審査員になっているものも多かった。中央画壇に失望した一村は、すべてを捨て、そして、一人、日本の最南端の奄美大島にわたる。そして生計のため大島紬の染色工になるが、無口で、あまり他人と交わることはなかったという。生業以外の余った時間はただ、ひたすら絵を描いていたという。画集の写真からうかがえる貧しい生活も、やせ細った身体も如何にも満足げである。そこにはゴッホのような貧しさの果ての狂気は見いだせない。
 
奄美大島に来てから描いた花鳥画は、自然を愛し、植物や鳥を鋭い観察眼で、精緻に描いた、いかにも熱帯の日本画、と呼ぶにふさわしい大作が何枚もある。一村のエピソードでは、彼が描いた村人が、亡くなってから家に飾るための遺影として、どの家にも大切に残されているという。貧しかった村では、写真にして遺影を飾ることができなかった。そこで、絵で代用をしたそうだ。
神童と呼ばれ、画家としての将来を期待されながら認められず、外側からだけ見れば、悲運の人の生涯であったようだが、本人にしてみれば好きな絵を描いて、貧しくても幸せで孤高の人生を全うしたのだろう。


奄美パークにある田中一村美術館
 
中央画壇で認められたいと、悪戦苦闘し、夢破れて、俗世間から離れ、一人自分の志を守り、静かに去って行った一人の無名の画家。そこに垣間見るのは男の美学か。現在奄美大島の奄美パークにある田中一村記念美術館に機会があれば足を運んでみたいと思っている。


思えば芸術も、我々に身近な経済も人それぞれの人生を語っている。人間の営みの根底にあるものが経済で、これなくしては個人も国も社会も成り立たない。バブルのころならいざ知らず、今の時代、芸術で飯を食うのは難しい。芸大を出ても二足わらじの人もいれば、芸術とは関係のない仕事をしている人もいる。幸いにして絵で食っていける人でも、世間に迎合すれば芸術家精神の堕落が始まる。
いっそ商業主義に徹したデザインの世界や工芸の世界であれば、その葛藤は少ないだろう。なぜなら消費者あっての生産者(製作者)であることが前提にあるからだ。
一般消費世界では、把握しきれないほど多量なモノや情報が、限られた消費者の関心を奪い合っている。良いモノさえ作れば売れたような時代は終わりつつある。前時代の希少性とマスメディアの情報独占に操作された価値観は、ネットの出現により、知識や情報の源泉が広く分散され、消費者の関心を引きつけるものは、モノに内在するエンターティメント(面白さ)とモノの属性、即ち、デザイン、性能、品質と消費者にとっての有用性であろう。芸術は長く、人生は短し。されど人生の基盤は経済である。







2015年10月29日木曜日

新映像の世紀


NHKスペシャル 新映像の世紀を見た。20世紀に発明されたばかりのムービーカメラが初めて本格的に動員されたのが、第一次世界大戦である。1914年6月、バルカン半島でおきたテロ事件(オーストリア皇太子夫妻暗殺)をきっかけに、戦火は瞬く間に世界中に拡大、毒ガス、戦車、爆撃機などの新兵器が登場、30カ国を超える国家が巻き込まれ、犠牲者は民間人をふくめ3800万人に及んだ。この戦争は、今も世界を覆う不幸の種子を世界にばらまいた。そこに関わった人々の人間ドラマを、最新の映像技術を駆使して描いていくスタンスで番組が始まった。

あのアインシュタインが天才と呼んだ、ドイツの科学者、フリッツ・ハーバー博士。画期的な肥料の研究でノーベル賞まで受賞した博士は、大戦中、人類史上初めての化学兵器・毒ガスを発明した。ドイツのために貢献したユダヤ人の博士の発明が、後世に、これがユダヤ人虐殺に使用されるという歴史の皮肉。そしてロシア革命を成し遂げ、世界で初めての共産主義国家を樹立したレーニンは、恐怖政治の創始者でもあった。
また、昔映画で見た砂漠の英雄・アラビアのロレンスは、史実では新たなエネルギー・石油をねらったイギリスの情報将校としてアラブ社会に食い込み、本国の思惑によりアラブを裏切った結果となった。今にいたる中東紛争のきっかけはロレンスから始まり、イスラエル、パレスチナ問題も、イギリス統治から端を発した。すなわち我々の生きている世界自体が、第一次世界大戦の産物というくだりである。


これら紛争の底流に流れているのは、いつ時代も国家の経済的利権である。各民族の生存がかかっているからこそ、人は命がけで戦う。
どの国の歴史も、どの民族の歴史も血塗られたものである。歴史を学べば誰も自国の犯した罪を正当化する事はできない。罪の大小はあれ、どの国も罪を犯してきた。否が応でも我々が歴史から学ぶ大きな命題は人間の犯してきた罪である。どこかの国のように謝れとか謝らないとかの話ではない。

戦争に正義はない。戦争にあるのは勝敗だけである。勝敗で問題とされるのは、強弱である。強者だけが己の正義を全うできる。 敗者に大義は許されない。戦争で一番被害を被るのは弱者である。それが歴史の真実である。また歴史は勝者によって作られるというのも,非情の真実である。
歴史は、人の犯した愚行や悪行に満ちている。 戦争の惨禍は人間の犯した罪である。第一次世界大戦後、連合国がドイツに課した膨大な国家賠償、すなわちドイツ国GDPの20倍もの賠償金が、ドイツを苦しめ、のちのナチスを生む契機になり、やがて第二次世界大戦へと繋がっていく。

戦争は、生産設備をフル稼働し、多額の経済効果をもたらす。人員も動員される。インフレーションにもなるが、それによって雇用も創出される。つまり、過剰な消費が生じて過大な需要を生み出す。その結果、金回りが良くなるのである。その一方で過去の負債や債務が清算される。又勝てば新たな市場を獲得する。 しかし、戦争は戦争である。一方で莫大な破壊を伴う。金の匂いのするところに国際金融資本は動く。ロシアとシリアの接近はアメリカとロシアの代理戦争になる様相を呈し、南沙諸島をめぐる中国とアメリカの小競り合いなど、世界中が何やらきな臭くなってきた。歴史は繰り返すという教訓は忘れてはならない。

2015年10月24日土曜日

ミクロな話


最近ミクロの世界で2人のノーベル賞受賞者が出た。物理学賞の 東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授と、片や生理学・医学賞 の北里生命科学研究所の大村智教授のお二人である。

物理学の世界では、物質のもとになる分子を分解した原子を、さらに分解していくと、これ以上分解できない限界物質といわれるのが素粒子で、宇宙から飛んでくる無数の素粒子がニュートリノといわれている物質だ。この物質に質量があることを実験で証明した。これが物理学の定説を覆した発見となったのである。2002年ノーベル賞受賞の小柴昌俊教授から始まったカミオカンデの実験装置から始まったニュートリノの研究がここで帰結したわけだ。

熱帯で寄生虫が引き起こす「河川盲目症」や「リンパ管フィラリア症」の特効薬となる抗生物質「イベルメクチン」の開発と、数々の抗生物質を発見した大村智教授によるイベルメクチンは、教授が様々な場所から土を拾いつづけ、2000~3000サンプルの中の伊東市のゴルフ場の土から抽出した放線菌を譲り受けた、同時受賞のキャンベル博士の薬開発によって牛や犬などに対する駆虫薬として発売され、世界のベストセラーとなった。
このおかげで犬のフィラリアなどを駆除でき、犬の寿命が大幅に伸びたことは愛犬家にとっては有り難いことである。また河川盲目症や象皮症で苦しむ多くの人々を救ったこの薬は熱帯地方の風土病を封じた画期的な薬でもあった。




我々人類の歴史は細菌やウイルスとの闘いの歴史でもあった。細菌もウイルスも、はたまた多細胞生物である人間の体も肉眼では見えない細胞の集合体である。細胞一つ一つの大きさはわずか1マイクロメートル(100万分の1m)にすぎず、細胞を1000個並べてようやく1cmという微小な世界で成り立っている。
その細胞が1人の人間の体の中に約100兆個あるといわれている。毎日、何千万の数の細胞が新陳代謝して、死んでは生まれ替わっているが、生体を構成している分子や原子は絶えず入れ替わり、数か月もたつと体の多くの部分の原子が新しいものと入れ替わり、1,2年のうちにはほとんどの原子が変わってしまうといわれている。(生命を捉えなおす●清水 博著)

さて、私も罹った癌であるが、癌はその中のたった1個の正常細胞が癌化することから始まるようだ。その1個の癌細胞が分裂を繰り返し、増殖していく。人間はそこに癌が発生しないで生きられるのが奇跡である、と医学は言う。
今、日本人の2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死んでいるといわれているが、なぜ急に増えているのだろうか。現代医学は、これを世界中の誰も、どうする事も出来ない。早期治療早期発見しか手立てはないようだ。
抗がん剤は増殖の速い枝分かれした若いガン細胞を狙い撃ちにするが、同時に正常な細胞まで傷つけるため副作用が多く、親元になる幹細胞ガンまで完全に駆逐できないのが現状で、この幹細胞ガンを壊滅してくれる薬は現在開発中で、治験の中でも有望な薬の開発の可能性は広がっているようだ。これが開発されればノーベル賞ものだろう。厄介者のたとえにされるガン、治癒して共存している人々も多い。酒を殺しながら飲む人はあまりいないが,ガンを殺しながら生きている人は多い。

2015年10月13日火曜日

日本経済雑感

 
●老人栄えて国滅ぶ
 

80歳以上人口が今年初めて1千万人を超え、街でお年寄りが目立つこの頃であるが、経団連のシンクタンク、21世紀政策研究が発表した2050年までの日本と世界50カ国・地域の長期経済予測によると、日本は人口減少の進行で2030年以降マイナス成長を続け先進国から脱落する恐れがあることが分かった。

貯蓄や投資も鈍化し、生産性が他の先進国並みを維持する「基本シナリオ」では30年代からマイナス成長に転じ、2050年には現在世界3位のGDP(国内総生産)が4位に落ち、中国と米国の約6分の1の規模になり、1人あたりのGDPも世界18位と韓国(14位)に抜かれる。
成長率が最も下振れする「悲観シナリオ」では、マイナス成長は2010年代に始まり、GDP規模は世界9位と中国、米国の約8分の1に縮小。経済大国から脱落し「極東の一小国」に逆戻りする可能性があるとしている。
日本の総人口は2050年には、約25%の3,300万人減少し、9,515万人となり,そして、高齢化率は20%から40%へと上昇する。生産年齢人口は、8,442万人(66.1%)から4,930万人(51.8%)となり,15歳未満の年少人口と65歳以上の老年人口を合わせて被扶養人口と言うが、現役世代と被扶養人口が「1対1」になり現役世代の過負担が問題になっている。このことから
生産年齢人口が50%に近づく日本を先頭にしたワースト7を比較したグラフ (団藤保晴氏作成)が上図である。      ●ここでいう生産年齢とは(15歳~64歳)のことである。

日本(50.9%)、スペイン(51.6%)、韓国(53.1%)、イタリア(53.1%)、ポルトガル(53.6%)、ギリシャ(53.8%)、それにドイツ(54.7%)と続く生産年齢人口割合「ワースト7」が世界の趨勢から一段落ち込んでいる。ワースト7は65歳以上人口が各国の水準より浮き上がって30%台になっていて、日本はダントツの36.5%。二番手は韓国の34.9%である。
       

上の図はH26,27年度の総務省発表の我が国の人口統計である。
ちなみに日本では75歳以上が2割を超える恐ろしい事態になっている。2050年は我々ベビーブーマー世代もほぼ死に絶える35年後であり、経済成長などとても望むべくもない状況に陥るのは間違いないところだ。戦後の中核になったベビーブーマー世代が現役から引退して、昨今の社会、経済情勢からみて労働人口の中身はお寒いばかりである。
総務省の統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)は、2015年で「日本の高齢者人口の割合は、主要国で最高」として日本(26.7%)、次いでイタリア(22.4%)、ドイツ(21.2%)などがあがっている。

OECDによる対日審査報告書(PDF)によると、人口減に直面する中で労働力を維持するために、《労働力人口の減少を緩和するため、男女平等の推進が必要である。男性の労働参加率は85%と女性よりも20%ポイント高い水準にある。もし女性の労働参加率が2030年まで男性の労働参加率と同レベルに追いつけば、労働供給の減少は5%に留められ、労働参加率に変化がなかった場合に比べ GDPは約20%高まるだろう》としているが、
  実際にこの大変革は容易ではないだろう。《雇用における男女間格差は、出産後労働市場に残る女性が38%に過ぎないという事実に表れている。

日本は子育てや学童保育に対する支出(対GDP比)がスウェーデンや英国の3分の1に過ぎない。ただし、支出を増やすためには税もしくは社会保険料収入が必要》であり、子育て支援の拡充は遅々として進まない。もう一つの労働力確保手段である外国人労働者の活用問題では、政府も尻に火が付かない限り本腰を入れない状況である。そうでなくても最近の非正規雇用拡大は若い男性から結婚の機会を奪っており、出生率改善どころか更なる低下も考えられ、労働環境の劣化がすすみ、このままの状況が改善されなければ、経済縮小が続き、日本経済に赤信号がともることは火を見るより明らかである。国家100年の計として具体的な実現可能な政策とその実行を示してもらいたいものだ。

さて我が国の経済を概観してみると、バブル崩壊後、25年以上もたった2015年現在になってもバブルの後遺症に引きずられ、未だに日本経済は立ち直れずにいる。立ち直れないどころか長期低迷の底にあえいでいる。
高度成長期に10%以上あった成長率が70年代には、5%代に、80年代には、4%代に、90年代には、1%代、2000年以降は、1%も切って、更にマイナスへと落ち込んでしまった。今日に至る日本経済低迷の伏線として挙げられるのは1985年のプラザ合意が成立する直前の9月には、1ドル241円70銭だったドル円が1週間もたたないうちに210円台まで値を下げ、1986年初頭には、200円の大台を割り込みその後、1988年に120円台で小康状態に至った。プラザ合意に基づく急激な円高によって、本業で利益が上がらない企業が続出し、アジア転出組と並行して、銀行ぐるみで株や土地への投資に奔走する企業が増え、バブルが始まった。やがて1990年代後半になるとバブル崩壊が進み、長期停滞の時代が始まった。

すなわち周知の失われた10年と言われているものだ。さらに2000年代に入ると、同時多発テロ、リーマンショックと世界が翻弄された時代である。国民総所得が20年以上も横ばい状態が続く。この時代も失われた20年と言われ、今日では横ばいどころか下降しているようにも見える。すべてが国内経済から起因したものでなく、グローバル経済下での外的な要因で動いているが、今日の日本経済は上述したように内部構造の土台が揺らいできているため、経済を取り巻く環境は一段と厳しさを増している。ましてやTPP(環太平洋経済連携協定)などの条約締結といっても、米国自体議会の反対勢力も多く、何よりも秘密裏に進められている条約ゆえに問題点も多く、国内外とも議会の承認をその都度とらなければならず、すんなりと条項が実施されることは未知数であるため、各項目ごとに吉と出るか凶と出るかは現時点では分からない。政府の歳入と歳出の隔たりは非常に大きいまま国の財政は悪化の道をたどっている中、この国はどのように進んで行くのだろうか、、、?




2015年10月9日金曜日

日本人の美学


美学という言葉がある。アカデミックにとらえれば美術の系譜を歴史的に研究したり、美の本質あるいは美の価値などを研究したりして、西洋では一貫した哲学の体系として思索の対象になっていたが、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて美意識としてのいき、わび、さびなどが古来存在していて情緒的である。

美学が何を美しいと感じ取るかは、その受け取り方は人によって異なることになり、個人的な嗜好に陥りがちであるが、そこに時代背景が絡んだ一定の普遍性を醸し出す要素がある。総論でいえば日本人の美学であるが、男社会に象徴されるように男の美学というのなら男にしかない価値を語るということになり、限りなく女性を意識しながら語ることであると思われる。
男の器 潔さ 自分なりの基準やこだわり、ストイックさ 自制抑制のきいた行動  精神のダンディズム 自分なりのポリシー  男の粋と伊達などの言葉が浮かんでくる。何を持って美しいと言うかは人それぞれの価値観でもあるが、つまるところ、これを守らないと、自分の中で自分を男として認められなくなるというのが男の美学でもある。死に目覚め生に目覚めた時、人は人生思いっきり、生きる、男としてやりたい事をやり通し、悔いのない人生を生きる、それが男の美学だろう。

梅原猛は、日本人の価値観の基本は美意識にあると言った。(「美と宗教の発見」梅原猛著
綺麗な生き方をしようとしている人間が少なくなった。特に、日本の政治家の生き様から美しさがなくなりつつある。美しさは、潔さにも繋がる。花は桜木、人は武士といった美意識がなくなってきたのである。その結果、美学が廃れつつあるのである。

美は、外見に現れる。美は形である。美を追い求めれば、形式に至る。
美の基準は外形である。むろん、外見の裏には内面がある。しかし、美の本質は姿形、外に表れた象である。形からその内面を伺い知るのである。
普通、美しい、という表現は、多く外観に対し用いられるが、「美学」という表現には、むしろ外観的な要素はなく内面的な要素に集約される。



織田長益像(正伝永源院蔵)


史実によると、桃山時代から江戸時代にかけての茶人織田有楽斎は当初織田長益(ながます)と名乗っていた。織田信長とは13、歳が離れてはいたが、信長の実弟であり本能寺の変の時は、信長の長男信忠の旗下にあった。信長討たれる、の報に接すると信忠に自害を進言し、切腹させ自分は逃げてしまった武将である。
当然、世間からはもの笑いの種とされた。だが信長の実弟として天下を取ろうなどと、奮起する気配は一向に見えなかった。その後、いくつかの戦いを経験するが生き伸び、信長の後継者となることを捨て、僅か3000石の大名となり、政治向きから遠ざかり千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられ、後には自ら茶道有楽流を創始した。織田有楽斎と名乗り、野心を捨てた茶人として豊臣、徳川に仕え、75歳の天寿を全うした人物である。
花は桜木 人は武士、と言われるように、潔(いさぎよ)い生き方とは正反対の生き方をしたこの御仁、有楽斎は現在の東京有楽町の名の由来とされる俗説もあるが、歴史の裏に潜んだ人生いろいろである。




2015年9月19日土曜日

アートな話「百年の愚行展」


『百年の愚行展』が、8月22日から9月27日まで東京・秋葉原の Arts Chiyoda1階ギャラリーで開催されている。
同展は、書籍『百年の愚行』および同書の続編となる『続・百年の愚行』の展覧会。2002年に刊行された『百年の愚行』は、20世紀に人類が犯した愚行を10に分類し、写真やエッセイ、コラムで紹介した書籍だ。昨年に刊行された『続・百年の愚行』は、アメリカ同時多発テロ事件や「3.11」にまつわる事象を含む21世紀以降の「愚行」を約50点の写真を通して紹介している。


会場風景

『百年の愚行展』は、21世紀に入った現在もなお続く暴力、環境破壊、経済格差といった問題について議論し、行動するきっかけづくりとして開催。2冊の書籍で紹介された20世紀から21世紀にかけての愚行を象徴する写真を展示するほか、国内外で現在進行している様々な動きについても映像を使って紹介している。



会場風景2

20世紀に犯した人類の数々の愚行の写真100点と、21世紀に入っても人類の愚行は増大するその続編が50点の写真集を追加しての今回の展覧会。それら出版物の中の写真パネルや、画像VTRが狭い会場を埋め尽くしている。神の視座にたてば人間のやっていることは愚行に映るのだろうが、これらの画像や映像を見て、どうにもならない厭世的な気分に陥るのは私だけではないだろう。

対義語の辞典によると、愚行の対極にあるのは快挙であり、20世紀はあらゆる分野(自然科学、生物化学、宇宙科学、産業革命、情報革命、エネルギー革命)などのイノベーションが人類の快挙とするならば、対極にある負の遺産である戦争、難民、環境破壊、原発、格差、資本主義の病根が人類の愚行と深くかかわっている要素である。人類史をあえて俯瞰してみれば、戦争と戦争の間にある平和,力と力のバランスの上でかろうじて成り立っている平和というものが長く続かないことが見て取れる。戦いの無くならない世界、これは人間のカルマ(業)のなせる業であり、我々はカオス(混沌)の世界の住人でもある。人間が自助努力をしてもその力は微力であるが、この愚行の数を減らす努力は続けなければならない。そういった志向性をうながすカメラの目は我々に黙示録として語り続けるだろう。

2015年9月14日月曜日

難民問題

シリア難民

難民という概念は、あらゆるものに普遍的な漂流者(平たく言うと根無し草)という日本語が当てはまる。ネットカフェ難民、帰宅難民、カルチャー難民、そして映画で話題になった東京難民とさまざまである。
今世界では、シリア難民問題でEUがその受け入れを巡って分解寸前となっている。海外ニュースを賑わしている映像では、ハンガリーはセルビアとの国境に有刺鉄線のフェンス、あるいはトルコ沿岸の波打ち際で溺死した少年や、大挙してドイツに向かう難民列車等々報道されているが、しかし彼らの多くは戦禍を逃れた政治難民なのか、あるいは単に荒廃した母国を見捨て『より良い暮らし』を求める経済難民なのかの線引きは難しい。これらを見て人道、人権といったものを優先する感情論が先行することも考え物である。安易に難民を受け入れる文化のある国とそうでない国では、対応の仕方が違ってくる。既にEUはアメリカに難民引き受けを打診していて、アメリカも1万人程度受け入れるようだ。もともと移民で成り立った国だから何ら違和感はないのだろう。
ドイツを目指すシリア難民

日本も遠い国の出来事と言ってられなくなり、少なくとも難民支援のための資金提供は余儀なくされるだろう。こういう国からの難民を、自由・民主・人権・法治を土台とする近代国家が受け入れることはできても、難民が溶け込むことはない。難民はゲットーを作り、治安は悪化し彼らは仕事よりも先に福祉を要求する。難民を無制限に受け入れることによって様々な問題が各国に起きている。日本も在日棄民(注)を抱えこみ戦後を歩んできた歴史がある。パクリ、スパイ、ねつ造体質のこの民族の世界各地で起こす禍根は数が多すぎて枚挙にいとまがない。

(注) 戦後一貫して韓国は不良朝鮮人、犯罪者、ヤクザの帰国や送還を認めてこなかった。いわば国家が見捨てた 難民である。

長い歴史の中で多くの困難を乗り越えて今日の国家は存在する。総じて次世代により良い国家を引き渡すのが国民の義務であるが、残念ながら難民は受け入れ先で多くの問題を引き起こす。解決策は祖国が安定して、故国に帰り元のさやに戻るのが理想であるが、国際情勢からみて非常に困難なことでもある。いかに先進国とはいえ難民受け入れには限度があり、各国ともこの連中に満足を与え続ける余裕はない。各国とも経済的余裕のない“底辺の人々が”が真っ先に難民に対する抵抗勢力となってナショナリズムを煽り立てる。ドイツのネオナチしかりである。しかしそれにしても日本の難民認定はハードルが高く2011年以降、61人のシリア人が申請を行い、難民認定された人が1人もいないというのが批判の的になっている。そのための改善も進めているようだ。日本のガードが堅いのは世界も周知の事実である。よほど在日問題で国が悩ませ続けられたのだろう。

我が国法務省の在留外国人統計(平成26年6月末現在)によると、国籍地域別特別永住者の数は、韓国・朝鮮(36万0004人)中国(1759人)台湾(648人)となっており、圧倒的に韓国人が多い。日本の隣 国には幼少の頃から反日感情を植えつける教育を施された民族が大勢現存しており、戦後60年経ても、在日朝鮮、韓国人の動向を見ていると他山の石とは言えない。大陸有事の際は厄介な隣人たちが日本に押し寄せる局面は想像するに難くない。

(国連)によれば、シリア国内で600万人余りが避難民となり、400万人余りが難民登録をしているという。そのうち半数以上がレバノン、ヨルダン、イラク、エジプトに流れ、トルコにも約190万人が、北アフリカに約2.4万人がいるという。ドイツでは今年、過去最多の80万人が難民申請すると予測されているが、申請者の約4割は「不法移民」だという。出口の見えない難民問題に世界は苦慮している。どうしたものやら、、、、